元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2020/05/22]
ポストコロナ政権はいかに



 風雲急を告ぐ。緊急事態宣言は一部を除き解除され、その一部も遠からず解除になることが安倍総理の口から伝えられた。疫病対策から経済回復へ舵は切られたのである。
 コロナ発症数など数値が沈潜に向かっているのは事実だが、アジアや欧米の経済復帰に内閣が焦りを覚えているのも感じ取られる。しかも、内閣支持率は下がり、マスコミは日本政府は後手に回っている、対策費が不十分だと叫ぶ。
 それに追い打ちをかけるように、黒川検事長の賭け麻雀による辞任、河井前法務大臣夫妻の公職選挙法違反は内閣を揺るがしている。法曹界の不祥事は、コロナ対策の不明瞭さと相まって政権への逆風だ。
 安倍総理の顔から笑いが消え、疲労がにじむ。もともと疫病対策のような社会政策の人ではない。アベノミクスで知られる経済政策も本来の得意分野ではない。安倍総理は、国体の改造を目指していたのである。戦後レジームを見直し、独立国家日本が彼の目標だ。そのために憲法改正が必要だ。
 しかし、政権を放り投げた第一次安倍内閣の反省から、民主党惨敗後、安倍総理は、謙虚に周りを固め助言を得、経済政策に力を入れてきた。周囲も旧通産官僚で固めた。時を待って憲法改正のはずであった・・しかし、二度の消費税不況、そして思わぬ疫病流行に行く手を阻まれた。
 たとえコロナが終息しても、経済回復の政策は矢継ぎ早にやっていかねばならない。もはや、憲法改正ではない。東京オリンピックも中止の可能性が出てきたから、オリンピック頼みの景気浮揚は期待できないと見たほうがいいだろう。
 コロナ対策の真只中、つまり戦時中だから誰も言わないが、誰の目にも、政権バトンタッチが近い。では、誰が安倍政権を継ぐのか。もし西村経済再生大臣兼コロナ対策大臣が世の好感を得たならば、ポスト安倍を狙う絶好のチャンスだったのだが、吉村大阪知事に疫病退治の姿勢で負け、西村氏の株は下がった。西村大臣は元通産官僚、疫病よりも経済回復に浮足立つのがはた目にもわかる。
 本来なら、加藤勝信厚労大臣がコロナ大臣になるべきだが、内閣のスタンスが「命よりも経済」だから、加藤大臣は医療体制など銃後の戦いにまわされた。しかも、専門家会議と諮問委員会は官邸直結で、彼はサブの役割しかなかった。大蔵官僚出身の加藤氏よりも、通産官僚出身の西村氏のほうが、よくも悪くも動きが早いし、厚労省はそもそも行動が遅いので、加藤氏は臍を噛み、ポスト安倍の役回りは得られなかった。それでも、加藤大臣は田村元大臣とともに、歴代厚労大臣の中では好評である。
 西村氏や加藤氏の60歳前後の年代で、ほかに、岸田文雄政調会長、河野太郎防衛大臣が将来を嘱望される。岸田氏は宏池会の伝統で、ポストコロナの経済政策に手腕を振るう可能性があり、河野氏は、持ち前の意外性で国際社会での日本を回復させられるかもしれない。
 少し年代が上がるが、石破茂は、年齢的に最後のチャンスであろう。地方に強いのを生かし、コロナ後の地方自治に夢を与えることが期待される。問題は、以上の候補者はいずれもコロナに関して声を上げていないことである。この前代未聞の対策に、一家言を呈しないようでは、次の政権を握れるとは思えない。
 これに比べると、今回、知事の活躍は明快に伝えられる。府民を引っ張っていく吉村府知事、環境主義者でPR力の強い小池都知事。吉村知事は維新の会、政党を背負っているので、あるいは近い将来政権を担う一人になりうる。
 野党には今のところ期待できる存在はない。コロナは政権の花を枯らすだけではなく、最大のチャンスに独自政策を掲げることをしなかった野の花をも枯らした。
 
 

[2020/04/29]
コロナチャンス政策



 「毎日がコロナ情報」に浸る日本である。緊急事態宣言延長論が早くも出始め、欧米やアジアの国々に後れを取った感が無きにしも非ずという中で、コロナ状況をきっかけに、学制を9月入学に変える政策が浮上した。
 9月入学は、浜田純一元東大総長が熱心に取り組んだが、制度化に及ばなかった経緯がある。浜田元総長は、東大憲章に謳う「世界の視野をもった市民的エリートの養成」のためには、世界の大学に合わせ、9月入学にすることを主張した。
 その背景には、イギリスTHE(高等教育専門誌)の世界大学ランク付けがある。これによると、日本の大学で100番以内に入るのは、東大と京大2校で、2020年版では、東大36位、京大65位と欧米の大学、アジアの大学に差をつけられている。その理由は、両大学とも論文引用数や民間資金の導入では高得点を得ても、国際性の項目で劣るからである。
 国際性の項目には、留学生の数や外国人教師の数などが基準となるが、東大に集まる留学生は少ない。英語国ではないというデメリットが最も大きいものの、入学が4月では、空白期間ができるために学生は逡巡する。他方、日本人学生が留学する場合も、同じ問題があり、近年の留学減少傾向の一因と思われる。
 浜田元総長に対して、東大教員が集まって反対声明を出したこともある。既に多くの議論が行われたのである。日本では、海外での学歴は相対的に低く見られ、日本の大学学部で学歴が評価される傾向がある。アメリカの大学は自己資金を持って留学する場合は入学許可されやすく、近年入学が易しくなった日本の大学院とともに、学歴ロンダリングに使われることが多い。この一般的な認識の下では、留学のメリットは大きくない。
 議論が行われることは望ましいが、コロナでどうせ学期が遅れたのだからという理由では、コロナの終息も見えていないのに、雑な政策論である。それよりも、コロナをきっかけにこれまで長期を要する議論を避けていた政策に取り組むべきではないか。一つは、女性天皇制、もう一つは、年金改革である。
 年金は、1942年、戦争に行く労働者に向けて、あえて将来の安定を鼓舞するために積立年金制度として作られた。戦後、1970年、高齢者割合7%の高齢化社会を迎え、1973年改正の年金制度は、当時の社会に残っていた道徳「親孝行」をコンセプトに、世代間扶養の賦課制度を導入した。そのコンセプトは現行年金制度に生き続けている。
 年金制度ほど長期的な社会政策はほかにない。しかも社会を長期的に変える力を持っている。今その力を必要としているのは、少子化を食い止める制度的対応である。世代間扶養を転じて、三世代間扶養のコンセプトを採用すべきである。三代目、つまり、育てた子供の数に応じて、将来受け取る年金額が加算される仕組みである。
 保育所の整備や学校教育の無償化は少子化に対する積極給付であり、それはそれで良い。将来の日本を支える子供を育てた両親に「ご苦労さん給付」を設けることによって、目の前の必要な給付以上に、子育てした老後が報われる長期的動機付けは、実は大きく日本の社会を変えるだろう。
 親孝行という言葉はほぼ死語だが、年金制度にそのコンセプトが残っている。ならば、将来「子育てご苦労さん」のコンセプトを制度上残すことは望むべきだ。コロナ状況で仕事に苦しみつつ、休校中の子供を改めて自分の努力を捧げる存在と考えるならば、年金制度の転換に取り組むべきだ。

[2020/04/09]
疫病対資本主義



 非常事態宣言が発され、日本社会も疫病との戦いが始まった。筆者はインド滞在時代に夜間外出禁止令を経験し、shooting at sight(外出者を見たら発砲する)という強制力の強さに驚いたことがある。戦後の日本にはそのような事態はなかったし、そもそも戦時下に対応する法律もない。
 しかし、最早、平和ボケという時代ではない。日本は90年代のバブル崩壊から、非正規雇用や非婚、重なる災害による艱難辛苦に締め上げられてきた。その中で、戦時体制と思われるかのような不便な生活が始まったのである。首都圏では、コミュニティーの「広場」であるショッピングモールが閉鎖される。飲食店は自粛で活気を失う。
 学校は休校、仕事はテレワーク、非正規雇用者は自宅待機、その一方で、感染者が増えて対処できない医療崩壊の可能性が高まる。太平洋戦争を生き延びた人は少なくなりつつあるが、思い出される「欲しがりません、勝つまでは」「贅沢は敵」の再来である。
 この疫病との戦いは、近年とみに危機を指摘されてきた資本主義と民主主主義への挑戦でもある。新型コロナ対策に国は108兆円の予算をつぎ込む。1年分の国家一般会計予算以上の額だ(ただし、特別会計や融資を含むので真水ではない)。アメリカはそれより早く、220兆円の給付を決めた。どちらの国も紙幣を大量に刷れば可能だが、疫病後の社会がハイパーインフレになることは容易に予想される。
 まさに、疫病の資本主義に対するチャレンジである。戦争が資本主義に対するチャレンジであるのと同じであり、資本は国家目的の方向のみに使われ、人々の生活は抑制される。環境主義の小池都知事と通産官僚出身で資本主義の守護者西村経済再生大臣との対立はまさに事態を象徴する。「まずは疫病だ」の小池氏。「産業の活動を残しながら」の西村氏。
 エボラ出血熱はコウモリを食するアフリカの食文化が原因だった。新型コロナはまだ詳しいことは分っていないが、マレーシア原産で中国人だけが食するコウモリ科の動物が持つウィルスの可能性が高い。机以外の四つ足は全て食べると言う中国らしい文化によるのだろうか。
 発祥地の武漢では疫病封鎖の一部解除のニュースもあるが、世界は疑っている。その上、中国が開発したPCR検査キットも大量購入したイギリスで使用不可能であることが発覚した。また、コロナ発性の時に、中国の科学者は致死率の低いウィルスと判断したことが蔓延の原因だとも言われる。ただ、共産主義体制であるからこそ、都市封鎖など強制力を迅速に発することができたのも事実だ。
 疫病後の経済崩壊は防げるのか、ハイパーインフレは防げるのか、資本主義は崩壊しないのか、分からない。ここで思い起こされるのは、気候変動対資本主義の戦いも今回と同じ構造の戦いであるが、科学者の強い意向にもかかわらず、資本主義への配慮が先立ってきた。だが、疫病との戦いは、気候変動を凌駕する。気候変動が低温火傷ならば、疫病は眼前の火傷そのものだからだ。

[2020/03/18]
人智の限界



 新型コロナウィルスの蔓延予防のため、国境が実質的に閉ざされ、国内の活動が抑制されている。いくつかの経験値や統計上の事実は分ってきても、いかんせんワクチンと特効薬が確立していない。しかし、他方で、重症化は少なく、死亡の多くは高齢者であり、ウィルスの正体を突き止める前に行う予防策が効果的なのかどうかは将来の解明を待つ。
 日本人は真面目だ。公衆衛生に集団として取り組む姿勢が顕著である。電車では、今やスマホ以上の数のマスク姿が見られる。欧米に比べても予防効果を上げているのが数値で明らかである。この真面目さが戦後の結核撲滅につながってきたことを思わずにいられない。今や公衆衛生は医療費削減と連動して、メタボ撲滅などの指導が保健所で行われているが、かつては、厚生省公衆衛生局に臨床経験に優れた医系技官の粋を10人近く集め、結核撲滅に取り組んだ。
 80年代のエイズの時は、同性愛者の疫病という間違った情報で、限られた人の性的感染と楽観視した人も多かったが、今回の飛沫感染は誰にでも起こりうると予防行動に全員が参加する。
 科学的にわかっていないことは実に多い。中国や韓国の大都市で問題になっているPM25(particulate matter 2.5マイクロメートル)という空気中の超微粒子についても解明できていない。先月の筆者が参加した国際会議で、クリフ・デイビッドソン・シラキュース大教授は、空気汚染が神経系、循環器、気管支に与える影響について警告し、子供の学習能力にも影響することをデータで説明した。また、自動車起因の食物、水及び空気に含まれる亜鉛の影響にも言及した。同教授は、解明されていないことが多いと付言した。
 同会議で、ラッタン・ラル・オハイオ州立大教授は、人間と土の関係を紀元前迄遡って歴史的に説明し、現在、土の質が危険にさらされている事実を指摘した。土の汚染については、空気や水に比べ、我々の認識が甘く、知られていないことが多いのに驚いた。
 同じく、この会議において、リュック・モンタニエ教授(2008年ノーベル生理学・医学賞受賞)が、水、食物、及びワクチンに潜む危険を述べ、特にワクチンについては子供に接種するに当たり科学的安全性が確保されていない限り行うべきでないと力説した。パスツール研究所出身で、エイズウィルスの発見者である同教授は、多くのワクチンはむしろ危険性が高いとの認識を示した。
 科学者の専門家の会議でも、人間は「真実」に迫り切れていないことが強調され、我々は分っていないことを前提に政策に踏み出さねばならないことを知らされた。同会議で、マリオ・マリナ・カリフォルニア大教授(95年ノーベル化学賞受賞)は、温暖化の問題などは、最早科学者の手ではなく、責任は社会に移行している、つまり、政治の選択にかかっていると主張した。それにしても、新型コロナウィルスは全世界に経済不況をもたらすかもしれないが、現在の公衆衛生上の政治選択が吉と出るか凶と出るか我々には不明である。

[2020/02/01]
安倍首相はパペット?



 2020年が明け、東京オリンピックが眼前に迫った。しかし、1964年の東京オリンピックの時とは様相が違う。当時は、高度経済成長の真只中、人口は増え、世界2位の経済大国に垂んとするとき、日本の戦後の復興ぶりを世界の人々に見てもらう、その興奮が渦巻いていた。
 
 21世紀に入ってからは、人口規模も世界のGDPに占める割合も、日本は急激な下り坂を下っている。データを見るまでもなく、かつて高品質の代名詞だった日本製品が売れない、有能な日本人と見られていたころの敬意が払われない、そんな日常感覚が普通になりつつある。その中での東京オリンピックだ。エコノミストは祭の後の消費不況を警告してやまない。

 昨今、実体経済が良くなったとは誰も思わない。株価は2012年以来上がっているが、株価は経済の期待値でしかないことは誰もが知るところだ。安倍首相は、第二次安倍内閣以来、経済政策に力点を置き、本心は憲法改正をやりたい気持を抑えて今日まで来た。もう任期余すところでは、本命の憲法改正は無理だ。だとすると、今日までの安倍一強と言われてきた政治は、首相のリーダーシップではなく、むしろ影の誰かによって行われていたのではないか。

 そんな勿体ぶった言い方をするまでもない。安倍首相を取り巻く経産官僚OBの、リフレ経済志向、目先だけのイノベーション志向が首相を傀儡にしてきたのではないか。また、官邸に赴く率が高いのは外務省で、旧来型の親米幹部が首相を傀儡にしてきたのではないか。つまり、長期政権になったのは、リーダーシップよりも傀儡のおかげではないか。

 司法官僚は、そう簡単に憲法改正に動くわけはない。他省庁と異なり、統治機構の礎だからだ。安倍首相は、結局、真実に自分を発揮しないまま長期政権を降りる時が迫ってきた。東京オリンピックという祭の後にかかってくる暗雲を除けることに全力を傾けなければ、山崎卓氏が言うように、安倍首相はレジェンドのない首相として終わってしまうだろう。パぺット(傀儡)総理で終わってしまうであろう。

[2020/01/22]
日本を救う科学技術政策



 総理の施政方針演説が行われた。内容は、東京オリンピックをイントロに、全世代型社会保障と外交が中心である。野党は、総理の主張する「業績」やIR汚職、疑惑の「桜を見る会」などに批判を集中させるであろうが、しかし、もっと、基本的なところに着目してほしいのだ。
 
 それは、科学技術政策を施政の柱として挙げていないことだ。イノベーションやソサイエティ5.0などのキーワードは入っているが、政策の幹が示されていない。全世代型社会保障の足枷が人口構造であり、経済停滞を覆す手段はイノベーションである。その課題に応えるのが科学技術ではないのか。外交においても、総理が古顔になって若干の存在感を表すようになったとしても、最早、国際社会において日本は科学技術立国としての尊敬は集めていないのである。近視眼的な課題に取り組む以上に、日本の未来に向かっての科学技術政策が語られないのは、日本の落ち目の始まりである。

 政府の第6期科学技術基本計画が2021年4月から始まる。それに向けて第5期のソサイエティ5.0を始めとする評価が行われ、第6期は、縦割り行政の官僚書き集めから、よりトップダウンの政策が掲げられる予定だという(内閣府)。トップダウンと言えば、政治的な判断と解されるが、筆者は危惧を抱く。

 官僚書き集めは、表題をキャッチイに打ち上げても、中身を見れば毎回同じ項目の並べ替えを意味する。自分の関わる仕事を掲載しなければ自分の存在意義が失われてしまう、官僚なら当然の論理だからだ。では、トップダウンの政治判断を良しとするかというと、これも危険である。なぜなら、政治家のこの分野での関心の低さ(かつての尾身幸次元科技庁大臣の言)が、政治家の科学リテラシーの低さにつながっているからである。言うに及ばず、この分野は選挙の票にもならない。
 
 最近、山中伸弥教授のiPS細胞は世界の潮流ではないから研究費を削減するとのニュースが伝えられた。総理補佐官と厚労省審議官の早とちりであり、さすがに山中教授の反論に対し、すぐに取り下げることになった。これは、政府内の科学リテラシーの低さを如実に表すものであり、それ以上に、科学インテグリティ(ポリティカルコレクトネスと同じように、科学的妥当性、科学的公正と考えてよい)を欠いた拙劣な行動である。総理補佐官から出た行動とすれば、背後に官房長官、総理が存在する。

 iPS細胞は、科研費が集中し、そのほかの研究に弊害があると言う議論もある。iPS細胞に対抗するためのステップ細胞にも膨大な費用がかけられ、小保方事件を招いたことは記憶に新しい。しかし、iPS細胞が未来の医療につながり、日本はノーベル賞学者を先頭に世界をリードしているのだ。つまり、これは、日本の夢であり、国益なのだ。

 科学技術施政方針は、学者の弁を書くのではない。国益となる研究を政府が押し上げる仕組みと予算を作るものだ。例えば、素粒子論で先端を行く日本が、ハイパーカミオカンデを建設するのも、国益である。ITやバイオのみならず、得意のものつくりでも国際競争に負けてきた日本が、国益のかかった分野で盛り返す必要がある。

 もうひとつ、重要な国益のかかった分野がある。海洋研究、水産資源研究である。海洋国家日本としては、この分野に大きなメリットがある。海洋研究は、深層海流や海の二酸化炭素吸収力など気候変動の解明に資する。また、深海のエネルギー資源水素の開発、就中、その開発コスト削減も化石燃料に依存する日本の国益をかけた研究になる。

 水産資源の研究もまた、大きな国益のためにある。漁獲量が逓減し、若い人を中心に魚介摂取量が減る中でも、日本は今だ世界一の魚消費国である。捕鯨や稚魚養殖で国際社会における軋轢を持ちつつも、この食文化を守るのが国益でなければ何と言えよう。東シナ海の漁場は、誰もコントロールできないブラックボックスとなっていて、日本はアジア(インドネシアなどで貧困者が魚のタンパクを必要としている)の混沌とした漁場と欧米の科学(捕鯨に関しては、インチキなものもある)をつなぐ役割が期待されている。

 改めて、日本の国益を盛り込んだ科学技術施政方針を打ち上げるべきである。

 

 

[2020/01/04]
謹賀新年



 2020年、明けましておめでとうございます。本年も、当該欄において、少子化、医療、気候変動、政治の危機などをテーマに論陣を張ります。ご高覧頂ければ幸甚です。

 連載「エージングパラドックス」では、老人改造を目したアンチエージングや長寿の方法論とは異なり、老人であって老人らしからぬ逆説的な発想を書きます。

 筆者は正月生まれで、まもなく70歳。1勝4敗という選挙経験は、財産、人的財産を失わせましたが、20歳を迎えた50年前の自分以上に、知識に強欲になり、豊かな知識を持つ寡数の友人と心満たす仕事の機会を得て、徒然なる日々を楽しんでいます。

 読者の皆様の2020年が、変動を予感する日本においてご多幸でありますように、お祈り申し上げます。

[2019/12/18]
アタッチメント



 最近、東大の遠藤利彦教授の話を聞く機会を得た。遠藤教授は、教育学、発達心理学が専門である。筆者は、ここ数年、児童関係の会議で、発達心理学の専門家の話を聞くことが多くなった。もとより、児童福祉行政に携わっていたものの、子供の内面について多くを知らなかった。
 発達心理学の教えるところは、9歳10歳の壁(子供が社会性、道徳性の芽を持つ時期)のように、常識で納得できる現象を実験データで確認するのである。遠藤教授のテーマはアタッチメント(近い翻訳は愛着)であるが、子供は、すがりつく愛着あってこそ、健全な成長を遂げると結論を導く。
 スヌーピーの漫画に出てくる哲学少年ライナスはいつも片手に毛布を持ち、毛布の存在が彼に安心を与えている。毛布は、彼のアタッチメントである。遠藤教授によると、多くの子供はアタッチメントを持ち、成長するにつれ、それを手放す。特別なものがなくても安心感を得られるようになるからである。ただし、2割くらいの子供は、いくつになっても、ぼろぼろになった縫いぐるみ等を手放せない。
 大人になっても、これに近い性癖を持つ人は相当いる。植木鉢に石を3個投げ入れてからでなければ講義を始められない教授、階段を右足から登らなければ、やり直すと言う人、これは、いささか病的ではないかと思われる。
 ライナスの安心毛布は何かを象徴している。親の愛情だろう。自分が愛されている、いつも身近にいて、自分を肯定してくれる人がいる。だから、赤子は、やがて、集団に入り、大人になっていく。アタッチメントとは心の栄養と置き換えられよう。
 アタッチメントに欠いた子供は心身ともに成長が遅れる。背は伸びない、年齢相応の反応をしない。やがて、そのハンディを負ったまま、大人になる。発達心理学において科学的に実証された、このことは、1996年、筆者が厚生省児童家庭局企画課長の時をいやでも思い起こさせる。
 児童福祉法の改正に臨んでいた筆者は、乳児院をなくしたいと考えていた。乳児は原則1歳まで、ただし2歳までは法律上入所可能で、発達が悪いとの理由で事実上4歳まで過ごす子供が多かった。栄養士による食事を十分摂っているにもかかわらず、成長が遅いのだ。ほとんどの時間をベビーベッドで寝かされ、一人一人の要求にこたえられるうような体制は取られていない。まさにアタッチメントに欠いた状況であった。
 結局、筆者の思いは成し遂げられなかったが、現在、厚労省は里親制度に力を入れ始めている(顕著な成果は見えないが)。乳児こそは、身近に、いつも変わらぬアタッチメントを与えてくれる人が必要である。母親とは限らない。安心毛布に当たる人が必要だ。
 少子社会の問題は、結婚しない、子供を持たない傾向を憂えるだけではない。子供を持つに至った人々も周囲の同世代未婚集団の影響を受け、育児を積極的に行うインセンティブに欠ける親が存在する。その氷山の一角が、最近の乳幼児虐待事件である。泣き止まないと床にたたきつけたり、十分な栄養を与えないなどで、いたいけな命が奪われてる。
 その親たちも自分の親からアタッチメントを得てないのではないか。その親たちを先に抱きしめてやるおじいさん、おばあさん、社会が必要なのではないか。アタッチメントを政策化するのは難しい。しかし、社会の安定は、経済政策、安全保障以上に、アタッチメントの最後の砦、家庭を作ることを容易にする政策はできるだろう。なぜそこに思い及ばないのか。閨閥アタッチメントの強いきずなを持った政治家が、アタッチメント失ったばらばらの庶民を支配しているのが、無策の時代日本の現状である。 
 
 

[2019/12/11]
日韓共通の課題ー少子化



 現在、日韓関係が最悪であることは、両国ともに認識している。一方が他方を訪れるときに、「日本に行って大丈夫か」「韓国に行かない方がいいのではないか」と近しい人に心配されるのが、両国の誰もが使うジョークになっている。
 多くの人は、「悪いのは政府対政府の関係であって、人々はそれほど相手に対して悪感情を持っていない」と付言する。その発言の基礎は、両国は究極の似た者同士であり、文化的道徳的慣習的に感情を享有するからだと考えられる。両国の違いを特筆する人もいるが、圧倒的に共通点が多いと筆者は思う。
 今、両国が抱える最大ともいうべき共通の社会問題は少子化である。韓国は、2018年に合計特殊出生率が1を割ったが、本年の速報によると、さらに0.9も下回ることが伝えられている。日本もまた、速報によれば、2019年出生は初めて90万を割ることが明らかである。
 韓国のこの数字は世界最低である。台湾、香港、シンガポールもかろうじて1を上回っている程度であり、日本は昨年1.42であるものの、出産適齢期の女性の減少により、下降線は避けられない。
 少子化現象は東アジア共通であるとともに、ギリシア、イタリア、スペインなどの南欧の問題でもある。最近、ドイツが低出生率のカテゴリーから抜け出した。低出生率は、家族を大切にする文化を持つ、東アジアと南欧において顕著である。そのような社会に対応した政策が行われてきたか。
 日本では、89年の1.57ショック以来、少子化政策に取り組んできたが、初動政策(94年エンゼルプラン)が保育所中心だったので、未だにその域を出ることができずにいる。韓国も同時期に出生率の低下が始まり、アジア危機を乗り越え、V字型回復を図った後の2000年代は著しく低下している。V字型回復以降の、女性の社会進出や結婚観の変化が原因と分析できる。
 韓国では、乳児の社会保育40%を目標にし、多子家庭支援からすべての児童を対象にした支援対策に切り替え、移民政策については、本年スタートした日本より早く規模も大きく、門戸を開いている。しかし、既に、社会保育の拡大が出生率の増加につながらないことを認識し、より大きな社会システムの構築を課題としている。
 韓国の少子化に対する緊迫感に比べると、20年以上も保育中心の、予算の少ない少子化政策を行ってきた日本は猛省すべき時期が来ている。フランスやスウェーデンの家族政策が成功すればそれを模倣しようとしたが、結果は財政難を理由に実現できず、イギリスがワークライフバランスなど家族政策に加え、親の労働も含めた総合的な少子化政策に成功すればそれを模倣しようとしている。しかし、国情の違いは大きく、もはや模倣の段階でないことを知るべきである。
 韓国は人口減少で国が縮小するのを脅威に感じている。だからこそ、文政権は北との統一を焦っているのかもしれない。他方、日本は、出生率の最も高い沖縄県に外交上の犠牲を強要しつつ、出生率の高い原因やそれにつながる政策を分析できていない。
 日本も韓国も、少子化を単発の社会政策ととらえるのではなく、今や国力との関係で、大きな構想、大きな予算を実現しなければ、国は亡ぶ。
 

[2019/11/20]
制度が変われば社会が変わるー世界こどもの日に寄せて



 11月20日は、国連が定めた「世界こどもの日」。1959年の児童権利宣言、1989年の児童権利条約の国連における採択も11月20日に行われた。日本も、児童権利条約の発効は1994年11月20日である。しかるに、1954年、国連が加盟国に子供の日の制定を促したことから、日本は子供の日を5月5日に制定したため、今日が世界こどもの日であることを知っている人は少ない。
 
 現在国連が掲げるSDGs(持続する発展目標)17のうち、飢餓、貧困、医療、教育の分野では子供が最優先の課題であることは疑いを差し挟む余地はない。そして、子供の権利擁護機関の筆頭に当たるのがユニセフ(国連児童基金)である。

 筆者は80年代半ば、厚生省からユニセフの中北部インド事務所に出向し、3年余を開発援助の分野で働いた。現在、ユニセフは子供の権利を重視し、SDGsを目標にして活動している。筆者が働いていたころのユニセフは、GOBI−FFという目的であり手段でもある援助哲学を掲げていた。

 その内容は、成長記録(G)、哺水療法(O)、母乳(B)、予防接種(I)、さらに、家族計画(F)、出生率(F)であった。予防接種を除けば、お金のかからない援助方法であり、優れた内容である。しかし、今から思うと、80年代は、子供のインフラ(衛生、教育、福祉)整備は戦前の植民地支配の尻ぬぐいであり、家族計画などは70年代に叫ばれた人口抑制を念頭に置いたものであった。

 当時は、W.W.ロストウの唱える、インフラを整備することにより、開発途上国はテイクオフ(離陸)し、発展すると考えられていたが、現地で仕事をしながら、その日が来るとは信じられなかった。国連機関としてできることはまさにバケツの中の一滴でしかなかった。

 しかし、あれから30年以上たち、インドは国内総生産世界7位の国に発展した。80年代は眠れる巨象と言われていたインドだったのだ。中国もまた国内総生産世界2位の国になり、2030年にはアメリカを抜いて1位になる。80年代には眠れる獅子と言われていた。象も獅子も起き上がった。きっかけは、インドは、ソ連崩壊から、東寄り政策をやめ、市場原理を重視する政策を採用したからだ。中国は毛沢東の死後、ケ小平が、政治は共産主義でも、経済は特区を利用しながら資本主義を採用したからだ。

 制度が変われば社会は変わる。少しづつ国連や政府がインフラ整備をしていたのとは違い、人々の行動が変わり、社会全体が動くようになったからだ。もはやロストウの経済発展論は見当たらない。ついでに、暗黒大陸と言われてきたアフリカにおいても、南アフリカは、アパルトヘイトを廃止し、マンデラ元大統領によって急速に発展した。まさに制度の変換が国を一変させた例である。
 
 小さな呼び水が発展につながるのではない。大きな制度変換が一躍発展させると筆者は信じてやまない。翻って、日本の福祉を鑑みれば、1997年の介護保険法、2000年の社会福祉法は、それまでの施し(措置制度)から市場原理(社会保険による権利)の制度への変換をもたらした。市場原理になじまぬの理由で、児童福祉と障害福祉はこれを回避したが、老人福祉である介護の世界は、これを受け入れ、権利化したことにより、法の施行から20年近くで、9兆円の介護産業を作り上げた。

 制度は人の行動を変え、社会を変える。筆者はそう信じている。世界こどもの日の今日、いじめも虐待も子供の貧困も一向に政策的な前進が見られない状況の中で、児童福祉や教育の世界も、もっと競争原理を取り入れ、リスクと思われるほどの制度変換を望んでならない。



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