元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
大泉ひろ子のプロフィール 日々雑感バックナンバー 後援会・党員・サポーター募集
日々雑感
[2020/02/01]
安倍首相はパペット?



 2020年が明け、東京オリンピックが眼前に迫った。しかし、1964年の東京オリンピックの時とは様相が違う。当時は、高度経済成長の真只中、人口は増え、世界2位の経済大国に垂んとするとき、日本の戦後の復興ぶりを世界の人々に見てもらう、その興奮が渦巻いていた。
 
 21世紀に入ってからは、人口規模も世界のGDPに占める割合も、日本は急激な下り坂を下っている。データを見るまでもなく、かつて高品質の代名詞だった日本製品が売れない、有能な日本人と見られていたころの敬意が払われない、そんな日常感覚が普通になりつつある。その中での東京オリンピックだ。エコノミストは祭の後の消費不況を警告してやまない。

 昨今、実体経済が良くなったとは誰も思わない。株価は2012年以来上がっているが、株価は経済の期待値でしかないことは誰もが知るところだ。安倍首相は、第二次安倍内閣以来、経済政策に力点を置き、本心は憲法改正をやりたい気持を抑えて今日まで来た。もう任期余すところでは、本命の憲法改正は無理だ。だとすると、今日までの安倍一強と言われてきた政治は、首相のリーダーシップではなく、むしろ影の誰かによって行われていたのではないか。

 そんな勿体ぶった言い方をするまでもない。安倍首相を取り巻く経産官僚OBの、リフレ経済志向、目先だけのイノベーション志向が首相を傀儡にしてきたのではないか。また、官邸に赴く率が高いのは外務省で、旧来型の親米幹部が首相を傀儡にしてきたのではないか。つまり、長期政権になったのは、リーダーシップよりも傀儡のおかげではないか。

 司法官僚は、そう簡単に憲法改正に動くわけはない。他省庁と異なり、統治機構の礎だからだ。安倍首相は、結局、真実に自分を発揮しないまま長期政権を降りる時が迫ってきた。東京オリンピックという祭の後にかかってくる暗雲を除けることに全力を傾けなければ、山崎卓氏が言うように、安倍首相はレジェンドのない首相として終わってしまうだろう。パぺット(傀儡)総理で終わってしまうであろう。

[2020/01/22]
日本を救う科学技術政策



 総理の施政方針演説が行われた。内容は、東京オリンピックをイントロに、全世代型社会保障と外交が中心である。野党は、総理の主張する「業績」やIR汚職、疑惑の「桜を見る会」などに批判を集中させるであろうが、しかし、もっと、基本的なところに着目してほしいのだ。
 
 それは、科学技術政策を施政の柱として挙げていないことだ。イノベーションやソサイエティ5.0などのキーワードは入っているが、政策の幹が示されていない。全世代型社会保障の足枷が人口構造であり、経済停滞を覆す手段はイノベーションである。その課題に応えるのが科学技術ではないのか。外交においても、総理が古顔になって若干の存在感を表すようになったとしても、最早、国際社会において日本は科学技術立国としての尊敬は集めていないのである。近視眼的な課題に取り組む以上に、日本の未来に向かっての科学技術政策が語られないのは、日本の落ち目の始まりである。

 政府の第6期科学技術基本計画が2021年4月から始まる。それに向けて第5期のソサイエティ5.0を始めとする評価が行われ、第6期は、縦割り行政の官僚書き集めから、よりトップダウンの政策が掲げられる予定だという(内閣府)。トップダウンと言えば、政治的な判断と解されるが、筆者は危惧を抱く。

 官僚書き集めは、表題をキャッチイに打ち上げても、中身を見れば毎回同じ項目の並べ替えを意味する。自分の関わる仕事を掲載しなければ自分の存在意義が失われてしまう、官僚なら当然の論理だからだ。では、トップダウンの政治判断を良しとするかというと、これも危険である。なぜなら、政治家のこの分野での関心の低さ(かつての尾身幸次元科技庁大臣の言)が、政治家の科学リテラシーの低さにつながっているからである。言うに及ばず、この分野は選挙の票にもならない。
 
 最近、山中伸弥教授のiPS細胞は世界の潮流ではないから研究費を削減するとのニュースが伝えられた。総理補佐官と厚労省審議官の早とちりであり、さすがに山中教授の反論に対し、すぐに取り下げることになった。これは、政府内の科学リテラシーの低さを如実に表すものであり、それ以上に、科学インテグリティ(ポリティカルコレクトネスと同じように、科学的妥当性、科学的公正と考えてよい)を欠いた拙劣な行動である。総理補佐官から出た行動とすれば、背後に官房長官、総理が存在する。

 iPS細胞は、科研費が集中し、そのほかの研究に弊害があると言う議論もある。iPS細胞に対抗するためのステップ細胞にも膨大な費用がかけられ、小保方事件を招いたことは記憶に新しい。しかし、iPS細胞が未来の医療につながり、日本はノーベル賞学者を先頭に世界をリードしているのだ。つまり、これは、日本の夢であり、国益なのだ。

 科学技術施政方針は、学者の弁を書くのではない。国益となる研究を政府が押し上げる仕組みと予算を作るものだ。例えば、素粒子論で先端を行く日本が、ハイパーカミオカンデを建設するのも、国益である。ITやバイオのみならず、得意のものつくりでも国際競争に負けてきた日本が、国益のかかった分野で盛り返す必要がある。

 もうひとつ、重要な国益のかかった分野がある。海洋研究、水産資源研究である。海洋国家日本としては、この分野に大きなメリットがある。海洋研究は、深層海流や海の二酸化炭素吸収力など気候変動の解明に資する。また、深海のエネルギー資源水素の開発、就中、その開発コスト削減も化石燃料に依存する日本の国益をかけた研究になる。

 水産資源の研究もまた、大きな国益のためにある。漁獲量が逓減し、若い人を中心に魚介摂取量が減る中でも、日本は今だ世界一の魚消費国である。捕鯨や稚魚養殖で国際社会における軋轢を持ちつつも、この食文化を守るのが国益でなければ何と言えよう。東シナ海の漁場は、誰もコントロールできないブラックボックスとなっていて、日本はアジア(インドネシアなどで貧困者が魚のタンパクを必要としている)の混沌とした漁場と欧米の科学(捕鯨に関しては、インチキなものもある)をつなぐ役割が期待されている。

 改めて、日本の国益を盛り込んだ科学技術施政方針を打ち上げるべきである。

 

 

[2020/01/04]
謹賀新年



 2020年、明けましておめでとうございます。本年も、当該欄において、少子化、医療、気候変動、政治の危機などをテーマに論陣を張ります。ご高覧頂ければ幸甚です。

 連載「エージングパラドックス」では、老人改造を目したアンチエージングや長寿の方法論とは異なり、老人であって老人らしからぬ逆説的な発想を書きます。

 筆者は正月生まれで、まもなく70歳。1勝4敗という選挙経験は、財産、人的財産を失わせましたが、20歳を迎えた50年前の自分以上に、知識に強欲になり、豊かな知識を持つ寡数の友人と心満たす仕事の機会を得て、徒然なる日々を楽しんでいます。

 読者の皆様の2020年が、変動を予感する日本においてご多幸でありますように、お祈り申し上げます。

[2019/12/18]
アタッチメント



 最近、東大の遠藤利彦教授の話を聞く機会を得た。遠藤教授は、教育学、発達心理学が専門である。筆者は、ここ数年、児童関係の会議で、発達心理学の専門家の話を聞くことが多くなった。もとより、児童福祉行政に携わっていたものの、子供の内面について多くを知らなかった。
 発達心理学の教えるところは、9歳10歳の壁(子供が社会性、道徳性の芽を持つ時期)のように、常識で納得できる現象を実験データで確認するのである。遠藤教授のテーマはアタッチメント(近い翻訳は愛着)であるが、子供は、すがりつく愛着あってこそ、健全な成長を遂げると結論を導く。
 スヌーピーの漫画に出てくる哲学少年ライナスはいつも片手に毛布を持ち、毛布の存在が彼に安心を与えている。毛布は、彼のアタッチメントである。遠藤教授によると、多くの子供はアタッチメントを持ち、成長するにつれ、それを手放す。特別なものがなくても安心感を得られるようになるからである。ただし、2割くらいの子供は、いくつになっても、ぼろぼろになった縫いぐるみ等を手放せない。
 大人になっても、これに近い性癖を持つ人は相当いる。植木鉢に石を3個投げ入れてからでなければ講義を始められない教授、階段を右足から登らなければ、やり直すと言う人、これは、いささか病的ではないかと思われる。
 ライナスの安心毛布は何かを象徴している。親の愛情だろう。自分が愛されている、いつも身近にいて、自分を肯定してくれる人がいる。だから、赤子は、やがて、集団に入り、大人になっていく。アタッチメントとは心の栄養と置き換えられよう。
 アタッチメントに欠いた子供は心身ともに成長が遅れる。背は伸びない、年齢相応の反応をしない。やがて、そのハンディを負ったまま、大人になる。発達心理学において科学的に実証された、このことは、1996年、筆者が厚生省児童家庭局企画課長の時をいやでも思い起こさせる。
 児童福祉法の改正に臨んでいた筆者は、乳児院をなくしたいと考えていた。乳児は原則1歳まで、ただし2歳までは法律上入所可能で、発達が悪いとの理由で事実上4歳まで過ごす子供が多かった。栄養士による食事を十分摂っているにもかかわらず、成長が遅いのだ。ほとんどの時間をベビーベッドで寝かされ、一人一人の要求にこたえられるうような体制は取られていない。まさにアタッチメントに欠いた状況であった。
 結局、筆者の思いは成し遂げられなかったが、現在、厚労省は里親制度に力を入れ始めている(顕著な成果は見えないが)。乳児こそは、身近に、いつも変わらぬアタッチメントを与えてくれる人が必要である。母親とは限らない。安心毛布に当たる人が必要だ。
 少子社会の問題は、結婚しない、子供を持たない傾向を憂えるだけではない。子供を持つに至った人々も周囲の同世代未婚集団の影響を受け、育児を積極的に行うインセンティブに欠ける親が存在する。その氷山の一角が、最近の乳幼児虐待事件である。泣き止まないと床にたたきつけたり、十分な栄養を与えないなどで、いたいけな命が奪われてる。
 その親たちも自分の親からアタッチメントを得てないのではないか。その親たちを先に抱きしめてやるおじいさん、おばあさん、社会が必要なのではないか。アタッチメントを政策化するのは難しい。しかし、社会の安定は、経済政策、安全保障以上に、アタッチメントの最後の砦、家庭を作ることを容易にする政策はできるだろう。なぜそこに思い及ばないのか。閨閥アタッチメントの強いきずなを持った政治家が、アタッチメント失ったばらばらの庶民を支配しているのが、無策の時代日本の現状である。 
 
 

[2019/12/11]
日韓共通の課題ー少子化



 現在、日韓関係が最悪であることは、両国ともに認識している。一方が他方を訪れるときに、「日本に行って大丈夫か」「韓国に行かない方がいいのではないか」と近しい人に心配されるのが、両国の誰もが使うジョークになっている。
 多くの人は、「悪いのは政府対政府の関係であって、人々はそれほど相手に対して悪感情を持っていない」と付言する。その発言の基礎は、両国は究極の似た者同士であり、文化的道徳的慣習的に感情を享有するからだと考えられる。両国の違いを特筆する人もいるが、圧倒的に共通点が多いと筆者は思う。
 今、両国が抱える最大ともいうべき共通の社会問題は少子化である。韓国は、2018年に合計特殊出生率が1を割ったが、本年の速報によると、さらに0.9も下回ることが伝えられている。日本もまた、速報によれば、2019年出生は初めて90万を割ることが明らかである。
 韓国のこの数字は世界最低である。台湾、香港、シンガポールもかろうじて1を上回っている程度であり、日本は昨年1.42であるものの、出産適齢期の女性の減少により、下降線は避けられない。
 少子化現象は東アジア共通であるとともに、ギリシア、イタリア、スペインなどの南欧の問題でもある。最近、ドイツが低出生率のカテゴリーから抜け出した。低出生率は、家族を大切にする文化を持つ、東アジアと南欧において顕著である。そのような社会に対応した政策が行われてきたか。
 日本では、89年の1.57ショック以来、少子化政策に取り組んできたが、初動政策(94年エンゼルプラン)が保育所中心だったので、未だにその域を出ることができずにいる。韓国も同時期に出生率の低下が始まり、アジア危機を乗り越え、V字型回復を図った後の2000年代は著しく低下している。V字型回復以降の、女性の社会進出や結婚観の変化が原因と分析できる。
 韓国では、乳児の社会保育40%を目標にし、多子家庭支援からすべての児童を対象にした支援対策に切り替え、移民政策については、本年スタートした日本より早く規模も大きく、門戸を開いている。しかし、既に、社会保育の拡大が出生率の増加につながらないことを認識し、より大きな社会システムの構築を課題としている。
 韓国の少子化に対する緊迫感に比べると、20年以上も保育中心の、予算の少ない少子化政策を行ってきた日本は猛省すべき時期が来ている。フランスやスウェーデンの家族政策が成功すればそれを模倣しようとしたが、結果は財政難を理由に実現できず、イギリスがワークライフバランスなど家族政策に加え、親の労働も含めた総合的な少子化政策に成功すればそれを模倣しようとしている。しかし、国情の違いは大きく、もはや模倣の段階でないことを知るべきである。
 韓国は人口減少で国が縮小するのを脅威に感じている。だからこそ、文政権は北との統一を焦っているのかもしれない。他方、日本は、出生率の最も高い沖縄県に外交上の犠牲を強要しつつ、出生率の高い原因やそれにつながる政策を分析できていない。
 日本も韓国も、少子化を単発の社会政策ととらえるのではなく、今や国力との関係で、大きな構想、大きな予算を実現しなければ、国は亡ぶ。
 

[2019/11/20]
制度が変われば社会が変わるー世界こどもの日に寄せて



 11月20日は、国連が定めた「世界こどもの日」。1959年の児童権利宣言、1989年の児童権利条約の国連における採択も11月20日に行われた。日本も、児童権利条約の発効は1994年11月20日である。しかるに、1954年、国連が加盟国に子供の日の制定を促したことから、日本は子供の日を5月5日に制定したため、今日が世界こどもの日であることを知っている人は少ない。
 
 現在国連が掲げるSDGs(持続する発展目標)17のうち、飢餓、貧困、医療、教育の分野では子供が最優先の課題であることは疑いを差し挟む余地はない。そして、子供の権利擁護機関の筆頭に当たるのがユニセフ(国連児童基金)である。

 筆者は80年代半ば、厚生省からユニセフの中北部インド事務所に出向し、3年余を開発援助の分野で働いた。現在、ユニセフは子供の権利を重視し、SDGsを目標にして活動している。筆者が働いていたころのユニセフは、GOBI−FFという目的であり手段でもある援助哲学を掲げていた。

 その内容は、成長記録(G)、哺水療法(O)、母乳(B)、予防接種(I)、さらに、家族計画(F)、出生率(F)であった。予防接種を除けば、お金のかからない援助方法であり、優れた内容である。しかし、今から思うと、80年代は、子供のインフラ(衛生、教育、福祉)整備は戦前の植民地支配の尻ぬぐいであり、家族計画などは70年代に叫ばれた人口抑制を念頭に置いたものであった。

 当時は、W.W.ロストウの唱える、インフラを整備することにより、開発途上国はテイクオフ(離陸)し、発展すると考えられていたが、現地で仕事をしながら、その日が来るとは信じられなかった。国連機関としてできることはまさにバケツの中の一滴でしかなかった。

 しかし、あれから30年以上たち、インドは国内総生産世界7位の国に発展した。80年代は眠れる巨象と言われていたインドだったのだ。中国もまた国内総生産世界2位の国になり、2030年にはアメリカを抜いて1位になる。80年代には眠れる獅子と言われていた。象も獅子も起き上がった。きっかけは、インドは、ソ連崩壊から、東寄り政策をやめ、市場原理を重視する政策を採用したからだ。中国は毛沢東の死後、ケ小平が、政治は共産主義でも、経済は特区を利用しながら資本主義を採用したからだ。

 制度が変われば社会は変わる。少しづつ国連や政府がインフラ整備をしていたのとは違い、人々の行動が変わり、社会全体が動くようになったからだ。もはやロストウの経済発展論は見当たらない。ついでに、暗黒大陸と言われてきたアフリカにおいても、南アフリカは、アパルトヘイトを廃止し、マンデラ元大統領によって急速に発展した。まさに制度の変換が国を一変させた例である。
 
 小さな呼び水が発展につながるのではない。大きな制度変換が一躍発展させると筆者は信じてやまない。翻って、日本の福祉を鑑みれば、1997年の介護保険法、2000年の社会福祉法は、それまでの施し(措置制度)から市場原理(社会保険による権利)の制度への変換をもたらした。市場原理になじまぬの理由で、児童福祉と障害福祉はこれを回避したが、老人福祉である介護の世界は、これを受け入れ、権利化したことにより、法の施行から20年近くで、9兆円の介護産業を作り上げた。

 制度は人の行動を変え、社会を変える。筆者はそう信じている。世界こどもの日の今日、いじめも虐待も子供の貧困も一向に政策的な前進が見られない状況の中で、児童福祉や教育の世界も、もっと競争原理を取り入れ、リスクと思われるほどの制度変換を望んでならない。

[2019/10/16]
韓国の先にある中国



 韓国の曹国法相が辞任して、いよいよ文在寅政権は危機状態に陥ろうとしている。この状況は、筆者が民主党政権に与していた時代に酷似している。民主党(当時)は、政権交代を頂点に党勢が日々下り坂になり、辺野古基地移転問題、尖閣諸島中国漁船衝突事件、東日本大震災における福島原発事故の対応などで目くるめく拙劣さを表し、野田元首相のヒステリー解散を極め付きにして総選挙で惨敗を期した。文政権は最早この轍を踏む以外の何物でもない。

 実は、文政権と当時の民主党とは外交政策が似ている。文大統領が目指すところは、大国アメリカと中国との間に立って、韓国がバランサーとなり独自外交を築きたいのだ。旧民主党も脱「アメリカ一辺倒」で中国寄りを重視していた。韓国の場合は、バランサーとなる手段として、北と統一し、人口7千万の大国を作って、北の資源、南の技術を以て繁栄を目指す。むろん、文大統領だけでなく、朴槿恵前大統領も、保守政権とは言え、中国に近づいて米中の間に入る外交を試みていた。しかし、文在寅大統領の場合はあからさまにその意図を表明しているのである。

 米中貿易戦争が真実には大国の覇権争いであるという認識は定説化している。それを知らぬかのように、文大統領はGSOMIAの廃棄など、アメリカの虎の尾をわざわざ踏んで危険極まりないことをやっている。アメリカが文大統領の意図を許すわけがない。

 他方、文政権が本気で中国に近づいているかと言えば、そうではあるまい。そもそも歴史上中国大陸の王朝の属国だった韓国やベトナムは中国を好ましい存在と思っていない。米中両大国のバランサーになろうとするのは理想的過ぎて、リアリストが占める国際政治の世界では不可能と言うべきなのである。

 その点では、安倍政権のように、日米同盟を強固なものにし、貿易協定では、譲歩しすぎるほどアメリカに従順であるのは、国際政治の舞台では現実的で正しい方法なのだ。国際関係は理想を掲げる場ではない。旧民主党と同様、文政権はそれを知らないと見える。

 さて。最近、北京、重慶などで事業に大きな成功を収めた中国の一行に会う機会を得た。中国は今、アメリカに譲歩するよりも踏ん張って、2020年代後半にはアメリカのGDPを抜き、IT、AI、5Gの分野で世界トップを目指している。一党独裁で政府の決断が早く、成長産業には国のバックアップも得られたため、事業の成功者は、桁外れの富も得ている。

 しかし、意外だったのは、成功者たちが口をそろえて、少子高齢社会に進む中国の次のビジネスは介護事業だと言ったことだ。実際にそのために日本に視察に来ている。筆者は数年前、中国で介護施設や介護士養成学校を作るための日本側の仕事に若干かかわったことがあるが、中国の老人ホームは、台湾資本などが多く、要介護に至る前の「老人の遊び場」というコンセプトである。したがって、老人ホームは終の棲家ではなく、最後は自宅で死を迎える。つまり、日本の介護施設などを見学しても役に立たないのである。

 中国が少子高齢社会で目指すビジネスは、高所得階層に限られてくる。なぜならば、介護保険も医療保険も整備されていないので、老後には、膨大な金がかかるからだ。他方の少子化のほうも、2015年に一人っ子政策が廃止され、共産党幹部などは2人生むように奨励されている。しかし、教育費が大きいので、一般の人は2人生みたがらないと言う。なぜなのだ、共産主義国ではないのか。医療も教育も金がかかりすぎると言うのが共産主義国の悩みとは理解できない。
 
 韓国人も中国人も、我々と同じモンゴロイドで顔は似ている。しかし、お互い理解し合えているとは思えない。むしろ、筆者がかつて住んだ、アメリカやインドの方が、知識人の学問がアングロサクソンのものであり、日本と共通しているため分かりやすい。ただ、韓国と中国を比べると、日韓は、違いが強調される傾向があるけれども、共通点がはるかに多く、上述した外交でも見たように、今の韓国と旧民主党は相似形だ。それに対して、同文意識の強い日中は、ほとんど共通点はない。まったく違うと思って付き合った方が、無駄な軋轢は生まない。

 どうせ同じ顔をした我々なのだから、韓国とはそこそこ分ろうと努力し、中国とは絶対分かり合えないが共通の利益をみつけていくという姿勢が必要だ。

[2019/10/09]
気候工学の可能性



 昨日、機会を得て、ハーバード大のデイビット・キース教授の講演を拝聴した。教授は、地球温暖化防止の大規模技術である気候工学(ジオエンジニアリング)の専門家で、ハーバードではケネディスクール(行政大学院)でも教鞭をとり、政策発言も重視している。

 教授のプレゼンはDAC(二酸化炭素の直接空中接収)の工学的説明が主であったが、門外漢の筆者にとっても、産業をこのまま維持した場合、二酸化炭素排出制限した場合、そしてこのDACの技術を応用した場合を比較すると、画期的に、DACの地球温暖化阻止の威力を感じさせる。

 もっとも、気候工学は、様々な方法論が学会で主張されているが、まだ発展途上にあることや、むしろ化石燃料使用を容認する結果を招くとの批判も出ているのが現状である。また、この欄では、かつて、筆者はCCS(炭素接収貯蔵)について紹介したことがあるが、CCSと同様、これら先進工学の応用はコストの問題も解決できていない。

 キャノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹は、キース教授のプレゼンを受け、DACのコストが年150億ドルで日本の二酸化炭素を10%減らすことができるのならば、現在の再生可能エネルギーの賦課金は年3兆円だから、コストパフォーマンスは悪くないと付言。

 しかし、杉山昌弘東大准教授は、物理学的に気候工学を批判する観点から、二酸化炭素の空中含有については千年単位で考える必要があり、技術的に一旦地球を冷却する効果が出ても、その後気温が急上昇する可能性を指摘した。つまり、技術的には、道程は遠い。

 杉山東大准教授のお話で面白いと思ったのは、開発途上国のほうが気候工学の実験に積極的な姿勢をとる傾向がみられ、また、この分野の技術発展は、日本、中国及び韓国が、科学先進国が進めていくべきととらえているとのことだ。この言をあえて解釈すれば、温暖化先進技術に自信のある欧米が行えばよいということになるか。さらには、開発途上国は、欧米にキャッチアップするまでは、化石燃料を使わしてもらうということになるか。

 杉山准教授は、日本を始め儒教ベースの国においては、科学技術に対する観点が異なると指摘する。他方、キース教授はそうは思わないと発言した。現実には、気候工学は欧米で盛んであり、確かに日本を含め儒教ベースの国では、欧米に任せていると言えるかもしれない。夢物語に手を出さないのか、それとも先進科学に乗り遅れるのか。

[2019/09/23]
科学者の心



 筆者は連続して気候変動の勉強をしているが、今回は、羽角博康東大大気海洋研究所教授のお話を聴く機会を得た。先生は海洋物理学と気候力学が専門で、海洋大循環のモデリングや気候変動の物理を数学を使って解明している。
 今回は、自然科学以外の会議参加者もいたことから、数式を使ったシュミレーションよりも、海洋の莫大な二酸化炭素吸収力が減退していくこと、海の酸性化が海洋生物に悪影響を与えていること等、気候変動に関する政策に警告を与える内容であった。
 深層海流の存在は、この欄でも既に書いてきたが、今回、驚いたのは、先生が気候変動を専門とするに至った動機である。先生は70年生まれ。72年に書かれたローマクラブの「成長の限界」を読んで感動し、人間が地球を壊さない科学の方向に行きたいと強く思って、この学問を選択した。
 筆者は、「成長の限界」についても、この欄に書いた。それこそローマクラブ発表から間もない75年、ミシガン大学大学院でその本は教科書として使われた。2年前、著者デニス・メドウに会うことができ、黄色くなった昔の本にサインをしてもらったのだが、メドウの予想は全く当たらなかったのだ。彼は、「今も自分のシュミレーションは正しい」と主張していたが、農業とエネルギーのイノベーションは少なくとも今日まで地球の破壊を食い止めてきた。
 科学者は、高い知性とともに、地球上に生息する人間でもある。湯川秀樹博士が素粒子論を研究する一方、核兵器反対の運動に身を投じてきたのはよく知られる。羽角先生も、産業革命後の特にこの百年の間に、人間が化石燃料を使って気候変動を招いてきた事実は、いかに我々が氷河期に向かっているからと言っても、人間の活動を放置する理由にはならないと筆者の質問に対し、明答した。
 科学者が集まる最近の国際会議で、ノーベル賞学者であるマリナ・マリオ博士が言ったのを覚えている。「97%の自然科学者は気候変動は人間の使った化石燃料が原因だと信じている」。だとすると、自然科学者はむなしくないか。アメリカはパリ協定から離脱し、付和雷同する国もある。
 科学者は政治的偏向を嫌うであろう。また、科学と相容れぬ宗教に傾倒することも嫌うであろう。だから、心を隠して研究に勤しむ。政治や宗教の入り込む余地のない数学や物理だからこそ、あたかも深層海流のごとく、深層心理において、政治が誠実な方向性を出すことを科学者は強く願っている。

[2019/09/11]
議員定数・官僚定数の削減



 行政改革を看板にしていたみんなの党が解散してから、議員定数を標榜する政策は聞かなくなった。しかし、小選挙区が定着し、官邸中心政治が当たり前になった現在、与党の麓に存する議員や、一向に優れた対立軸を作れない野党議員の多すぎる数に注目すべきである。

 国会会期中に北方領土で酩酊した議員の行動は氷山の一角であり、内閣や重要な党務に関わらない大多数の議員は政治参加ができない、また、能力的に自ら立法や政策の提案ができない状況にある。だから、不行跡に走るのだ。それは与野党を問わない。

 小選挙区は政党の力で当選するから、選挙が安泰な政党もあれば、政党名を隠さないと活動できない政党もある。彼らの演説は、したがって、「皆様の声を国会に届けます」の一点張りだ。党の方針と異なる演説は許されないし、そもそも自ら訴えたいものを持っていないのである。経歴を見れば歴然だ。専門性を積み上げた人生を送っていない、議員になるための議員だからである。

 また、官邸中心政治は各省の専門性を低下させている。専門の積み上げではなく、政治的に官邸が先に決めるという図式が官僚の意気を削いでいる。その官僚自身、90年代から、人材が低下している。大学では、優秀な学生は外資系に流れ、官僚志望は中堅と言われて久しい。
 
 事務次官のセクハラ事件、幹部の忖度行政を目の当りにしながら、官僚の麓にいる人間もまたモラルの低下が当たり前となっている。会議また会議の繰り返しで、実世界とかけ離れたバーバルコミュニケーションが行われている。したがって、話す日本語はうまいが、中身はない。財務省も経産省も農水省も同じようなイノベーション政策を「ポンチ絵」に描いて説明に現れる。

 議員だけでなく、官僚も多いのが目につく。しかも、2−3割は精神異常で戦力から外れているとさえ彼らの中で言われている。しかし、議員や官僚が多すぎると言うと、先進国の中では多くないと反論し、確かに、どちらも突出して多くない数字が掲げられている。

 さて。多くの人が心に思い、決して実現されてこなかった提言をしよう。まず、国会議員を減らす第一歩は参議院をなくす。第二の衆議院になり下がった参議院に今更「良識の府」は期待できず、息の長い重要な法律や政策に取り組む姿勢も見られない。直近の参議院選挙の投票率の低さは、有権者が「参議院に投票したって、何も変わらない」と消極的だからなのだ。

 次に、官僚の減らし方だ。多くの規制を緩和することが一番である。許認可に関わる官僚が多すぎる。次に、お抱え学者の審議会は廃止し、民間のシンクタンクに学問的・技術的評価を得る制度をつくる。忖度政治を減らすにもこれらの方法は役立つ。

 人々は目に見えた改革を待ち望み、消費不況の長いトンネルから出られない日本に希望を与えてくれるのは、その「目に見えた」ものだけでしかない。N国党首が参議院選挙より以前に流山おおたかの森駅で演説をしていたのを聞き、「目に見える」改革を語るすごさを感じた。NHKに不満を持つものもかなりいる中で、そのシングルイシューで国会まで出てきた彼の情熱と勇気は、今の時代が求めているものだろう。

 議員定数と官僚定数を削減する主張のできる政党が出てくるべき時だ。



前ページTOPページ次ページ






(↑)このページのTOPへ

プロフィール 日々雑感バックナンバー 後援会募集 HOME

(C)2009. HIROKO OOIZUMI. All rights reserved.