元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2019/12/11]
日韓共通の課題ー少子化



 現在、日韓関係が最悪であることは、両国ともに認識している。一方が他方を訪れるときに、「日本に行って大丈夫か」「韓国に行かない方がいいのではないか」と近しい人に心配されるのが、両国の誰もが使うジョークになっている。
 多くの人は、「悪いのは政府対政府の関係であって、人々はそれほど相手に対して悪感情を持っていない」と付言する。その発言の基礎は、両国は究極の似た者同士であり、文化的道徳的慣習的に感情を享有するからだと考えられる。両国の違いを特筆する人もいるが、圧倒的に共通点が多いと筆者は思う。
 今、両国が抱える最大ともいうべき共通の社会問題は少子化である。韓国は、2018年に合計特殊出生率が1を割ったが、本年の速報によると、さらに0.9も下回ることが伝えられている。日本もまた、速報によれば、2019年出生は初めて90万を割ることが明らかである。
 韓国のこの数字は世界最低である。台湾、香港、シンガポールもかろうじて1を上回っている程度であり、日本は昨年1.42であるものの、出産適齢期の女性の減少により、下降線は避けられない。
 少子化現象は東アジア共通であるとともに、ギリシア、イタリア、スペインなどの南欧の問題でもある。最近、ドイツが低出生率のカテゴリーから抜け出した。低出生率は、家族を大切にする文化を持つ、東アジアと南欧において顕著である。そのような社会に対応した政策が行われてきたか。
 日本では、89年の1.57ショック以来、少子化政策に取り組んできたが、初動政策(94年エンゼルプラン)が保育所中心だったので、未だにその域を出ることができずにいる。韓国も同時期に出生率の低下が始まり、アジア危機を乗り越え、V字型回復を図った後の2000年代は著しく低下している。V字型回復以降の、女性の社会進出や結婚観の変化が原因と分析できる。
 韓国では、乳児の社会保育40%を目標にし、多子家庭支援からすべての児童を対象にした支援対策に切り替え、移民政策については、本年スタートした日本より早く規模も大きく、門戸を開いている。しかし、既に、社会保育の拡大が出生率の増加につながらないことを認識し、より大きな社会システムの構築を課題としている。
 韓国の少子化に対する緊迫感に比べると、20年以上も保育中心の、予算の少ない少子化政策を行ってきた日本は猛省すべき時期が来ている。フランスやスウェーデンの家族政策が成功すればそれを模倣しようとしたが、結果は財政難を理由に実現できず、イギリスがワークライフバランスなど家族政策に加え、親の労働も含めた総合的な少子化政策に成功すればそれを模倣しようとしている。しかし、国情の違いは大きく、もはや模倣の段階でないことを知るべきである。
 韓国は人口減少で国が縮小するのを脅威に感じている。だからこそ、文政権は北との統一を焦っているのかもしれない。他方、日本は、出生率の最も高い沖縄県に外交上の犠牲を強要しつつ、出生率の高い原因やそれにつながる政策を分析できていない。
 日本も韓国も、少子化を単発の社会政策ととらえるのではなく、今や国力との関係で、大きな構想、大きな予算を実現しなければ、国は亡ぶ。
 

[2019/11/20]
制度が変われば社会が変わるー世界こどもの日に寄せて



 11月20日は、国連が定めた「世界こどもの日」。1959年の児童権利宣言、1989年の児童権利条約の国連における採択も11月20日に行われた。日本も、児童権利条約の発効は1994年11月20日である。しかるに、1954年、国連が加盟国に子供の日の制定を促したことから、日本は子供の日を5月5日に制定したため、今日が世界こどもの日であることを知っている人は少ない。
 
 現在国連が掲げるSDGs(持続する発展目標)17のうち、飢餓、貧困、医療、教育の分野では子供が最優先の課題であることは疑いを差し挟む余地はない。そして、子供の権利擁護機関の筆頭に当たるのがユニセフ(国連児童基金)である。

 筆者は80年代半ば、厚生省からユニセフの中北部インド事務所に出向し、3年余を開発援助の分野で働いた。現在、ユニセフは子供の権利を重視し、SDGsを目標にして活動している。筆者が働いていたころのユニセフは、GOBI−FFという目的であり手段でもある援助哲学を掲げていた。

 その内容は、成長記録(G)、哺水療法(O)、母乳(B)、予防接種(I)、さらに、家族計画(F)、出生率(F)であった。予防接種を除けば、お金のかからない援助方法であり、優れた内容である。しかし、今から思うと、80年代は、子供のインフラ(衛生、教育、福祉)整備は戦前の植民地支配の尻ぬぐいであり、家族計画などは70年代に叫ばれた人口抑制を念頭に置いたものであった。

 当時は、W.W.ロストウの唱える、インフラを整備することにより、開発途上国はテイクオフ(離陸)し、発展すると考えられていたが、現地で仕事をしながら、その日が来るとは信じられなかった。国連機関としてできることはまさにバケツの中の一滴でしかなかった。

 しかし、あれから30年以上たち、インドは国内総生産世界7位の国に発展した。80年代は眠れる巨象と言われていたインドだったのだ。中国もまた国内総生産世界2位の国になり、2030年にはアメリカを抜いて1位になる。80年代には眠れる獅子と言われていた。象も獅子も起き上がった。きっかけは、インドは、ソ連崩壊から、東寄り政策をやめ、市場原理を重視する政策を採用したからだ。中国は毛沢東の死後、ケ小平が、政治は共産主義でも、経済は特区を利用しながら資本主義を採用したからだ。

 制度が変われば社会は変わる。少しづつ国連や政府がインフラ整備をしていたのとは違い、人々の行動が変わり、社会全体が動くようになったからだ。もはやロストウの経済発展論は見当たらない。ついでに、暗黒大陸と言われてきたアフリカにおいても、南アフリカは、アパルトヘイトを廃止し、マンデラ元大統領によって急速に発展した。まさに制度の変換が国を一変させた例である。
 
 小さな呼び水が発展につながるのではない。大きな制度変換が一躍発展させると筆者は信じてやまない。翻って、日本の福祉を鑑みれば、1997年の介護保険法、2000年の社会福祉法は、それまでの施し(措置制度)から市場原理(社会保険による権利)の制度への変換をもたらした。市場原理になじまぬの理由で、児童福祉と障害福祉はこれを回避したが、老人福祉である介護の世界は、これを受け入れ、権利化したことにより、法の施行から20年近くで、9兆円の介護産業を作り上げた。

 制度は人の行動を変え、社会を変える。筆者はそう信じている。世界こどもの日の今日、いじめも虐待も子供の貧困も一向に政策的な前進が見られない状況の中で、児童福祉や教育の世界も、もっと競争原理を取り入れ、リスクと思われるほどの制度変換を望んでならない。

[2019/10/16]
韓国の先にある中国



 韓国の曹国法相が辞任して、いよいよ文在寅政権は危機状態に陥ろうとしている。この状況は、筆者が民主党政権に与していた時代に酷似している。民主党(当時)は、政権交代を頂点に党勢が日々下り坂になり、辺野古基地移転問題、尖閣諸島中国漁船衝突事件、東日本大震災における福島原発事故の対応などで目くるめく拙劣さを表し、野田元首相のヒステリー解散を極め付きにして総選挙で惨敗を期した。文政権は最早この轍を踏む以外の何物でもない。

 実は、文政権と当時の民主党とは外交政策が似ている。文大統領が目指すところは、大国アメリカと中国との間に立って、韓国がバランサーとなり独自外交を築きたいのだ。旧民主党も脱「アメリカ一辺倒」で中国寄りを重視していた。韓国の場合は、バランサーとなる手段として、北と統一し、人口7千万の大国を作って、北の資源、南の技術を以て繁栄を目指す。むろん、文大統領だけでなく、朴槿恵前大統領も、保守政権とは言え、中国に近づいて米中の間に入る外交を試みていた。しかし、文在寅大統領の場合はあからさまにその意図を表明しているのである。

 米中貿易戦争が真実には大国の覇権争いであるという認識は定説化している。それを知らぬかのように、文大統領はGSOMIAの廃棄など、アメリカの虎の尾をわざわざ踏んで危険極まりないことをやっている。アメリカが文大統領の意図を許すわけがない。

 他方、文政権が本気で中国に近づいているかと言えば、そうではあるまい。そもそも歴史上中国大陸の王朝の属国だった韓国やベトナムは中国を好ましい存在と思っていない。米中両大国のバランサーになろうとするのは理想的過ぎて、リアリストが占める国際政治の世界では不可能と言うべきなのである。

 その点では、安倍政権のように、日米同盟を強固なものにし、貿易協定では、譲歩しすぎるほどアメリカに従順であるのは、国際政治の舞台では現実的で正しい方法なのだ。国際関係は理想を掲げる場ではない。旧民主党と同様、文政権はそれを知らないと見える。

 さて。最近、北京、重慶などで事業に大きな成功を収めた中国の一行に会う機会を得た。中国は今、アメリカに譲歩するよりも踏ん張って、2020年代後半にはアメリカのGDPを抜き、IT、AI、5Gの分野で世界トップを目指している。一党独裁で政府の決断が早く、成長産業には国のバックアップも得られたため、事業の成功者は、桁外れの富も得ている。

 しかし、意外だったのは、成功者たちが口をそろえて、少子高齢社会に進む中国の次のビジネスは介護事業だと言ったことだ。実際にそのために日本に視察に来ている。筆者は数年前、中国で介護施設や介護士養成学校を作るための日本側の仕事に若干かかわったことがあるが、中国の老人ホームは、台湾資本などが多く、要介護に至る前の「老人の遊び場」というコンセプトである。したがって、老人ホームは終の棲家ではなく、最後は自宅で死を迎える。つまり、日本の介護施設などを見学しても役に立たないのである。

 中国が少子高齢社会で目指すビジネスは、高所得階層に限られてくる。なぜならば、介護保険も医療保険も整備されていないので、老後には、膨大な金がかかるからだ。他方の少子化のほうも、2015年に一人っ子政策が廃止され、共産党幹部などは2人生むように奨励されている。しかし、教育費が大きいので、一般の人は2人生みたがらないと言う。なぜなのだ、共産主義国ではないのか。医療も教育も金がかかりすぎると言うのが共産主義国の悩みとは理解できない。
 
 韓国人も中国人も、我々と同じモンゴロイドで顔は似ている。しかし、お互い理解し合えているとは思えない。むしろ、筆者がかつて住んだ、アメリカやインドの方が、知識人の学問がアングロサクソンのものであり、日本と共通しているため分かりやすい。ただ、韓国と中国を比べると、日韓は、違いが強調される傾向があるけれども、共通点がはるかに多く、上述した外交でも見たように、今の韓国と旧民主党は相似形だ。それに対して、同文意識の強い日中は、ほとんど共通点はない。まったく違うと思って付き合った方が、無駄な軋轢は生まない。

 どうせ同じ顔をした我々なのだから、韓国とはそこそこ分ろうと努力し、中国とは絶対分かり合えないが共通の利益をみつけていくという姿勢が必要だ。

[2019/10/09]
気候工学の可能性



 昨日、機会を得て、ハーバード大のデイビット・キース教授の講演を拝聴した。教授は、地球温暖化防止の大規模技術である気候工学(ジオエンジニアリング)の専門家で、ハーバードではケネディスクール(行政大学院)でも教鞭をとり、政策発言も重視している。

 教授のプレゼンはDAC(二酸化炭素の直接空中接収)の工学的説明が主であったが、門外漢の筆者にとっても、産業をこのまま維持した場合、二酸化炭素排出制限した場合、そしてこのDACの技術を応用した場合を比較すると、画期的に、DACの地球温暖化阻止の威力を感じさせる。

 もっとも、気候工学は、様々な方法論が学会で主張されているが、まだ発展途上にあることや、むしろ化石燃料使用を容認する結果を招くとの批判も出ているのが現状である。また、この欄では、かつて、筆者はCCS(炭素接収貯蔵)について紹介したことがあるが、CCSと同様、これら先進工学の応用はコストの問題も解決できていない。

 キャノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹は、キース教授のプレゼンを受け、DACのコストが年150億ドルで日本の二酸化炭素を10%減らすことができるのならば、現在の再生可能エネルギーの賦課金は年3兆円だから、コストパフォーマンスは悪くないと付言。

 しかし、杉山昌弘東大准教授は、物理学的に気候工学を批判する観点から、二酸化炭素の空中含有については千年単位で考える必要があり、技術的に一旦地球を冷却する効果が出ても、その後気温が急上昇する可能性を指摘した。つまり、技術的には、道程は遠い。

 杉山東大准教授のお話で面白いと思ったのは、開発途上国のほうが気候工学の実験に積極的な姿勢をとる傾向がみられ、また、この分野の技術発展は、日本、中国及び韓国が、科学先進国が進めていくべきととらえているとのことだ。この言をあえて解釈すれば、温暖化先進技術に自信のある欧米が行えばよいということになるか。さらには、開発途上国は、欧米にキャッチアップするまでは、化石燃料を使わしてもらうということになるか。

 杉山准教授は、日本を始め儒教ベースの国においては、科学技術に対する観点が異なると指摘する。他方、キース教授はそうは思わないと発言した。現実には、気候工学は欧米で盛んであり、確かに日本を含め儒教ベースの国では、欧米に任せていると言えるかもしれない。夢物語に手を出さないのか、それとも先進科学に乗り遅れるのか。

[2019/09/23]
科学者の心



 筆者は連続して気候変動の勉強をしているが、今回は、羽角博康東大大気海洋研究所教授のお話を聴く機会を得た。先生は海洋物理学と気候力学が専門で、海洋大循環のモデリングや気候変動の物理を数学を使って解明している。
 今回は、自然科学以外の会議参加者もいたことから、数式を使ったシュミレーションよりも、海洋の莫大な二酸化炭素吸収力が減退していくこと、海の酸性化が海洋生物に悪影響を与えていること等、気候変動に関する政策に警告を与える内容であった。
 深層海流の存在は、この欄でも既に書いてきたが、今回、驚いたのは、先生が気候変動を専門とするに至った動機である。先生は70年生まれ。72年に書かれたローマクラブの「成長の限界」を読んで感動し、人間が地球を壊さない科学の方向に行きたいと強く思って、この学問を選択した。
 筆者は、「成長の限界」についても、この欄に書いた。それこそローマクラブ発表から間もない75年、ミシガン大学大学院でその本は教科書として使われた。2年前、著者デニス・メドウに会うことができ、黄色くなった昔の本にサインをしてもらったのだが、メドウの予想は全く当たらなかったのだ。彼は、「今も自分のシュミレーションは正しい」と主張していたが、農業とエネルギーのイノベーションは少なくとも今日まで地球の破壊を食い止めてきた。
 科学者は、高い知性とともに、地球上に生息する人間でもある。湯川秀樹博士が素粒子論を研究する一方、核兵器反対の運動に身を投じてきたのはよく知られる。羽角先生も、産業革命後の特にこの百年の間に、人間が化石燃料を使って気候変動を招いてきた事実は、いかに我々が氷河期に向かっているからと言っても、人間の活動を放置する理由にはならないと筆者の質問に対し、明答した。
 科学者が集まる最近の国際会議で、ノーベル賞学者であるマリナ・マリオ博士が言ったのを覚えている。「97%の自然科学者は気候変動は人間の使った化石燃料が原因だと信じている」。だとすると、自然科学者はむなしくないか。アメリカはパリ協定から離脱し、付和雷同する国もある。
 科学者は政治的偏向を嫌うであろう。また、科学と相容れぬ宗教に傾倒することも嫌うであろう。だから、心を隠して研究に勤しむ。政治や宗教の入り込む余地のない数学や物理だからこそ、あたかも深層海流のごとく、深層心理において、政治が誠実な方向性を出すことを科学者は強く願っている。

[2019/09/11]
議員定数・官僚定数の削減



 行政改革を看板にしていたみんなの党が解散してから、議員定数を標榜する政策は聞かなくなった。しかし、小選挙区が定着し、官邸中心政治が当たり前になった現在、与党の麓に存する議員や、一向に優れた対立軸を作れない野党議員の多すぎる数に注目すべきである。

 国会会期中に北方領土で酩酊した議員の行動は氷山の一角であり、内閣や重要な党務に関わらない大多数の議員は政治参加ができない、また、能力的に自ら立法や政策の提案ができない状況にある。だから、不行跡に走るのだ。それは与野党を問わない。

 小選挙区は政党の力で当選するから、選挙が安泰な政党もあれば、政党名を隠さないと活動できない政党もある。彼らの演説は、したがって、「皆様の声を国会に届けます」の一点張りだ。党の方針と異なる演説は許されないし、そもそも自ら訴えたいものを持っていないのである。経歴を見れば歴然だ。専門性を積み上げた人生を送っていない、議員になるための議員だからである。

 また、官邸中心政治は各省の専門性を低下させている。専門の積み上げではなく、政治的に官邸が先に決めるという図式が官僚の意気を削いでいる。その官僚自身、90年代から、人材が低下している。大学では、優秀な学生は外資系に流れ、官僚志望は中堅と言われて久しい。
 
 事務次官のセクハラ事件、幹部の忖度行政を目の当りにしながら、官僚の麓にいる人間もまたモラルの低下が当たり前となっている。会議また会議の繰り返しで、実世界とかけ離れたバーバルコミュニケーションが行われている。したがって、話す日本語はうまいが、中身はない。財務省も経産省も農水省も同じようなイノベーション政策を「ポンチ絵」に描いて説明に現れる。

 議員だけでなく、官僚も多いのが目につく。しかも、2−3割は精神異常で戦力から外れているとさえ彼らの中で言われている。しかし、議員や官僚が多すぎると言うと、先進国の中では多くないと反論し、確かに、どちらも突出して多くない数字が掲げられている。

 さて。多くの人が心に思い、決して実現されてこなかった提言をしよう。まず、国会議員を減らす第一歩は参議院をなくす。第二の衆議院になり下がった参議院に今更「良識の府」は期待できず、息の長い重要な法律や政策に取り組む姿勢も見られない。直近の参議院選挙の投票率の低さは、有権者が「参議院に投票したって、何も変わらない」と消極的だからなのだ。

 次に、官僚の減らし方だ。多くの規制を緩和することが一番である。許認可に関わる官僚が多すぎる。次に、お抱え学者の審議会は廃止し、民間のシンクタンクに学問的・技術的評価を得る制度をつくる。忖度政治を減らすにもこれらの方法は役立つ。

 人々は目に見えた改革を待ち望み、消費不況の長いトンネルから出られない日本に希望を与えてくれるのは、その「目に見えた」ものだけでしかない。N国党首が参議院選挙より以前に流山おおたかの森駅で演説をしていたのを聞き、「目に見える」改革を語るすごさを感じた。NHKに不満を持つものもかなりいる中で、そのシングルイシューで国会まで出てきた彼の情熱と勇気は、今の時代が求めているものだろう。

 議員定数と官僚定数を削減する主張のできる政党が出てくるべき時だ。

[2019/08/23]
少子化の家族的要因



 筆者は、90年代における厚生省児童家庭局の課長時代の経験をもとに、少子化政策の講演講師に呼ばれる機会が多い。少子化は、経済的要因(非正規雇用が多くて、若者が結婚できない)、社会的要因(結婚の意味が薄れた)によるマクロ的な説明が一般的であるが、落としがちな観点がミクロ的な「家族の要因」である。
 
 家族社会学では、山田昌弘法政大教授が、結婚するまで「親の子供」というアジアに共通な日本の社会が、親にパラサイトする生き方を選択し、生活レベルを落とす結婚から若者を遠ざけると説く。日本国中にたくさんのパラサイトをもたらし、痛ましい事件にまで発展した例が元事務次官の息子殺しである。ミクロ的な「家族の要因」を探るのは、もうひとつ、心理学・精神医学からのアプローチが必要だ。

 昨日、時宜を得たかのように、亀口憲治国際医療福祉大学大学院教授の家族療法のお話を聴いた。先生は80年代初頭、ニューヨーク州立大学フルブライト研究員の時に、アメリカ社会が家族崩壊の危機に直面し、アメリカで発展した家族療法をライフワークに選び、今日、日本における家族療法の第一人者となった。しかし、先生自身が言われるように、日本では、家族療法は弱小分野であり、国の予算がつくこともなく、アメリカのような発展は望めない。家族療法を行う臨床心理士などは極めて少ない。

 家族療法とは、簡単に言えば、個人のカウンセリングでは問題解決にならない場合、家族全体がカウンセリングに登場して、問題の根幹を洗い出す療法である。家族関係を見直すことによって、病原を発見するのである。母原病もこれにあたるだろう。夫婦間、親子間の真の問題、病因を明らかにし、これに対処する方法を得る。精神医療の薬物医療の対極にある処方だ。

 筆者は、70年代半ばにアメリカに留学し、アメリカ社会における家族の崩壊を目の当たりにした。離婚、再婚、連れ子、性的虐待、性的倒錯などが社会問題であった。これはウーマンリブが原因なのではない。むしろ家族の問題に失望した女性がウーマンリブにそのエネルギーを注ぐようになったのである。
 
 しかし、アメリカはプロフェッショナリズムの国である。これらの社会問題を新たな心理療法である家族療法を以て大々的な取り組みが始まったのである。当時、日本は戦後30年経ても、戦前の家族の枠組みが残り、アメリカの状況を対岸の火事としか見ていなかった。

 ところが、あれから半世紀経った今はどうか。離婚、パラサイト、引きこもり、児童虐待、介護殺人など家族の問題が70年代のアメリカ以上に噴出している。アメリカと違って、日本では家族の問題はタブーだ。自分たちでひそかに解決を図ろうとする中、事件に発展する場合がある。家族そろって家族療法を受けようとは考えないし、また、受けたくても、施療してくれるところが極めて少ない。日本は、児童虐待の事件がいやというほど世間を騒がせてもなお、プロフェッショナルに問題を解決する道を取らない国柄なのだ。
 
 さて、少子化問題に焦点を当てよう。少子化のミクロ的な問題点は、一つは家族社会学、そして家族療法が引き出す心理学が教えてくれる。70年代、団塊世代が結婚ラッシュだった時には、戦前の親から教えられた結婚の枠組が残っていたが、団塊世代はそのジュニアに、自分の見果てぬ夢を託した。大卒が2割時代の世代だから、子供には大学受験を強制し、かつては金持ちだけがやっていたピアノやバイオリンを習わせ、ジュニアたちは時間を奪われた。
 
 団塊ジュニアは、長じてから「本当は自分の夢は何だったのか」と迷い始める。その上に、親世代より日本経済は悪く、就職氷河期にも遭遇し、自分の家族を積極的につくる理由が見出せなくなるのである。親に強制された人生の延長がパラサイトなのかもしれない。団塊ジュニアは今や40代半ば、既に人口生産力は極めて小さい。家族療法は間に合わなかったのだ。

 団塊ジュニアの次に来る世代に、もしそんなものがあるなら、予防的家族療法を広め、健全に日本社会を保っていくべきと筆者は考える。

[2019/07/26]
結論より論理を



 この1年、気候変動をテーマにした会議に出席する多くの機会に恵まれた。二酸化炭素による地球温暖化は、ある国際会議では世界の97%の科学者が正しいと信じているとの報告も聞いた。しかるに、トランプ大統領は「その説は信じない」と断言する。なぜなのか。
 
 それは、地球の気候変動には、何億年のサイクルと、ミランコビッチサイクルと呼ばれる10万年単位のサイクルと数万年単位の寒冷化サイクルがあり、その大きなサイクルの中では、地球はむしろ寒冷化に向かっていると考える学者がいるからなのだ。トランプはそれを根拠にしているはずなのだ。
 
 しかし、我々ホモサピエンスの歴史は、20万年前にアフリカで進化し、6万年前に世界に広がっていったと考えられている。文字を作り、社会を作り、自ら食糧生産をし、文明を築いたのは高々1万年以内だ。未来に向かってもあと1万年続くかどうかは神のみぞ知る世界であろう。ならば、何万年ものサイクルで気候変動を語るのは意味がない。
 
 それよりも重大なのは、我々が化石燃料を使うようになり、産業革命後300年、特にこの100年は、急激に二酸化炭素の排出量が増え、異常気象、農業の危機、海に溶け込んだ二酸化炭素による海洋酸性化がサンゴ礁など石灰化生物の絶滅を導いているという事実だ。つまり、人為によってあまりにも「急速すぎる」変化が起きていることなのである。

 今再び宇宙開発の国際競争が始まっているが、地球の隣の火星や金星の探索が進められる中、我々地球が唯一生命体を維持してきたのは、火星や金星と異なり、太陽との位置関係で、二酸化炭素がサーモスタットの役割を果たし、生命体が維持できる温度が保たれてきたからなのだ。

 ならば、簡単だ。世界で二酸化炭素排出を抑える協力をしていかねばならない。人類全体のためだ。トランプ大統領のパリ協定離脱は「そんなエゴ」認められないというべきであろう。しかも、人類は、どんどん美食家になり、野菜系よりも肉=たんぱく質を摂取し、たんぱく質の形成には大量のエネルギーが必要であり、回りまわって二酸化炭素の排出を多くする。

 しかし、悲しいかな、たんぱく質を摂らねば人間は賢くなれない。近年の認知症の研究でもたんぱく質の摂取との関連が指摘されている。地球温暖化をどうすべきか方策を考えるにも、矛盾同着だが、せっせと美食しなければ考えつかないということになる。

 ただし、「二酸化炭素はよくない、環境を守れ」は「デブはよくない、健康を守れ」と同じで、結論だけの押し付けだ。下手すれば、単なる政治スローガンになって「環境守れ、健康守れ」と叫ぶオバチャンが増えるだけになる。違う、違う、結論だけでなく、論理を我々に納得させなければならないのだ。

 もしかしたら、我々は氷河期に向かっているかもしれないが、急激な二酸化炭素排出は、我々を「火遊び」で滅亡させるかもしれない。以上は、過日、川幡穂高東大教授の気候変動のお話を聴きながら、思いを深めたことだ。

[2019/07/10]
トマトのGABA



 過日、江面浩筑波大教授、つくば機能植物イノベーション研究センター長のお話を聴く機会を得た。先生は主にトマトを対象に次世代遺伝資源の開発、その分子機構解明を通して人類の食料の質的量的拡大を追求する。また、先生は全国のみならず中国など海外でも啓蒙活動に大忙しである。
 
 遺伝子組み換えは厳しく規制する傾向にあるが、先生はこれとは厳密に異なる、ゲノム編集という技術を使う。前者は、遺伝子の数を増やすのに対し、後者は遺伝子の数は元のままである。したがって、ゲノム編集の規制のほうが緩い。

 いずれノーベル賞といわれる、アメリカで開発されたcrisper-cas9というゲノム編集技術によって、トマトの日持ち性、高糖性、機能性物質の蓄積などの画期的な改良が行われる。crisper-cas9は、自然界で大腸菌が果実に作用した方法を技術にしたものだ。
 
 先生の研究から、トマトにGABAと呼ばれるアミノ酪酸の一種が高蓄積される品種が作られた。GABAは血圧を下げる働きを持つ。これは、朗報である。最近、日本高血圧学会が、アメリカのデータを用いて高血圧の定義を変え、高血圧予備軍が増加する見込みだからである。

 しかし、降圧剤には、副作用も報告されている。そもそも高血圧は病気ではなく、心臓病などのリスク要因にすぎない。だとすれば、東洋では、昔から医食同源の考えがあるのに従って、食を通して体質改善できればそれに越したことはない。トマトはその有力候補になる。

 江戸時代、食糧増産のため、青木昆陽が普及させたサツマイモは、自然界で微生物が根のDNAに入り、ゲノム編集されて根が太くなったものだという。トマトは、原産はペルーで小粒だったが、スペイン植民地時代に欧州に運ばれ、今では数えきれない種類に改良されている。

 日本は、トマトを食べ始めて百年、トマト好き国民らしい。団塊世代の筆者が子供のころ食べた小ぶりの酸っぱいトマトは現在市場にはない。見目が美しいだけでなく、GABAのような機能を持ったトマトは身近なイノベーションである。江面先生の研究にさらに期待したい。

[2019/07/06]
児童虐待に有効な政策とは



 最近再び、児童が親の虐待によって死亡する事件が相次いでいる。児童相談所が虐待の存在を把握していながら、児童を死に追いやったケースは憤懣やるかたない思いである。
  
 児童虐待や少年犯罪は社会を騒がせ、制度改正がそのたびに行われるが、しばらく沈潜し、再び同様の事件が起きるという循環の「波」の中にある。なぜ根本解決が図られないのだろうか。

 福祉は、医療と同様、「予防」が難しい政策分野である。事件が起きるたびに、虐待の可能性のある家庭に介入する「アウトリーチ」事業が試されてきたが、そもそもアウトリーチは法制化が困難である。予防的に家庭に入り込むことが簡単には許されないからである。

 日本では、児童虐待は児童福祉法を中心に、行政の役割が大きい。欧米では司法介入が大きく、その違いは、行政は裁量範囲が広く、司法はより権力的に対応する。悪い言い方をすれば、行政の「介入しなくてよい」裁量行為は起こりやすい。従来行われてきた議論は、「日本も司法手続きを強化すべき」であり、実際にその方向に向かってはいる。

 しかし、手続き的な解決以上の問題がある。福祉では、虐待児の家族再統合を究極の目的とするが、家庭「信仰」は危ういと筆者は考える。虐待が発生する背景には、親の軽度な知的障害や精神障害、親自身の生育時トラウマなどが必然的に存在し、「あたりまえの家庭」に戻すという考え方自体が理想に走りすぎている。社会養護や新たな家庭の提供などを整備するほうが現実的である。

 以上は、現制度を前提にした議論であるが、これまでも少しづつ前進し、児童相談所への通告も年々増加し、体制の強化も図られてきた。しかし、根本的な解決には程遠い。だから、同じ事件が繰り返されることになる。より根本的な解決方法として、児童虐待を含む要保護児童政策を民間に委ねることも考えられよう。

 福祉は内務省時代からの警察行政である。しかし、1997年の介護保険法、2000年の社会福祉法は、福祉を警察行政の根幹である措置制度から民間市場に移行させた。その時点では、保育所はその流れになじむと考えられたが移行せず、まして要保護児童政策が民間に移行することは問題外であった。

 しかし、警察行政で行われている限り、虐待のような家庭の奥で行われているものに対応できない。要保護児童政策は基本的に都道府県管轄であり、広域で行う以上は需要が見落とされがちだ。また、第一線の児童福祉司をはじめ人材が頻繁に人事異動し、定員も大幅に増やすことはできない。民間に委託し、時間制約もなく、地域制限もなく、また人材の年齢制限もなく、機動的に対応できる体制を作ることは一考に値する。現に、イギリスではこの方法をとっている。

 また、日本の社会では、児童虐待、少年犯罪、あるいはセクハラのような社会問題に徹底的な議論が行われていないと筆者は思う。「そういう犯罪者は特殊な人であり、自分は関係ない」と思っている人が多い。「かわいそうだ」で、すべて終わってしまう。

 1990年代、筆者が当時の厚生省児童家庭局の課長をしていたころ、児童行政に参考になったのは、アメリカの映画だ。障碍者が人生の幸運をつかむ「フォレスト・ガンプ」、非行少年が性的虐待を受けたかつての看守に復讐する「スリーパーズ」など、ハンディを持った人々の生きる力を描いたものが多かった。日本の社会も、児童虐待をはじめとする社会問題に対し、「かわいそう」は止め、積極的な克服に向けての文化を養成していくべきだ。



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