本来ならば、議員というのは、もともと職業を持っていて、夜に議会を開き、地域や国のために政策どうあるべきかを決定していく存在であったろう。それが今や議員は職業になってしまった。議会に就職して給料(歳費)をもらうのである。
どの国もそうかと言えばそうではない。特に地方議員は、韓国や欧州のいくつかの国では、無給で夜の議会に出席し物事を決める名誉職的な存在である。国会議員でも、日本の戦前の貴族院は、高い納税者が順番に就任したというから、名誉職だったのである。
民主主義の方法として、議員と首長は選挙で選ぶというのが近代国家である。しかし、この方法は裏目に出ることが多い。つまり、年齢制限があるくらいで、資質を一切問わないのが選挙であるから、政策に習熟し、公共の精神に富む、というような、普通の職業なら課せられる応募条件は何も問われないからである。
普通に考えれば、まともな人は先ずは職業生活で自己実現と社会貢献を果たそうとするであろう。その中で、政治が決める方向性や制度的制約に違和感を持ち、制度の改正や社会の変革に向かっていくのが政治への目覚め、政治志向というものであろう。地に足の着いた政治とはそういうプロセスを経るものと私は思う。
戦前は総理大臣もその他の大臣も天皇の勅命で決まっていたのが、戦後は選挙を経なければ政治ポストに就くことができなくなった。ごく一部の人しか習熟していない選挙という方法は、一部の人に独占されることになった。一部の人とは、世襲の集団である。結果的に、そもそも政治とは志であるはずなのに、選挙という難しいハードルのために世襲の家業と化してしまった。
世襲の壁にぶつかって、民主党を選択した人も多い。ただ、その中に、職業上の論理的帰結ではなく、「政治家になりたい」だけの志望者が入っていた。世襲が持つ三種の神器「地盤、看板、鞄」には事欠くが、新たな神器を考案するようになった。若さ、海外留学、それに松下政経塾である。新たな神器は、教育水準が高く、世襲を快く思わない都会で威力を発揮できた。だから、民主党はそもそも都会型政党なのである。
私が初めての衆議院議員選挙を山口一区で戦おうとしたとき、民主党の都会の選挙区は入りどころがなかったが、田舎選挙区はより取り見取りで、受かりそうもないために競争なく公認を得ることができた。公認乱発時代だったと思う。
当時は、公認審査が不十分だったのであろう、学歴詐称事件も起きた。特に海外留学は本人の自己申請に基づいていたためか後で議員辞職に追い込まれるケースも出てきた。もっとも、海外留学の学歴詐称は、民主党だけではなく、自民党も同様で、小泉純一郎や安倍晋三までもが「単位ゼロ」の留学を学歴と称していたのだから、学歴不十分の人の常套手段だった。
そもそも「留学」という学歴はない。学位が取れなければ学歴にはならない。アメリカは、入学試験ではなくアドミッション方式だから、入学できても卒業は努力しなければできない。しかも、入学の条件に、TOEFLなどの英語力の証明が必要で、単位ゼロの多くは、英語試験に受からなかったために本科に入れなかったというケースである。
「中退」もまた定義のない学歴である。入学式だけ行って辞めたという人もいる。民間の就職試験では、中退が学歴として評価されることはないのだから、定義のない中退は学歴にならないとも言える。
民主党は、公党としての地位を確立するまでは、かなりいかがわしい人材が入っていたことを示唆している。学歴もさることながら、職歴も何をやっていたかよく分からない人も多い。せっかく、脆弱な世襲に対抗しようとしたのに、哀しいかな、野党は人材を集めにくかったのである。
2009年には、民主党に風が吹き、にわか仕立ての比例単独候補も大量に衆議院議員になったが、国の仕事に習熟する人材不足は政権運営に直接に表れた。民主党政権の最大の難点は、内閣の「不適材不適所」にあったと思う。自民党の方法を踏襲して当選回数を頼りにポストを決めたために、不適切発言が相次いだ。3年3か月に実に64人の閣僚を任命したというから、「どうせ政権は短い、閣僚人事をバブルで行おう」としたのではないかと疑いを持つ。
中には、優れた閣僚もいる。江田五月法務大臣は、さすがに司法界が長いせいか、すべて答弁は自分の言葉で、しかも見識と品位を備えていた。街頭での演説はうまくないと思ったが、プロの場での実力は凄いものがあった。川端達夫総務大臣は、地方自治は素人かもしれないが、東レの研究職だったその緻密さを遺憾なく生かし、政治を間違いのない方向に導いたと思う。
優秀な人材を宝の持ち腐れにしている事実もあった。たとえば、首藤信彦氏(神奈川)は国際政治学者であり、語学もすぐれ、世界中に人脈を持っている。なぜ彼を外務大臣にしなかったのか。消費税反対、TPP反対、原発反対の人で左寄りのイメージがあり敬遠されたのかもしれないが、彼を閣内に取り込めば官僚も交えた質の高い議論が行われたであろう。早とちりの政治にならないで済んだはずだ。
党内運営においても、人材の活用は下手だ。例えば、年金のワーキングチームは出席者が数人と極端に少ない。年金を本格的に議論できる人が少ないからである。そのせいか、長妻さんの意見が絶対になっていて、私は、社会保険制度を前提にした「最低保障年金」には反対だったが、最低保障年金は長妻さんの発想であり、それに反する意見は一顧だにされずに終わった。民主党の中で抗うことのできない「絶対」という人ができてしまっているのだ。その「絶対」の塊が今回の負けを決定的にした。
党内で議論をリードした人々の中にも優秀な人はいる。農水の篠原孝(元官僚)、郵政改革法と国際戦略総合特区を推進した大塚耕平(元日銀、参議院議員)、行政改革を引っ張った階猛(元長銀、弁護士)などである。こういう人は副大臣や政務官ではなく、大臣にすべきだった。ところが、民主党の中で「絶対」となるためには、垢だらけの長い野党経験がなければ認められない。与党自民党を打ちのめした長妻さんのようでなければ「絶対」つまりカリスマになれないのである。
しかし、政権をとれば、野党的体質ではやっていけない。実務家としての能力、組織を率いる能力が求められる。菅総理は、野党の党首としてはカリスマ性を持っていたが、首相になったならば、相手を罵倒して物事を進めることはむしろ控えねばならなかった。野党の時に称賛された現場主義も、国のトップとなれば認識の間違いにならざるを得なかった。
民主党は政権交代を目標としてきた政党だ。そして、それを成し遂げた。ならば、政権交代した時に、野党的カリスマから実務家集団に仕事を引き渡さねばならなかったのだ。中国で、革命を成し遂げたのは毛沢東であっても、実務は周恩来に任さねばならなかったのだ。毛沢東が自ら行った大躍進政策や文化大革命は大失敗に終わっている。革命家は実務に向かないのだ。
「革命未だ成就せず」。しかし、国民はもう民主党に期待しない。野党的カリスマだけが残った残骸にもう一度政権を担わせるほど国民は甘くはない。新しい革袋をつくらねばならない。今度は、実務家に主導権を持たせよ。
民主党はこぞってアベノミクスの失敗を期待しているかもしれない。確かに失敗の確率は50%以上だ。しかし、インフレターゲットも財政出動も新たな成長戦略も民主党は検討したが、検討倒れで何も発信できなかったではないか。アベノミクスとて薄氷を踏む思いでやっているだろうが、発信はしている。マスコミのひきつけ方も民主党より数段上手だ。しかも、日銀の総裁も官僚も(いやいやながら)ついてきているではないか。
民主党はマスコミに説明をしたのか。民主党は官僚に指示を与えたのか。民主党は支援団体に相談したのか。みんなノーだ。「朕は国家、ボタンを押せば仕事は始まる」。ゲームの世界に没頭している独断の政治家を周囲は距離を置いて冷淡に観ていただけだ。少なくとも安倍のエコノミクスの発信力だけでも民主党は持ちたかった。
55年体制以来万年野党だった社会党は、1994年、社会党党首の村山富一を首相とする連立政権に就く。絶対ありえない与党の地位に、しかも宿敵自民党に担がれて上った。目を白黒させながら、長年の主張をかなぐり捨てて自衛隊は違憲ではないとまで言い、アイデンティティを失って没落を余儀なくされた。社民党も新社会党も共産党よりも少ない存在だ。民主党の運命はこれを辿る可能性が高い。
国会議員の質を問うとき、政権政党の政治を目指すのか、それとも万年野党でいいのかによって、人材も違う。たとえば、社民主義はヨーロッパでは常に一定の支持を得られる政治思想であり、政権政党を目指すのが当然である。日本の社民党も、もう少し現実路線を採り入れて政権政党を目指して打って出ないのか。あるいは、共産党は、大資本と大企業ばかりを攻撃するのを控え、階級闘争の後に理想の社会が実現するという夢物語を捨てて、二極化した経済社会階層の生活を守るという視点に絞って党勢を大きくしたらどうか。
マイノリティの意見を言えばいい、という社民党や共産党では、万年野党に甘んじるしかない。政党たるもの、政権を目指せ。みんなの党も行政改革だけのプロセス党だ。外交や防衛も含めた政治を主張するか、他党と合体する必要がある。公明党は「背後霊」の存在が国民的支持を失わせている。自民党は政権を独占することが目的だが、世襲党でもあり、民主党と同じく実務家を欠く集団だから、いくらなんでも終末は近い。他の政党が育たないので、老骨に鞭打って従来方法を「鳴物入り」でやり続けるだけだ。
維新党は、今のところ、極右思想であるというだけで、政策の発信が支離滅裂なのでコメントのしようがない。ある者は原発推進と言い、ある者は反対と言う。共同代表の二人の考えが違うのだから、分裂は必至であろう。分裂すれば、民主党の例を待つまでもなく、衰退に向かう。そのときに改めてコメントしたい。
国会議員は、いかなる政党に属するにせよ、政権をとった時に、国の運営ができる知識と組織を動かす能力が必要だ。政権をとる気がない万年評論家だったり、職業生活をしたことのないプータローだったり、政治家家業の継承者だったりならば、辞めてもらいたい。有権者にお願いしたい。どう考えても国会議員の条件を満たさぬ輩に投票しないでほしい。それが無理ならば、日本はもっともっと転落の道を辿るであろう。