元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2018/10/09]
改めて、国連



 10月24日は国連の日。1945年この日、国際連合は発足した。日本は、1952年のサンフランシスコ条約で国際社会に復帰したが、1956年の日ソ共同宣言でソ連との国交回復後に国連に加盟した。
 以後、岸信介が60年安保改定を乗り切るために、日本の外交はアメリカ一辺倒ではないとして、国連中心主義を掲げた。国連中心主義という外交方針が採られるようになった所以であるが、現実には多くの人の目では、日本の外交は安保体制を中心に行われてきた。国連中心ではない。
 アメリカに次いで国連に対し第2位の拠出国であり続けた日本は、長らく、安全保障理事会の常任理事国に入ることが念願であった。しかし、来年から、中国が日本を抜いて第2位の拠出国になることにより、この件は実現できそうもなくなった。目標を失った日本は国連外交で今後何を目指すのであろうか。
 国連は、安全保障理事会が拒否権によって機能しない代わりに、経済社会理事会の開発・人権に関わる仕事に力を入れてきた。日本も人間安全保障の分野で活躍したが、一方、開発援助の分野では、90年代には援助額で1位を誇ったものの、今では5位に落ちている。日本の有権者は長いデフレ経験から「日本の格差が進んでいるのに、海外援助する必要はあるのか」という意見が多くなっている。
 筆者はかつて国連総会で設立されたユニセフに出向したことがあり、国連の仕事の一端を担った。開発途上国の情報の蓄積が大きく、日本政府にとっても利用価値の高い機関と思われた。しかし、今も昔も、国連と国連関係機関に日本はあまり進出しない傾向がある。単純に、日本人は英語が下手で人材がないという理由もあるが、今や大国日本にとって、国連の存在自体が薄れたこともあろう。
 日本は、国連においても、アメリカの意向を支持してきた。現在、トランプ大統領は明らかに国連を軽視している。最近亡くなった二代前のコフィ・アナン事務総長はブッシュ大統領のイラク戦争を批判してアメリカの不評を買い、潘基文前総長はISISに手を打たず、韓国人脈を築くのに終始したと言われる。ポルトガル出身のグテーレス現総長は国連の力量回復に貢献できるか。彼は、暗にトランプを批判し、長崎の原爆の日に来日した人である。日本はどう付き合うか。
 日本が国連を使って国の法制度を変えてきたものがある。それは、1991年の湾岸戦争の時、国連決議の下で諸外国が出兵するのに日本は自衛隊の派遣ができなかったことに始まる。出兵の代わりに1兆円もの軍事費を提供したにもかかわらず、全く感謝されず、1992年、PKO法を作り、自衛隊の海外派遣を可能にした。2015年の安保法制は、実質日米同盟のためだが、集団安全保障の考えは国連活動においても必要であった。 
 秋は国連平和デーや国連ガールズデー等関連行事が多い。日本は国連という道具をどう使っていくのか、あるいはもう使わないのか、明らかにする良い機会だ。そうでなくても、世界は、米中経済戦争、新たな権力集団と言われるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)で動いている。国連の影が薄いと思うのは、筆者だけではあるまい。
 

[2018/09/27]
新潮45問題



 標記については、連載「リベラチェ アット ハート」の関連記事として掲載しましたので、右のアイコンからアクセスしてください。

[2018/09/27]
貴乃花は人生相撲に勝つ



 オリンピックが近いことと関係あるのか、最近はスポーツ界のパワハラとガバナンスの問題が次から次へと報道のターゲットになっている。レスリング、ボクシング、アメフト、体操、・・・就中、相撲は国技であり、日本社会の問題と言っても過言ではない。
 筆者はスポーツの世界には疎い。しかし、今や、スポーツ界の問題というよりは、日本の会社組織にも通ずるガバナンスのあり方が問われている。貴乃花が投げかけた問題は、どこの会社にも存在する。「全て前例に従えではなく、合理的に判断し、もっと組織の風通しをよくしたらどうか」とは、つねに若い人が上司に向かって進言してきたことであろう。上司は、これに応えず、人事で彼を干すという姑息な報復をする。
 貴乃花は何度も同じ進言をしつつ、ついに疲れた。降格人事や、一門に属さない彼の道を閉ざすルールがつくられ、「もはや、これまで」と引退を決意したのだ。マスコミは賛否両論で、「一本気の改革派」と好意的にとらえる場合と「協会とうまくやりつつ、自分の我がままよりも弟子を大切にすべきだ」と彼の攻撃に回る場合とがある。
 貴乃花がすべて正しいかどうかは不明だ。しかし、彼は、会社に合わないからすぐに辞める今風の新入社員ではない。国民の歓喜をもたらした大横綱を全うし、一代年寄株を得て、自らの相撲道を実現したかったのだ。日本のため、日本人のため、だ。彼は入門して既に30年の年月を経ている。これだけの経験者をそして偉丈夫を「もっと周囲とうまくやればいいじゃないか」の意見で片付けようと言うのか。間違いだ。
 20年以上も前、筆者が厚生省の課長だった五月の子供の日、貴ノ浪関(故人)が厚生省前玄関の鯉のぼりを挙げに来た。その年の初場所優勝者がその任に当たるのが慣習となっていた。貴ノ浪は20歳ちょっとで、筆者の年齢の半分以下だったが、食事をしながら聞いた勝負師の哲学は、身も震えるほどすごいと感嘆した。豊かな言葉遣いや身に付いた人生哲学に「成熟」を見た。役人人生の筆者が幼く思えた瞬間だった。
 道を究めた人を悪しざまに扱ってはいけない。貴乃花は必ずや人生相撲に勝つ。社会は彼を十二分に受け入れ、応援すべきである。
 

[2018/09/10]
少子化政策の提言



 標記について、あるシンクタンクに提出した文章を、容認を得て掲載することにしました。右アイコンからアクセスしてください。

[2018/09/07]
子供の「自由」



 昨日、内田伸子お茶大名誉教授の話を聴く機会を得た。題は「子供の養育環境改善の提言」。発達心理学を専門とする先生が長年に渡り着実な研究を積み上げた「子育てと教育の在り方」議論だった。
 内容を概括すると、子供の脳の発達による認知革命は、生後10か月頃、5歳の後半頃、9〜10歳頃の3回起きる。
 一回目の赤ちゃんの時に、気質が決まる。人間関係に敏感な「物語型」は女児の80%、モノの動きや因果的成り立ちに敏感な「図鑑型」は男児の80%を占めると言う。これらが病的に(極端に)表れるときは胎内での発達異常が原因である。ダウン症、自閉症、LGBTもここに原因が求められている。
 言語の習得により、ウラルアルタイ語族(日本語)と印欧族(英語)の違いが出る。日本語は「そして、こうなった」という時系列因果、英語は「こうなったのは、なぜなら・・」という結論先行の因果で成り立つ。このことが、討論に強い英語圏と弱い日本語の差をもたらす。ただし、研究では、意識すれば日本語でも討論重視の話し方ができるという結果を得ている。
 親の躾は、子供との感情共有型と強制型に二分される。共有型は子供の自由を尊重する方法である。比較研究の結果では、共有型の子供は有意に語彙が多く、長じて高い資格などを取る可能性が高い。塾や習い事は子供が自ら望まない限り、脳の委縮など逆効果である。
 英語教育は、海外子女の研究により、母国語の基礎を築いてから外国語を学ぶ方が修得が早く、小学校の低学年までは、母国語を確実にすることが肝要である。教育する側の環境も整っていない状況の中で、小学校低学年から英語を導入することになった政策は一考の余地がある。
 上述の議論は、科学的にもサンプル数の多さでも、非の打ちどころのない研究成果であり、納得のいくものであった。しかし、出席者の中で、小学校の教員を務めた経験のある方が「これでは、子供に何も教えるなということではないか」と憤懣を表した。
 筆者は、日本の社会では、内田理論を実践するのは難しいと考える。日本のような権威主義的な社会では学歴や有名企業の肩書が重要であり、学校の先生はアンチ・リベラル(戦後日教組の反動)であり、家庭では、一人か二人の子供しかいないから失敗ができないとの考えから、手っ取り早い「強制型」子育てや教育に傾きがちだ。
 人口を増やす少子化政策は「量」の問題だが、教育や躾は質の側面を解決する。これからの少子化政策は、その意味で文科省の役割が大きい。今も保育所待機児童ゼロが少子化政策のメインとは情けない話である。自由を奪われた今の日本の子供たちが、若者になって「革命」をおこすであろうか。多分それはない。人口、経済、そして若者の夢も小さくなっていくのが日本の運命だ。子供に自由を返し、感情共有型の躾と教育を必死で望む。
 
 
 
 

[2018/08/11]
地球の裏側から



 国連NGO団体の御厚誼で、ブラジル・サンパウロに行く機会を得た。サンパウロは2002年、サンパウロ大学のシンポジウムに招かれて以来、16年ぶりである。
 16年前、在日の日系ブラジル人の年金掛け捨て問題がテーマで、日系人に優先的労働ビザを発した日本政府が、日系ブラジル人の年金掛け捨てを看過しているのをブラジル政府は怒っていた。サンパウロ大学のシンポジウムは激論になった。幸い、日伯年金協定が成立し、筆者が衆議院外務委員会の委員だった2012年に批准された。筆者はこの問題に縁があったのである。
 今回の会合で、筆者はこの問題に触れ、また、第二次世界大戦中、両国は交戦国であり国交断絶もしていたが、これらの過去のわだかまりは解決し、互いに友好関係にあることをスピーチした。もうひとつ、昨年の国連女性の地位委員会のモニタリングに参加し、日本もブラジルもGEM、即ち、女性の社会進出が遅れている事実を改めて認識したことも付け加えた。日本とブラジルの知られざる共通点である。
 今世紀初頭からBRICSと言われ、ブラジルは目覚ましく発展を続けてきたが、周知のとおり、前大統領の弾劾、経済の低迷で、現在は苦境にある。10月には大統領選挙を控えているが、予測を阻むほど混迷している。しかし、ブラジルはたくましい。同じ資源国オーストラリアなどと違って、航空機や自動車産業など工業国として発展している。自国生産のトウモロコシを使ったエタノール入りガソリンを使うなど、世界に先駆けた技術も持つ。
 ブラジルの発展に尽くしてきたのが1908年に始まる日系移民である。日系人はあらゆる分野で活躍し、敬意を持たれている。その日系人が造ったサンパウロ病院は日本製医療機器の導入を優先し、日本から学んだ衛生管理の行き届いた綺麗な病院である。社会保険制度は日本のように完備していないが、医療チームが常勤ではなく、ローテーションを組んでさまざまの病院を回ることにより、医師不足の解消に努めている。
 病院長に、「ブラジル人の死因は何ですか」と聞いたら、勿論、癌や心疾患や肺炎なのだが、病院長はおどけて、「殺人です」と答えた。麻薬組織の関連で殺人が増えているブラジルの実態である。
 BRICSの国々はそれぞれ問題を抱えているが、ブラジルは、ラテンアメリカ一の経済力と人口を持つ、ラテンアメリカの星である。世界をリードしていく可能性も秘めている。ロシアもインドも中国も日本に近いが、時差12時間、まさに夜昼逆の、地球の裏側にあるブラジルに親しみと期待を抱いた機会であった。

[2018/07/30]
安倍政権と官僚・天皇



 文科省の行政が停滞している。言うまでもなく、重なる幹部の逮捕である。司法の裁きがあるまでは、「だから、文部省は・・」というのは早い。
 文科省や厚労省のような非経済官庁は、経済官庁と違って、なべて人材はおとなしく、仕事も私生活も慎重である。出来そうもないことにもチャレンジする経産省や政治家を掌にのせる財務省のようなダイナミズムはない。
 しかし、文科省(旧文部省)は2001年、科学技術庁を合併してから変化していると思う。理系の技官の存在によって、仕事が精緻になり、前向きの姿勢が見える。(従来、そうでなかったわけだ)。イノベーションが日本の存亡にかかわるようになり、科研費の拡大・配分を担う文科省の役割が大きくなったのである。
 科研費と直接関係はないが、文科省が最近始めた「訪問型家庭教育支援」は、従来学校教育と家庭教育に境界線を引いていた文科省が積極姿勢に変わり、地域や家庭に出ていくことを決意した事業である。教員OBばかりでなく、保健所や児童相談所などの厚労省のインフラも使い、虐待などの今日的課題に、文科省が乗り出す。
 これからは、少子化対策も、産む性の教育、教育無償化など文科省の役割は厚労省よりも大きくなると思われる。「いよいよ文科省の時代」という矢先の幹部の逮捕。文科省課長級40人が自ら改革を図ろうとする動きもあるそうだが、必要あれば、政治とも闘わねばならない。森友・加計でもつまづき、全てが官僚の矜持崩壊ゆえと国民に解されぬよう、勇気を出してほしい。
 最近は、安倍一強の下で、政権に対抗できる人は少なくなった。学者も然り、である。民主党時代の御用学者は、民主党に呆れて離れてしまった。その中で、最近、「国体論」(集英社新書)を著した白井聡先生(京都精華大学)はすごい。4月刊行で既に7万部となるこの著書は、前著「永続的敗戦論」に書いた、今日まで続く対米従属論の続編である。
 この中で、面白いのは、2016年8月の天皇辞意の「お言葉」を、終戦を導いた「玉音放送」に匹敵する今上天皇の意思表明と解し、暗に今上天皇が「マッカサーが昭和天皇の上にいたように、日本国民統合の象徴は私ではなく、アメリカだ」という趣旨を内包していると言う。しかも、このお言葉は安倍首相にとって「不意打ち」だったのである。
 お言葉は、完全に天皇の私的な言葉ではありえなく、国事行為に準ずるものだから、内閣の助言と承認に基づいて行わねばならない。もし、不意打ちならば、お言葉そのものが憲法違反になってしまう。天皇はそこまで覚悟して発言したと白井先生は言う。
 白井先生は若くて頭の回転が速く、清々しいお方だが、舌鋒は鋭い。安倍政権は、弱すぎる野党と、総裁選を降りた宏池会のような優柔不断の自民党によって支えられている。しかし、天皇や官僚をもっと大切にしたほうが良いのではないか。筆者が安倍首相に提言するようなことではあるまいが。

[2018/07/18]
成育基本法ーもうひとつの少子化対策



 昨日、日本小児科医会名誉会長の松平隆光先生のお話を聴く機会を得た。先生は来年の通常国会での成立を望む成育基本法に期待をかけている。
 もう10年以上も前から、医師会等を中心に小児保健法の検討が行われ、途中から、「胎児から成人まで」という発想から成育基本法と名を変えて、子供の医療を中心とした一貫した育みを目指してきた。昨今の乳幼児虐待死や子供の貧困問題など社会問題の解決に新たな政策集中を図る内容である。
 いわば、少子化政策は人口政策として、子供を量的に捉える課題だが、少ない子供を一人残らず立派に育てるための「質的な課題」に取り組むのが成育基本法である。その目的は、国、地方公共団体、医療関係者の責務を明らかにし、成育過程にある者の保健、医療及び福祉施策を総合的に行うというものである。
 基本法だから抽象的だが、生命・健康教育、子育て支援体制、周産期医療の充実など成育基本計画を策定して、目標値に到達していくことを狙う。
 では、具体的に何が問題なのか。筆者が厚生省で児童行政に携わっていた頃、問題の一つとして、学校保健法が文部省(当時)の所管で、子育て政策を一貫してできない縦割りの壁にぶつかった。子供の糖尿病や、中学3年生の女子のダイエットなどが統計上認知されても、取り組みの場がほとんど教育現場に限られるため、厚生省からの関与が限られていた。成育基本法の成立によって保健所や医療機関の取り組みを強化することが望まれよう。
 子宮頸がんワクチンの問題も、なぜ中学3年生の女子が対象なのか、副作用は本当にないのか、「産む性」を守る教育も施すべき中、ワクチンの早期取り組みだけを行う意味は何なのか、十分な議論が行われたとは言えない。厚労省と文科省の連携が不十分である。これも、成育基本法の成立によって、国の責任の明確化のところで解決していくべきである。ということは、今の成育基本法案に欠けているのは、医療と教育の連携であり、文科省をもっと巻き込まねば、厚労省だけの「基本理念」、またぞろ「お経」だけで終わってしまう可能性がある。
 責務を国、地方公共団体だけでなく、医療関係者に負わせるのは大きな前進である。例えば、生まれた子供の低体重の問題がある。出生児平均体重は、1975年の3200グラムから、2012年の2950グラムまで落ちた。これは、やせ形の女性が増え、高齢出産が増え、さらに低体重で生存が可能になったから、というよりは、むしろ医療供給者側で「小さく生んで大きく育てる」を強調し、妊婦の体重管理を厳密に行い、難産になりやすい大きな赤ん坊を避けたのが原因ではないかと思われる。
 同様に、統計学的に有意なまでに帝王切開が増えているが、これも、難産を避ける医療供給側の原因が大きいと思われる。難産で障害を負った場合、訴訟になりやすく、医療供給側でそれを避けようとするのは責められないし、産科医がそれゆえに減っているのも、別の手立てを考えねばならない。少子化は家庭の中でも進み、子供がたくさんいれば障碍児も受け入れられたが、数限られた子供の場合には、許容範囲が狭まり、いきおい訴訟へと向かうことになる。これも少子社会の現実だ。
 成育基本法は、マクロでばかりとらえられてきた少子化をミクロの視点で、質的向上を目的とする、その理念は優れている。しかし、以上のほんのいくつかの問題に解答が出せるほどの具体性はない。医師会など業界から発想したことは奇特だと思うが、他方、民主党政権時代は議論が止まり、医師会が政党として自民党を選んで立法しようとしているのはいささか気になる。今の野党では話にならないと言うのは分かるが、結果的に医療供給側保護に回らぬよう、また、医療・福祉関係者の好きな、フィンランドの子育て制度など北欧の例が神格化されぬよう願いたい。もっと万機公論に決すべき少子化の課題である。

[2018/07/13]
海洋国家日本は続くのか



 世界で一番肉を食べるのがアルゼンチンならば、一番魚を食べるのは日本である。だから、日本は海洋資源の研究開発に力を入れてきた。しかし、現在、海洋科学の予算を減らしているのは、世界で日本とロシアだけという情報がある。他方で、養殖を始め、猛烈に取り組んでいるのが、またしても中国である。
 一昨日、津田敦東大大気海洋研究所教授のお話を聴く機会に恵まれ、海洋研究は、実にダイナミックであることを知った。2007年までは、アメリカも日本も競って、海洋に鉄撒布をし植物プランクトンを増殖する実験を手掛けた。その結果、地球を冷却し、温暖化を食い止めようとしたが、生態系の問題や地球工学的に非効率などの理由で今は行わなくなった。2008年のロンドン条約で商業的海洋肥沃化は禁止され、日本もそのガバナンスに支配されている。海洋で日本は我が道をなかなか行けない、欧米に制止されることが多い。クジラの例を出すまでも無かろう。
 生態系や生物多様性を強調するグループが特に欧州には多く、その議論は難しい。津田先生自身が「なぜ多様性が必要なのか、人類を幸福にするのか結論は出ていない」と言われる。同席の学究から、「我々は多様なものを食べている。多様性を維持しないと、何かが絶滅した時に我々も死ぬことになる」と教示してくれた。なるほど。
 宇宙も海も知らないことだらけだ。同席の学究から「日本はもはや海洋国家とは呼べない」というほど海洋の研究開発や資源の争奪などで優位性を失っているそうだ。この流れは絶対に変える必要がある。科研費や科学産業化の予算は、社会保障費に比べたら目に見えないくらい小さい。骨太2018では、科学予算に触れていないが、予算配分のダイナミズムが求められている。

[2018/07/11]
医食同源



 一昨日、農業・食品産業技術総合研究機構の山本万里先生の話を聴く機会を得た。機能性農産物の開発研究を明快に、多岐にわたってご教示頂いた。超高齢社会で高齢者及びプレ高齢者の関心を集め、市場の需要も高い分野である。
 内臓脂肪減少効果のあるβグルカン大麦、認知機能改善効果の玉ねぎ、骨粗鬆を抑制するみかん、抗アレルギー作用のあるべにふうき緑茶など、食品であるだけに、人体で「治験」され、大きな効果を上げていることを知った。ならば、副作用の多い薬など要らないではないか、と誰もが思う。
 確かに、機能性食品は、薬の代替性が高く、また、特定保健用食品(トクホ)と違って、日常食として咀嚼して健康を保つ大きなメリットがある。ただ、いかんせん、機能性食品は高いのだ。先生が示した機能性食品オンパレードの弁当は6000円。これでは、結局保険のきく薬や、錠剤で割安のトクホに負けてしまう。
 先生によると、機能性食品開発の目的は、健康寿命と平均寿命の差約10年を2年縮めるところにあるそうだ。非常に意欲的な目標であり、健全でもある。薬が「治療」を目的にしているのとは大きな違いがある。ガンの治療が放射線や抗がん剤などの対症療法から免疫療法やDNA療法に代わっていくであろうのと似た発想である。
 我々は永遠に生きる生命個体ではない。平均寿命を伸ばすよりも健康寿命を伸ばすことを目的とし、しかも、食べるだけで健康を保つのであれば、生きる喜びも大きい。古の中国から伝えられる医食同源をまさに実現するのである。6000円の弁当が600円になる日を待つ。



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