元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2017/09/13]
金銭よりも服



   先週、インドで貧しい村に所得創出活動を行ったアンシュ・グプタ氏の話を聴く機会を得た。グプタ氏は、「衣服の男(man of clothing)」と呼ばれていて、社会事業家としての国際的な最高賞、マグサイサイ賞を受賞している。
  グプタ氏は、ある時乞食が近づいてきて、お金ではなく着るものを下さいと言った一言に、ひらめきを覚えた。乞食は寒くて死にそうだった。そうか、金も食べ物も住む家もない人は服もないのだ、と。
 当たり前と言えば当たり前だが、若い頃、インド・ユニセフに出向して開発援助の仕事をしていた私も認識していなかった。グプタ氏は、早速、都市部などから古着を集め、服を提供する一方、その布を使って、バッグやサニタリー用品を作る事業を起こした。このことが貧しい村に所得をもたらすようになったのである。
 ユニセフ時代、私も、所得創出活動(income generating activities)は、開発援助の手法のひとつとして勤しんだ。織物づくりや、ヤギを与えて増やしていくことや、些かの所得をもたらし、女性はそれを子供の教育に使おうと必死になった。ただし、これらは織機やヤギ数頭など投資が必要で、所得を得たら、それを返還していかねばならない。
 グプタ氏は、古着というタダの「資源」を使い、貧しい人々が投資する必要のない手法を取った。ここが彼の優れた素質を語る。「チャリティでなはい、起業だ」。彼の信念が事業を成功させた。そして、彼は、村人の変化を遂げた姿を写真で示した。裸だった子供が服を着ることによって、貧困に落ち込む姿から夢持つ少年の姿に変わった。ぼろをまとう初老の男は、きちんとした服を着ることによって、見下げられた状況から、仕事を頼める男に変わった。
 貧困救済を金や食べ物ではなく、衣服から始めたというのは、方法論でのイノベーションだ。また、チャリティではなく、自分で稼ぐシステムを作ったのもイノベーションだ。私は、グプタ氏の話に感動した。イノベーションは、科学の世界で新たな発見をすることだけではない、身近な方法論の改革もまたイノベーションなのだと知った瞬間だった。

[2017/09/09]
保育所落ちた、山尾も落ちた



   党首選後にまるで仕掛けられたような山尾氏の不倫報道。民進党が自浄できないで5年、マスコミが親切かお節介か分からぬが、自然解党を仕掛けたとみるのも一興。
 政治とは不倫をすることなり、は昨今の状況だが、山尾氏の失脚は、他の不倫議員とは意味が異なり、むしろ豊田真由子の失脚に近い。それは、男性社会で成功してきた人物だからである。今井絵理子のように男に頼らねば生きていけないから、不倫に至ったのではない。
 山尾氏も豊田氏も試験制度を突破し、確固とした職業生活を送った上で、政治に出てきた。当然に、人より多く勉強した人間は、勉強不足の多い国会議員の中では「使いもの」になってきた。それは男性ならば好ましいことだが、残念ながら、今の世になっても、女性の場合は手放しで称賛されない。
 フェイスブックのCOO(最高責任者)である女性シェリル・サンドバーグがそれを指摘している。「女性は仕事ができても、服装や態度が常に問題とされる」。全米トップクラスの成功者であるサンドバーグが著書「リーン・イン」の中で、女性の社会的活躍には、伝統的な価値感や男女を問わずの嫉妬などが足元をすくうと警告している。
 周囲にその動きがあることを知らないまま、自分の成功に慢心してしまったのが、山尾氏であり、豊田氏なのだ。周囲のモグラたちは機会あれば彼女らを引きずりおろしたいと思っていたのだ。知らぬは本人ばかり、まさに世間知らずの試験秀才の哀しさと言えよう。
 国会議員の学歴で一番多いのが、実は東大である。しかし、女性の東大卒は極めて少ない。東大は、男性にとっては好ましい学歴だが、女性にとってはそうではない。女性はキャスターや地方アナウンサーなどが好まれ、優しく美しいイメージで、実際に選挙に強い。彼女らが「子供のため、女性のため」と言えば、だいたい、票は集まる。
 有権者が議員を選ぶ基準は男女で異なるのだ。いいとか悪いではない、人間には生物的な反応だってある。それでも、サンドバーグは言う。前に積極的に進め、と。しかし、それは「リーン・イン」、つまり、もたれかかって背をかがめて進んでいくことであり、山尾氏や豊田氏がこれまでやって来たように、堂々と風を切って歩いていたのでは、潰されるだけだ。
 二人に老婆の助言をしよう。議員を辞め、山尾さんは弁護士を、豊田さんは外資系の会社でリーン・インし、キャリアをやり直すことだ。二人とも若いから、その上で、政治に戻ってきたらいい。民間の経験は、リーン・インの方法をしっかり教えてくれるだろう。官僚出身で、幾度も選挙に敗れた私が、今、まぶしく思うのは、民間で転職をしながらも、確固と自分を築き上げた女性の友人だからである。

[2017/09/04]
国際チャリティ・デー



 9月5日は、国際チャリティ・デー。ちょうど20年前のこの日、マザーテレサが亡くなったことに因んで、国連が決めた。一昨日、私は、都内でチャリティと題した講演会の講師を務めた。
 30年余り前、マザーテレサがインドのコルカタでホスピスを運営していた頃、私は、厚生省から出向してユニセフのインド事務所(ニューデリー)にいた。1979年にノーベル平和賞を受賞したマザーテレサは既に有名な人であった。
 ノーベル平和賞の授賞式には、いつもの木綿の服を着、サンダル履きで現れたマザーテレサは、受賞スピーチで神の愛、貧しい人の感謝の心などを淡々と語った。晩餐会は欠席し、賞金は貧しい人のパンを買うために使われた。これは有名な話だが、マザーテレサらしさがそこに表れている。
 もちろん、マザーテレサは19歳でカトリックの修道女としてインドにやって来た当初から順調に仕事ができたわけではない。カトリックの押し付けであるとの反発も経験している。
 国連機関のユニセフで仕事をしている私から見れば、宗教団体のチャリティ活動は羨ましいところがあった。自分の考えで仕事ができ、資金も豊かで、施設も立派だった。ユニセフは国連加盟国であるインド政府との協議により政府の方針に則って仕事をする。インド全体を対象にするため、立派な施設などは作れない。
 実は、ユニセフは国連機関でありながら、珍しくチャリティ機関でもある。加盟国にユニセフ国内委員会を設け(日本はユニセフ協会)、そのチャリティ資金を活動に充てる。チャリティで活動する機関は、寄付者に活動内容を報告するのが大事である。継続的にチャリティが続くには、その活動に賛同してもらわねばならない。
 幸い、ユニセフは、WHOと並んで、現地主義で仕事を行う、活動の見える国連機関であり、日本を始め支援は滞らない。私は、講演会では、ポリオワクチンの需要調査を人海戦術で行っていること、カシミール州で女子生徒に学校に来てもらうため便所づくりをしたことなど具体的な活動をお話しした。
 日本は仏教国で、「喜捨」という考えは元からあったが、チャリティ活動は、明治時代にキリスト教とともに入ってきた。したがって、チャリティの土壌がそもそもあったわけではない。アメリカ、イギリス、ドイツなどチャリティが盛んな国は宗教と繋がった歴史的な理由と、チャリティが税金の代わりとして支払える寄付金控除制度の存在が大きい。
 日本のチャリティ機関で大きいのは、中央共同募金協会(赤い羽根募金)と日本赤十字社だ。いずれも厚労省管轄下であり、私は職業的にかかわった。1990年代まで赤い羽根共同募金は年270億円のチャリティがあったが、現在では180億円まで下がり、年々減少する傾向である。町内会などの組織的強制募金に対する批判や格差社会で「募金される側」に回った人が多くなったのが原因である。
 日本赤十字社は、災害の時に力を発揮する。記憶に新しい東日本大震災では3300億円のチャリティを集めた。災害時、衆議院議員だった私は、地域の人からよく聞かれたのは、日赤のお金はどうなったのかということだ。日赤では都道府県ごとに判断をして被災者に義捐金を配分しているので、一括して公表に及ばないとのことだった。チャリティが続くためには、ユニセフの件で上述したように、活動が募金者に見えることを念頭に置く必要があると私は思う。
 さて、日本はチャリティの盛んな国を真似る必要があるだろうか。そのためには、上述の寄付金控除制度は要になる。これに似た「ふるさと納税制度」が、豪華なふるさと特産品とのギブアンドテイクになっているという批判を考えると、チャリティの土壌の薄い国で、欧米のような寄付控除制度の導入は疑問がある。そして、日本は、本来、チャリティで行う活動も政府が掬う。たとえば、介護保険。マザーテレサの仕事はホスピスと介護が大きいが、日本では国の仕事として制度化された。
 国の仕事はチャリティではなく、税金で行われているのだが、これも自分の懐から出ていく金ならば、国の事業活動も見える形で納税者が喜んで納税できるようにしなければなるまい。我々は、税金もチャリティもその活動を見極め、必要ならば自ら出て行って、その活動に携わる行動に出ることが望まれる。それが成熟国家であると考える。

[2017/08/18]
下町の台頭と東京



昨日、関係団体のイベントで赤羽に赴いた。赤羽駅に降りることは滅多にない。かつて闇市があり、下町風情の赤羽は、今は、明るく親しみの湧く庶民の街を醸し出している。駅前のアーケード商店街に「魚屋さん」を見つけて、感動した。現在では、魚屋、肉屋、八百屋、果物屋などの単独の店はどこも見かけることが少なく、みなスーパーに吸収されているからだ。伝統の一角を残す象徴だ。
 赤羽は、今では、埼京線、京浜東北線、地下鉄南北線が乗り入れ、交通の便も一段とよくなった。思うに、各線の乗り入れなどが影響して、東京の繁栄衰退の傾向に変化をもたらしている。山の手では、新宿は今もダントツだが、渋谷は通り過ぎるだけの駅になり、下町では、北千住、秋葉原は乗り入れ線の増加で乗降客が増え続けている。つまり、簡単に言うと、東京の主導権は山の手から下町に移りつつあるのだ。
 山の手と下町を比較した、かつてのエピソードは、高見順の小説「如何なる星の下に」の映画上映で、その貧乏物語に山の手の人は笑い、下町の人は泣いたということで知られる。山の手はホワイトカラー、下町はブルーカラーの街だった。しかし、今、若い人が下町に集まる。ここ赤羽も朝から飲むノンベエ爺さんの街だったのが、若い女性が飲みに来る街になったと言う。料金が安いからだ。
 相対的に所得が高く学歴の高い、威張った「かつての山の手」の人々は、高度経済成長期以降、世田谷や多摩など西へ西へと向かって移り住み、先発集団はほぼ死に絶え、二世と後発集団が老後に入っている。多摩ニュータウンなども一斉に老人の街となり、東京の西では、第二第三の高島平、つまりゴーストタウンがあちこちにできている。地方都市のシャッター通りに該当するものだ。
 下町は、山の手と違い、先祖代々住む人が多く、サラリーマンよりも自営の街だった。だから、鉄道の乗り入れの便を得て、わが町の活性化に力を入れたと思われる。江東区では、お祭りが大変活況だと言う。一つには、インド人などIT会社に勤める外国人が増え、また、比較的廉価の若い人向けのマンションが続々と立ったことが原因である。かつては、ゼロメートル地帯と言われ、台風の害に悩まされた地域だが、発展の先頭に立っている。
 筆者は、行政マンとして政治家として国政ばかり考えてきた。しかし、いつの間にか生まれ育った東京が地域ごとに変遷を遂げていることに、最近意識をするようになった。新宿に生まれ、渋谷で青春を過ごし、霞が関で働き、赤坂で飲み歩いた人生だが、渋谷は汚れ、赤坂は廃れた。霞が関も強引な政治主導と官僚志望の低迷で地盤沈下した。唯一、戦後の昭和二十年代からそのアイデンティティを失わないのは、エネルギーと猥雑さの溢れる街新宿だ。
 新宿が栄え続けられたのは、都庁が有楽町から此処へ移転してきたこともある。その都庁のトップはいつも都の外から来た。アメリカが優秀な移民ユダヤ人を使いこなせているように、東京が地方と違うのは、外から来た者を活用する能力であろう。まさにそれが東京パワーだ。誰もかなわない東京を愛す。
 

[2017/08/10]
嘘はホント



安倍新内閣発足。「仕事人内閣」だそうな。なるほど、生死をかける自衛隊の組織を掌握できなかった網タイツの防衛大臣、「地震は人口の少ない東北でよかった」と発言した復興大臣、不規則発言の多い総務大臣は去って、答弁に安定感のある大臣に交代した。しかし、仕事人と言っても各大臣が目指す仕事があるのか、思うようにできるかは疑問だ。河野外務大臣を除いて、安倍総理の意向を確かめずにのびのびと仕事をできる大臣はいまい。
 安倍総理自身が、一番の仕事としていた憲法改正を諦めざるを得ないところまで追い詰められている。ただし、安倍さんのやって来たことのすべてが間違っていたわけではない。足かけ5年になる長期政権は国際社会における日本の地位を安定させた。初期の金融政策は株価の上昇をもたらし、地味だが経済は一定程度回復し雇用が増加している。
 インフレターゲットは失敗、プライマリーバランスは実現できない、雇用は非正規が増えるばかり、・・・といくらでもあげつらうことはできるが、他の政権が担ったとしても、これ以上にはならなかったと思われる。
 しかし、問題は「嘘はホント」の社会に堕落させてしまったことだ。言うまでもない、加計学園のこと。「行政の長の思いを周囲が忖度するのは当たり前だ」とむしろ開き直ってしまった方が早く解決したであろう。そして、忖度した犯人を差し出して、「解決」すればよかったのだ。それを岩盤固い守旧派文科省 対 特区で新たな産業づくりをする革新派経済官庁の闘いに問題をすり替え、迷走した挙句、内閣支持率は落ちた。もう国民は飽きてしまったから、ここでおしまいだろうが、これまでの支離滅裂な政府見解の「嘘はホント」になる瞬間だ。
 社会の上部構造が「嘘はホント」をよしとしたためか、社会全体が嘘はホントが平気でまかり通る。世の中は、政治家やタレントの性行動の不行跡を大々的に報道している。「我々は一線を越えていない」という嘘はホントなのか。組織を離れて、情報が寡少になった高齢者の社会では、自分の情報を確認せずにコミュニケーションをするため、たくさんの嘘がホントに化けている。「あの食品で健康になった」「あの化粧品で肌がきれいになった」「あの宗教で奇跡が起きた」。高齢者ならではの嘘がホントは日常茶飯事。おまけに老いぼれのエロスは嘘かと思いきやホントに存在する。それもそのはず、雇用も社会も年寄りを本気で取り込んでくれないから、「健康のための健康生活」「何かいいことあるかもしれないエロス」が年寄りの嘘でもいいからホントの役割になっている。
 一新した安倍政権に、ホントに活躍できる高齢者対策とホントに出生率の回復がもたらされる少子化対策の仕事人を作ってほしい。
 

[2017/07/28]
ゴールのある日本の選択へ



稲田防衛大臣辞任と蓮舫民進党代表辞任という政治ニュースのあった昨日だが、私は、それを超える科学情報を得た。二人の「偉い」女性は日本を変えないが、昨日の安井至東大名誉教授のお話は、日本を確実に変えると思い、私は興奮した。
 エネルギーを軸に持続可能な未来に向けた日本の進路を語った安井先生のレクチュアの概要は、こうだ。先ず、CO2が地球温暖化の原因であることは科学的に証明尽くされた。したがって、パリ協定を離脱したトランプ大統領の言う「気候変動はでっち上げ」は無知によるものと断言。
 パリ協定は気候正義(climate justice)というヨーロッパで作られたコンセプトで成り立っている。日本人は、キリスト教文化と同様、気候正義というヨーロッパ人の教条を先ず理解できていない。正義とは理念であり、したがって協定が目指すゴールを「目標=ターゲット」と訳すのは間違っている。
 ゴールは最終到達点ではなく、飽くまで、目指す地点である。辿りつかないかもしれない。だから、パリ協定が目指す、気温上昇を2度までに抑えるCO2の削減は、到底不可能な数値である。どこまでできるかという問題だ。特に、開発途上国のCO2排出量はうなぎのぼりに上がっていくのを止められない。
 先生は、代替エネルギーについて、誰しもが主張する太陽光発電や風力発電の話ではなく、産油国が石油のカーボン部分と水素を分離し、カーボンを埋め、水素を輸出するCCS技術が進んでいることを紹介。また、水素エネルギーはアンモニア化して搬送できるそうだ。
 その上で、先生はCO2排出ゼロのための3つの選択肢を示す。CCSを使う、自然エネルギー100%戦略、そして原子力依存戦略。3つ目は、日本では、天災を許して人災を許さぬ「穢れ」の考えがあるから、難しかろうと言う。しかし、核ゴミを出さぬ核融合だけのエネルギー開発は第4世代原子力エネルギーとして米国で進んでいる。選択肢としては残る。
 日本に必要なのは、目指す未来のゴールを先に考え今日に下って政策を立てることだと言う。これは予報(forecast)の逆で、backcastという考え方。日本はこれを導入すべきという。また、政策選択する立場の政治家は、票をとれないことはできないので、環境問題に真剣に取り組めない。むべなるかな。科学と技術にはリスクが伴い、言った通りにはならない可能性があるからだ。だからこそ、目標ではなく、ゴール、つまり、できるだけ近づくことを念頭に政策選択をすべきということになろう。
 私は、先生に、「日本は西洋から輸入したものは、議論するより前提条件として飲み込んでしまう。民主主義というjusticeも気候正義(climate justice)と同様に、70年前にさらりと受け入れ、今日の政治の前提になっている」と申し上げた。先生も否定はされなかった。
 
 

[2017/07/24]
遊んで暮らす社会



昨日、留学生による弁論大会が某地方都市で行われた。毎年この大会に出席している私は、優勝者のウクライナ人のスピーチは特に優れていると思った。日本の過労死と「頑張りすぎる文化」について、ユーモアも交えながらきれいな日本語でスピーチした。
 優勝者は、頑張りすぎるのを褒めているわけではない。頑張り美学に無意識に溺れている日本人に警告をしている。日本人は「自分のやりたいこと」の実現のために職業を選ぶのではなく、有名企業等の集団に属することを選ぶ。それが間違いのもとではないかと示唆する。短い留学期間にこれだけの分析をしたのは、称讃に値しよう。
 大会後の懇親会で、私は、「人間が頑張りすぎないで済むAI(人工知能)社会」について話をしていたところ、「人間の仕事が奪われるから、AIを阻止する法律が必要だ」という意見に出くわした。先日、別の会合でも、「AIは情緒的な部分は人間を代替できない。人間の役割はある」という意見に出会った。実は、私は、そうは思わないのだ。
 既にほとんどの工場はロボットだけで生産しているし、将棋もチェスもAIにかなわない。人間は、殆どの労働から解放され、遊んで暮らすことを考えればよいのだ。これまで労働集約的と考えられてきた農業や介護もAIに任せ、人間は労働したとしても一日1時間、週に5時間働けばよい社会が来るかもしれない。
 「それでは生きる意味がない」と言う人も多い。しかし、労働のために労働をするのは正しいのか。あたかも、今の健康ブームが健康のために健康実践をしているのと同じだ。健康も、労働も、そして金も自分の本当にやりたいこと(これを遊びと考えよう)の実現のためにあるはずだ。
 産業革命時に、機械が自分たちの仕事を奪うからと、機械を壊すラッダイト運動が起きたが、むしろ機械のおかげで世の中の仕事は増えた。同様に、AIを発展させることにより、本当にやりたい遊びの時間は増えるのだ。AI社会を迎えて、自分の本当にやりたいことに向き合い、有名会社に属することや「みんなと同じ集団」に属することを目指す日本人の特質を捨ててみるのも面白い。
 優勝者のウクライナ人曰く、「ウクライナは厳しい政治情勢の中にあるからこそ、夫々が自己実現を意識するのだと思う」。借金大国、人口減少、格差拡大の日本は、ウクライナに比べ、まだまだぬるま湯なのかもしれない。有名な企業で、自己実現はないけれど、あくせく働くことに意義を見出している、日本こそ変わった国なのだ。

[2017/07/19]
もう一つの憲法改正



昨日、都内の民間法人の主催する少子化懇談会が開かれた。人口や少子化対策の歴史、国際比較などは私自身もさまざまのところでレクチャーをしてきたので、よく知る内容であるのだが、今回新たに学んだことがいくつかあった。
 一つは、男女平等を憲法に盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンさんの最初の案では、男女合意で婚姻をする趣旨の第24条の冒頭に「家族は人間社会の基礎であり・・・」を書いていたと言う。憲法らしからぬ表現だと削除されたが、家族を憲法に位置付けたのは、ワイマール憲法であり、ドイツ連邦共和国基本法は、その流れを汲んで第6条に「婚姻および家族は、国家秩序の特別の保護を受ける」とある。
 安倍首相悲願の憲法改正の論議の中で、9条以外に出てきた議論というのは、環境権がない、地方自治は4条しかない、というようなもので、少子化が大きな課題の日本で「家族の権利がない」という議論は聞かない。むろん、理由は明らかである。「家族」は戦前のイエ制度を思い起こし、1941年の「産めよ増やせよ閣議決定」と並んで、女性や革新系の人々に嫌われてきたからである。
 もっとも、今の若者が、イエ制度や例の閣議決定を思い起こすことなどあろうか。家族という言葉にアレルギーを感じる年代層の方が少なくなりつつある。また、昨日の議論で学んだもう一つのことは、NHKの高校講座で教えている「家族」とは、「ライフスタイルの選択によって構成や関係が変わるもの」としている。かつてのように、血族集団が中心のような教え方はしていない。
 それならば、憲法第25条が生活保護法の根拠になるように、あらゆる少子化対策法の上に位置し、憲法上、国家による家族への支援があってもおかしくはあるまい。国による家族への介入と言われる可能性もあるが、この権力行政は、規制ではなく給付行政の根拠とするのである。
 私は、ここ数年、「少子化」はやめて、はっきりと「人口政策」にすべきと主張してきた。昨日の基調講師の主張も「少子化はやめて、家族政策にすべき」だった。フランスをはじめ少子化を克服した国は「家族政策」を駆使している。それは、日本のように保育所に矮小化した「ケチな」政策ではない。
 憲法に家族の権利を書くか、保育所一辺倒を辞めて多様な家族政策に財政的にも取り組むか、一体誰がこの分野をリードしてくれるのだろうか。少子化担当大臣が2007年に創設されてから10年。この大臣を奉職した人は17名。誰も名前を挙げられない。ほとんど全員が兼職大臣だからである。
 やはり、憲法に「家族」を書き込むべきか。

[2017/07/13]
脱・大日本主義



鳩山友紀夫著「脱・大日本主義」が新書版で出ている。鳩山元首相は、現政権の外交政策、そしてそれに無批判のマスコミから忌み嫌われてきた。しかし、そのマスコミも都議選をきっかけに安倍政権に批判の矢を放つようになり、これまでインチキくさい「GDP600兆、希望出生率1.8、介護離職ゼロ」」の「近未来の日本」に関して、新たに議論する時期が訪れた。鳩山元首相はカウンター議論を提起したのである。
 鳩山さんは飽くまで冷静である。安倍政権対しても、自分を捨てた民進党に対しても、客観的な表現でしか論駁しない。それよりも、自らの政治哲学を淡々と開陳し、日本の取るべき道を「語り部」のように語っている。
 簡単に言えば、大日本主義者はやめようと唱える。グローバリゼーションに乗せられ、パンアメリカンの一翼を担ってきた日本を振り返る。マーケットの大きいアジアと組み、人口減少で叶わぬ成長信仰をやめ、ミドルパワーの成熟国家を目指す。日本の外交を歪めてきたエネルギー問題を解決するため自然エネルギーに投資する。敵国条項の残る国連の安保理常任理事国を目指すのをやめるべきだと主張する。
 鳩山さんの総理を辞めてからの行動は、この哲学に則る。それをマスコミはさんざん揶揄してきたが、確かに、リアリストから言わせると、日米同盟は一定の地位を保たねばならないし、アジア中心の核となる東アジア共同体の発想は一部のサヨク思想に染められている。つまり、広く国民の支持を得るには、リアリストの視点を取り入れる必要がある。国際関係論では、理想主義が勝ったためしはなく、リアリストが世界を席巻してきた。
 この著書は総理になる前に書いてほしかった。継ぎはぎの社会民主主義的なマニフェストで政権を取った民主党は根底のイデオロギー欠如に忽ちぐらついた。自分たちのリーダーの考えがしっかりわかっていれば、進めるべきところは進め、修正すべきところは修正できたであろう。むろん、アメリカの怒りを買ったかもしれないが、周囲がリアルな妥協を諌言できれば、もっと政権は続いたのではないか。
 鳩山さんは自ら筆を執った。総理の職にあった人が自ら執筆するのは異例だ。これまで、政治家で、自ら書いた(と思われる)のは、中曽根康弘と加藤紘一だ。どちらも読みごたえがある。
 身近に鳩山元総理を見る者として、倫理感の高さ、ジェントルマンシップの具現を強く感じる。世間がどう言おうと、知性までを否定することはできない。ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザフは、タリバンに顔面を撃ち抜かれて生還し、「それでも私は変わらない。子供の教育権を声高に主張し続け、殺されてもかまわぬ道を取る」と発言している。鳩山さんの「脱・大日本主義」は、荒削りで、静かすぎる主張ではあるが、死んでもかまわぬの決心で書かれたものと信ずる。
 
 

[2017/07/11]
おっと、危ない、安倍さん



   今の世の中、劇場だらけだ。小池劇場、加計・森友劇場、トランプ劇場、そして時々北朝鮮劇場だ。微笑めるのは藤井四段の活躍くらいで、日本は行き先に暗雲が立ち込めている。政権奪還から4年半、安保法制や共謀罪までもやり遂げた安倍首相の「見事な」統治が揺らいでいる。
 8月上旬の人事で、菅官房長官と麻生副総理が留任との情報がすでに出ている。しかし、安倍さん、これはいけない。人事刷新して、支持率の回復を図るのが狙いなら、この二人を外すことが肝要だ。忖度問題も、稲田防衛大臣を始めとする自民党議員の不祥事も、みなこの二人に責任転嫁して終わらすのが、安倍さんの生き残りに必須の手段だ。それをしなければ、民進党と同じだ。都議会過半数を占めていたこともある民進党が、公明・共産よりもはるかに下の5議席政党になったにもかかわらず、政党として責任をとらない。2012年の国政惨敗から政党の立て直しをまともにやっていないのが習い性となっている。
 もっとも、安倍首相がやりたいようにやって、日本が新たな局面を迎えるのを望んでいる人も多い。自民党の自浄作用よりも、今は到底当てにならない小池新党に期待せざるを得なくなるだろう。かつての日本新党、民主党の失敗に学び、最近では、元党首の抜けた維新党の低迷にも学び、保守から出た小池新党が2大政党を背負うようになるのは悪くはあるまい。
 かくのごとく、観客席は今の劇とキャストに飽き始めている。安倍首相は、小泉進次郎や橋下徹をサプライズ人事に使うよりも、側近を切ることの方が重要だと理解しているのだろうか。観客席の人間がこんなこと言っても始まらないか。ごめんなさい。



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