元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
大泉ひろ子のプロフィール 日々雑感バックナンバー 後援会・党員・サポーター募集
日々雑感
[2018/05/23]
夢のケイ素



 過日、産総研触媒化学融合研究センターの佐藤一彦センター長によるレクチュアを拝聴した。化学のイノーベーションに夢が持てる陶然としたお話だ。
 ケイ素はガラスの材料だが、この地球上で、酸素に次いで多い元素である。つまり、無尽蔵の資源ということだ。ケイ素を使い、かつ触媒を発明して製品にまで結びつける研究に先生は勤しむ。先生が中核となり、東大、京大、理研等と人材をクロスアポイントし、企業とも組んで、これまでに多くの製品化に成功している。
 このとき、触媒開発には、AIが役立っている。最先端技術である。先生のお話では、ものづくりは、触媒開発とプロセス開発とAIを掛け合わせた形で行われている。余談だが、経験値の多い触媒開発は、AIによって研究者の職を奪う可能性もあるのではないかと筆者は心配するが。しかし、産官学で新たな境地が開けているのは喜ばしいことである。
 二酸化ケイ素を使った研究プロジェクトからは、燃えるごみからシリカ(シリコン)を作り出すなど、経済効果・社会効果の見込まれる結果を出している。現在、化学の産物としては、石油製品が多く、ケイ素の産業化は石油の194分の1と少ないが、有限の石油に比べ、無限のケイ素が将来、取って代る可能性はあるとのことだ。
 一例をとれば、我々の服は、現在石油から作られたものが多いが、将来、ケイ素製品になる可能性がある。資源小国の日本にとって朗報である。そして、佐藤先生は、その先まで夢を見ている。「空気から肉をつくる」。身の回りに無尽蔵にある材料で食料・生活用品を作っていけば、2050年に地球の人口が96億人になる予測を恐れる必要はなくなる。少なくも、1974年にローマクラブが警告した地球上の食糧難は、地域偏在の問題は別として、訪れなかったという歴史がある。楽観視してよいかもしれない。
 佐藤先生のお話に、筆者はまさに「陶然と」したわけである。

[2018/04/26]
おかしなことは誰が変える?



 北朝鮮の核放棄宣言は誰もが嘘だと思っている。トランプにとって、今回の米朝交渉は、アメリカのためであり、日本の利益のためではないと誰もが感じている。日米貿易交渉では、安倍さんのトランプに対する「神通力」の終わりを呈した。
 内政では森友・加計問題で自らが矢面に立たされている安倍さんの唯一の救いは、野党の再編がうまくいかないことだ。民進・希望の合併から成る国民民主党は、参加拒否が多く出て、立憲民主党に数で及ばず、またまた分裂を繰り返す。
 「政治不在」の現今、世の中ではおかしなことが多々起きている。ガン治療は、DNA治療や免疫治療にもっと投資すべきなのに、相変わらずの放射線と抗がん剤治療が中心だ。糖尿病と高血圧の予備軍を「患者」にして取り込み、薬漬けにする。5種類以上の薬を服用していると転倒や死亡の率が高まるとの研究成果も出ているが、無視されている。
 旧優生保護法(1996年まで存在)の下で、優生手術(不妊手術)を強要された事実が明るみになった。戦前は、ドイツもアメリカも優生手術をやっていたが、戦後、先進国で行われていたのは日本だけだった。
 マスコミは「セクハラ関連専科」を設けたように、財務事務次官の後は文科大臣、そして人気タレントを血祭りに上げる。日本にはこんなニュースしかないのか。
 おかしなことは是正されない。本気で政治を、本気で仕事をやるのが馬鹿馬鹿しくなるような、退廃を覚える社会になっているからだ。流れを変える一番の人は安倍さんであるはずだが、まだ力は残っているのか。
 話は飛ぶが、ちょうど50年前、東大教養学部に入学した時のクラス会が過日開かれた。1968年、入学して3か月も経たないうちに、医学部紛争に端を発し、全共闘運動に呑み込まれ、東大は全学ストに入った。翌年東大の入試が無くなるという事態にまで発展した。今回20人余り集まった級友たちは、全員があのストで人生を変えた。自分は何者か、人生とは何か、社会とは何か、何をすべきか、20歳に至らぬ前に、毎日考え続け、人生を決めた。大方は当初の目論見とは全く違う方向を選んだ。
 筆者自身、研究者志望から、思いもよらぬ官僚の道へと人生を変えた。混沌の中から新たな価値を創造していくのは、やはり若者なのだろう。20歳台の若者が、早く「子供」を辞め、現実的に世の中で何をすべきか決定してほしい。あなた方の決定の集積が新たな日本社会を創造すると信じる。

[2018/04/15]
永田町墜落、霞が関崩壊



 近頃、どの会合に行っても、森友・加計問題に言及して、官僚の質低下が問われる。我々団塊世代が入省したころ、幹部は「日本も経済が良くなって、良い人材が民間に流れ、官僚の質が低下した」とよく言われたことを思い出す。
 しかし、今回の官僚の無様は、「昔は良かった」論調で測れないほど深刻な状況である。「会ったかどうか記憶にありません」「刑事訴追があるので、答えられません(答えたら、将来、安倍さんから天下りポストを頂けません)」。最も優秀と自負していた財務・経産官僚が恥ずかしげもなく、身の保全だけを考える。
 この際財務官僚の息の根を止めてやろうと思ったか、週刊新潮が財務事務次官のセクハラをスクープした。録音テープの現物証拠付きだから、逃げられない、彼は万事休すだ。「記憶にありません」は通らないからだ。
 官僚の質低下は90年代に霞が関では実感されていた。バブル崩壊後、意欲のある優秀な学生は外資系企業に行き、官僚志望は、安定志向の三番手以下の人材しか集まらなくなっていた。それも、阪神淡路大震災のような大きな仕事が舞い込むと、多忙を理由に簡単に役所を辞めてしまうような連中だ。その時代の入省組が管理職に上がってきた。霞が関の崩壊は20年もかけて起きている事実であり、自明なのである。
 しかし、元凶は言うまでもなく永田町だ。小泉政権から官邸主導の政治が始まり、現在では、公務員改革後、官邸が霞が関幹部人事を握るようにまでなった。官僚たちは、本省よりも官邸に気付かい、政策よりも人事で動くようになり、百年以上も事実上官僚が動かしてきた政治の主導権を完全に官邸に渡してしまったのである。まさに平成の大政奉還である。
 この状況の中で、確かに、霞が関の知識とモラルの低下も激しいが、永田町は、そもそも知識もモラルも霞が関よりも低い成り上がり者の社会だから、政治の舵取りが円滑にできようはずがない。彼らの多くは、選挙が手段ではなく目的の政治人生である。選挙に勝って、次の選挙のために、政府内の高い椅子に座ればいい、やりたいことは、政策ではなく、選挙を応援してくれた人に「忖度」の礼を尽くせばよい。ついでに言うが、野党はもっとひどい。バッジをつけていればいい、質問はうまく相手を貶めればいい、勿論、対案はない。
 永田町が墜落し、霞が関が崩壊しているのは明らかだ。しかし、日本は、先進国としてこのまま足踏みを続けるわけにはいくまい。ただし、いくら仲良くてもトランプ頼みは危険だ、トランプ自身が政治の知識に欠け、モラルは、セクハラの大家と言われているが如くの人間だ。日本で今起きているトランプ現象と相乗作用で、世界の笑い者になるべきではない。
 少しだけ望みはある。前川元文科次官や中村愛媛県知事だ。政権に阿ることなく、真実を伝えた。彼らへの批判は、勿論、政権側からの圧力だ。これを機会に、安倍政権では多すぎる経産官僚とそのOBの起用を控え(彼らの得意な経済成長戦略は失敗しているではないか)、文科省や地方自治から反骨精神を持つ人間を起用すべきだ。そして、今こそ、憲法改正以上に、教育、科学、地方自治について取り組むべきなのだ。
 
 

[2018/03/07]
新連載



新連載「リベラーチェ アット ハート(天才ゲイの人生)」を始めました。右のアイコンからアクセスしていただければ幸いに存じます。

[2018/02/28]
政治は科学を評価できるか



    前回、オゾン層破壊予知でノーベル賞を受賞したマリナ・マリオ教授の「気候変動の神話」を記した。そのあと、地球物理に関して2つの研究会での話を聴く機会を得た。一つは、防災科学技術研究所の藤原広行研究部門長による最新の防災技術、もうひとつは、山本幸一東大名誉教授の環境危機である。
 前者については、防災科学技術の水準の高さを認識することになったが、国立研究所は国策研究であるので、災害の度に「政治的課題」が重要になる。したがって、地震予知学は良く知られるが、必ずしも基礎研究を重視できるのではないことも知った。
 何よりも問題なのは、政治が政策研究の結果を有効に活用していないと思われることだ。南海トラフ地震の予知について国民に警告する以上の政策は見えない。もし、環太平洋地域が地震多発地域であることが明らかであるならば、日本海側に経済圏を移すなどのダイナミックな政策が現れても不思議ないのではないか。対米貿易が縮小し、対中国貿易が最大規模となった今日では、太平洋側の海上物流が衰退している事実などから考えても、日本列島の経済拠点分散など大きな選択をすべきではないのか。
 後者について、山本幸一名誉教授は、CO2上昇と異常気象の危機的データを示しながら、今、地球を管理しなければ20〜30年も今の環境はもたないであろうと警告をする。科学者の認識はほぼ一致しているが、文系の人間がその楽観視で政策選択の障害となっていると明言する。確かに、日本社会では、多くの組織のトップは文系であり、世俗的な選択が優先される。
 歴史的には、科学は宗教に勝って、今や間違いなく最も信頼される「道具」だ。しかし、科学にとって残った敵がある。それは、政治である。科学の結果は、民主主語のルール、つまり51%の賛成があって初めて実現されるのだ。科学は実証できれば100%の正しさを誇るのに、政策選択の段階で、51%の反対があれば実現しないのである。
 理数の論理やプロフェッショナリズムよりも、選挙に受かるための修行ばかりで成り立つ政治集団は、政策選択を誤っていくだろう。他方、科学者もコミュニケーション能力を欠いていないか。「これが分からぬ者はバカ」と諦めるのではなく、自ら政治に出てきてほしい。政治家の選出も、部分的にせよ、プロフェッションを重視した方法を取るべき時代が来たと思う。

[2018/02/25]
気候変動神話



    今般、1995年ノーベル化学賞受賞者であるマリオ・マリナ カリフォルニア大サンディエゴ校教授の「地球の環境病に対する処方箋」と題する講演を聴く機会を得た。彼のノーベル賞は、CFC(過フッ素化炭化水素化合物(スプレー等))がオゾン層を破壊すると予知した業績に対して与えられた。当時は一般によく知られることになった地球環境への警告であった。
 マリナ教授が淡々と語った生物多様性の減退、森林喪失、プラスティックゴミ、海洋廃棄物、北極海の氷解などは既に知られた事実であり、地球温暖化の危機的数値、風力や太陽光発電などの推奨も対策として現実化している。その意味では、教授のプレゼンは一般向けの教科書的であったが、非常に印象に残ったメッセージがあった。
 それは、マリナ教授が何回も強調した「気候変動神話」である。3つから成る。@多くの専門家は気候変動と人間の活動は関係ないと信じているA仮に気候変動が今世紀末に起こるとしても、良き方向になるだろうBコスト問題があって化石燃料の規制は明らかにならないだろう。つまり、楽観主義が地球の病を治すことに立ちはだかっていると教授は語った。
 他方で、マリナ教授は、気候変動学者の中で、変動の証拠に懐疑的な人は3%であるとも語り、彼の示す処方箋がパリ協定にも含まれ、実現していくことに安堵している。私は、トランプ大統領がパリ協定脱退にサインした事実を思い浮かべ、マリナ教授に「政治家が3%の否定的な意見に回ったら、科学結果が過半数の民主主義のルールで取り上げられるわけではないから、どうするのですか」と質問をした。
 科学者のプライドをかけて説得していくとのことだ。この問題は右も左もなくコンセンサスを得てほしいが、いかんせん、環境サヨクの道具に使われ、それが逆にマイナスに働いていることも確かだ。高齢者になられたマリナ教授の話のように、静かに理解を広げていくことの方が物事を実現しやすいと考える。

[2018/02/07]
老い



    昨日、ニューヨーク株式市場で暴落が報道された時、もしや、と心を曇らせた人も多いのではないか。エコノミストは、株価の調整時期と見る人が多いが、来年以降はリーマンショック並みの金融破綻がないとは言えない。世界の景気が過熱し始め、中国も大方の予想を裏切って好調だ。先進国の中では、一番低い成長率の日本は、かつての日本を「回復」できるのか、それとも人口減少と共にずり落ちていくのか。
 今、世界経済の舵取りを行っているのは、成功体験のある米、独、英、中、日などの終戦後生まれの政治家だ。トランプは家業の不動産業を発展させ、その方法論であるDEAL(かけひき)を政治の手法としても使っている。法人税など減税に成功して国内のDEALにひとつ勝った彼は、北朝鮮以上に中国とのDEALに勝負をかけるだろう。TPPに加盟するかもしれないとの情報は、やっとトランプがTPPは対中国のルール作りであることに気付いたのだ。「老い」の彼は経験から学ぶと、私はまだトランプに些かの望みをかけている。
 トランプのDEALは政治手法としては歓迎されず、また、「老い」てから政治に登場した彼を老害と決めつける多くの人もいる。長く人生をやれば成功失敗が相半ばし、批判するのは簡単だ。しかし、若い未経験の政治家に比べ、「老い」は国益だけを考える存在であると私は信ずる。フランスの最年少大統領は今や失望の存在であり、仕事はできない。日本でも、若い政治家は不倫と暴言だけが報道され、およそ仕事にならない。
 さて。「老い」を引き出すために政治論議までして回り道をしてしまった。「老い」を拒否し自刃した三島由紀夫と「老い」を享楽三昧に過ごした谷崎潤一郎の二つの対照的な生き方がある。多くの人はそのどちらでもなく、日常の繰り返しの中で衰弱して死にゆくのかもしれない。すると、三つの生き方があると言うべきか。
 最近、画像で、エンゲベルト・フンパーディンク(60−70年代に一世を風靡した英国人歌手、代表曲リリースミー)が80歳を過ぎて妻のアルツハイマ−病と闘っている姿を見た。若き日の彼の、インドの貴公子が如き顔と立ち姿のシルエットの美しさはそこにはなかった。しかし、彼が唄う歌は若い頃よりもはるかに心を打つものであった。彼は今もステージに上る。歌って歌って磨き上げた歌三昧の老後は、谷崎潤一郎型だ。耽美主義である。
 70年代、私がアメリカに住んでいた頃、世界が恋するピアニストとして持てはやされたのがリベラーチェ。クラシックをポピュラーにアレンジし、目にも止まらぬ速さで鍵盤に指を走らせる。彼の奏でるピアノは、あまりにも巧みであまりにも美しい。この上もなく端正で甘いマスクをしていて、ピアノを弾きながら、トークやダンスや歌を披露し、いずれも上品で最高の質であった(派手すぎるとの批判もあったが)。
 ピアニストというより、恐らく日本ではこういうエンターテイメントの分野はないと思われる、エンターテイナーであった。男色家と噂され、87年、それこそエイズが真っ盛りの時代にその病気で亡くなった。何百億ドルの遺産を残したが、彼自身の家族はなく、自らを美しく着飾った舞台衣装と数々の高級車が残った。美容整形や着飾ることで美しいイメージに固執し、男色もエイズもひた隠しに隠した。三島由紀夫型の生き方である。ちなみに、三島も男色家と言われる。
 私は、「老い」を受け止める。「老い」の政治に期待し、「老い」から死への選び方も真剣に取り組む。
 

[2018/01/30]
Society 5.0



総理が議長を務める総合科学技術・イノベーション会議の常勤議員である元東北大教授の原山優子氏からSociety 5.0(ここでは5.0と略す)の実践についてお話をお聞きした。
 5.0の定義は第5期科学技術基本計画によれば、「超スマート社会のこと。必要なもの・サービスを、必要な時に、必要なだけ提供し…<中略>…活き活きと快適に暮らすことのできる社会」である。
 多くの人にとって初耳ではないだろうか。しかし、経済財政諮問会議の2017年骨太方針にも言及され、日本経済再生本部と日本経済団体連合会の2017年の方針にも反映されている。れっきとした我が国の政策目標である。
 具体的な実践例では、AI(人工知能)を使って、事故なく快適にドライブすること、ロボット介護、多様なニーズに合ったものづくり、消費者に農産物の適時自動配送、アレルギー回避の食品提案、スマホによる確実な防災情報、需給調整しつつ電気の安定供給など広い分野にわたる。つまり、AIをど真ん中に置いて、確実性、計画性のある社会が5.0と言うことができよう。
 これらの中身は技術的には既にあるものばかりで、システム化できるかどうかの問題であるように思われる。システム化は、人々の生活に関わる技術ばかりであることを考えると、政府よりもむしろ地域あるいは地方公共団体主導で実現すべきではないか。
 36年前に筆者が住んだ都内恵比寿の家では、既にすべてが全自動になっていた。帰宅前に冷暖房が入る、洗濯機は全自動で乾いた衣服が出てくる、ガーベッジデスポーザー(ごみ処理機)付きの流し台でゴミを出す必要がなかった。しかし、電気代は膨大だったのと、洗濯した衣服はすぐに傷み、また、ごみ処理機は子供を近づけないようにしないと危なかった。さまざまの理由があって、36年前に技術的には既にあった「超スマート生活」は全国的に流行らなかった。
 東日本大震災の時も、実はスマート生活をしている人ほど大変な目に遭った。オール電化した家では、停電の最中、家の中で暖を取れずに車の中で過ごしたという。水道が止まって、井戸を残した家に人々は水をもらいに行った。
 超スマート社会を実現するには、低コストでなければならないし、震災などの事故の場合の対応まで含めたシステム化を図らねばならないだろう。さらに、人口減少社会で人が減っていく地域で、よりスマートに生きたいというモチベーションを維持できるかという問題もあろう。5.0に乗り出す地方公共団体がどれだけいるのか少々心もとない。
 それにしても、政府の宣伝は足りないのではないか。経済政策3本の矢の3番目、成長戦略が何も功を奏していない。5.0はシステムのイノベーションだが、新たなイノベーション産業と並んで、これも成長戦略の要となる。ならば、もっと堂々、政策として広め、大型予算を組むべきではないのか。5.0なんて、誰も知らないよ、安倍さん。
 そして、日本が目指すのは5.0だと国際社会に向かって叫ぶべきだ。既に、G20、OECD、G7などの科学大臣会合で表明していると言うが、話題に上らない。マスコミも書かない。お隣中国では、アメリカがグローバリゼーションから脱退したのをいいことに、一帯一路の国際戦略をぶち上げている。もともとは、TPPによって太平洋沿岸が日米のルール化されるのに対抗して、ユーラシアの内部やアフリカの中国ルール化を狙ったものだが、貿易だけが目的ではない。周辺のインフラ開発に乗り出し、そのためのイノベーションにも巨大な資金を投入している。
 中国の研究開発費のGDPに対する割合は、日本を抜き、アメリカも抜こうとしている。最近、ニューズウィーク等いくつかの経済誌が中国が研究開発をリードし始めたことを書いている。日本人は言う。「何、共産国家で自由に研究のできない中国なんか大したことないよ。ノーベル賞だって今までたった一人だ」。確かに、火薬の発明など唐時代に科学の先進を遂げていた中国は千年以上、この分野では眠り続けてきた。だが、侮っていいのか。
 世界の人々は一帯一路は知っている。が、Society 5.0は誰も知らない。日本人、もっと頑張れ。
 

[2018/01/22]
西部邁氏の死を悼む



   音楽家の不倫・引退会見、相撲界の再びの不祥事、北朝鮮の平昌五輪参加、いつもの喧(かまびす)しい報道の一方、西部邁氏の多摩川入水自殺は殆ど伝えられなかった。
 神経系の病に侵され、頭脳明晰は変わらぬものの、先生は死を予告していた。知識人界、言論界では、巨星墜つ、だ。きら星は流れ星の如く闇に吸い込まれていった。
 マスコミは保守系評論家、と彼を表する。先生はもともと経済学者だが、私には、社会思想家と言った方がピンとくる。社会科学のあらゆる分野で知性を惜しみなく発揮する。芸術も造詣が深い。何よりも、議論を始める前に、言葉の定義を語るが、この深さ、面白さ、歴史観、世界観に驚愕する。
 西部先生はこと民主党に関しては手厳しかった。かなり早い段階で「この党は解体するしかない」と言い放っていた。御自身は、60年安保闘争から足を洗って保守の論客に転じた経験があり、似非(えせ)革新を何より嫌った。民主党は、もともと非自民だけを標榜して、労働組合と松下政経塾が、それぞれ砂糖と塩を競って入れ続け、甘いのでもなく辛いのでもなく、保守でも革新でもなく、議員という地位を得るためだけの坩堝(るつぼ)となった。
 西部先生の予告通り、民主党、それを継いだ民進党、希望の党は解体寸前、今や時間の問題だ。解体序盤に仲間から外された立憲民主党だけが旧社会党再来のような形で残ったのは皮肉だ。
 私が2012年の総選挙で敗北した後、民主党を辞めたのは西部邁氏の影響なしとは言えない。政党も主知主義をとらねばならないとの西部流思想を選び、損得勘定だけの、土台のない政党を忌み嫌うようになったのだ。民主党政権時代に民主党が喜んで使った論客である山口二郎、金子勝、植草一秀、浜矩子などは皆、民主党系から距離を置いている。知識人界、言論界から遠ざけられた政治が成り立つとは思えない。
 西部先生は決して政権寄りでもない。安倍政権にも批判は向けてきた。しかし、右から左までの論客と渡り合い、西洋史に比べ議論の足りない日本近代史を論理的に再考し、自然主義的な日本の思想の基礎は保守主義であるとの確信は揺るがなかった。
 残念無念。西部邁は、もういない。日本の知性の柱は墜ちた。

[2018/01/11]
人口問題元年



2018年が明けた。どのマスコミも今年の課題は、北朝鮮と憲法改正の趣向を伝えている。もう少し踏み込めば、表面的と言われる好景気に対して労働分配率の向上が図れるかが、それに次ぐ課題だ。
 しかし、国家的課題は庶民の生活には遠い。人々は、介護保険料などで減る年金、いつの間にか「エリート」施設になった認可保育所に入れるかどうか、セクハラや不倫や猟奇事件に巻き込まれないか等、心配しながら日々を生きている。身を守ることに必至だ。
 その世相を反映してか、年末年始の街は心なしか静かだった。クリスマスの装飾も音楽も長年経験してきたが、2か月前の「新参」ハロウィーンにすら負けた。浅草寺や明治神宮の初詣客の多くがアジアの言語を話している。日本人は「引きこもり」になったか?松の内が終われば、成人式の日に、着物レンタル会社が負債を負ってトンズラし、若き乙女が一生一度の晴れ着を着る華やかな機会を失った。
 まるで人々が本当は危うい日本を察知し、華々しさから逃げるように、引きこもり状態に入ったような気がしてならない。本当は危うい、とは何なのか。北朝鮮問題は毎日のニュースで伝えられているように、少なくも政府が最優先の課題として取り組んでいるのが見えているが、他に日本の土台を揺るがす社会的問題があって、それは取り組んでいるように見えないことだ。
 人口問題と借金財政だ。昨年は94万の子供しか生まれていない。団塊世代の3分の1だ。借金は優に千兆円を超え、その対策は語られない。この2つは庶民にのしかかっている問題であり、2課題は互いに関連している。人口問題がある程度解決つけば借金は返しやすいからだ。
 AIが発達する世に人口は少ない方が良いとか、外国に借金していないのだから心配無用という議論がさんざん行われてきたが、そんな「ふてくされた」議論のために、人々は委縮してしまったのだ。先ずは人口問題に取り組むべし、それをやらねば消費は回復せず、真実にデフレ脱却はできない。
 社会保険中心に社会保障制度を構築することを決めた1950年、年金と老人医療の改革によって福祉元年と名付けた1973年、最初の少子化対策1994年と最後の社会保障制度である介護保険法1997年。戦後ほぼ20年おきに人々の生活に密着した制度が造られてきた。そう、最後の介護保険法からほぼ20年、今年2018年こそは人口問題に取り組むべき年である。
 



前ページTOPページ次ページ






(↑)このページのTOPへ

プロフィール 日々雑感バックナンバー 後援会募集 HOME

(C)2009. HIROKO OOIZUMI. All rights reserved.