元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2017/12/09]
男女平等社会のイノベーション



   憲法14条、24条が男女平等を制定してから70年である。憲法と同時に民法改正、教育基本法及び労働基準法が男女平等の趣旨を戴して制定された。このうち、労働基準法だけは女子労働保護の規定とのバランスで男女平等の条文を入れることができなかったので、国連の女子差別撤廃条約の批准のため、1985年、男女雇用機会均等法がつくられ、遅ればせながら、家庭、教育と並んで、労働分野でも一応の男女平等の制度が整った。
 社会には成り立ちというものがあるために、家庭でも、教育でも、制度が変わった後、真に平等となるには時間が必要であったし、今も完全に平等とは言えない。それでも、大学進学率ひとつとっても、女子は男子に比べ遜色ない状況にあり、戦後70年かけて。女性の生き方は極めて自由になったことは誰も否定しないであろう。
 ところが、女性にとって結婚は生きていくのに不可欠ではなくなり、子供を持つことも必然ではなくなったため、出生率が劇的と言えるほどに落ち、人口減少社会を我々は経験している。これも男女平等の政策の成果あるいは結果であろう。
 内閣府が出す男女共同参画白書は、失礼ながら、毎年同じ金太郎飴のような内容であり、そろそろ新たな目標、目指す新たな社会を明らかにしなければならない時が来た。旧労働省が男女雇用機会均等法を制定して大きな仕事を終えた後、1994年、総理府(現・内閣府)に男女共同参画社会推進本部(本部長は総理大臣)ができ、主導権は労働省から総理府に移った。それまでの男女平等から、新たに男女共同参画という言葉に移ったのも、この時だ。
 1999年に制定された男女共同参画社会基本法第2条によれば、男女共同参画社会とは、「(前略)男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、ともに責任を担うべき社会」をいう。この文言には、草の根の感覚は感じられないし、男女で成る社会の上部構造の在り方だけを決めたように思える。エリート女性を生み出すための趣旨ではないかと誤解される可能性もある。
 この言葉が生み出された1990年代は、男女平等政策が右上がりの時代で、総理府が力を入れた仕事は、女性初の○○を作ることだった。現に、女性政治家が育っていないため、民間から女性の大臣を抜擢したり、防衛、警察などの分野に女性の採用を進めた。なりほど、それこそが男女共同「参画」なのだと初めて言葉の意味が分かった次第である。
 それは、一定の成果を上げたかもしれないが、民間はついてこなかった。利潤追求が企業の目的であれば、営業能力に関わりなく女性をトップにつけるわけにはいかない。せいぜい永田町や霞が関でしか通用しない政策なのだ。
 地方もまた、男女共同参画社会基本法の後に条例をつくるように促されたが、都道府県条例の後、市町村は、中央とは異なる趣旨の内容を定めた。「男らしく女らしく生きるための条例」だ。中央のエリート役人と田舎の温度差を明確に知らしめることになった。これに対して、内閣府は「地方のことは地方の議会が決めればよい」との国会答弁を以て応えた。バックラッシュの始まりである。以後、今日まで、男女共同参画の政策は下降線をたどっている。
 社会にあって男女平等の論客だった上野千鶴子さん等学者は、このテーマよりも高齢者にテーマを移すなどして、論壇も盛り上がらない。それもそのはず、もう女性初の○○作り政策は、古い手法で多くの人の関心を引かないのだ。若い女性はソッポを向いて、保守化し、内閣府が忌避してきた専業主婦志向も出現している。
 リーダー不在のこの分野で、今なすべきことは、女性自らの発想で、少子高齢社会を解決する男女平等の在り方を問い、政策哲学を構築していくことだ。女性初の○○よりも、女性の多い職場で、例えば保育や介護の職場で女性に十分な報酬がもたらし、誇りを持って仕事ができるようにすることだ。ウーマンリブの始まりは性の解放だったが、それは行き過ぎたから、むしろ「お母さん」となる夢と誇りを肯定することだ。
 そして、女性の言う「ガラスの天井」は一種の甘えと見るべきだ。天井はいつも見えている。自分の能力の限界、競争社会の常、ひいては職業モラルを身に着けているかどうか、それらを知ることによって、ガラスの天井なるものにぶつかることはない。
 男女共同参画という名の政策は既に古い。憲法の両性の平等、つまり、男女平等の文言に立ち返って、新たな男女平等社会を構築すべきだ。男女平等社会のイノベーションに、私も臨む。

[2017/11/30]
北欧のバイタリティに学ぶ



   今週、仙石慎太郎東工大大学院准教授の「バイオクラスターの北欧モデル」についてお話を伺う機会を得た。北欧のメディコンバレー(ライフサイエンス産業集積)を検証し、条件が近い関西のメディコンバレーとの比較を論じた。
 北欧メディコンバレーはデンマークと南スウェーデン地域を擁し、デンマークだけでもGDPの5%を占める巨大なビジネスである。コペンハーゲン大学、ルンド大学(スウェーデン)、それにビールで有名なカルスバーグ社を始め400社が中心となって造られたこのバイオクラスターは、MVA(メディコンバレー同盟)と呼ばれる参加企業から成る集団がガバナンスを行っている。
 つまり、民間から、地域からすべてが造られたクラスターであり、仙石先生のご意見では、特にカルスバーグ社の力は大きいとのことである。デンマーク、スウェーデンの両国から5年間の公的資金コミットメントを得たのはひとつの成果だが、基本は、民間・地域の自立運営である。
  関西メディコンバレーも企業が中心で動いている。大阪、京都、神戸の広域にわたるこのクラスターは、歴史的に大阪の薬種中買業、京都の精密加工業、灘の酒造業を活かして発展してきた。経産省の産業クラスター計画、文科省の知的スラスター造成事業の対象でもあるが、地域産業、地域行政が主導で進められてきた。
 これまでの日本全国のクラスターについて見ると、特区方式も含め、地元企業の主導が成否を決めていると思われる。成功している中で、けいはんなも然り、北九州も然りである。逆に言うと、つくばのように国の資金だけを当てにして企業参加の弱い地域は、クラスターが成功することはなかった。
 明治以降、藩閥政府が西日本から出てきたせいもあって近代日本の経済発展は西日本を中心に作られてきた。東日本、特に東北はインフラ整備で大きく遅れた。そのことが、東と西の現在のバイタリティの差をもたらしている。東日本大震災の回復の遅れも、この理由で語られる。
 翻って、欧州では、北にあって小国であるはずの北欧が、社会保障でも、教育でも、環境でも、開発援助でも、そしてメディコンバレーに見るバイオ産業でも、トップを走る。北欧のバイタリティはすごい。冬は午後3時くらいから真っ暗になる重苦しい国なのに、人々の合理性とバイタリティはすごい。日本の東北も、元気を出そう。東北は、人口減少が激しく、インフラ開発、社会開発に貪欲さが足りない。
 東北が日本の北欧となったとき、日本の新たな発展が始まるだろう。
 

[2017/11/22]
バラマキと安保



   一昨日、多部田茂東大教授の海洋利用のお話を聴く機会を得た。世界では、中東紛争やトランプ大統領の出現で地政学回帰の現象が起きているが、海洋国家としての日本は、資源、エネルギーそして食糧のための海洋利用が地政学的政策になるはずだ。日本の国際社会での地位を考える時、最も重要な施策と言っても過言ではない。
 しかし、自然エネルギー開発においても、我が国の方針が明確でなく、脱CO2の欧州、大きな需要を背景に自然エネルギー開発を積極的に仕掛ける中国に大きな後れを取っている。最近のドイツのCOP(環境会議)から帰国した人の話によれば、欧州の記者団は日本を全く相手にしないとのことだ。
 海洋では、一時期騒いだ油流出の問題は減ったものの、富栄養化、乱獲、海洋酸性化、海洋ゴミの問題が深刻化し、陸地と同様、海水温が上昇していて、魚類やサンゴへの影響が報告されている。科学・技術もこれに対応して、大規模沖合養殖、海藻場を使った炭素固定(いわゆるCCS)、メタンハイドレートの採掘、潮流発電を始め再生可能エネルギー開発、海洋深層水利用など、多くの研究開発が行われている。
 問題は、その研究開発が、国策として大々的に行われていないことだ。筆者が議員時代に、メタンハイドレートは、7千億の投資をすれば飛躍的に進められると聞いたが、その後政策の重点になっていない。当時提案された宇宙太陽光発電も。岩手県が敷設候補のリニア・コライダーも7千億から1兆円の投資が必要と言われていたが、いずれも着手されていない。
 他方で、教育無償化は2兆円の予算が毎年組まれることになる。選挙のためのバラマキは優先されるが、国の生き残りに最も重要な国家的ベンチャーを叫ぶ大物政治家がいない。また、トランプ大統領訪日の際に、アメリカの先進兵器を買うことが即決されたが、なぜ自然エネルギー開発や海洋開発は「即決」されないのか。
 バラマキと安保だけでは近視眼の政策だ。この国の中長期的な発展をめざし、自然エネルギー、海洋開発を最優先に投資しなければ、国は亡ぶ。絶対に滅ぶ。

[2017/11/18]
加齢のパラドックス



   先日、三井住友海上福祉財団の今年度財団賞を受賞した松浦常夫実践女子大学教授の受賞記念講演を聴いた。先生は、交通心理学の専門であり、今回は「高齢ドライバーの安全心理学」の著作で受賞した。
 我々の間でも、よく「運転すると人柄が変わる」ドライバーが結構存在するが、運転をするときには性格や属性による心理状態があるらしい。高齢者一般がどんな心理で運転しているかは考えたこともなかったが、かく言う私自身も、高齢化率というときの高齢者には入るわけだ。若いころに比べ、遠出や知らないところに行くことはなくなったが、運転そのものは慎重になったわけでもないし、何も変化を感じていない。
 松浦先生のポイントは、高齢者は、決して高齢を理由に「安全・ゆとり運転(補償運転)」を心がけるわけではないことである。高齢者は、幸せパラドックスと加齢パラドックスを擁していて、「若い頃より幸せ感がある」「運転もベテランだし、老いても大丈夫」という心理にある。
 この心理の壁が危険であると先生は指摘する。今、70歳以上のドライバーの免許更新に認知症テストが課されているが、高齢者のこの加齢パラドックスについて、どう教育していくかは今後の課題である。交通事故の加害者も被害者も高齢者が多いことは言うまでもなく、そうは言っても都内23区で暮らすならいざ知らず、筆者のように茨城県の田舎暮らしでは車なしには生活ができない。
 AIによる自動運転が進み、一人乗りの超小型車が普及し、電気自動車・水素自動車の技術がますます向上する中で、自動車業界は10年も経たぬうちに一変すると言われている。欧州では、ドイツが2030年、イギリス・フランスが2040年までにガソリン車の販売を禁止する。スウェーデンのボルボは2019年ガソリン車の製造を中止する。さらに、中国は、ガソリン車販売禁止の検討を今年開始した。
 いったい日本は何をやっているのだ。いつ「脱ガソリン宣言」をするのだろう。せめて、高齢であれ、どんな条件であれ、同じように運転できる自動運転技術で、他国に先駆け、交通事故ゼロ社会を一番に実現しよう。

[2017/11/15]
供給が需要をつくる



   ある医療団体の会合で、医療経済学者が言った。「高齢社会だから医療費が上がるという厚労省の説明は間違っている」。過去40年間のデータを数理解析したところ、医療費増嵩の一番の理由は医師の数である。医師が1%増えると医療費はほぼ1%増え、高齢化率は1%増えても医療費は0.1%しか増えない。明らかに、医療の世界は、供給が需要をつくるという経済の原則が働いている。特に医師は、私大医学部の場合だと多額の金をかけて医師になるので、生涯所得で「回収」する心理が働くであろう。
 医師だけでなく薬剤師・看護師の数も響く。厚労省と文科省が医師会の意向を汲んで医学部新設を認めず、医師数を抑制してきたが、最近は、供給過剰になった歯科医師数を国家試験合格率を60%台に落とすことによって抑制し、薬剤師はまだ飽和状態にはないが、国家試験合格率がこれも60%台になり、抑制されている。その上、薬学部が2006年から6年制になった影響で、薬学部の不人気が認識され始めている。
 代って、人気なのが看護学部だ。薬学部も看護学部も女性の入学者が多いので、6年かけても薬剤師になれぬなら、看護学部を選ぶ。4年制看護学部は、70年代には全国2大学だったのが、現在は300近くある。しかも、かつての3K職業のイメージから、大病院の正看になれば大きな給料ももらえる。だが、せっかく看護学部に入っても、卒業できない、国家試験に受からない、就職したくない、就職後1年もたない割合が高く、看護師の労働市場は決して拮抗しない。
 医療の現場を与る人材はそれぞれ問題を抱えている。供給が需要を作るのであれば、その供給の質を確保できなければ、厚労省の役割は、抑制政策しかあるまい。一市民としては、良質の医療人にあたるかどうかは「運」でしかない。嘆かわしい。もっとも、タクシーで大暴れの弁護士、不倫大好きの国会議員を始め、世に範を垂れる存在は無くなったから、医療者だけに聖人君子は求められない。ただ、世の中がいかに劣化しても、命に係わる職業の人々には、崇高なプロフェッショナリズムを持ってもらいたいのは、哀しき日本人の願いだ。
 

[2017/11/11]
保育から教育無償化へ舵を切る少子化対策



    大義なき解散と言われつつ選挙に勝った安倍首相は、余裕綽々でトランプ親子を歓待し、他方、暗転して「失望の党」となった希望の党は共同代表に玉木氏を選んだ後も、見るからに愚図愚図している。かつて村山首相の社会党は自民党にすり寄ったことで、自らのアイデンティティを自ら潰して斜陽党になった。民進党出身者も、アイデンティティを押し殺して自民補完勢力を選び社会党と同じ運命を選んでしまったね。
 もうしばらくは面白いこともなさそうなので、この話はやめることにし、瓢箪から駒、ともいえる安倍首相のにわか公約「消費税引き上げ分を使って、2兆円の教育無償化」に焦点を当てよう。選挙の大義に使うために持ち出した政策かもしれないが、かねてから、少子化対策のネックは、保育所に偏り過ぎ、子供を持つ負担で一番大きい教育対策は望まれていた。
 大学教育の無償化は既に反対も多く、財源も大きいため、先ずは幼児教育の無償化から始めるようだが、認可保育所の保育料の自己負担分が真っ先に対象になっている。保育は福祉であり、教育ではないとさんざん知らしめてきたのに、しかも、教育を担う幼稚園の存在理由はそこにあったのに、あっさりと保育を「教育」にしてしまうとは、さすがに官邸中心政策だ。専門的な議論がなされていないボロが既に見えている。これをやるには法改正が必要だ。
 民主党政権時代のこれまた「にわか公約」のひとつ、高校授業料無償化は、結果的には、金持ち優先施策になった。低所得家庭の授業料は既に自治体が援助していたからである。今度も、福祉は応能負担なので、保育料自己負担無償化の恩恵を受けるのは金持ちだ。また、幼稚園も自治体の補助が既に大きく、無償化しても、喜ぶのは自治体だけで、家庭の方では大した負担減にはならない。
 自民党の超人気者小泉進二郎議員は、こども保険(介護保険のアナロジー)の主張者のためか、安倍首相が教育無償化予算2兆円の中、3千億円を財界に依頼したことを怒っている。財源を始め、党内議論がないのを指摘しているのだ。しかし、党内議論ばかりか、各省議論もなく、官邸にいる前のめり元通産官僚が皆政策を作っているのだから、そういうことになるよ。通産省の歴史を辿れば、高度成長が終わってからは、思いつきのカタカナ政策ばかり打ち出して、内容の甘さで皆消えていったではないか。シルバーコロンビアだの何だのと。
 幼児教育の無償化だけで、以上のように問題だらけだ。全国に800近くもある4年制大学の無償化などしたら、レジャーランドと言われてきた大学が18歳入園の保育園になるだけの話だ。かつて、我々若いころの国立大学授業料は月千円。親の仕送りなしで暮らしている学生が多かった。しかし、世襲の国会議員で高い月謝の大学を出た連中が国立大学優遇を「是正」してしまった。欧州の大学で無償化が実現しているのは数少ない国立大学しかないからだ。レベルも高い。形だけ欧州の真似をしても、この国の現状では、効果が期待できないばかりか、財源が確保できない。
 少子化対策とは、終局、人口政策であり、もう隠す必要はない。だとすると、金の使い方によって人口が増加する層に重点を置くことだ。国全体としては、公教育だけで良質の教育が与えられるような体制を取ることが先決であり、低所得層に最大限の配慮をし、「カネがないから学校に行けない」国にしない。
 保育から教育に舵を切った少子化対策については、正しい選択である。方法論を詰めていくにあたって、文科省も、もう加計学園なんかどうでもいい、官邸から教育無償化の問題を取り返して、国家百年の計を立てよ。

[2017/11/01]
ピンチはチャンスなのか



    昨日、都内で、トロント大学医学部アブエライシュ准教授の話を聴く機会があった。教授は、ガザの難民キャンプに生まれ、貧困から抜け出し、ロンドン大学、ハーバード大学で学位を修めたパレスチナ人である。イスラエル病院勤務の時に、イスラエル軍砲撃によって3人の娘を失った。しかし、彼の信条は、決して人を憎まないことだ。
 世俗的すぎると躊躇しつつ、私は、数回の選挙を経て、誹謗中傷や選挙ゴロの存在を憎むことは避けられないと述べた。すると、教授は、「むしろ落選して神に感謝すべきだ。その経験で次はあなたは成功する」と答えた。
 平和社会での小さな憎しみは、紛争社会での大きな憎しみよりも克服しがたいことを私は感じた。教授は、涙と鼻水をふきながらお話しした姿を見ても、想像を絶する経験によって、その哲学にたどり着けたものと思う。世俗の人間の及ぶところではない。
 教授のメッセージは、憎しみを克服してピンチをチャンスにすべきということだろう。この言葉は、四面楚歌となっている小池百合子さんに最大の救いの言葉になるはずだ。誤解されぬように言うが、小池さんを応援する気は全くない。ただ、彼女ばかりを攻撃している、小池人気にあやかろうとして裏目に出た選挙ゴロは、もっと憎むべき存在だ。
 小池さんは、「ガラスの天井を破ってきたが、最後に鉄の天井にガーンとぶつかった」と語った。ガラスの天井は、ヒラリー・クリントンも演説でよく使ってきた言葉だが、小池さんのこの表現は間違っている。女性に対して見えない障害がガラスの天井と表現されてきたのであって、鉄の天井なら、初めから見えていた障害だ。
 政界渡り鳥と揶揄されながらも、見事に時の権力を掌握し続けた小池さん。失敗の殆どないそのセンスが、厳然と存在する鉄の天井を楽観視させた。これからは、小池さんの後ろにいる連中が、バラバラになっていくだろう。彼等、それに乗じたマスコミが小池さんの未だ実績の上がっていない都政を困難にさせていくだろう。
 民主党が2012年、二大政党制をほぼ永遠に葬ったように、小池さんは野党の意義を葬った。小池さんのピンチというより、日本の政治にピンチがもたらされた。このピンチにチャンスが巡りくるとは信じられない。
 我々は宗教者ではない。我々の中で壮絶な太平洋戦争を戦った兵士は極めて少数になった。我々は、世俗の人間として、今の政治のピンチを憎むしかあるまい。

[2017/10/29]
過剰診療



    団塊世代も、哀しいかな、集まると、食事の後に何やら薬を取り出して飲む連中が多くなった。高血圧、糖尿病、心室肥大、咳、腰痛など、一人が複数の薬を飲んでいる場合も多く、まるで薬がデザートのようだ。こんなに一杯デザートがあったら、飲み忘れも多いだろう。薬の飲み残しが年間数百億円になるとの試算があり、むべなるかなと感じる。
 よく聞いてみると、みな深刻な病気ではない。血圧や血糖値などの数値が高く、厳密には「病気予備軍」である。放置しておけば、脳卒中や心臓病になる、目や足の機能が低下する、そう言われて薬漬けになった。待てよ、日本の健康保険は、疾病に対して保険が支払うのであって、予防給付は法律上できないはずだ。違法の「治療」ではないか。少なくも過剰診療だ。
 薬をもらいながら、たびたび検査を受け、その結果に一喜一憂する。薬を飲み始めると、定期的に薬をもらいに病院に行かねばならず、しばしば検査も受けることになる。つまり、患者は病院に縛り付けられることになり、病院側から見れば、患者を抱き込むことによって経営は安定する。また、降圧剤が明らかなように、対症療法でしかなく、薬の効用そのものがほかの臓器を痛めていく可能性がある。医薬産業に大いに貢献する。
 年寄りは、若者に比べ身体が衰えているのだから、一人あたりの医療費が上がるのは仕方ないにしても、病気予備軍の多さが余計に医療費を引き上げていることも明らかだ。「かかりつけの医者を持て」と厚労省は半世紀近くも言い続けてきたが、心配ご無用、途切れることなく、かかりっぱなしの高齢者は非常に多いのだ。
 健康は生きるための資源だが、齢を取ると、健康だけが目的になる。青汁飲むのも、歩くのも、薬飲むのも、みな健康のため、その健康を使って「何をやる」ということはお構いなしだ。なぜなら、労働市場からは追い出され、にわか趣味は相当の金がかかるし、夫婦の会話は無し、孫相手は疲れる。それだったら、病院で友達に会い、病気の話で盛り上がって一日過ごすのがいい・・・
 高齢者に身体に合った仕事やボランテァ活動を提供し、「健康」を使う政策を怠っているのは、やはり政府か。その政策の怠慢が過剰診療を増やし、医療費を押し上げ、医療だけが友達の人々をたくさん輩出している。健康意識の向上政策だけ一生懸命だが、これは裏目に出て、ますます薬漬け人間が増えていく。あわれ、日本の社会政策。利害関係者が多くて何も変えられない、一番不幸なのは、健康目的に生きる高齢者自身と、ツケを払わされる若者だ。

[2017/10/26]
どうなる自然エネルギーの国策



自然エネルギーのAPECワークショップが一昨日、東京で開かれた。主に木材ペレットの専門家が集まったが、同じバイオの分野で水素エネルギーの話も盛り込まれた。太陽光と風力の話が多い中で、「他の」自然エネルギーがどれだけ期待できるか興味がそそられた。
 ヨーロッパは、カナダなどからペレットを買い、暖炉にくべて暖をとる。だから、その需要は大きいが、日本の需要は小さい。木質ペレットは化石燃料に比較してCO2排出がきわめて少なく、クリーンエネルギーの有望株だが、日本ではまだ存在感がない。
 水素エネルギーは、しばらく前に東大名誉教授の安井至先生から、これからはCCS(石油などから炭素を地中に残して水素を取り出す)の時代が来ると、ある会合で学んでいたが、水素の生成についてはさまざまの方法があることを今回知った。ペレットからも生成できるが、家畜の糞や汚泥も資源となる。このことは、資源小国の日本にとって、大切な情報だ。
 水素エネルギーと言えば、世界に先駆けて水素カーを2014年に生産したトヨタだが、水素ガスステーションの整備が不十分で、今のところ足踏み状態。最近、経済誌がこぞってEVカー、つまり電気自動車の特集をやり、あたかも水素カーが苦戦しているように書いている。走行距離などでEVカーに勝る水素カーだが、水素ステーションなどのインフラ整備は国策によらないと難しい。
 その意味では、中国は、自然エネルギーを国策として大々的に推し進め、それこそ水素エネルギーなども下手すれば日本のお株を採られてしまうかもしれない。一時期は日本がトップだったこともある太陽光発電は、今や中国の世界におけるシェアがダントツだ。APECワークショップでは、オランダ人の研究者が「自然エネルギーの分野は、まだマーケットが熟していないので、補助金などが途切れれば需要がガタ落ちになる」と、実際にオランダの例を数字で示した。どこの国も、今の段階では、国策として支援を受けることが必須だ。
 会議に出ながら、原発再稼働を百歩譲って認めても、日本の自然エネルギー推進の国策はあまりにもスローではないかと焦りを感じる。共産国家のメリットを活かし、習近平独裁が進む中で、決断の速い中国に日本は負けていく。会場で中国人の発言を聴いていてもそう思った。
 1969年、故障のため月の一歩手前で引き返したアポロ13号が当時のアメリカの科学水準の高さ、プロジェクトへの真剣さを世界に知らしめたように、日本も、死力を尽くしてでかいスケールの科学で、世界を圧倒してほしい。宇宙太陽光発電はどうなったのだ、深海の水素化合物エネルギーはどうなったのだ、もっと現実的な課題として、水素ステーションは? 海藻エタノールは? この分野の国策は明快に、迅速に実行せよ。
 政治の世界は、またしても、何の専門性もない、選挙博打で勝ち上がってきた人々を国会に送った。希望の党の転落劇は、モラル欠如のプロセスを暴露したが、他の党も劣化している。官僚もまたこの10年の政治屋政治に飽き飽きして劣化し、一体誰がエネルギー問題を引っ張っていくのか分からない。
 国を憂えて、APECワークショップの会場を後にした。

[2017/10/23]
児童保護法制



昨日、児童保護の外国法制についてのシンポジウムに赴いた。90年代、児童行政に携わっていた頃、私は、イギリスに出張し、1989年制定の児童法を学んだ。被虐待児や養育に欠ける児童を司法手続きで保護する先進的な法律であり、当時、非常に感銘を受けた。そのイギリスを始め、今回のシンポジウムは、独、仏、米、韓国の同様な法制についてそれぞれの専門家が語った。
 日本の児童福祉法制はもともと行政中心の児童保護であるが、欧米の司法関与の強い法制を少しづつ採り入れてきた。養育不能の親の親権剥奪などはその例である。しかし、行政の第一線にある児童相談所は、裁判所の関与を必ずしも歓迎せず、「福祉の判断」を重視するきらいがある。つまり、措置権者都道府県知事のもとに保護のプロセス、内容が決められる。欧米では、裁判所が保護の内容まで決定することが多い。
 日本は、特に、立法、司法と比べて、行政権が突出していることの表れだが、児童法制については直ちに、欧米並みにすることがいいのかどうかは疑問が残る。ただ一つだけ言えるのは、日本の福祉の世界は資格の世界ではなく、専門家が少ないことだ。医療も司法も専門分野の人間が資格を持って仕事をするのに対し、福祉では、社会福祉士や児童心理士の業務独占の仕事は少ない。それでよいか、という問題はある。
 少子化対策は保育を中心として声高に言われてきたが、要保護児童対策は、重点政策になったことはない。少ない子供を一人残らず社会に送り出す政策は、少子化対策のど真ん中に位置付けるべきであろうに。
 昨日は、台風が近づいて、雨の中、衆議院選の投票日だった。しかし、誰に聞いても選挙は全く盛り上がらず、口先の公約は要らない、児童の問題を始め専門家を増やし、政治レベルで真剣に取り組める人を増やしたいと語り合った。



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