元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2018/09/10]
少子化政策の提言



 標記について、あるシンクタンクに提出した文章を、容認を得て掲載することにしました。右アイコンからアクセスしてください。

[2018/09/07]
子供の「自由」



 昨日、内田伸子お茶大名誉教授の話を聴く機会を得た。題は「子供の養育環境改善の提言」。発達心理学を専門とする先生が長年に渡り着実な研究を積み上げた「子育てと教育の在り方」議論だった。
 内容を概括すると、子供の脳の発達による認知革命は、生後10か月頃、5歳の後半頃、9〜10歳頃の3回起きる。
 一回目の赤ちゃんの時に、気質が決まる。人間関係に敏感な「物語型」は女児の80%、モノの動きや因果的成り立ちに敏感な「図鑑型」は男児の80%を占めると言う。これらが病的に(極端に)表れるときは胎内での発達異常が原因である。ダウン症、自閉症、LGBTもここに原因が求められている。
 言語の習得により、ウラルアルタイ語族(日本語)と印欧族(英語)の違いが出る。日本語は「そして、こうなった」という時系列因果、英語は「こうなったのは、なぜなら・・」という結論先行の因果で成り立つ。このことが、討論に強い英語圏と弱い日本語の差をもたらす。ただし、研究では、意識すれば日本語でも討論重視の話し方ができるという結果を得ている。
 親の躾は、子供との感情共有型と強制型に二分される。共有型は子供の自由を尊重する方法である。比較研究の結果では、共有型の子供は有意に語彙が多く、長じて高い資格などを取る可能性が高い。塾や習い事は子供が自ら望まない限り、脳の委縮など逆効果である。
 英語教育は、海外子女の研究により、母国語の基礎を築いてから外国語を学ぶ方が修得が早く、小学校の低学年までは、母国語を確実にすることが肝要である。教育する側の環境も整っていない状況の中で、小学校低学年から英語を導入することになった政策は一考の余地がある。
 上述の議論は、科学的にもサンプル数の多さでも、非の打ちどころのない研究成果であり、納得のいくものであった。しかし、出席者の中で、小学校の教員を務めた経験のある方が「これでは、子供に何も教えるなということではないか」と憤懣を表した。
 筆者は、日本の社会では、内田理論を実践するのは難しいと考える。日本のような権威主義的な社会では学歴や有名企業の肩書が重要であり、学校の先生はアンチ・リベラル(戦後日教組の反動)であり、家庭では、一人か二人の子供しかいないから失敗ができないとの考えから、手っ取り早い「強制型」子育てや教育に傾きがちだ。
 人口を増やす少子化政策は「量」の問題だが、教育や躾は質の側面を解決する。これからの少子化政策は、その意味で文科省の役割が大きい。今も保育所待機児童ゼロが少子化政策のメインとは情けない話である。自由を奪われた今の日本の子供たちが、若者になって「革命」をおこすであろうか。多分それはない。人口、経済、そして若者の夢も小さくなっていくのが日本の運命だ。子供に自由を返し、感情共有型の躾と教育を必死で望む。
 
 
 
 

[2018/08/11]
地球の裏側から



 国連NGO団体の御厚誼で、ブラジル・サンパウロに行く機会を得た。サンパウロは2002年、サンパウロ大学のシンポジウムに招かれて以来、16年ぶりである。
 16年前、在日の日系ブラジル人の年金掛け捨て問題がテーマで、日系人に優先的労働ビザを発した日本政府が、日系ブラジル人の年金掛け捨てを看過しているのをブラジル政府は怒っていた。サンパウロ大学のシンポジウムは激論になった。幸い、日伯年金協定が成立し、筆者が衆議院外務委員会の委員だった2012年に批准された。筆者はこの問題に縁があったのである。
 今回の会合で、筆者はこの問題に触れ、また、第二次世界大戦中、両国は交戦国であり国交断絶もしていたが、これらの過去のわだかまりは解決し、互いに友好関係にあることをスピーチした。もうひとつ、昨年の国連女性の地位委員会のモニタリングに参加し、日本もブラジルもGEM、即ち、女性の社会進出が遅れている事実を改めて認識したことも付け加えた。日本とブラジルの知られざる共通点である。
 今世紀初頭からBRICSと言われ、ブラジルは目覚ましく発展を続けてきたが、周知のとおり、前大統領の弾劾、経済の低迷で、現在は苦境にある。10月には大統領選挙を控えているが、予測を阻むほど混迷している。しかし、ブラジルはたくましい。同じ資源国オーストラリアなどと違って、航空機や自動車産業など工業国として発展している。自国生産のトウモロコシを使ったエタノール入りガソリンを使うなど、世界に先駆けた技術も持つ。
 ブラジルの発展に尽くしてきたのが1908年に始まる日系移民である。日系人はあらゆる分野で活躍し、敬意を持たれている。その日系人が造ったサンパウロ病院は日本製医療機器の導入を優先し、日本から学んだ衛生管理の行き届いた綺麗な病院である。社会保険制度は日本のように完備していないが、医療チームが常勤ではなく、ローテーションを組んでさまざまの病院を回ることにより、医師不足の解消に努めている。
 病院長に、「ブラジル人の死因は何ですか」と聞いたら、勿論、癌や心疾患や肺炎なのだが、病院長はおどけて、「殺人です」と答えた。麻薬組織の関連で殺人が増えているブラジルの実態である。
 BRICSの国々はそれぞれ問題を抱えているが、ブラジルは、ラテンアメリカ一の経済力と人口を持つ、ラテンアメリカの星である。世界をリードしていく可能性も秘めている。ロシアもインドも中国も日本に近いが、時差12時間、まさに夜昼逆の、地球の裏側にあるブラジルに親しみと期待を抱いた機会であった。

[2018/07/30]
安倍政権と官僚・天皇



 文科省の行政が停滞している。言うまでもなく、重なる幹部の逮捕である。司法の裁きがあるまでは、「だから、文部省は・・」というのは早い。
 文科省や厚労省のような非経済官庁は、経済官庁と違って、なべて人材はおとなしく、仕事も私生活も慎重である。出来そうもないことにもチャレンジする経産省や政治家を掌にのせる財務省のようなダイナミズムはない。
 しかし、文科省(旧文部省)は2001年、科学技術庁を合併してから変化していると思う。理系の技官の存在によって、仕事が精緻になり、前向きの姿勢が見える。(従来、そうでなかったわけだ)。イノベーションが日本の存亡にかかわるようになり、科研費の拡大・配分を担う文科省の役割が大きくなったのである。
 科研費と直接関係はないが、文科省が最近始めた「訪問型家庭教育支援」は、従来学校教育と家庭教育に境界線を引いていた文科省が積極姿勢に変わり、地域や家庭に出ていくことを決意した事業である。教員OBばかりでなく、保健所や児童相談所などの厚労省のインフラも使い、虐待などの今日的課題に、文科省が乗り出す。
 これからは、少子化対策も、産む性の教育、教育無償化など文科省の役割は厚労省よりも大きくなると思われる。「いよいよ文科省の時代」という矢先の幹部の逮捕。文科省課長級40人が自ら改革を図ろうとする動きもあるそうだが、必要あれば、政治とも闘わねばならない。森友・加計でもつまづき、全てが官僚の矜持崩壊ゆえと国民に解されぬよう、勇気を出してほしい。
 最近は、安倍一強の下で、政権に対抗できる人は少なくなった。学者も然り、である。民主党時代の御用学者は、民主党に呆れて離れてしまった。その中で、最近、「国体論」(集英社新書)を著した白井聡先生(京都精華大学)はすごい。4月刊行で既に7万部となるこの著書は、前著「永続的敗戦論」に書いた、今日まで続く対米従属論の続編である。
 この中で、面白いのは、2016年8月の天皇辞意の「お言葉」を、終戦を導いた「玉音放送」に匹敵する今上天皇の意思表明と解し、暗に今上天皇が「マッカサーが昭和天皇の上にいたように、日本国民統合の象徴は私ではなく、アメリカだ」という趣旨を内包していると言う。しかも、このお言葉は安倍首相にとって「不意打ち」だったのである。
 お言葉は、完全に天皇の私的な言葉ではありえなく、国事行為に準ずるものだから、内閣の助言と承認に基づいて行わねばならない。もし、不意打ちならば、お言葉そのものが憲法違反になってしまう。天皇はそこまで覚悟して発言したと白井先生は言う。
 白井先生は若くて頭の回転が速く、清々しいお方だが、舌鋒は鋭い。安倍政権は、弱すぎる野党と、総裁選を降りた宏池会のような優柔不断の自民党によって支えられている。しかし、天皇や官僚をもっと大切にしたほうが良いのではないか。筆者が安倍首相に提言するようなことではあるまいが。

[2018/07/18]
成育基本法ーもうひとつの少子化対策



 昨日、日本小児科医会名誉会長の松平隆光先生のお話を聴く機会を得た。先生は来年の通常国会での成立を望む成育基本法に期待をかけている。
 もう10年以上も前から、医師会等を中心に小児保健法の検討が行われ、途中から、「胎児から成人まで」という発想から成育基本法と名を変えて、子供の医療を中心とした一貫した育みを目指してきた。昨今の乳幼児虐待死や子供の貧困問題など社会問題の解決に新たな政策集中を図る内容である。
 いわば、少子化政策は人口政策として、子供を量的に捉える課題だが、少ない子供を一人残らず立派に育てるための「質的な課題」に取り組むのが成育基本法である。その目的は、国、地方公共団体、医療関係者の責務を明らかにし、成育過程にある者の保健、医療及び福祉施策を総合的に行うというものである。
 基本法だから抽象的だが、生命・健康教育、子育て支援体制、周産期医療の充実など成育基本計画を策定して、目標値に到達していくことを狙う。
 では、具体的に何が問題なのか。筆者が厚生省で児童行政に携わっていた頃、問題の一つとして、学校保健法が文部省(当時)の所管で、子育て政策を一貫してできない縦割りの壁にぶつかった。子供の糖尿病や、中学3年生の女子のダイエットなどが統計上認知されても、取り組みの場がほとんど教育現場に限られるため、厚生省からの関与が限られていた。成育基本法の成立によって保健所や医療機関の取り組みを強化することが望まれよう。
 子宮頸がんワクチンの問題も、なぜ中学3年生の女子が対象なのか、副作用は本当にないのか、「産む性」を守る教育も施すべき中、ワクチンの早期取り組みだけを行う意味は何なのか、十分な議論が行われたとは言えない。厚労省と文科省の連携が不十分である。これも、成育基本法の成立によって、国の責任の明確化のところで解決していくべきである。ということは、今の成育基本法案に欠けているのは、医療と教育の連携であり、文科省をもっと巻き込まねば、厚労省だけの「基本理念」、またぞろ「お経」だけで終わってしまう可能性がある。
 責務を国、地方公共団体だけでなく、医療関係者に負わせるのは大きな前進である。例えば、生まれた子供の低体重の問題がある。出生児平均体重は、1975年の3200グラムから、2012年の2950グラムまで落ちた。これは、やせ形の女性が増え、高齢出産が増え、さらに低体重で生存が可能になったから、というよりは、むしろ医療供給者側で「小さく生んで大きく育てる」を強調し、妊婦の体重管理を厳密に行い、難産になりやすい大きな赤ん坊を避けたのが原因ではないかと思われる。
 同様に、統計学的に有意なまでに帝王切開が増えているが、これも、難産を避ける医療供給側の原因が大きいと思われる。難産で障害を負った場合、訴訟になりやすく、医療供給側でそれを避けようとするのは責められないし、産科医がそれゆえに減っているのも、別の手立てを考えねばならない。少子化は家庭の中でも進み、子供がたくさんいれば障碍児も受け入れられたが、数限られた子供の場合には、許容範囲が狭まり、いきおい訴訟へと向かうことになる。これも少子社会の現実だ。
 成育基本法は、マクロでばかりとらえられてきた少子化をミクロの視点で、質的向上を目的とする、その理念は優れている。しかし、以上のほんのいくつかの問題に解答が出せるほどの具体性はない。医師会など業界から発想したことは奇特だと思うが、他方、民主党政権時代は議論が止まり、医師会が政党として自民党を選んで立法しようとしているのはいささか気になる。今の野党では話にならないと言うのは分かるが、結果的に医療供給側保護に回らぬよう、また、医療・福祉関係者の好きな、フィンランドの子育て制度など北欧の例が神格化されぬよう願いたい。もっと万機公論に決すべき少子化の課題である。

[2018/07/13]
海洋国家日本は続くのか



 世界で一番肉を食べるのがアルゼンチンならば、一番魚を食べるのは日本である。だから、日本は海洋資源の研究開発に力を入れてきた。しかし、現在、海洋科学の予算を減らしているのは、世界で日本とロシアだけという情報がある。他方で、養殖を始め、猛烈に取り組んでいるのが、またしても中国である。
 一昨日、津田敦東大大気海洋研究所教授のお話を聴く機会に恵まれ、海洋研究は、実にダイナミックであることを知った。2007年までは、アメリカも日本も競って、海洋に鉄撒布をし植物プランクトンを増殖する実験を手掛けた。その結果、地球を冷却し、温暖化を食い止めようとしたが、生態系の問題や地球工学的に非効率などの理由で今は行わなくなった。2008年のロンドン条約で商業的海洋肥沃化は禁止され、日本もそのガバナンスに支配されている。海洋で日本は我が道をなかなか行けない、欧米に制止されることが多い。クジラの例を出すまでも無かろう。
 生態系や生物多様性を強調するグループが特に欧州には多く、その議論は難しい。津田先生自身が「なぜ多様性が必要なのか、人類を幸福にするのか結論は出ていない」と言われる。同席の学究から、「我々は多様なものを食べている。多様性を維持しないと、何かが絶滅した時に我々も死ぬことになる」と教示してくれた。なるほど。
 宇宙も海も知らないことだらけだ。同席の学究から「日本はもはや海洋国家とは呼べない」というほど海洋の研究開発や資源の争奪などで優位性を失っているそうだ。この流れは絶対に変える必要がある。科研費や科学産業化の予算は、社会保障費に比べたら目に見えないくらい小さい。骨太2018では、科学予算に触れていないが、予算配分のダイナミズムが求められている。

[2018/07/11]
医食同源



 一昨日、農業・食品産業技術総合研究機構の山本万里先生の話を聴く機会を得た。機能性農産物の開発研究を明快に、多岐にわたってご教示頂いた。超高齢社会で高齢者及びプレ高齢者の関心を集め、市場の需要も高い分野である。
 内臓脂肪減少効果のあるβグルカン大麦、認知機能改善効果の玉ねぎ、骨粗鬆を抑制するみかん、抗アレルギー作用のあるべにふうき緑茶など、食品であるだけに、人体で「治験」され、大きな効果を上げていることを知った。ならば、副作用の多い薬など要らないではないか、と誰もが思う。
 確かに、機能性食品は、薬の代替性が高く、また、特定保健用食品(トクホ)と違って、日常食として咀嚼して健康を保つ大きなメリットがある。ただ、いかんせん、機能性食品は高いのだ。先生が示した機能性食品オンパレードの弁当は6000円。これでは、結局保険のきく薬や、錠剤で割安のトクホに負けてしまう。
 先生によると、機能性食品開発の目的は、健康寿命と平均寿命の差約10年を2年縮めるところにあるそうだ。非常に意欲的な目標であり、健全でもある。薬が「治療」を目的にしているのとは大きな違いがある。ガンの治療が放射線や抗がん剤などの対症療法から免疫療法やDNA療法に代わっていくであろうのと似た発想である。
 我々は永遠に生きる生命個体ではない。平均寿命を伸ばすよりも健康寿命を伸ばすことを目的とし、しかも、食べるだけで健康を保つのであれば、生きる喜びも大きい。古の中国から伝えられる医食同源をまさに実現するのである。6000円の弁当が600円になる日を待つ。

[2018/07/05]
日本の貢献



 昨日、篠田英朗東京外大大学院教授のお話しを聴く機会があった。先生は、国連カンボジア暫定統治機構を始め、紛争現場での数多くの経験を積み、学究の道に入った。リアリストであり、歯切れがよい。
 1992年、日本で国連PKO協力法が成立し、その年にカンボジアに派遣された日本の文民警察官の一人が殉死した事件は当時大きく報道されたが、篠田教授はこの事件はまだ検証されていないと指摘。また、昨年、日報問題で混乱した南スーダンからは自衛隊の撤退が行われた。篠田教授は、改めて日本の平和貢献は何かと問われていると言う。
 結論から先に言うと、先生は、南スーダン撤退後の日本が今後国際社会に貢献すべき点として、ロジスティクス(戦略戦術)に貢献し続けること、アフリカの機構とパートナーシップを結ぶこと、アジアの国々の参加と協力を進めること、調査・分析の技術的貢献をすることの4点を挙げている。紛争現場を知らない日本人の関心を集めるのは難しい提言だが、要するに、日本の国際社会、特に平和活動においての存在感が小さすぎるので、できる役割に絞って貢献すべきという趣旨と筆者は捉えた。
 筆者は1980年代、ユニセフ(国連児童基金)のインド事務所に出向し、児童・女性向けの開発援助に取り組んだ。その仕事は常に「哲学的問題」を抱えていた。なぜ、インドの貧しい子供のために働くのか、日本人のためにやるべき仕事は山ほどあり、国の予算は日本人のために使うべきではないか。実際に悩んだ末、ユニセフにとどまる考えを辞め、厚生省に帰る決心をしたのは、この考えのためだった。
 しかし、1991年の湾岸政争のあと、日本は国際社会から「カネだけ出して汗をかかぬ」と非難され、前出のPKO法が導き出された。2001年の9・11以降はアメリカの対テロ戦争に協力し、今回の南スーダンも、国家なのか無法な地域なのか分からないようなところで、「紛争地帯ではない」と言い切って平和活動に自衛隊を派遣した。
 しかし、日本は、世界の警察官アメリカ(トランプ大統領は否定している)、かつて多くの植民地を持っていた欧州の国々とは違う。欧州を真似ようとして、結果は戦争に負け、戦後の世界で世界の平和構築に貢献する役割を担って来なかった。経済大国とは言え、平和構築の分野では、もっぱら「新参者」扱いなのである。しかも憲法9条の問題も抱えている。だが、国際貢献するために憲法を変えるべきという理屈は軽率だ。先ずは、篠田教授が提言するような役割を果たしていくことが先決である。
 1980年代、ユニセフ・インドにいる時、開発援助の究極の目的は平和構築なのだという「哲学」があったならば、筆者は、もしかするとユニセフに留まる決意をしたかもしれない。当時は、W・W・ロストウの経済学上の「テイクオフ=離陸」を先進国が劣位にある国に対して「助けてやる」という哲学が支配的だった。だから、筆者は日本に帰る選択しかなかったのである。
 国際関係論の教科書の多くは、1648年のウェストファリア条約で国民国家ができたとしているが、篠田教授に言わせれば、近代国家ができたのは、名誉革命後のイギリス、独立戦争後のアメリカ、フランス革命後のフランスなどに限られ、特に第二次世界大戦後の旧植民地が独立した国家などは、形式上の国家であって、内情は無法地帯の地域としか言えない国も多い。確かに、ソマリア共和国には承認された統治機構はないのに、地図では存在している。
 近代国家の歴史は欧州が作った。しかし、日本は独力で、その定義に値すべく国を構築してきた。欧州に匹敵する東洋の稀な国であり続けたが、近年では、中国が共産国家とは言え、その国家資本主義でユーラシア大陸を席巻し始め、また、数々の紛争を乗り越えた東南アジア諸国は「第二の日本」になりつつある。アジアパワーの協力を得て、日本らしい平和貢献は必ず存在する。先ずは、篠田教授の4提言を是として進めてほしい。

[2018/06/26]
次の革命?



 昨日、物財研の坂東義雄エグゼクティブアドバイザーからナノテクの発展についてお聴きした。坂東先生はカーボンナノ温度計を開発された最先端の学究である。この温度計はカーボンナノチューブの新しい応用で、「世界最小の温度計」としてギネスブックに認定された。
 ナノテク開発は、2000年、クリントン大統領がナノテクの国家イニシアチブ政策を発表したことに始まり、日本もその機に乗ったという経緯がある。それから十数年、アメリカは、IT革命、バイオ革命、そして、科学ではないが金融革命で世界を席巻してきたが、ナノテクは、今のところ「ナノテク革命」には及んでいない。アメリカが予算、論文とも日本の数倍の勢いでトップを走ってきたが、現在では、いずれも中国に抜かれたという。
 物財研がナノテクの分野で世界のトップグループにランクされているのは誇らしいが、話は日本の研究体制そのものに及び、最近よく話題になる世界大学ランキングで日本が年々順位を落としていることには失望する。50番以内に東大、100番以内に京大がランクされているが、北京大や清華大学より下だ。
 むろん、それは、東大、京大などの研究レベルが低いのではなく、論文、外国人教授や留学生受け入れ、海外企業との連携などにおいて英語力が問題なのである。物財研ではそれを意識して海外研究者との共同研究を強めていると言うが、筆者は、かかる手段はバケツの中の一滴と思う。
 森鴎外が東大医学生だったときは、教授はお雇い外国人だったので、講義はドイツ語だった。鴎外のノートが残っているが、綺麗なドイツ語で書かれている。鴎外はドイツに留学してその日から、コッホに議論を挑んだ。現代でも、インド人は、高等教育は英語で行われるので、むしろ英語でなければ議論ができないのと同じ状況である。
 しかし、日本は高給お雇い外国人を次第に減少させ、同時に全て翻訳して日本語で授業が行われるように体制を整えた。鴎外も、研究がしたかったのに、翻訳ばかりさせられて「閉口した」と語っている。そのことは教育の普及には役立ったが、日本人の語学下手を決定的なものにした。
 もはやどんな綺麗ごとを言っても、語学力回復に根本解決はないので、研究内容の高さで勝負していくしかない。科学技術者間では、専門分野のコミュニケーションは、いくら下手な英語でも十分に可能である。しかし、専門分野にとらわれ、大局的視点を失うことが多い。だから、江崎玲於奈博士は「ナノテクと言わず、ナノ科学とナノテクを区別せよ」と主張したそうだ。ナノ科学という大きな視点が先に来る、という意味だ。江崎ダイオードも実はナノ科学を応用したナノテクなのである。
 科学技術者が専門的になり過ぎ、専門外での英語力が伴わないのが、実は日本のランクを低くしている要因なのである。専門医が患者と向き合わない状況に似ている。「政治家は科学に口出すな。金だけ出せばよい」という意見もあったが、これはむしろ正反対でなければならない。時代の必要とする大きな研究課題を引っ張っていくのが政治の役割である。
 クリントンが「次はナノテクだ」と言って久しい。その次は何を目標にするのか。AI革命はもう足元に来ている。日本も、アメリカ追従でなく、次の革命を率先して起こすようでなければ、人口減少社会で、学問だけではなく国としてもランクを落としていくことになろう。北朝鮮だけが政治ではない、2018年骨太方針の科学政策は、社会的課題を総花的に言及したにとどまるのは残念だ。

[2018/06/21]
広井教授の「夢人口」



 広井良典京大教授の近著「持続可能な医療」は、サイエンス、政策、ケア、コミュニティ及び社会保障の観点からの論理的な現状分析の後に、死生観としての医療が書かれている。この最後の部分に、もともと科学史・科学哲学を専門とする彼の本意が現れる。事実と論理を重ねた最後に、少し煮え切らないが「新理論」を掲げたのである。
 広井さんは、実は厚労省の後輩である。かつ、東大教養学部の後輩でもある。厚労省で出会った数々の人の中で、彼は、間違いなく突出した逸材である。官僚生活は10年で辞め、研究の道に入ったが、著書は多く賞にも恵まれている。彼の書くものは心躍る理論があり、説得力を持つ。チマチマとした社会保障論を嫌い、科学の歴史からみた現在の分析と認識を見事に与えてくれるのである。
 彼によれば、人類社会は何度か繁栄の極に達すると、定常状態になることが繰り返されてきた。たとえば紀元前5世紀ごろは定常状態になり、この時代に、仏教、儒教、旧約聖書、ギリシア哲学など今日まで続く世界の文化が生成された。現在の世界は、人口と、資本主義による経済成長が定常状態に入りつつあり、日本はその先陣を切っている。
 この定常状態の中で、かつてのように、新たな哲学のシャワーが降り注ぐだろう。その一つが、医療や生き方の根本となってきた「生産者中心の仕組み」を変えねばならないということだ。広井さんは、現実に直視してすべきことは、高齢者には医療以前の「居場所」の解決を、そして若い世代には富を使う社会の構築を急がねばならないと主張する。むべなるかな、である。
 高齢者と子供を合わせて従属人口が形成されるが、団塊世代が子供のころは圧倒的に子供が多かった。今、従属人口の構成は圧倒的に高齢者が多くなっている。広井さんは言う。子供も高齢者も、社会の生産者になりきらない「夢」の存在、つまり、夢うつつの状態に位置し、子供はやがて夢から覚めて現実社会の構成員となっていき、高齢者は死の世界にいざなわれる。
 広井さんは、従属人口を「夢人口」と名付けた。子供は未来を夢み、高齢者は、次第に夢と現実の境がなくなり赤子に戻って、夢でしか知らないあの世に去る。ワーオ、いい命名だ。筆者もそれに近いことを常々考えてきた。現役時代は現実に即した夢しか見なかったものを、現在は、夢と現実が全く違う世界になっている。だから、高齢者は夢うつつで生きているようなものだ。
 夢人口に属していることは実は幸せなのだ。子供は敗れるかもしれない大きな夢を将来に託す。高齢者は「脳が見た現実の夢」を離れ、新たな夢の世界に入る。高齢者にとっては、生産者のための急性医療ではなく、夢に入るまでのこの世の居場所、それは、雇用なのか別の形の社会参加なのか選択肢は多くあろうが、それを整えるほうが重要なのだ。欧州の地方都市は、街を歩くだけで、人と会い、座り込み、日がな一日静かな喜びに満ちている。そのような場をつくることの方が急務ではないのか。
 他方、生産者となるべき子供には、医療も教育も十二分に機会を与えねばなるまい。消費税を引き上げても、教育に使うとした安倍さんは正しい。だが、一方で、借金返しもしていかねばならない。なぜなら、ツケを払うのは今の子供たちなのだから。相続は猶予を与えずに税金化する、高額な年金の課税をする、老人医療の診療報酬減額など、選挙のためできなかったことを、やるべき時が来た。
 



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