元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2018/06/21]
広井教授の「夢人口」



 広井良典京大教授の近著「持続可能な医療」は、サイエンス、政策、ケア、コミュニティ及び社会保障の観点からの論理的な現状分析の後に、死生観としての医療が書かれている。この最後の部分に、もともと科学史・科学哲学を専門とする彼の本意が現れる。事実と論理を重ねた最後に、少し煮え切らないが「新理論」を掲げたのである。
 広井さんは、実は厚労省の後輩である。かつ、東大教養学部の後輩でもある。厚労省で出会った数々の人の中で、彼は、間違いなく突出した逸材である。官僚生活は10年で辞め、研究の道に入ったが、著書は多く賞にも恵まれている。彼の書くものは心躍る理論があり、説得力を持つ。チマチマとした社会保障論を嫌い、科学の歴史からみた現在の分析と認識を見事に与えてくれるのである。
 彼によれば、人類社会は何度か繁栄の極に達すると、定常状態になることが繰り返されてきた。たとえば紀元前5世紀ごろは定常状態になり、この時代に、仏教、儒教、旧約聖書、ギリシア哲学など今日まで続く世界の文化が生成された。現在の世界は、人口と、資本主義による経済成長が定常状態に入りつつあり、日本はその先陣を切っている。
 この定常状態の中で、かつてのように、新たな哲学のシャワーが降り注ぐだろう。その一つが、医療や生き方の根本となってきた「生産者中心の仕組み」を変えねばならないということだ。広井さんは、現実に直視してすべきことは、高齢者には医療以前の「居場所」の解決を、そして若い世代には富を使う社会の構築を急がねばならないと主張する。むべなるかな、である。
 高齢者と子供を合わせて従属人口が形成されるが、団塊世代が子供のころは圧倒的に子供が多かった。今、従属人口の構成は圧倒的に高齢者が多くなっている。広井さんは言う。子供も高齢者も、社会の生産者になりきらない「夢」の存在、つまり、夢うつつの状態に位置し、子供はやがて夢から覚めて現実社会の構成員となっていき、高齢者は死の世界にいざなわれる。
 広井さんは、従属人口を「夢人口」と名付けた。子供は未来を夢み、高齢者は、次第に夢と現実の境がなくなり赤子に戻って、夢でしか知らないあの世に去る。ワーオ、いい命名だ。筆者もそれに近いことを常々考えてきた。現役時代は現実に即した夢しか見なかったものを、現在は、夢と現実が全く違う世界になっている。だから、高齢者は夢うつつで生きているようなものだ。
 夢人口に属していることは実は幸せなのだ。子供は敗れるかもしれない大きな夢を将来に託す。高齢者は「脳が見た現実の夢」を離れ、新たな夢の世界に入る。高齢者にとっては、生産者のための急性医療ではなく、夢に入るまでのこの世の居場所、それは、雇用なのか別の形の社会参加なのか選択肢は多くあろうが、それを整えるほうが重要なのだ。欧州の地方都市は、街を歩くだけで、人と会い、座り込み、日がな一日静かな喜びに満ちている。そのような場をつくることの方が急務ではないのか。
 他方、生産者となるべき子供には、医療も教育も十二分に機会を与えねばなるまい。消費税を引き上げても、教育に使うとした安倍さんは正しい。だが、一方で、借金返しもしていかねばならない。なぜなら、ツケを払うのは今の子供たちなのだから。相続は猶予を与えずに税金化する、高額な年金の課税をする、老人医療の診療報酬減額など、選挙のためできなかったことを、やるべき時が来た。
 

[2018/06/11]
忙中閑



 明日の米朝会談が迫って、報道はこの件で大忙しだ。少し前までは、一連のセクハラ騒動で忙しかったが、まさにのど元は過ぎた。したがって、昨日の新潟県の知事選は、大きなニュースに押されて全国版にはならなかった。
 前知事の買春問題による辞任は財務次官のセクハラ問題の陰で小さい記事になったが、今回も、今後の政権を占うはずの選挙が米朝会談の陰に隠れた。この結果は、安倍政権を支持するのではなく、森友・加計に幕引きをするのでもなく、残念ながら与党に政治を任せるしかあるまいとの有権者の諦観による判断だ。
 ここ数年、与野党ともにモラル低下の記事がラッシュの如く報道された。新潟県前知事は弁護士でありながら買春に手を染め辞職したのだが、秘書への暴言報道で衆議院選を落選したり、衆議院選に勝って不倫を堂々続行したりの女性議員もニュースを沸かせた。有権者は「立派な経歴は必ずしも立派なモラルを意味しない」と学んだ。同時に、これらの方々は政治生命を失った。
 こういう俗悪なモラル問題ではなく、自らの言動に足をとられ、難しい局面に立つ政治家もいる。三人の女性政治家が頭に浮かぶ。小池百合子、田中真紀子、野田聖子である。いずれも女性初の総理と言われたことがあり、女性の中では現在この三人に及ぶ実力派はいないだろう。
 小池氏は言うまでもなく、「排除の論理」を振りかざして、ほぼ次期総理の可能性を失った。コメント総出なので、筆者が付け加えることはない。田中氏は、外務省の組織運営で問題を残したが、筆者は現職時代に、外務委員会での田中氏の委員長としての裁きを観た。実は、優れた知識と判断力を持つ方だと知った。考えは正しいのだが、組織的行動が伴わないだけだ。引退してほしくない。
 野田氏は、郵政選挙で、無所属でも勝ち上がるほどの選挙基盤を持っている。その強さもあって、安倍総理に独り挑む。しかし、その出産と障碍児にまつわる話は世間受けしない。筆者は数年前のこの欄で、「お母さんになりたい」という気持ちは称賛に値すると、大方の議論に反論をぶつけた。
 「女は弱し、されど母は強し」。守るものを持った時に女は本当に勝負に出るのだ。昨日の新幹線殺傷事件では、男性が女性を守ろうとして自らが殺されてしまったが、男は本来、集団を守るために生まれついている。女が男に伍していくためには、守るべきものを作る必要がある。むろん、それは子供だけだと言うつもりはないが。守るべきものを持った野田氏は活躍を続けるだろう。
 さて。報道は米朝会談で精いっぱいだが、忙中閑で、より日常的な問題を少し考えても悪くは無かろう。

[2018/05/23]
夢のケイ素



 過日、産総研触媒化学融合研究センターの佐藤一彦センター長によるレクチュアを拝聴した。化学のイノーベーションに夢が持てる陶然としたお話だ。
 ケイ素はガラスの材料だが、この地球上で、酸素に次いで多い元素である。つまり、無尽蔵の資源ということだ。ケイ素を使い、かつ触媒を発明して製品にまで結びつける研究に先生は勤しむ。先生が中核となり、東大、京大、理研等と人材をクロスアポイントし、企業とも組んで、これまでに多くの製品化に成功している。
 このとき、触媒開発には、AIが役立っている。最先端技術である。先生のお話では、ものづくりは、触媒開発とプロセス開発とAIを掛け合わせた形で行われている。余談だが、経験値の多い触媒開発は、AIによって研究者の職を奪う可能性もあるのではないかと筆者は心配するが。しかし、産官学で新たな境地が開けているのは喜ばしいことである。
 二酸化ケイ素を使った研究プロジェクトからは、燃えるごみからシリカ(シリコン)を作り出すなど、経済効果・社会効果の見込まれる結果を出している。現在、化学の産物としては、石油製品が多く、ケイ素の産業化は石油の194分の1と少ないが、有限の石油に比べ、無限のケイ素が将来、取って代る可能性はあるとのことだ。
 一例をとれば、我々の服は、現在石油から作られたものが多いが、将来、ケイ素製品になる可能性がある。資源小国の日本にとって朗報である。そして、佐藤先生は、その先まで夢を見ている。「空気から肉をつくる」。身の回りに無尽蔵にある材料で食料・生活用品を作っていけば、2050年に地球の人口が96億人になる予測を恐れる必要はなくなる。少なくも、1974年にローマクラブが警告した地球上の食糧難は、地域偏在の問題は別として、訪れなかったという歴史がある。楽観視してよいかもしれない。
 佐藤先生のお話に、筆者はまさに「陶然と」したわけである。

[2018/04/26]
おかしなことは誰が変える?



 北朝鮮の核放棄宣言は誰もが嘘だと思っている。トランプにとって、今回の米朝交渉は、アメリカのためであり、日本の利益のためではないと誰もが感じている。日米貿易交渉では、安倍さんのトランプに対する「神通力」の終わりを呈した。
 内政では森友・加計問題で自らが矢面に立たされている安倍さんの唯一の救いは、野党の再編がうまくいかないことだ。民進・希望の合併から成る国民民主党は、参加拒否が多く出て、立憲民主党に数で及ばず、またまた分裂を繰り返す。
 「政治不在」の現今、世の中ではおかしなことが多々起きている。ガン治療は、DNA治療や免疫治療にもっと投資すべきなのに、相変わらずの放射線と抗がん剤治療が中心だ。糖尿病と高血圧の予備軍を「患者」にして取り込み、薬漬けにする。5種類以上の薬を服用していると転倒や死亡の率が高まるとの研究成果も出ているが、無視されている。
 旧優生保護法(1996年まで存在)の下で、優生手術(不妊手術)を強要された事実が明るみになった。戦前は、ドイツもアメリカも優生手術をやっていたが、戦後、先進国で行われていたのは日本だけだった。
 マスコミは「セクハラ関連専科」を設けたように、財務事務次官の後は文科大臣、そして人気タレントを血祭りに上げる。日本にはこんなニュースしかないのか。
 おかしなことは是正されない。本気で政治を、本気で仕事をやるのが馬鹿馬鹿しくなるような、退廃を覚える社会になっているからだ。流れを変える一番の人は安倍さんであるはずだが、まだ力は残っているのか。
 話は飛ぶが、ちょうど50年前、東大教養学部に入学した時のクラス会が過日開かれた。1968年、入学して3か月も経たないうちに、医学部紛争に端を発し、全共闘運動に呑み込まれ、東大は全学ストに入った。翌年東大の入試が無くなるという事態にまで発展した。今回20人余り集まった級友たちは、全員があのストで人生を変えた。自分は何者か、人生とは何か、社会とは何か、何をすべきか、20歳に至らぬ前に、毎日考え続け、人生を決めた。大方は当初の目論見とは全く違う方向を選んだ。
 筆者自身、研究者志望から、思いもよらぬ官僚の道へと人生を変えた。混沌の中から新たな価値を創造していくのは、やはり若者なのだろう。20歳台の若者が、早く「子供」を辞め、現実的に世の中で何をすべきか決定してほしい。あなた方の決定の集積が新たな日本社会を創造すると信じる。

[2018/04/15]
永田町墜落、霞が関崩壊



 近頃、どの会合に行っても、森友・加計問題に言及して、官僚の質低下が問われる。我々団塊世代が入省したころ、幹部は「日本も経済が良くなって、良い人材が民間に流れ、官僚の質が低下した」とよく言われたことを思い出す。
 しかし、今回の官僚の無様は、「昔は良かった」論調で測れないほど深刻な状況である。「会ったかどうか記憶にありません」「刑事訴追があるので、答えられません(答えたら、将来、安倍さんから天下りポストを頂けません)」。最も優秀と自負していた財務・経産官僚が恥ずかしげもなく、身の保全だけを考える。
 この際財務官僚の息の根を止めてやろうと思ったか、週刊新潮が財務事務次官のセクハラをスクープした。録音テープの現物証拠付きだから、逃げられない、彼は万事休すだ。「記憶にありません」は通らないからだ。
 官僚の質低下は90年代に霞が関では実感されていた。バブル崩壊後、意欲のある優秀な学生は外資系企業に行き、官僚志望は、安定志向の三番手以下の人材しか集まらなくなっていた。それも、阪神淡路大震災のような大きな仕事が舞い込むと、多忙を理由に簡単に役所を辞めてしまうような連中だ。その時代の入省組が管理職に上がってきた。霞が関の崩壊は20年もかけて起きている事実であり、自明なのである。
 しかし、元凶は言うまでもなく永田町だ。小泉政権から官邸主導の政治が始まり、現在では、公務員改革後、官邸が霞が関幹部人事を握るようにまでなった。官僚たちは、本省よりも官邸に気付かい、政策よりも人事で動くようになり、百年以上も事実上官僚が動かしてきた政治の主導権を完全に官邸に渡してしまったのである。まさに平成の大政奉還である。
 この状況の中で、確かに、霞が関の知識とモラルの低下も激しいが、永田町は、そもそも知識もモラルも霞が関よりも低い成り上がり者の社会だから、政治の舵取りが円滑にできようはずがない。彼らの多くは、選挙が手段ではなく目的の政治人生である。選挙に勝って、次の選挙のために、政府内の高い椅子に座ればいい、やりたいことは、政策ではなく、選挙を応援してくれた人に「忖度」の礼を尽くせばよい。ついでに言うが、野党はもっとひどい。バッジをつけていればいい、質問はうまく相手を貶めればいい、勿論、対案はない。
 永田町が墜落し、霞が関が崩壊しているのは明らかだ。しかし、日本は、先進国としてこのまま足踏みを続けるわけにはいくまい。ただし、いくら仲良くてもトランプ頼みは危険だ、トランプ自身が政治の知識に欠け、モラルは、セクハラの大家と言われているが如くの人間だ。日本で今起きているトランプ現象と相乗作用で、世界の笑い者になるべきではない。
 少しだけ望みはある。前川元文科次官や中村愛媛県知事だ。政権に阿ることなく、真実を伝えた。彼らへの批判は、勿論、政権側からの圧力だ。これを機会に、安倍政権では多すぎる経産官僚とそのOBの起用を控え(彼らの得意な経済成長戦略は失敗しているではないか)、文科省や地方自治から反骨精神を持つ人間を起用すべきだ。そして、今こそ、憲法改正以上に、教育、科学、地方自治について取り組むべきなのだ。
 
 

[2018/03/07]
新連載



新連載「リベラーチェ アット ハート(天才ゲイの人生)」を始めました。右のアイコンからアクセスしていただければ幸いに存じます。

[2018/02/28]
政治は科学を評価できるか



    前回、オゾン層破壊予知でノーベル賞を受賞したマリナ・マリオ教授の「気候変動の神話」を記した。そのあと、地球物理に関して2つの研究会での話を聴く機会を得た。一つは、防災科学技術研究所の藤原広行研究部門長による最新の防災技術、もうひとつは、山本幸一東大名誉教授の環境危機である。
 前者については、防災科学技術の水準の高さを認識することになったが、国立研究所は国策研究であるので、災害の度に「政治的課題」が重要になる。したがって、地震予知学は良く知られるが、必ずしも基礎研究を重視できるのではないことも知った。
 何よりも問題なのは、政治が政策研究の結果を有効に活用していないと思われることだ。南海トラフ地震の予知について国民に警告する以上の政策は見えない。もし、環太平洋地域が地震多発地域であることが明らかであるならば、日本海側に経済圏を移すなどのダイナミックな政策が現れても不思議ないのではないか。対米貿易が縮小し、対中国貿易が最大規模となった今日では、太平洋側の海上物流が衰退している事実などから考えても、日本列島の経済拠点分散など大きな選択をすべきではないのか。
 後者について、山本幸一名誉教授は、CO2上昇と異常気象の危機的データを示しながら、今、地球を管理しなければ20〜30年も今の環境はもたないであろうと警告をする。科学者の認識はほぼ一致しているが、文系の人間がその楽観視で政策選択の障害となっていると明言する。確かに、日本社会では、多くの組織のトップは文系であり、世俗的な選択が優先される。
 歴史的には、科学は宗教に勝って、今や間違いなく最も信頼される「道具」だ。しかし、科学にとって残った敵がある。それは、政治である。科学の結果は、民主主語のルール、つまり51%の賛成があって初めて実現されるのだ。科学は実証できれば100%の正しさを誇るのに、政策選択の段階で、51%の反対があれば実現しないのである。
 理数の論理やプロフェッショナリズムよりも、選挙に受かるための修行ばかりで成り立つ政治集団は、政策選択を誤っていくだろう。他方、科学者もコミュニケーション能力を欠いていないか。「これが分からぬ者はバカ」と諦めるのではなく、自ら政治に出てきてほしい。政治家の選出も、部分的にせよ、プロフェッションを重視した方法を取るべき時代が来たと思う。

[2018/02/25]
気候変動神話



    今般、1995年ノーベル化学賞受賞者であるマリオ・マリナ カリフォルニア大サンディエゴ校教授の「地球の環境病に対する処方箋」と題する講演を聴く機会を得た。彼のノーベル賞は、CFC(過フッ素化炭化水素化合物(スプレー等))がオゾン層を破壊すると予知した業績に対して与えられた。当時は一般によく知られることになった地球環境への警告であった。
 マリナ教授が淡々と語った生物多様性の減退、森林喪失、プラスティックゴミ、海洋廃棄物、北極海の氷解などは既に知られた事実であり、地球温暖化の危機的数値、風力や太陽光発電などの推奨も対策として現実化している。その意味では、教授のプレゼンは一般向けの教科書的であったが、非常に印象に残ったメッセージがあった。
 それは、マリナ教授が何回も強調した「気候変動神話」である。3つから成る。@多くの専門家は気候変動と人間の活動は関係ないと信じているA仮に気候変動が今世紀末に起こるとしても、良き方向になるだろうBコスト問題があって化石燃料の規制は明らかにならないだろう。つまり、楽観主義が地球の病を治すことに立ちはだかっていると教授は語った。
 他方で、マリナ教授は、気候変動学者の中で、変動の証拠に懐疑的な人は3%であるとも語り、彼の示す処方箋がパリ協定にも含まれ、実現していくことに安堵している。私は、トランプ大統領がパリ協定脱退にサインした事実を思い浮かべ、マリナ教授に「政治家が3%の否定的な意見に回ったら、科学結果が過半数の民主主義のルールで取り上げられるわけではないから、どうするのですか」と質問をした。
 科学者のプライドをかけて説得していくとのことだ。この問題は右も左もなくコンセンサスを得てほしいが、いかんせん、環境サヨクの道具に使われ、それが逆にマイナスに働いていることも確かだ。高齢者になられたマリナ教授の話のように、静かに理解を広げていくことの方が物事を実現しやすいと考える。

[2018/02/07]
老い



    昨日、ニューヨーク株式市場で暴落が報道された時、もしや、と心を曇らせた人も多いのではないか。エコノミストは、株価の調整時期と見る人が多いが、来年以降はリーマンショック並みの金融破綻がないとは言えない。世界の景気が過熱し始め、中国も大方の予想を裏切って好調だ。先進国の中では、一番低い成長率の日本は、かつての日本を「回復」できるのか、それとも人口減少と共にずり落ちていくのか。
 今、世界経済の舵取りを行っているのは、成功体験のある米、独、英、中、日などの終戦後生まれの政治家だ。トランプは家業の不動産業を発展させ、その方法論であるDEAL(かけひき)を政治の手法としても使っている。法人税など減税に成功して国内のDEALにひとつ勝った彼は、北朝鮮以上に中国とのDEALに勝負をかけるだろう。TPPに加盟するかもしれないとの情報は、やっとトランプがTPPは対中国のルール作りであることに気付いたのだ。「老い」の彼は経験から学ぶと、私はまだトランプに些かの望みをかけている。
 トランプのDEALは政治手法としては歓迎されず、また、「老い」てから政治に登場した彼を老害と決めつける多くの人もいる。長く人生をやれば成功失敗が相半ばし、批判するのは簡単だ。しかし、若い未経験の政治家に比べ、「老い」は国益だけを考える存在であると私は信ずる。フランスの最年少大統領は今や失望の存在であり、仕事はできない。日本でも、若い政治家は不倫と暴言だけが報道され、およそ仕事にならない。
 さて。「老い」を引き出すために政治論議までして回り道をしてしまった。「老い」を拒否し自刃した三島由紀夫と「老い」を享楽三昧に過ごした谷崎潤一郎の二つの対照的な生き方がある。多くの人はそのどちらでもなく、日常の繰り返しの中で衰弱して死にゆくのかもしれない。すると、三つの生き方があると言うべきか。
 最近、画像で、エンゲベルト・フンパーディンク(60−70年代に一世を風靡した英国人歌手、代表曲リリースミー)が80歳を過ぎて妻のアルツハイマ−病と闘っている姿を見た。若き日の彼の、インドの貴公子が如き顔と立ち姿のシルエットの美しさはそこにはなかった。しかし、彼が唄う歌は若い頃よりもはるかに心を打つものであった。彼は今もステージに上る。歌って歌って磨き上げた歌三昧の老後は、谷崎潤一郎型だ。耽美主義である。
 70年代、私がアメリカに住んでいた頃、世界が恋するピアニストとして持てはやされたのがリベラーチェ。クラシックをポピュラーにアレンジし、目にも止まらぬ速さで鍵盤に指を走らせる。彼の奏でるピアノは、あまりにも巧みであまりにも美しい。この上もなく端正で甘いマスクをしていて、ピアノを弾きながら、トークやダンスや歌を披露し、いずれも上品で最高の質であった(派手すぎるとの批判もあったが)。
 ピアニストというより、恐らく日本ではこういうエンターテイメントの分野はないと思われる、エンターテイナーであった。男色家と噂され、87年、それこそエイズが真っ盛りの時代にその病気で亡くなった。何百億ドルの遺産を残したが、彼自身の家族はなく、自らを美しく着飾った舞台衣装と数々の高級車が残った。美容整形や着飾ることで美しいイメージに固執し、男色もエイズもひた隠しに隠した。三島由紀夫型の生き方である。ちなみに、三島も男色家と言われる。
 私は、「老い」を受け止める。「老い」の政治に期待し、「老い」から死への選び方も真剣に取り組む。
 

[2018/01/30]
Society 5.0



総理が議長を務める総合科学技術・イノベーション会議の常勤議員である元東北大教授の原山優子氏からSociety 5.0(ここでは5.0と略す)の実践についてお話をお聞きした。
 5.0の定義は第5期科学技術基本計画によれば、「超スマート社会のこと。必要なもの・サービスを、必要な時に、必要なだけ提供し…<中略>…活き活きと快適に暮らすことのできる社会」である。
 多くの人にとって初耳ではないだろうか。しかし、経済財政諮問会議の2017年骨太方針にも言及され、日本経済再生本部と日本経済団体連合会の2017年の方針にも反映されている。れっきとした我が国の政策目標である。
 具体的な実践例では、AI(人工知能)を使って、事故なく快適にドライブすること、ロボット介護、多様なニーズに合ったものづくり、消費者に農産物の適時自動配送、アレルギー回避の食品提案、スマホによる確実な防災情報、需給調整しつつ電気の安定供給など広い分野にわたる。つまり、AIをど真ん中に置いて、確実性、計画性のある社会が5.0と言うことができよう。
 これらの中身は技術的には既にあるものばかりで、システム化できるかどうかの問題であるように思われる。システム化は、人々の生活に関わる技術ばかりであることを考えると、政府よりもむしろ地域あるいは地方公共団体主導で実現すべきではないか。
 36年前に筆者が住んだ都内恵比寿の家では、既にすべてが全自動になっていた。帰宅前に冷暖房が入る、洗濯機は全自動で乾いた衣服が出てくる、ガーベッジデスポーザー(ごみ処理機)付きの流し台でゴミを出す必要がなかった。しかし、電気代は膨大だったのと、洗濯した衣服はすぐに傷み、また、ごみ処理機は子供を近づけないようにしないと危なかった。さまざまの理由があって、36年前に技術的には既にあった「超スマート生活」は全国的に流行らなかった。
 東日本大震災の時も、実はスマート生活をしている人ほど大変な目に遭った。オール電化した家では、停電の最中、家の中で暖を取れずに車の中で過ごしたという。水道が止まって、井戸を残した家に人々は水をもらいに行った。
 超スマート社会を実現するには、低コストでなければならないし、震災などの事故の場合の対応まで含めたシステム化を図らねばならないだろう。さらに、人口減少社会で人が減っていく地域で、よりスマートに生きたいというモチベーションを維持できるかという問題もあろう。5.0に乗り出す地方公共団体がどれだけいるのか少々心もとない。
 それにしても、政府の宣伝は足りないのではないか。経済政策3本の矢の3番目、成長戦略が何も功を奏していない。5.0はシステムのイノベーションだが、新たなイノベーション産業と並んで、これも成長戦略の要となる。ならば、もっと堂々、政策として広め、大型予算を組むべきではないのか。5.0なんて、誰も知らないよ、安倍さん。
 そして、日本が目指すのは5.0だと国際社会に向かって叫ぶべきだ。既に、G20、OECD、G7などの科学大臣会合で表明していると言うが、話題に上らない。マスコミも書かない。お隣中国では、アメリカがグローバリゼーションから脱退したのをいいことに、一帯一路の国際戦略をぶち上げている。もともとは、TPPによって太平洋沿岸が日米のルール化されるのに対抗して、ユーラシアの内部やアフリカの中国ルール化を狙ったものだが、貿易だけが目的ではない。周辺のインフラ開発に乗り出し、そのためのイノベーションにも巨大な資金を投入している。
 中国の研究開発費のGDPに対する割合は、日本を抜き、アメリカも抜こうとしている。最近、ニューズウィーク等いくつかの経済誌が中国が研究開発をリードし始めたことを書いている。日本人は言う。「何、共産国家で自由に研究のできない中国なんか大したことないよ。ノーベル賞だって今までたった一人だ」。確かに、火薬の発明など唐時代に科学の先進を遂げていた中国は千年以上、この分野では眠り続けてきた。だが、侮っていいのか。
 世界の人々は一帯一路は知っている。が、Society 5.0は誰も知らない。日本人、もっと頑張れ。
 



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