元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
大泉ひろ子のプロフィール 日々雑感バックナンバー 後援会・党員・サポーター募集
日々雑感
[2019/03/23]
自然エネルギーの道



 最近、自然エネ庁と公益財団法人自然エネルギー財団のレクチュアを聴く機会があった。日本でも、太陽光エネルギーのコスト低下は進み、中国などにはかなわないにしても、早晩、原発をはるかに上回るエネルギー効率が期待できる。全世界的には、既にコストや熱効率の観点からも原発をしのぎ、化石燃料に代わる代替エネルギーとしての地位を収めつつある。
 エネルギー政策は国の重要な決定事項である。デンマークは風力発電を主電源とし、フランスは原発に重点を置き、中国はエネルギーミックスに配慮しながらも強烈な勢いで太陽光を始め自然エネルギーに舵を切っている。
 日本はどうなのか。自然エネルギーの発展は目覚ましいが、ドイツのように、目標値をもって代替エネルギーの開発を図っているのではない。ここが民間開発企業の不満を生じさせている。政府のコミットなしには、リスクをすべて自ら負って開発しなければならないのと、補助金などの呼び水なしに国際競争力をつけるのは難しいからだ。
 日本は原発再稼働に向かっている。海外への原発売込みも積極的に行っている。しかし、昨年末、イギリスでの日本の原発設置計画が凍結されたように、世界の原発へのしり込みは明確になってきた。スリーマイル、チェルノブイリ、そして極め付きが福島原発事故で、他の自然エネルギーのコストパフォーマンスさえ良ければ、あえて原発を選択しない流れにあろう。
 もちろん、原子力工学をおろそかにしてはならない。将来の廃炉技術や新たな分野での必要性を否定できるものではない。しかし、是非を度外視しても、日本の自然エネルギーの取り組みが先進国や中国の後塵を拝しているのは、原発再稼働の政策があるからだろう。
 民間は、2017年から、日本でも、RE(Renewarable energy)宣言をする企業が続出し始め、自然エネルギーの活用に身を乗りだしている。昨年、筆者が出席した国際シンポジウムでは、オゾン層の発見でノーベル賞を受賞した、マリオ・マリナ博士が「97%の科学者は、地球温暖化は人為であると確信している」と話した。つまり、自然エネの開発には科学者の協力を存分に受けられるということを表している。
 自然エネルギー財団では、地球温暖化の観点から、CE(サーキュラーエコノミー)の研究も始めているが、関連の農業分野などの研究はこれからの課題であると言う。そして、民間が頑張っても、科学者が頑張っても、一層必要となるのが政府のコミットメントだと言う。
 トランプ大統領や安倍首相の本音を聞きたいところだ。


     

 

[2019/02/27]
持続可能な開発目標とは?



 平成30年版科学技術白書を開くと、SDG、ソサイエティ5.0という言葉が先ず目に入って来る。日本の科学技術の方針にあたるものだからだ。
 SDGは持続する開発目標の略であり、2001年、国連が開発途上国向けの2015年までの8つの目標(MDG)を策定したのに続き、2015年から30年までの、気候変動などを加えた新たな17目標のことである。
 国連本部のロビーにはカラフルな17色の目標が掲げられ、国連に協調的な日本は早速これを政府の方針として採り入れた。国連では、SDGの達成にSTI(科学技術イノベーション)の方法を用いることにし、科学技術に強い日本の活躍は注目される。
 政府が目指す日本は「ソサイエティ5.0」。この欄でも紹介したことがあるが、高度テクノロジーを使った超スマート社会のことで、社会的課題を解決していく。経団連では、SDGのためのソサイエティ5.0と名付けて、この二つを結び付け、健康、エネルギー、防災などの分野の活性化につなげようとしている。
 いいことづくめのようであるが、果たして、日本人のどれだけの人がSDGやソサエティ5.0を知っているだろうか。政府のPRが足りないばかりではなく、説明も分かりにくく、具体的イメージが浮かばないのが欠点だ。また、国連や政府の目標がいいことづくめなのはいつもそうであって、どこまで達成したかはいつも不明なまま終わっている。
 ドイツでは既に求心力を失ったメルケル首相だが、演説の度に「インダストリー4」を目指すと言ってきた。これは、産学官連携のものづくり高度化社会のことで、この方がずっと分かり易い。
 しかも、SDGの17目標には、健康、食料、気候変動、エネルギー、防災、ジェンダー等世界共通の社会課題が取り上げられているものの、日本にとって最大の社会課題である少子高齢社会は入っていない。あらゆることの標準化が欧州で行われる如く、ここでも、欧州中心の課題選定が行われていることは明らかだ。一昨年、国連女性の地位委員会にNGOの立場で赴いたときに、「日本はSDGの中でもジェンダー問題は遅れていますね、欧州に比べると」と言われることになった。どうして日本は国連の優等生のはずなのに、こうも存在感が薄いのか。
 SDGの一般化された目標よりも先に日本は少子高齢社会に取り組むことをを第一にしなければならない。また、イノベーションを使ってSDGに貢献する考えはいいが、イノベーションは各国競争の分野である。国連との連携以上に、新たな産業を興す日本のためにイノベーションを使っていくことの方が先決だ。
 国連10人委員会のメンバーであり、JST(科学技術推進機構)元理事長の中村道治先生にそう申し上げたら、「国益とは、日本が国連の目標に向かって頑張っている姿を見せるのも一つの国益ではないか」と言われた。国際社会の現場で日本の国益が傷つけられているのを多く見た(最近の日韓関係もそうだ)筆者は、達観できない境地である。
 

[2019/02/20]
人口減少社会に若者の提言



 若者に人気のメディアアーティスト、落合陽一さんの話を直接聴く機会を得た。単著も多いが、ホリエモンと共著を出したり、小泉進次郎と対談したりで知られ、筑波大准教授とメディアアートの会社社長を兼ねる。メディアアーティストとは聞きなれない職業だが、メディアを使って人口減少社会を乗り切るための、技術者でありデザイナーであると筆者は解する。
 若干31歳の落合氏は、ソーシャルメディアで育ち、その使いこなしで、人口減少社会を克服する方法を説く。例えば、子育てには、ソーシャルメディアのコミューニティでベビーシッターを見つけ、母親一人の孤独な子育てから昔の家族や共同体に囲まれた子育て環境を作り上げることを提案する。
 高齢者に対しては、もっとAIを駆使することを提言する。自動運転の車椅子で散歩させ、一人のスタッフが何人もの高齢者を画像で管理する。保育にせよ、介護にせよ、人海戦術だけにとらわれず、人材不足を解決する方法はいくらでもある。
 落合氏は言う。「介護に器械はダメだ、子育てに知らない人を入れるのはダメだと主張して、若者のアイディアを邪魔しないでほしい」。確かに、中高年の意見が新たな方法論の導入を邪魔してきたために、人口減少社会の解決策が見つからなかったし、だから最近の外国人労働者活用政策に移ってきたのだ。
 落合氏の提言の基礎にあるのは、ソーシャルメディアを使ったコミューニティづくりには新たな費用が掛からない、また、器械を導入すれば初期費用の後は人件費が掛からない、つまり一人の受益者の新たな参加のために限界費用がゼロになるということだ。財政難、人材難の時代に、限界費用をゼロにすることが必要である。
 確かにそのとおりであり、我々は、日々、ユーチューブやウィキペディアなどの情報を費用ゼロで受益しているのと同じことをやればよいという発想だ。ソーシャルメディアに悪者が参加して子供に危害を及ぼすかもしれない、器械が暴走して老人にケガをさせるかもしれないという危惧は確かにあるし、具体的な事件も起きたことがある。
 しかし、それには監視システムなど予防方法を編み出せばよい、それこそがAI時代の「人間の」仕事であろう。落合先生の提言を取り上げるべきだ。日本人はものづくりにこだわり、手で触って仕事をしなければ仕事ではないと考えてきたが、モノではなくサービス中心の人口減少社会での仕事は、ソーシャルメディアや器械(AI)に代替させる機は熟した。人口減少社会の現実なのだ。
 北欧では、日本よりはるかに、介護に器械を採り入れているし、一人暮らしの認知症でも、鍵のかけ忘れの自動防止、アイコンひとつで掛けられる電話など、自立できる工夫が導入されている。日本は、もう「人の世話は人の手で」の考えを辞める時期であろう。
 ただ、AIが十分に活用される社会になっても、人間らしさのために人間が行う仕事は残る。よく言われることだが、老人には、「教育(今日行く)」ところがある、「教養(今日用)」があるの二つが必要である。そこには笑顔で迎える人間が存在していなければならない。
 ソーシャルメディア世代の落合氏と何でもマニュアルで育った老人とでは、生身の人恋しさが違うが、それは程度の差として、落合氏の提言は的を得ていると考えられる。

[2019/01/20]
自由からの逃走



 昨日、ある会合で、国際関係論の専門家が「現在は自由からの逃走の時代だ」と発言した。久しぶりに聞く「自由からの逃走」に心躍った。言うまでもなく、1941年、社会心理学者エーリッヒ・フロムが著した本のタイトルである。
 フロムはユダヤ人で、ナチスドイツを逃れ、アメリカで活躍した人である。50年も前に読んだ本だから、詳細は覚えていないが、ナチスの研究から発し、人々は、与えられた自由を使いこなせず、むしろその自由から逃げて束縛の中に安定性を見つけるとの趣旨であった。当時は、この本に心酔し、私の青春期学問の一つの宝物にもなった。マルクスやフロイトをベースにしていることから、今は若者に読まれていないのではないかと思われる。
 1648年ウェストファリア条約に始まった国民国家、主権国家の概念が崩壊しつつあることはよく知られる。グローバリゼーションが国境を越えて人、物、金の流れを作り、抗えぬ勢いの中にあるからである。西洋社会中心に続いてきた従来の価値観、資本主義や民主主義も崩壊しているとの考えが目立つ。「自由からの逃走」は、まさに行き先に迷う我々が選択しがちな方法である。
 与党内の議論不足が明らかなのにリーダーの尻馬に乗る人々。野党は常に後手に回って有効な反論すらできない。こんな政治を垣間見ながら、社会のモラルが崩壊し、基盤を失った人々が趨勢に身を預けている状態だ。まさに「自由からの逃走」現象そのままだ。
 50年ぶりに甦ったこの言葉を今年の銘としたい。自由に発想し、論理から逃げない。

[2018/12/18]
CE(サーキュラーエコノミー)とは



 最近、物財研名誉研究員でありサステイナビリティ技術設計機構代表理事の原田幸明先生の話を伺う機会を得た。かなり難しい内容だった。
 日本は、70年代のオイルショック以来、省エネ化に成功し、その先端技術を担ってきた。80年代の日本独り勝ちはまさにその日本の取り組みによってもたらされたと言っても良い。世界はキャデラックから日本の小型車に代わったのはいい例だ。
 そもそも日本は、江戸時代に物の修繕や人糞の肥料化など世界にも注目される循環型社会を作っていた国であるから、省エネやリサイクル技術が得意な民族であったわけだ。
 ところが、今年9月、フランスの提案によって、ISO(国際標準化機構)でCE(サーキュラーエコノミー)の標準化が採択され、日本やアメリカは反対したが、90年代から資源効率の改善を意識してきた欧州に日本は座を奪われた状況になった。事実、90年代は日本が見本とされていた資源効率は、近年、欧州に負けるようになった。
 原田先生によると、従来の「循環」型社会から分岐し「CE]がそのまま使用されているが、実際に、この二つは根本的に異なる。単に資源を循環させるにとどまらず、CEは技術を投じて多様な付加価値を生むという発想である。
 「循環」との違いは、さらに、欧州でよく使われるデカプリングの方法が使われているところにある。カップルを切り離すと言う意味のこの言葉は、具体的に、経済成長と環境負荷の増大はカップルであったのを、環境負荷を増大させずに経済成長をもたらそうとするものである。
 欧州では、長らく農業のデカプリングとして生産と切り離して所得補償をする制度を行ってきた。まさにその方法論である。日本では、欧州の制度を採り入れ、民主党政権の重要な政策の柱とし、農業者所得補償制度を導入したが、立法化できず予算措置にとどまり、持続する政策にはならなかっという例もある。
 CEにおいては、循環が再資源化や最終処分の減量に留まるのに対し、リビルド、リペア、直接使用などを通して物の残存価値を徹底的に引き出す。また、PAASと言って、製品を売るのではなくサービスを売るのがCEである。原田先生曰く、従来ならば、何かを切るためにはハサミを買うという発想になるが、実は「切る」というサービスを買うのが直接的欲求に合っている。つまり、物の丸売りではなく、その機能、そのサービスを売るプラットフォームを作るのがCEの役割である。
 海岸に打ち寄せる大量の使用済み製品を思い浮かべるとき、CEは夢の解決方法のようであるが、実際に解決する技術力に到達するか、難処理廃棄物を拡散させないかなどの問題があると原田先生は指摘する。
 カタカナ政策やローマ字政策は今まで成功したためしがない。企業が成長して行政指導が不要になった旧通産省では、80年代やたらにカタカナ政策が打ち出されたが、筆者が知る限り成功した例は聞いていない。だが、CEは、学問的にも政策的にもコンセプトの土台が堅固だ。日本はISOでの採択に反対したが、日本語で噛み砕いて分かり易いものにしたら政策的に使えるかもしれない。政府が推進している「ソサイエティ5.0」も分かりにくく人口に膾炙しないが、これもまた世に伝える役割を、政治家や官僚にもたせるべきではないか。
 難しいが、CEをもっと学ぼう。

[2018/12/15]
米中冷戦時代の始まり



 中国通信機器大手ファーウェイ(華為)のナンバー2である創業者の娘がカナダで逮捕されたニュースは、サウジアラビア出身のジャーナリスト、アショギ氏がトルコで殺害された事件にも増して、世界中を驚かせた。背景に米中冷戦の存在が見えてきたからである。
 トランプ大統領については、マイケル・ムーア監督を始め知識人が「本来のアメリカを取り戻せ」と声を上げている。しかし、トランプ大統領が世界に発しているメッセージは明確である。「シェール革命でアメリカは中東に石油依存する必要はなくなった。今は、知的財産権と安全保障の両面から中国を叩くことに専念する」。
 トランプ大統領は、カショギ事件に関しては「サウジアラビアはアメリカの武器を大量に買ってくれる良い客なのだから」と、ムハマンド皇太子の事件関与を放置することにした。その一方で、貿易戦争で中国を締め上げつつ、情報の世界支配を狙う象徴であるファーウェイを潰しにかかろうとしている。トランプ大統領は敵が誰かを決めたのである。
 TPP破棄、温暖化阻止のパリ条約離脱、イラン核合意離脱など、オバマの業績を次々と潰していくトランプ大統領は、アメリカファーストの下に、外交方針を明らかにしている。欧州では、中心的存在だったが政治的敗北に陥ったメルケル独首相、国民の支持を失ったマクロン仏大統領、EU離脱で躓くメイ英首相など、領袖の力が軒並み落ちている中で、トランプ大統領は独り独自の外交を繰り広げる。
 しかし、トランプの外交が根拠なしに行われているわけではない。雑誌「フォーリンアフェアズ」にポンぺオ長官は「イランは核合意を箕にして、経済制裁を解き、中東の覇権を狙う」とイランの様々の「悪事」を語り、トランプ外交の正しさを主張する。オゾン破壊でノーベル賞を受賞したマリオ・マリナが「人間の活動で温暖化が進む事象は97%の科学者が信じる」と言っても3%が信じないなら、疑わしきは罰せずの理屈も通る。トランプは「私は信じない」と言ってパリ協定から離脱した。
 ただし、TPPの破棄はトランプ外交と矛盾する。中国が進める一帯一路にとって、TPPは太平洋諸国の別ルールが存在するため邪魔だったが、トランプが保護貿易主義を掲げて自ら破棄してくれたのだ。中国は、あたかも従来の米国の立場を勝ち取ったかのように、自由貿易主義を標榜し、WTOの立場を強調した。ただし、そのことで、EUを味方に付けるつもりが、EUはそもそも中国を信頼していないので、反応してはくれなかった。
 トランプ大統領は、当初、習近平主席と和気あいあいの関係を演じ、習近平を「立派な指導者」と褒め上げたが、いかにも商売人らしく、「ディール」に及ぶと態度を一変させ、中国製品に対する関税引き上げに出た。今や両国の貿易戦争は、万全と言われた習近平の地位も揺さぶるまでに至っている。また、トランプは、もともと不仲の中国と北朝鮮関係を視て、北朝鮮をカードに使おうと考えたのかもしれない。
 トランプ大統領が商売人なら、次に来るのは「落としどころ」だ。既に米中戦争は始まったが、しばらくは、落としどころのある起伏の激しい状況が続くのだろう。そして、かつて「プーチンを尊敬する」とまで言ったトランプ大統領が老練の策士プーチン大統領とはどんなバトルを演じるのであろう。とりあえずは、中国か。
 日本の安倍外交は国際社会で信頼を得ている。国際法違反の徴用工判決をいかにして覆すか、トランプの仕掛ける米中冷戦にいかに臨むか、日ソ平和条約をいかに実現させるか、安倍首相の行動が注目される2019年となろう。
 

[2018/11/26]
若者の主張



 過日、ある公益団体の主催する若者の弁論の審査委員を務めた。予選を勝ち上がってきた若者たちは、いずれもプレゼンがうまく、納得させる内容であった。
 若者が選んだテーマは多岐にわたった。自らの国際体験や社会問題も勿論あったが、異色だったのは、志の立て方ややる気の出し方といったテーマが登場したことだ。前者は偉人に学べ、後者は心理学を使って心の発露を見つけろ、というもので、力作であった。
 聞きながら思ったのは、我々団塊世代は、いわば満員電車に乗せられて、進学、就職、結婚という名の駅を、仲間に引きずられて大量に降りて行った。降り立つことに疑問を差し挟む余地はなかった。みんなが当たり前に考える人生の夢を端くれでも持っていれば、簡単に結果を得たような気がする。
 しかし、今の時代は難しい。より高学歴化、専門化、少数精鋭化した中で、いかに志を立て、いかに目的意識を以て生きるのか、それ自体が大きなテーマになっている。考えあぐねて引きこもりになることもあろう。志を持て、やる気を出せ、というテーマは抽象的だが、若者の、しかも多くの若者の悲痛な思いを表したものであることが分かった。
 これに対して、筆者は若者に助言する術を持たない。確かに、人生の分岐点ごとに進む道を決めてきたが、判断ミスも多く、さりとて、いま、後悔しているわけでもない。人生はやってみないとわからないからだ。逡巡する暇はなかった。長らく生きれば、そういう結論になる。だから、考え過ぎずに前進あるのみだとしか言いようがない。
 もう一つ、若者のテーマの中に、性道徳が入っていたのも驚いた。若者の行き過ぎた性交渉を憂慮し、結婚と性を同時にすべきであるとの主張は、団塊世代よりも以前の「リバイバル」である。家族社会学の山田昌宏教授によれば、団塊世代前後は恋愛と結婚がイコールであり、今の若者は恋愛と結婚を分けて考える、そのことが少子化を生むと言う。卓見だ。実は若者は出会いがないから結婚しないのではなく、恋愛と性のフリーマーケットの中で、結婚まで至らないのだと言う。
 こうなってくると、古色蒼然の団塊おばさんが若者に助言することはできない。時代逆行は難しい。しかしながら、若者の間から、性交渉の行き過ぎのテーマが出てきた事実は、ファッション化した潮流に入れない人が存在することを意味する。志を目指して「自分探し」を続ける若者がいるのと同様、潮流に流されたくない「自分」がここにもいる。
 西洋の諺Strive not against the streamは、東洋でも同様、流れに棹さすな。流れのまま生きれば一定の結果を得た我々古い世代は、流れに乗れない若者を守り、その力を信じよう。彼らの手によって21世紀の奇跡が起こることを祈る。

[2018/11/23]
ケアマネジメント



 ケアマネジメント研究の第一人者白澤政和桜美林大学大学院教授のお話を伺う機会を得た。教授は、今年、「ケアマネジメントの本質」(中央法規)を出版し、三井住友海上福祉財団賞を授与された。その授賞式の席上のことである。
 言うまでもなく、ケアマネジメントは介護保険制度成立と共に導入された概念であり、利用者に合ったケアを計画し作成する方法のことである。アメリカでケースマネジメント、イギリスでケアマネジメントと呼んでいたが、日本はイギリス式の名前を採った。
 そもそもこの方法は、1970年代後半のアメリカで、福祉利用者が選んだ窓口によって受けられるサービスが異なるのは不合理と見て、福祉全体の横のつながりを大切にしながら、ベストのケアを選ぶ方法論として開発されたものである。精神病患者に施されたのが始まりである。
 白澤教授の論点を簡潔に言うと、日本は、ケアマネジメントを介護保険の利用者に付随した概念として捉えるあまり、老老介護にあたる家族介護者や、障害者、あらゆる年齢の福祉需要者に対する視点に欠けていると指摘する。
 高齢者の自立をケアの目的とするときに、子供時代から高齢に至る今日までの生活の連続性を保障する観点が必要である、と教授は言う。心身の自立を自己決定するのは高齢者自身であり、生活の連続性からくるその中身は人によってそれぞれ違っているはずである。
 教授によれば、実は、介護保険制度が始まってから、介護不安はより高まっている。これに対応して、ケアマネジメントは「丸ごと、我が事」相談ができなければならない。生活の連続性、家族介護者の視点は勿論含まれる。さらに地域支援も取り込まれねばならない。高齢者一人のためのケアマネジメントであってはならないのだ。教授がケアマネジメントの本質として主張するのはこういうことだと私は理解した。
 白澤教授は80年代、ミシガン大学の老年学研究所で学び、ケアマネジメントの研究を始めた。私は、その数年前、70年代、ミシガン大学で行政学修士を修めた。筆者が人事院留学生としてミシガン大学を選んだのは、留学の1年前の1974年、ミシガン大学に全米初の老年学研究所ができたからである。筆者は当時、厚生省の老人福祉課にいて、老年学研究所の単位もとりながら勉強しようと決めた。実際、修士論文は、アジア系移民の老年をテーマにした。
 今も、ミシガン大学老年学研究所出身の学者は日本でも多い。高齢社会への関心が今ほど高くない時代に、老年学のメッカであるミシガンで学んだ経験を共有したことにより、筆者は白澤教授の研究に興味を持ち、応援していきたいと思った次第である。

[2018/11/22]
地中海ダイエット



 最近、磯田博子筑波大地中海・北アフリカ研究センター長のお話を聴く機会を得た。日本、チュニジア及びモロッコの間で生物多様性条約に基づく契約を結び、磯田教授は頻繁に現地に足を運んで地中海に自生する食薬を研究している。生物多様性条約を巡っては開発途上国と対立しがちだが、将来の製品化を視野に入れて、利益配分等も明確にしたと思われる。
 日本では、地中海ダイエットがかなり浸透していて、「我が家はオリーブオイルしか使わない」という人がいる。そのオリーブは赤血球を増やす作用があり、他にもイスラムねぎは非アルコール性肝炎に効く等々、伝統的に薬効ある植物のエビダンスを引き出すのが先生の研究である。ローズマリーやアロマは欧州発だが、香りの「薬効」も研究対象である。
 古来、エジプトのピラミッドが盗掘されたのは、金銀財宝と並んで、ミイラの「薬」としての価値を見出していたからだ。アジアでも、漢方薬となる植物や朝鮮ニンジンは高価であり、大切にされてきた。動物も、回春作用のあるスッポンは貴重で高価な食物である。しかし、これらの多くは、経験的に効用があるとされてきたのであって、現代になってその薬効の成分分析や効用のメカニズムが明らかにされている。まだ端緒と言ってよいのかもしれない。
 今回のノーベル医学・生理学賞受賞者に決まった本庶佑教授は、癌の免疫療法のメカニズムを解明した。かつて丸山千里日本医大教授が、結核患者にがんが少ないのに着目し、結核菌から抽出した丸山ワクチンを開発し厚生省に申請した。しかし、先生が亡くなって30年近く経つ今も承認は得られていない。これこそ癌の免疫療法であるが、効用のメカニズムが解明されないままであった。本庶教授は、免疫療法のその解明によってノーベル賞をを受賞したのである。
 それでも、多くの癌患者が丸山ワクチンを求め、自主的に使用してきた。地中海ダイエットにおいても、経験的に効用があって現に使われているものを科学的に解明していく、ある意味での「創薬」を目指す研究である。医食同源、薬食同源の世界を広げる期待の高い研究と言えよう。
 現実の世界では、これ一つ飲めば、病気が治る、美しくなるという製品の宣伝に出くわし、いずれも信じがたい。何か一つの摂取で健康になったり、綺麗になったりした人に会ったことがないからである。思い込むことによる精神的効用があると言えばそれまでの話だが、研究が進み、エビデンスの有無が大抵明らかになった時には、「昔はものを思わざりけり」になること必至である。

[2018/10/30]
発達心理学を政策に活かせるか



 最近、発達心理学者の渡辺弥生法政大学教授の話を聴く機会があった。子供の認知の発達は、鏡の中の自分が分かる、ずるいと思う感情、嘘をつくなどから、段階を経て成長するのが観察できる。9歳の壁があって、他者との関係、道徳、過去未来の意識、抽象的思考が芽を出す。この時期、聴覚障害の子供は発達において困難な状況を迎える。とりもなおさず、この時期はコミュニケーションが重大な道具となるのである。
 感覚的には分かっていることだが、専門家はデータで事象を科学する。筆者はおよそ心理学を勉強したことはないけれども、納得のいくお話しであった。では、発達心理学の成果は政策に活かされているのかと渡辺教授に問うと、先生は「そこが心理学者の弱いところ」と答えた。つまり、データ分析に留まり、行政に働きかける動機には欠けるということだ。
 文科省でも厚労省でも、審議会に発達心理学者は入っているだろうが、確かに、それが、学習指導要領や福祉サービスの内容に具体化されたのは目にしない。「心」を強調する学者は多いが、この抽象概念は政策化できないのである。
 子供だけではなく、老人についても、老年心理学の分野がある。認知症のケアに、老年心理学を活かした現場レベルでの対応はあっても、政策がそれによってできているわけではない。現場でも、老年心理学の応用は手探り状態であろう。
 ノーベル生理・医学賞を受賞した利根川進氏は、かつて「21世紀には、人間の心が何であるか生物学的に解明される」と宣言したが、脳科学の目覚ましい発展がみられたものの今日まだその全容は明らかではない。生物学的に解明されない限り、「心」の政策はできないだろう。政策もまた科学性を求められるからである。
 筆者は、長らく、心理学は果たして科学なのか疑問に思っていた。生物学などと学際的研究を進めることにより、もう少し、政策的に活かす方法を考えても良いかもしれない。



前ページTOPページ次ページ






(↑)このページのTOPへ

プロフィール 日々雑感バックナンバー 後援会募集 HOME

(C)2009. HIROKO OOIZUMI. All rights reserved.