元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2017/11/18]
加齢のパラドックス



   先日、三井住友海上福祉財団の今年度財団賞を受賞した松浦常夫実践女子大学教授の受賞記念講演を聴いた。先生は、交通心理学の専門であり、今回は「高齢ドライバーの安全心理学」の著作で受賞した。
 我々の間でも、よく「運転すると人柄が変わる」ドライバーが結構存在するが、運転をするときには性格や属性による心理状態があるらしい。高齢者一般がどんな心理で運転しているかは考えたこともなかったが、かく言う私自身も、高齢化率というときの高齢者には入るわけだ。若いころに比べ、遠出や知らないところに行くことはなくなったが、運転そのものは慎重になったわけでもないし、何も変化を感じていない。
 松浦先生のポイントは、高齢者は、決して高齢を理由に「安全・ゆとり運転(補償運転)」を心がけるわけではないことである。高齢者は、幸せパラドックスと加齢パラドックスを擁していて、「若い頃より幸せ感がある」「運転もベテランだし、老いても大丈夫」という心理にある。
 この心理の壁が危険であると先生は指摘する。今、70歳以上のドライバーの免許更新に認知症テストが課されているが、高齢者のこの加齢パラドックスについて、どう教育していくかは今後の課題である。交通事故の加害者も被害者も高齢者が多いことは言うまでもなく、そうは言っても都内23区で暮らすならいざ知らず、筆者のように茨城県の田舎暮らしでは車なしには生活ができない。
 AIによる自動運転が進み、一人乗りの超小型車が普及し、電気自動車・水素自動車の技術がますます向上する中で、自動車業界は10年も経たぬうちに一変すると言われている。欧州では、ドイツが2030年、イギリス・フランスが2040年までにガソリン車の販売を禁止する。スウェーデンのボルボは2019年ガソリン車の製造を中止する。さらに、中国は、ガソリン車販売禁止の検討を今年開始した。
 いったい日本は何をやっているのだ。いつ「脱ガソリン宣言」をするのだろう。せめて、高齢であれ、どんな条件であれ、同じように運転できる自動運転技術で、他国に先駆け、交通事故ゼロ社会を一番に実現しよう。

[2017/11/15]
供給が需要をつくる



   ある医療団体の会合で、医療経済学者が言った。「高齢社会だから医療費が上がるという厚労省の説明は間違っている」。過去40年間のデータを数理解析したところ、医療費増嵩の一番の理由は医師の数である。医師が1%増えると医療費はほぼ1%増え、高齢化率は1%増えても医療費は0.1%しか増えない。明らかに、医療の世界は、供給が需要をつくるという経済の原則が働いている。特に医師は、私大医学部の場合だと多額の金をかけて医師になるので、生涯所得で「回収」する心理が働くであろう。
 医師だけでなく薬剤師・看護師の数も響く。厚労省と文科省が医師会の意向を汲んで医学部新設を認めず、医師数を抑制してきたが、最近は、供給過剰になった歯科医師数を国家試験合格率を60%台に落とすことによって抑制し、薬剤師はまだ飽和状態にはないが、国家試験合格率がこれも60%台になり、抑制されている。その上、薬学部が2006年から6年制になった影響で、薬学部の不人気が認識され始めている。
 代って、人気なのが看護学部だ。薬学部も看護学部も女性の入学者が多いので、6年かけても薬剤師になれぬなら、看護学部を選ぶ。4年制看護学部は、70年代には全国2大学だったのが、現在は300近くある。しかも、かつての3K職業のイメージから、大病院の正看になれば大きな給料ももらえる。だが、せっかく看護学部に入っても、卒業できない、国家試験に受からない、就職したくない、就職後1年もたない割合が高く、看護師の労働市場は決して拮抗しない。
 医療の現場を与る人材はそれぞれ問題を抱えている。供給が需要を作るのであれば、その供給の質を確保できなければ、厚労省の役割は、抑制政策しかあるまい。一市民としては、良質の医療人にあたるかどうかは「運」でしかない。嘆かわしい。もっとも、タクシーで大暴れの弁護士、不倫大好きの国会議員を始め、世に範を垂れる存在は無くなったから、医療者だけに聖人君子は求められない。ただ、世の中がいかに劣化しても、命に係わる職業の人々には、崇高なプロフェッショナリズムを持ってもらいたいのは、哀しき日本人の願いだ。
 

[2017/11/11]
保育から教育無償化へ舵を切る少子化対策



    大義なき解散と言われつつ選挙に勝った安倍首相は、余裕綽々でトランプ親子を歓待し、他方、暗転して「失望の党」となった希望の党は共同代表に玉木氏を選んだ後も、見るからに愚図愚図している。かつて村山首相の社会党は自民党にすり寄ったことで、自らのアイデンティティを自ら潰して斜陽党になった。民進党出身者も、アイデンティティを押し殺して自民補完勢力を選び社会党と同じ運命を選んでしまったね。
 もうしばらくは面白いこともなさそうなので、この話はやめることにし、瓢箪から駒、ともいえる安倍首相のにわか公約「消費税引き上げ分を使って、2兆円の教育無償化」に焦点を当てよう。選挙の大義に使うために持ち出した政策かもしれないが、かねてから、少子化対策のネックは、保育所に偏り過ぎ、子供を持つ負担で一番大きい教育対策は望まれていた。
 大学教育の無償化は既に反対も多く、財源も大きいため、先ずは幼児教育の無償化から始めるようだが、認可保育所の保育料の自己負担分が真っ先に対象になっている。保育は福祉であり、教育ではないとさんざん知らしめてきたのに、しかも、教育を担う幼稚園の存在理由はそこにあったのに、あっさりと保育を「教育」にしてしまうとは、さすがに官邸中心政策だ。専門的な議論がなされていないボロが既に見えている。これをやるには法改正が必要だ。
 民主党政権時代のこれまた「にわか公約」のひとつ、高校授業料無償化は、結果的には、金持ち優先施策になった。低所得家庭の授業料は既に自治体が援助していたからである。今度も、福祉は応能負担なので、保育料自己負担無償化の恩恵を受けるのは金持ちだ。また、幼稚園も自治体の補助が既に大きく、無償化しても、喜ぶのは自治体だけで、家庭の方では大した負担減にはならない。
 自民党の超人気者小泉進二郎議員は、こども保険(介護保険のアナロジー)の主張者のためか、安倍首相が教育無償化予算2兆円の中、3千億円を財界に依頼したことを怒っている。財源を始め、党内議論がないのを指摘しているのだ。しかし、党内議論ばかりか、各省議論もなく、官邸にいる前のめり元通産官僚が皆政策を作っているのだから、そういうことになるよ。通産省の歴史を辿れば、高度成長が終わってからは、思いつきのカタカナ政策ばかり打ち出して、内容の甘さで皆消えていったではないか。シルバーコロンビアだの何だのと。
 幼児教育の無償化だけで、以上のように問題だらけだ。全国に800近くもある4年制大学の無償化などしたら、レジャーランドと言われてきた大学が18歳入園の保育園になるだけの話だ。かつて、我々若いころの国立大学授業料は月千円。親の仕送りなしで暮らしている学生が多かった。しかし、世襲の国会議員で高い月謝の大学を出た連中が国立大学優遇を「是正」してしまった。欧州の大学で無償化が実現しているのは数少ない国立大学しかないからだ。レベルも高い。形だけ欧州の真似をしても、この国の現状では、効果が期待できないばかりか、財源が確保できない。
 少子化対策とは、終局、人口政策であり、もう隠す必要はない。だとすると、金の使い方によって人口が増加する層に重点を置くことだ。国全体としては、公教育だけで良質の教育が与えられるような体制を取ることが先決であり、低所得層に最大限の配慮をし、「カネがないから学校に行けない」国にしない。
 保育から教育に舵を切った少子化対策については、正しい選択である。方法論を詰めていくにあたって、文科省も、もう加計学園なんかどうでもいい、官邸から教育無償化の問題を取り返して、国家百年の計を立てよ。

[2017/11/01]
ピンチはチャンスなのか



    昨日、都内で、トロント大学医学部アブエライシュ准教授の話を聴く機会があった。教授は、ガザの難民キャンプに生まれ、貧困から抜け出し、ロンドン大学、ハーバード大学で学位を修めたパレスチナ人である。イスラエル病院勤務の時に、イスラエル軍砲撃によって3人の娘を失った。しかし、彼の信条は、決して人を憎まないことだ。
 世俗的すぎると躊躇しつつ、私は、数回の選挙を経て、誹謗中傷や選挙ゴロの存在を憎むことは避けられないと述べた。すると、教授は、「むしろ落選して神に感謝すべきだ。その経験で次はあなたは成功する」と答えた。
 平和社会での小さな憎しみは、紛争社会での大きな憎しみよりも克服しがたいことを私は感じた。教授は、涙と鼻水をふきながらお話しした姿を見ても、想像を絶する経験によって、その哲学にたどり着けたものと思う。世俗の人間の及ぶところではない。
 教授のメッセージは、憎しみを克服してピンチをチャンスにすべきということだろう。この言葉は、四面楚歌となっている小池百合子さんに最大の救いの言葉になるはずだ。誤解されぬように言うが、小池さんを応援する気は全くない。ただ、彼女ばかりを攻撃している、小池人気にあやかろうとして裏目に出た選挙ゴロは、もっと憎むべき存在だ。
 小池さんは、「ガラスの天井を破ってきたが、最後に鉄の天井にガーンとぶつかった」と語った。ガラスの天井は、ヒラリー・クリントンも演説でよく使ってきた言葉だが、小池さんのこの表現は間違っている。女性に対して見えない障害がガラスの天井と表現されてきたのであって、鉄の天井なら、初めから見えていた障害だ。
 政界渡り鳥と揶揄されながらも、見事に時の権力を掌握し続けた小池さん。失敗の殆どないそのセンスが、厳然と存在する鉄の天井を楽観視させた。これからは、小池さんの後ろにいる連中が、バラバラになっていくだろう。彼等、それに乗じたマスコミが小池さんの未だ実績の上がっていない都政を困難にさせていくだろう。
 民主党が2012年、二大政党制をほぼ永遠に葬ったように、小池さんは野党の意義を葬った。小池さんのピンチというより、日本の政治にピンチがもたらされた。このピンチにチャンスが巡りくるとは信じられない。
 我々は宗教者ではない。我々の中で壮絶な太平洋戦争を戦った兵士は極めて少数になった。我々は、世俗の人間として、今の政治のピンチを憎むしかあるまい。

[2017/10/29]
過剰診療



    団塊世代も、哀しいかな、集まると、食事の後に何やら薬を取り出して飲む連中が多くなった。高血圧、糖尿病、心室肥大、咳、腰痛など、一人が複数の薬を飲んでいる場合も多く、まるで薬がデザートのようだ。こんなに一杯デザートがあったら、飲み忘れも多いだろう。薬の飲み残しが年間数百億円になるとの試算があり、むべなるかなと感じる。
 よく聞いてみると、みな深刻な病気ではない。血圧や血糖値などの数値が高く、厳密には「病気予備軍」である。放置しておけば、脳卒中や心臓病になる、目や足の機能が低下する、そう言われて薬漬けになった。待てよ、日本の健康保険は、疾病に対して保険が支払うのであって、予防給付は法律上できないはずだ。違法の「治療」ではないか。少なくも過剰診療だ。
 薬をもらいながら、たびたび検査を受け、その結果に一喜一憂する。薬を飲み始めると、定期的に薬をもらいに病院に行かねばならず、しばしば検査も受けることになる。つまり、患者は病院に縛り付けられることになり、病院側から見れば、患者を抱き込むことによって経営は安定する。また、降圧剤が明らかなように、対症療法でしかなく、薬の効用そのものがほかの臓器を痛めていく可能性がある。医薬産業に大いに貢献する。
 年寄りは、若者に比べ身体が衰えているのだから、一人あたりの医療費が上がるのは仕方ないにしても、病気予備軍の多さが余計に医療費を引き上げていることも明らかだ。「かかりつけの医者を持て」と厚労省は半世紀近くも言い続けてきたが、心配ご無用、途切れることなく、かかりっぱなしの高齢者は非常に多いのだ。
 健康は生きるための資源だが、齢を取ると、健康だけが目的になる。青汁飲むのも、歩くのも、薬飲むのも、みな健康のため、その健康を使って「何をやる」ということはお構いなしだ。なぜなら、労働市場からは追い出され、にわか趣味は相当の金がかかるし、夫婦の会話は無し、孫相手は疲れる。それだったら、病院で友達に会い、病気の話で盛り上がって一日過ごすのがいい・・・
 高齢者に身体に合った仕事やボランテァ活動を提供し、「健康」を使う政策を怠っているのは、やはり政府か。その政策の怠慢が過剰診療を増やし、医療費を押し上げ、医療だけが友達の人々をたくさん輩出している。健康意識の向上政策だけ一生懸命だが、これは裏目に出て、ますます薬漬け人間が増えていく。あわれ、日本の社会政策。利害関係者が多くて何も変えられない、一番不幸なのは、健康目的に生きる高齢者自身と、ツケを払わされる若者だ。

[2017/10/26]
どうなる自然エネルギーの国策



自然エネルギーのAPECワークショップが一昨日、東京で開かれた。主に木材ペレットの専門家が集まったが、同じバイオの分野で水素エネルギーの話も盛り込まれた。太陽光と風力の話が多い中で、「他の」自然エネルギーがどれだけ期待できるか興味がそそられた。
 ヨーロッパは、カナダなどからペレットを買い、暖炉にくべて暖をとる。だから、その需要は大きいが、日本の需要は小さい。木質ペレットは化石燃料に比較してCO2排出がきわめて少なく、クリーンエネルギーの有望株だが、日本ではまだ存在感がない。
 水素エネルギーは、しばらく前に東大名誉教授の安井至先生から、これからはCCS(石油などから炭素を地中に残して水素を取り出す)の時代が来ると、ある会合で学んでいたが、水素の生成についてはさまざまの方法があることを今回知った。ペレットからも生成できるが、家畜の糞や汚泥も資源となる。このことは、資源小国の日本にとって、大切な情報だ。
 水素エネルギーと言えば、世界に先駆けて水素カーを2014年に生産したトヨタだが、水素ガスステーションの整備が不十分で、今のところ足踏み状態。最近、経済誌がこぞってEVカー、つまり電気自動車の特集をやり、あたかも水素カーが苦戦しているように書いている。走行距離などでEVカーに勝る水素カーだが、水素ステーションなどのインフラ整備は国策によらないと難しい。
 その意味では、中国は、自然エネルギーを国策として大々的に推し進め、それこそ水素エネルギーなども下手すれば日本のお株を採られてしまうかもしれない。一時期は日本がトップだったこともある太陽光発電は、今や中国の世界におけるシェアがダントツだ。APECワークショップでは、オランダ人の研究者が「自然エネルギーの分野は、まだマーケットが熟していないので、補助金などが途切れれば需要がガタ落ちになる」と、実際にオランダの例を数字で示した。どこの国も、今の段階では、国策として支援を受けることが必須だ。
 会議に出ながら、原発再稼働を百歩譲って認めても、日本の自然エネルギー推進の国策はあまりにもスローではないかと焦りを感じる。共産国家のメリットを活かし、習近平独裁が進む中で、決断の速い中国に日本は負けていく。会場で中国人の発言を聴いていてもそう思った。
 1969年、故障のため月の一歩手前で引き返したアポロ13号が当時のアメリカの科学水準の高さ、プロジェクトへの真剣さを世界に知らしめたように、日本も、死力を尽くしてでかいスケールの科学で、世界を圧倒してほしい。宇宙太陽光発電はどうなったのだ、深海の水素化合物エネルギーはどうなったのだ、もっと現実的な課題として、水素ステーションは? 海藻エタノールは? この分野の国策は明快に、迅速に実行せよ。
 政治の世界は、またしても、何の専門性もない、選挙博打で勝ち上がってきた人々を国会に送った。希望の党の転落劇は、モラル欠如のプロセスを暴露したが、他の党も劣化している。官僚もまたこの10年の政治屋政治に飽き飽きして劣化し、一体誰がエネルギー問題を引っ張っていくのか分からない。
 国を憂えて、APECワークショップの会場を後にした。

[2017/10/23]
児童保護法制



昨日、児童保護の外国法制についてのシンポジウムに赴いた。90年代、児童行政に携わっていた頃、私は、イギリスに出張し、1989年制定の児童法を学んだ。被虐待児や養育に欠ける児童を司法手続きで保護する先進的な法律であり、当時、非常に感銘を受けた。そのイギリスを始め、今回のシンポジウムは、独、仏、米、韓国の同様な法制についてそれぞれの専門家が語った。
 日本の児童福祉法制はもともと行政中心の児童保護であるが、欧米の司法関与の強い法制を少しづつ採り入れてきた。養育不能の親の親権剥奪などはその例である。しかし、行政の第一線にある児童相談所は、裁判所の関与を必ずしも歓迎せず、「福祉の判断」を重視するきらいがある。つまり、措置権者都道府県知事のもとに保護のプロセス、内容が決められる。欧米では、裁判所が保護の内容まで決定することが多い。
 日本は、特に、立法、司法と比べて、行政権が突出していることの表れだが、児童法制については直ちに、欧米並みにすることがいいのかどうかは疑問が残る。ただ一つだけ言えるのは、日本の福祉の世界は資格の世界ではなく、専門家が少ないことだ。医療も司法も専門分野の人間が資格を持って仕事をするのに対し、福祉では、社会福祉士や児童心理士の業務独占の仕事は少ない。それでよいか、という問題はある。
 少子化対策は保育を中心として声高に言われてきたが、要保護児童対策は、重点政策になったことはない。少ない子供を一人残らず社会に送り出す政策は、少子化対策のど真ん中に位置付けるべきであろうに。
 昨日は、台風が近づいて、雨の中、衆議院選の投票日だった。しかし、誰に聞いても選挙は全く盛り上がらず、口先の公約は要らない、児童の問題を始め専門家を増やし、政治レベルで真剣に取り組める人を増やしたいと語り合った。

[2017/10/14]
Lean In



   「リーン イン」。2013年にフェイスブック最高執行責任者のシェリル・サンドバーグが書いた本である。タイトルは、前へもたれかかって進め、と女性を叱咤激励する内容だ。
 私は、ここ10数年、女性の生き方論への興味を半ば失っていた。それまでは、70年代、ウーマンリブ最高潮の時期にアメリカに留学し、名実ともにウーマンリブ人生を歩いてきた私だが、2001年、山口県副知事として、男女共同参画条例を制定したことが保守的な土壌で反感を買った。反感の論点は日本伝統社会論を基軸とする些末なものだった。
 そもそも、私は、個人の生き方としてウーマンリブであっただけで、仕事上は、国民の健康と福祉が視点であり、あえて男女共同参画に与する必要はないと考えるようになった。伝統論、文化論は時間の無駄だ。
 同時に、2000年施行の男女共同参画法の考えは、其の後、地方での条例制定を経るにしたがって、下火となり、むしろ反動を引き起こす政策として存在した。戦後から90年代まで燃え盛った「闘う男女平等論」は恐らく、ほぼ消火されたのだと思う。
 これについては、連載の欄(ウーマンリブ敗れたり)に詳述したので、ご参考賜れば幸いだ。さて。そういうわけで、サンドバーグの本は、当初、読む気がしなかった。アメリカで、しかも、民間の競争社会で上り詰めた優秀な女性が、なぜ今更女性の生き方を書くのかと訝しく思った。しかし、昨年の大統領選では、ヒラリー・クリントンは「女性」を意識した演説を繰り返していた。待てよ、ウーマンリブ発祥の地であり、日本は及びもつかないほど女性が活躍しているアメリカであるはずが、なぜ、今も、女性を「洗脳」「激励」しないといけないのかと疑問を持った。
 アメリカでも、いや、アメリカだからこそ、女性は闘い続けなければならない、歩みを止めてはいけない理由があるのだ。アメリカの男性は、日本とは比較にならないほどメイルショウビニスト(男性優越主義者)なのだ。アメリカという国は、男が強く、スーパーマンでなければ、移民や開拓ができなかった歴史があるのだから。
 ユダヤ人の普通の家庭に育ち、公立学校に通ったサンドバーグは、ハーバード大学に行き社会に出て、男女の意識の違いを気付かされる。男は強いのが称賛されるが同じ態度を持つ女性は「生意気」になる。男は自己肯定的だが女は自己否定的だ。チャンスに対して、男は能力如何に拘わらず挑む。女はチャンスを前に恐れる。
 サンドバーグは、男女の生物学的な差異を分析はしない。彼女はMBA(経営学修士)で、ベーシックな学問にはあまりこだわらない。しかし、彼女は、男女の違いの現象に、憤りを感じ、女性が抵抗や先入観をかいくぐっても前へ進むこと、リーン インを促す。
 平易な英語で読みやすい本だが、同時に、日本でも90年代まではこの種の本が平易な言葉でどれだけ書かれてきたことかと思うと、社会は変わらないと嘆いてしまう。しかし、サンドバーグはフォーブズ誌で世界を動かす女性にランクされ、資産も10億ドルを超えるとされる稼ぎ手だ。彼女の言葉には重みがあろう。このサンドバーグですら、こういう本を書かねばならないほど、女性の活躍は社会が難しくしているのだ。
 この本の出版後、サンドバーグは夫デービッドの急逝に遭う。後日、スタンフォード大学の卒業式に招かれた彼女は、いつもの確固とした演説ではなく、人生に第二の選択があるという趣旨の、夫恋しさに涙声になりながらのスピーチをした。「でも、子供がいてよかった」「仕事があってよかった」。
 アメリカですらトップの女性は「女性であるが故」の苦労をしている。ヒラリーもついに「最後のガラスの天井」を破ることができなかった。翻って、日本では小池百合子都知事も、今の情勢ではガラスの天井に阻まれている。
 だが、小池さんは、野田聖子と共に「選択制夫婦別姓」の推進者だ。これまで女性の法務大臣は何人か就任したが、これを進める勇気のある人はいなかった。希望の党の当初の公約にも入っていたのだから、野党の立場にせよ実現を図ってほしい。もっとも、踏み絵を甘んじて受けた民進党出身者は、この次の踏み絵は御免、という状況であろうが。
 日本にも、トップの一存で引き上げられる閣僚や官僚の公務の世界ではなく、サンドバーグのような、民間の競争社会で勝ち抜く女性が出てきてほしい。そして、リーン インを世に伝えてほしい。

[2017/10/09]
安倍失地、小池失速、枝野失楽園



   小池劇場のストーリーが行き詰まり、急激に観客の熱が冷めつつある。希望の党公約が失笑を買う内容であり、民進党難民キャンプから「救われた」政治難民の扱いが悪い(カネをふんだくられている)。
 守旧派都議会を悪者にして勇猛果敢に闘った都知事選とは異なり、小池さんには悪者にすべき対象がいなくなった。安倍さんは敵ではなく、憲法改正の後押しを約し、アベノミクスの批判は批判になっていない。ユリノミクスとは、定義されていないベーシックインカムの保障(国民全員に生活保護を配るらしい)、消費税を上げないで財源は、ワイズスペンディングと国有財産の売却だそうだ。「ワイズ…」とカタカナにしたのは、民主党が政権を取るときの公約「無駄遣いをやめて財源16兆8千億を捻出」と同じであることを隠すため。民主党は無駄遣いを見つけられず自ら消費税に走ったことは記憶に新しい。国有財産はこれまでも極力売却してきたが、それが国家予算の財源にならないことは百も承知だろう。
 安倍総理は、一時、解散して「しまった」と思ったが、今は胸をなでおろす。しかし、敵はむしろ足元だ。選挙は勝っても議席を減らすのは必至で、党内の安倍さんを土俵から追い出す勢力が強くなる。自民党内での失地は免れない。もう衣の下の右翼鎧は使えなくなるかも。
 第三勢力、枝野氏は、政治家としての筋を通した。サヨクは前進がない泥沼政治だが、今回見せた政治姿勢は一番いい。サヨクは零落したかと思いきや、もしかしたら、失楽園でもう一花咲かせるかも。
 民進党難民キャンプの連中は、三つに分かれた。政治理念など何もないから、昨日まで「安保法制反対」の演説をしていても、今日は「百合子のために賛成する」と言ってのける「代議士になることだけが目的」の連中。野田佳彦が拒否した「百合子の股」をくぐった恥も外聞もない多数派だ。次に、選挙に強く、百合子の軍門に下るにはプライドが許さないから無所属で闘う連中。そして民進党左派を独立させた立憲民主党の連中。
 民進党左派は、党を悪化させた一因でもあるが、今度は共産・社民と思う存分リベラル勢力を謳歌できよう。戦いの構図は、むしろ、自公対共・社・立であり、希望は土俵に上がらずに、ムードだけで票を得ようとしている。維新と共に、東京、大阪では強みを持ち、地域政党はできようが、田舎ではさほど浸透できまい。彼らの声高に主張する地方分権とは「大都市主権」のことであり、大都市の利益を主張する政党があってもおかしくはない。
 今の日本に夢や希望をもたらすのは、少なくともこんな稚拙な政治ではない。AIや自然エネルギーの研究開発がこうしている間も進み、世の中を変えていく。国会もAIが運営するときが来れば、今のような茶番は終わるであろう。
 

[2017/09/27]
あわれ、政治難民



   前原民進党代表が苦肉の策を講じると報じられている。民進党の候補者は希望の党へ行って公認をもらえ、ただ民進党に籍は残せ。それが安倍政権を終わらす方法だ、と。つまり、希望の党の名を借りて、自民党を潰せ、そして、いつか民進党に戻って来い、ということだな。
 そうでなくても、既に民進党の公認が確実の連中は民進党難民キャンプに集まり、既に希望の党の戸を叩いている。前原氏がいかに政権交代のためだと言い張っても、一人一人は「選挙に受かりたいから」だけの理由で、希望の党の切符を手にしたい。
 確かに、これまで、都議選現象は次の国政選挙の前哨戦となってきた。今回も、希望の党に入りさえすれば受かるに違いないと浮き足立ち、連中は、政策も政治モラルも考えない。安倍政権と希望の党の政策の違いは究極「脱原発」だけだ。これまで、連合の反対もあって「脱原発」を掲げられなかった連中が、連合の応援を簡単に拒絶することができるのか。
 選挙が決まる前に離党した人々は潔しと認めよう。しかし、いま、民進党難民キャンプにいる人々はあわれである。国民は、自民党の大義なき解散に呆れているが、民進党の自分の命だけが大切な「祖国を捨てた」難民にも怒りを感じるだろう。まして、小池都知事が衆議院選挙に出れば、自民の失策をも上回る失策になる可能性もある。
 政治は何でもありの世界だと言えばそうかもしれない。しかし、自力で解党すればいいだけの話ではないか。それができないからと、他人の褌で解党まがいをやろうとするのは、国民をだます方法以外の何ものでもあるまい。



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