元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2023/09/02]
子供受難の時代に



来年度予算の概算要求が終わった。防衛増額と財源問題の解決しない少子化対策が盛り込まれる。また、円安、物価高、インフレで国民生活への負の影響は大きく、政府はガソリンなど事業者への補助の延長を画し、価格の安定を図ろうとする。泥沼化しつつあるウクライナ危機への対応は、アメリカの指示待ちである。原発処理水問題は近隣諸国への事前説明を尽くす外交努力をしたか疑問であり、中国の非科学性と大人げない対応ばかりが喧伝される。
 目先のことばかりに対応し、しかも国民の支持率が下がるばかりなのであれば、政権はむしろこれまでにできなかった問題を掘り下げることで危機を突破したらどうか。例えば、その一つ、児童の虐待問題だ。少子化が叫ばれる今日、新生児殺し、車中放置での死亡、ヤングケアラーの存在等、子供は受難の時代に置かれている。
 子供の虐待死ほど痛ましいものはない。司法、福祉、警察などが取り組み、とりわけ児童相談所はその第一線に立ってきた。しかし、虐待相談件数は増加の一途(約20万件 2021)であり、虐待死のニュースは後を絶たない。児童虐待防止法が2000年に出来てから20年余り、制度や社会の問題点について多くの研究がなされてきた。
 中でも、児童相談所の専門性を高めることが必至と主張するのは才村純先生(児童虐待防止協会副理事長)だ。欧米では児童虐待に関わる福祉の資格は高く、お隣韓国でも専門の修士を擁していなければならない。しかし、日本では、県の通常人事で行政マンが児童福祉司に就き、二、三年で交代する。これでは、専門の積み上げがなく、虐待問題に対し、場当たり的な対応に陥りやすい。
 その上、日本は虐待に対し、独自のシステムを持っている。欧米では、要保護児童に対するいわゆる行政処分は司法が行い、ケアについては民間の福祉の専門を使う。ところが、日本は司法の関与が少なく、よほど深刻な場合だけ家庭裁判所の判断で行われるが、大抵は、行政部門での福祉の措置に委ねられている。
 すなわち、児童相談所は、才村先生曰く、虐待加害者(通常は親)に対し司法に代わってオニとなり、その後親子関係修復などのケアではホトケとなって、二面性の仕事を請け負わねばならない。加害者を導くのが困難であると言う。
 司法の関与を増やし(法改正が必要)、児童福祉司の専門性を上げる必要性は極めて高い。行政マンを児童福祉司に充てるのではなく、麻薬取締官や労働基準監督官のような権限の大きい官職に改め、採用資格を高めることから始めるべきだ。虐待は緊急を要することが多く、裁判所は人数も少なく迅速性に欠けることから、第一線にある児童相談所が緊急時に独自に動ける場合も作る必要がある。
 1987年に社会福祉士、介護福祉士の国家資格が制定されたが、医療の資格のように業務独占資格ではないため(資格がなくても同じ業務ができる)、医療の資格のように重視されてこなかった。しかし、それが、福祉の実施は素人でよい、という日本社会独特の考えを生んだ。現在の児童福祉司もその考えに立って行われている。専門性を高め資格の社会的地位を上げることによって、給与水準も引き上げられていくはずだ。
 異次元の少子化対策で児童手当の引き上げに余念がない岸田政権だが、少子化とは「少なくなった子供を一人残らず育て上げる」ことでもあり、虐待問題に解決を見出せなければ、中途半端な少子化対策になり下がる。選挙民の多い施策ばかり考えるのではなく、日本の病理に迫る施策を考えるべきだ。そして、与党だけでなく、野党は野党で、与党をあげつらうことのみで、こうした問題に取り組んでいる者はいない。政治の貧困で、子供が受難する時代だ。

[2023/08/30]
ご神託の時代ではない



岸田政権の支持率低下が止まらない。安倍元首相の逝去から一年以上経った今も、岸田首相は安倍氏の幻影を引きずり、その手法を踏襲しようとしている。人間は、危機にあるとき、受けた教育や体験よりも「ご神託」に頼ろうとする。それが、安倍氏の「ご神託」を守ろうとする岸田首相である。
 安倍氏自身も、第一次政権の放棄や民主党政権への憎悪から、祖父岸信介の「ご神託」に頼るようになり、政治の基本とした。安倍は成蹊の坊ちゃん教育、岸田は海外子女で学んだはずが、リベラルさは捨て、専らご神託に頼る政治家になった。それは、崩落寸前の政治と不満を抱えた国民に不安を抱き、危機感を募らせたからである。
 安倍、岸田ほどアメリカにおびえる政治家はいない。一見ニコニコしながら大統領と談笑しているようであるが、結果的にアメリカの意向に従うことに余念がない。集団自衛権容認も、防衛費倍増もかくして確立した。過去においては、吉田茂は「独立すれば憲法改正だってできるのだ」と涙を飲んだ。小泉純一郎はエルビスプレスリーと同じくアメリカが本当に好きだったから、従うことに違和感はなかった。岸田・安倍両氏は先人たちを上回るアメリカ主義だ。
 しかし、両氏はアメリカに心から従っているのではない。むしろ「ご神託」で「日本は本当ににアメリカから独立しなければ戦後は終らない」と吹聴されている。アメリカはこれを知って、やんわりと指示をしかけてくるのだ。ディープステート、つまり陰謀論は今、流行だ。それも、またぞろアメリカを動かすユダヤ人陰謀論だ。
 ユダヤ人は世界に1400万人。ざっと半分がイスラエルに、残りの半分がアメリカにいて、その他の国々は少数である。イスラエルは、建国70年にも拘わらず、大変強い先進国である。アラブとの戦いは常に優位に立つ。民主主義と先端科学の国で、核保有国でもある。社会保障は整い、出生率は先進国でダントツに高い。だが、自らの国造りに忙しい、世界の陰謀どころではない。まして日本など相手にしていない。
 アメリカでは、財務長官イェレンはユダヤ人、トランプ元大統領の女婿はユダヤ人で政権中枢には常にユダヤ人がいる。しかし、多くのアメリカのユダヤ人は、普通のアメリカ人である。シナゴーグに行くのでもなく、ヘブライ語を勉強するのでもなく、ただ教育熱心なので、大学でも成績優秀者は大概ユダヤ人だ。イスラエルに共感するも、ユダヤ基金への寄付は次第に少なくなっているのが現状である。ユダヤ陰謀説は疑わしい。
 アメリカはアメリカの国益に従って日本に「指示」しているのであって、陰謀でも何でもない。日本の首相としては、日本の国益に従って政治を行えばよい。ご神託は現代の国益ではない。もっと是々非々に、アメリカだけの視点ではない政治を行わなければ、文字通り、日本の政治は崩壊するだろう。

[2023/07/21]
無神論と啓蒙思想



 上野景文氏のお話を聴く機会を得た。氏は、2010年、駐バチカン大使退任後、杏林大学を始め学問の世界に転じ、文明論の論客としてご活躍である。
 氏の文明圏の三分類はユニークである。キリスト教圏、啓蒙思想圏、脱啓蒙思想圏がそれで、キリスト教圏は伝統・保守を特徴とし、啓蒙思想圏は人間中心で、自由と人権に価値を置く。脱啓蒙思想圏は、一番新しい存在で、自然を信仰し、地球環境問題に取り組む。
 啓蒙思想圏は無神論者の集まりと言い換えることができる。アメリカを想起すれば、国内に約半分存在する啓蒙思想圏はもう半分のキリスト教圏といつも争うのが、中絶の権利である。中絶良し、女権良し、LGBT良しを基本とする。また、行き過ぎた脱啓蒙思想圏、つまり環境主義とも争う。地球「益」を否定するのではないが、国益とバランスさせることが重要と考える。
 日本は調査によれば7割以上が無宗教と答える国である。国際比較では中国の次に多い(「日本人の宗教と文化」山折哲雄監修)。ならば、日本は啓蒙思想圏と言えるだろうか。もしかしたら、21世紀に入って、アメリカとの同盟を強化し、ロシア侵攻に強い違和感を覚える現代日本は啓蒙思想圏と言っても間違いではないかもしれない。しかし、戦後民主主義を標榜するようになって長い間、決して啓蒙思想圏ではなかったと筆者は考える。
 ソ連崩壊後の90年代、世界の啓蒙思想圏が、共産主義への勝利を契機に資本主義的成長に乗り出したのに対し、日本は足踏みしたままだった。ちなみに、キリスト教圏と啓蒙思想圏の両側面を持つアメリカは、90年代、民主党のクリントン大統領の下で「経済だよ、経済」と号令を掛けられてイノベーションと経済成長に躍起となっていた。中国や新興国も伸びていった時代だ。
 同時に、日本は少子化に気付き、人口減少が眼前に現れたにもかかわらず、啓蒙思想圏としての政策を打ち出すことができなかった。キリスト教圏の持つ保守・伝統主義よろしく、女性の高等教育や社会進出を咎め、母親礼賛ばかりで、国益につながる方法論を逸してしまったのだ。それが今日まで続き、保守・伝統の少子化政策を以て異次元と呼ばせようと無理をしている。
 無神論者を突き動かすのは、信仰ではなく国益であるはずだ。外交こそは、21世紀になって改めてアメリカ選択を国益としたが、内政は何ら国益を考慮していないではないか。子供を産んだ数に応じて女性の年金額を加算せよ。女性の労働力を確かなものにするには、社会保育・教育の世界に高齢者の労働力を投入せよ。日本が舵を切ったことを示すために、象徴的な女性天皇を実現し男女平等を謳い、伝統より国益を世界に掲げてみせるのだ。
 戦後80年近くたって、今こそ無神論の良さを発揮できる日本にしよう。最も伝統を重んじる歌舞伎界に起こった悲劇は、日本に伝統を捨てる時期が到来したことを告げる出来事なのかもしれない。世襲政治家も、電通を始め利権に群がる政治家家族の多い組織も退去すべき時だ。無神論国家日本は国益を国是としてやり直せ。

[2023/07/13]
20世紀回帰はあり得ない



 ウクライナ危機は依然泥沼にはまったままだ。領土拡張を目的とし、塹壕を掘って地上戦を戦い、核兵器の脅威をちらすかす等は、まさに20世紀の古いタイプの戦争を思い起こさせる。
 この戦争とコロナの経験が世界のエネルギー政策を変えた。ロシアの石油と天然ガスを避けるために、火力と原子力が見直された。日本も例外ではない。他方で気候変動への取り組みを緩めるわけにはいかず、エネルギー政策は20世紀回帰の様相を呈してきた。
 コロナ禍で、テレワークが可能ならば地方移住も可能と宣伝されたが、予想したほどではないにせよ、実行に移した人々もいる。家庭菜園を設け、里山保護の活動に参加し、子供が自然の中で遊び、貨幣経済から遠のいた生活が「微笑ましく」伝えられる。これこそ20世紀前半に回帰した生活だ。
 しかし、戦争も政策も生活も、本当に20世紀回帰ができるのだろうか。筆者はかつて瀬戸内海にある日本一高齢な島を訪れたことがあり、唯一の高齢者施設では高齢者が歌も体操も参加しないのを見た。「そんな余力があるならば、最後までミカンもぎをやっている」と高齢者たちは言い、最後まで経済活動に参加する人生を送る。
 また、インドで開発援助の仕事をしている頃、小さい子供は豆を茹でカレーをつくるが、おままごとはしない。実生活そのものを始めから行っているのである。近代化の進まない地域では、年寄りも子供も「生産者」であり、社会の重要なメンバーなのである。20世紀前半は日本国中がそうだった。
 筆者は20世紀回帰が懐古趣味のように流行ることを危惧する。20世紀の生活の方が人間味があったと言わんばかりの、自然回帰、伝統回帰の志向は、宗教の原理主義に似て、進化論を許さない発想に至る。侵略戦争はしないという世界的合意を、地球温暖化に世界中が取り組むという合意を、近代化を以て幸福の指標とする歴史上の合意を無にすべきではない。
 戦争には、国連を凌駕する新たな国際組織の抑制力を作り出し、エネルギー問題などは科学と技術に大規模な投資をして解決を求め、殆どの人間が近代化を享受できる経済社会を実現するのが、現代の今を生きる我々がすべきことだ。20世紀は反省の材料でしかなく、21世紀の新たなイノベーションを政策と学問に活かそう。
 20世紀回帰など、とんでもない話である。

[2023/06/23]
岸田首相に求められるダイナミズム



 岸田首相は、今国会での解散をあきらめた。左系野党は奮わないが、右系野党即ち維新の会に票をさらわれることが明らかだからだ。これまで左系野党の慰め役だった公明党との連立を止めれば、左系にも票が流れるかもしれない。
 しかし、岸田首相の政権が低迷し続けているのは、「どっちつかずの」政治が原因であることを知るべきだ。岸田政権は「意外なことに」安倍政権をまるまんま引き継いだ。安倍が乗客、隣に岸田が座った人力車の車夫は菅だった。この伝統的な乗り物は道も風景も変えずに走り続けている。
 方向を指示するのは安倍であり、道案内の標識はアメリカのバイデンがつくった。バイデンは図らずも「防衛費二倍は私が説得した」と一国の首相のみならず、日本をも貶めた「失言」を行ってしまった。岸田首相はこの乗り物から降りるべきだ。
 茂木幹事長は、マッキンゼーの出身であり、アメリカ流の経営を身につけた合理主義者であるがゆえに、嫌われ者とされる。しかし、どっちつかずの岸田首相に必要なのは彼のような明快な考えを表現できる人材だ。茂木が公明を切るならば、彼に切らせて、維新と組めばよい。そのくらいのことをやらねば岸田首相が浮上することはあるまい。
 公明のベースである創価学会は、高度経済成長期に就職列車に乗って上京した若者を多くとらえ、「昭和懐かし」の考えを捨てきれない。だから、メリハリが無くなる。この際、茂木の持つアメリカ的な合理主義を採り、毒を以て毒を制すがごとく、ブリンケン国務長官を真似て中国と交渉せよ。そして、維新と共に、行政改革を徹底するのだ。
 さて。話は急転換するが、昭和世代の日本人は概して、ミソジニー(女嫌い)であり、イスラムフォビア(イスラム嫌い)であり、嫌韓である。20世紀の歴史の中で下に見ていた存在を嫌う傾向がある。それがジェンダーギャップ世界125位となり、世界史の勝者?プロテスタントの国アメリカ追随を生み、最も近い国との連携を阻害している。
 しかし、アメリカも日本自身も20世紀の成り上がり者であることを認識すべきだ。中東のかつての大国、トルコやイランが科学や文化を人類にもたらしてきたことを理解し、まだ続く中東のエネルギー源を独自に確保せよ。フェミニズムが発展しない東アジアの親戚関係を女性の人材で改善することを考えるべきだ。
 かつてクリントン大統領は言った。「経済だよ、馬鹿め」。今岸田首相が言うべきは「ダイナミズムだよ、馬鹿め」だろう。
 

[2023/06/15]
米国お爺さん対決の危うさ



 来年に始まる米大統領選挙は、今のところ、80歳のバイデン大統領と76歳のトランプ前大統領が有力候補として名乗り出ている。バイデンはデフォルトを回避したものの、依然としてウクライナ問題だけに忙しいようだ。
 トランプが次々に壊したオバマの業績であるパリ協定、イランの核合意、TPPについては、パリ協定は復帰、TPPは別の経済枠組みの提案に至ったが、核合意は暗礁に乗り上げたままである。
 イランは米国の核合意破棄に乗じて、濃縮ウランの開発を進め、2015年当時の核合意の内容を作り直さねば復帰はできない状況と専門家は言う(坂梨祥氏 日本エネルギー研究所 以下の主な情報も坂梨先生による)。
 その上、バイデンがウクライナ問題に埋没している間、盟友であったはずのサウジアラビアが中国の仲介でイラン・サウジ国交回復の合意を成立させ、イランはロシアにドローンを供与するなどロシアに接近し、中国はイランの原油を買い、インドはイランとの貿易を拡大している。米国にとっては残念ながら、イラン包囲網は崩れ始め、今やイスラエルだけが盟友ということになりそうだ。
 しかしながら、イランは米国の課した経済制裁で国民生活が窮地に陥っていることも事実で、失業や極端なインフレに喘いでいる。経済制裁の解除を望んでいるのは誰よりもイラン国民であろう。70年代、イラン革命前に筆者がアメリカ留学中に会った膨大な数のイラン人留学生たちは、間違いなく、アメリカびいきで、アメリカの学位を以て社会の中枢で活躍してきたはずだ。だが、彼らも、トランプ政権以来、アメリカに愛想を尽かしてしまったのだろうか。
 多様性を強調して大統領の職を得たはずのバイデンだが、多様な国々の人々について考慮した形跡はない。露ウクライナに停戦案を呼びかける気配はなく、イラン国民の苦しみも酌量することはない。バイデンは二流の秀才でしかなく、アイビーの一つシラキュースは出ているものの、もっぱら家族愛で人気を得、ウクライナ疑獄に至っては、息子をウクライナ大企業に利権目当てで赴かせた親バカぶりが原因だ。バイデンはアメリカの落ち目を加速させた。
 かといって、トランプの再登場では、再び、パリ協定の破棄、対イラン、対中国強硬政策に戻ることになり、世界に混乱を招く。アメリカがアメリカらしくあるためには、新たなリーダーの出現が必要である。アメリカらしくとは、世界の平和を念頭に置いた政治が行われることである。アメリカ大統領で、海外経験があるのはクリントン(ローズ奨学金でオクスフォード留学)、オバマ(幼少時にインドネシアで育つ)、アイゼンハワー(第二次世界大戦中の欧州最高司令官)だけである。世界の中心はアメリカであるという発想から抜けず、多くの国の失望をもたらしている。
 さて、その日本も、ここ暫く解散風が吹いている。失礼ながら、我が総理大臣もバイデンと似通っていないか。二流の世襲秀才であり、親バカを発揮し、印象とは逆の安倍タカ派路線を引き継いで、周囲の失望を買っている。せめて、内閣改造し、政界にはいない逸材を民間から引き抜き、日本の落ち目を食い止めてほしい。

[2023/05/27]
日本ネットワークをつくれ



街はコロナから目覚めたように活気づいてきた。人出が多く、株価は上がり、外国人観光客の姿が増えた。しかし、まだ多くはマスクをしている。これが日本だ。世の中が変わっても、身の保全は第一であり、多くがマスクをしている同調圧力に従う。
 明治維新から敗戦までの77年と同じ月日が経ち、今年78年目に至る終戦後は終戦までの末期症状と同じ症状を呈してきた。1930年代の首相暗殺、日中戦争の始まりと同等の事象が起きている。安倍元首相の暗殺、対中国防衛のための軍備増強。
 成功者と観られていた、歌舞伎役者の自滅、市議会議長の息子の反乱、首相息子の酔狂は、一言で言えば旧来のモラル崩壊だ。今の日本の一番の成功者は大谷翔平なのか。否、良くも悪くも日本の経済と株価を動かす孫正義ではないのか。
 孫氏はもともと日本人ではない。だからこそ力を発揮する。旧来のモラルとは日本特有の同調圧力であり、悲しいことに、たまたま成功した高度経済成長期と同じ同調圧力に巻き込まれたままだ。日本を変えるのは、日本人ではできない。
 ニュースキャスターよりも影響力を持つのは芸能人やスポーツ選手であり、多くの韓国・朝鮮系が活躍する。日本の怠惰な同調圧力に屈せず、志をもって生き、彼らの強いネットワークが日本を変えていくしかない。終戦後、日本に希望をもたらしたのは、吉田茂よりも力道山だったことを考えれば肯ずることだろう。
 中国も世界にネットワークを張り詰めている。華僑ネットワークだ。もともと宗族(拡大家族集団)の国だから、海外にわたっても、そのアイデンティティは失われない。中国政府はこれをうまく利用している。今頃になって、オーストラリアは中国網に神経をとがらせ、その拠点でもある孔子学院を潰すことに躍起となっている。
 インドも昔から印僑は華僑よりも一枚上手だとの自負を持ち、ビジネスのみならず、国連機関でも成功してきた。英国の医師の半分はインド系と言われるし、アメリカに渡ったIT技術者は超高給取りである。インド特有のカースト間の見合い制度により、インド本国から嫁を取り、インド文化を失うことなく、そのネットワークも凄い。
 世界を股にかけるネットワークを歴史的に築いてきたのはユダヤ人である。ダイアスポラ以来、世界に散らばり、迫害を受けつつも、学問と経済において成功を収めてきた。迫害に備えて、ネットワークでは、宝飾品を買った値段で引き取る組織もあり、互いを助け合ってきた。移民の人数としては少ないが、アメリカの経済を牛耳っていると言われる所以である。
 翻って日本を考えよ。世界に何のネットワークもない。日系人はフィリピン人ほどではないが、中国人よりも白人と結婚する割合が高く、現地に同化する。チャイナタウンのような規模のものはできない。日本は日本でしか生きられない、新たな時代に挑む志の少ない民族であることを念頭に置いた方が良い。
 日本が国際社会で活躍するには、日本独自のネットワークを持つ必要がある。ほぼ外務大臣の経験だけで総理になった岸田首相に、少子化政策など内政の問題解決は無理だ。だとすれば、海外ネットワークづくりを始めるべきだ。どうせ防衛費を増額するなら、アメリカの高額な兵器を買うのではなく、インテリジェンスサービス機関を整え、世界に人を派遣せよ。
 中国、北朝鮮、ロシアの東アジア情報をいち早くとらえることができたなら、日本は旧来のモラルを脱ぎ捨て、新たな発展に向かう。
 

[2023/04/16]
土壌の学問に驚く



 陽捷行(みなみかつゆき)先生(北里大学元副学長、名誉教授)のお話を聴く機会を得た。ご専門の土壌学に一片の知識も持たぬ筆者が気候変動を探る趣旨の一環として臨んだ会議であったが、驚きの情報であった。
 我々人類は1万年前から文明を発祥し、人間圏を創ってきたが、人間圏は人智を育み、現今ではAIなる人智を越える存在と共存すべく地球上の80億の人間が世界に棲む。その人間圏のど真ん中にあるのが土壌圏であり、大気圏、生物圏、水圏そして地殻圏とともに地球という「生命」を成し、気候変動によってその生命が脅かされている。陽先生の言である。
 地球を覆う土壌は平均18センチ、水は11センチ、オゾン層は3ミリ、酸素を供給する対流圏は15キロという薄皮の中に、人間を始め500万種以上の生物が棲んでいる。環境問題の真実と本質はこの薄皮の中にあるのだが、「環境」は科学よりも政治で捉えられ、まさに真実と本質に無知のまま我々は過ごしていると言う。
 陽先生と同じ北里大学の特別榮譽教授、大村智先生は2015年にノーベル賞を受賞されたが、これは土壌の微生物の研究から抗寄生虫薬イベルメクチンを創成した業績によるものである。先生はどこに出かけても土を持って帰って研究されたことを語っていた。
 土壌に含まれる微生物と人間の腸に含まれる微生物は類似の存在であり、土壌の健康と人の健康は同一のものである。土壌から作物と酪農へ、そして人間へと健康は一つの鎖で結ばれていると陽先生は言う。実際に、野菜などを口にしながら、人間は土壌を食べているのだそうだ。
 土壌由来の微生物が腸を経て脳に及び、成分であるドーパミンが喜びを生み、アドレナリンが怒りを起こす。土壌微生物によって我々の心と体の健康は保たれる。肥満やアレルギーも微生物が原因であり、足の下の土壌から我々の体に入ってきたものである。
 昔から言う医食同源は医・土壌同源とも言い換えられるが、医学・健康学に革命を起こすのが土壌学であろう。陽先生は、知的三大科学革命と言われる地動説、進化論、精神分析学の次に、四番目として土壌学が科学革命を起こすであろうと予測されている。
 気候変動以上に、長年医療行政に関わってきた筆者としては、今回のお話に欣喜雀躍した。切った貼った、遺伝子治療などを越えて、土壌学がもたらす医療革命に期待してやまない。気候変動以上に医学への貢献を望んで然るべきである。

[2023/03/22]
平岡秀夫氏(衆院補選山口2区)を応援する



 安倍元首相の逝去、岸元防衛大臣の引退に伴い、山口県では、4区と2区でそれぞれ衆院選の補選が行われる。4月11日告示、23日投票である。
 2区の自民党候補者は岸信千代氏で、父・元防衛大臣の後を継ごうとする。これに対抗して、平岡秀夫元衆議院議員かつ元法務大臣が、今般は無所属で出馬する。この選挙はG7広島サミットの直前に、岸田政権の是非を問う選挙として観られているが、実はもっと深い意味がある。
 言うまでもなく、山口県=長州は150年以上に及ぶ藩閥政治の人材を担ってきた地である。伊藤博文に始まり、安倍晋三まで全都道府県最多の8人の総理大臣を輩出した県である。山縣有朋や岸信介を思い浮かべる人も多かろう。このことは、近代国家日本の揺籃期から継続してきた、ある種の誤謬が綿々と受け継がれていることを意味する。
 誤謬とは、武家社会を崩壊させ、長州を最上階に置く新たな身分制度を150年の政治史において定着させたことだ。士農工商に代わって長州閥及び平民の二層の政治における身分構造が政治家の世襲を産んだ。勿論、本家は長州の岸家、安倍家だが、類似の身分には、近年の麻生家、小泉家、河野家、岸田家などが加わる。
 つまり、世襲政治、家業としての政治が長州をオリジナルとして作られたのである。家業としての政治は、血族による継続にこそ意味があり、志を遂げる政治とは程遠い。安倍元首相は志のある政治家に見えたが、実は創始者岸信介の遺言の実施を志としたのであって、彼が生きた時代に即したわけではない。
 身分の継続のためには、一応民主主義国家である以上仕掛けが必要だ。安倍元首相は積極的に娯楽番組に登場したが、庶民を装う為政者を好感度をもってコメントするタレントやスポーツ選手が増えた。誰も政治の専門家ではない。放送法の顛末をめぐっての議論は、老舗の悪口を言わせない、老舗は理屈無く老舗だからよいのだを庶民に納得させるために起きた。
 平岡氏は長州の出身ではあるが、藩閥とは無関係の庶民の出だ。大蔵官僚、弁護士という近代的職歴の中で政界まで届いた人だ。平岡氏が闘うべきは、家業政治家を長州のみならず政界から一掃することだ。政治が家業では、借金の先送り、大親分アメリカの追随以外のことはできない。
 平岡氏は、政党の公認を受けず、連合=労働組合の応援も受けない。労働組合は、別の意味で身分制度の最上階にいる「労働貴族」だ。世界に遅れた経済成長や少子化の原因である非正規雇用には冷たい。この新セレブに支援される政党は藩閥政治に有効な対抗ができない。平岡氏は眼前の敵、背後の敵の両方に戦いを挑むことになる。
 最近では、徳川幕府の転覆にはイギリスが暗躍したことが明らかになり、司馬遼太郎の維新の志士による討幕は誤解を招く歴史観であることが指摘されている。藩閥政治がやったことのすべてが悪いわけではないが、今という危機的な世界状況の中で、家業政治家だけは退いてもらいたい。その先鞭を平岡氏につけてもらいたいのである。
 よって、筆者は平岡秀夫氏を応援する。
 

[2023/03/13]
生命倫理と政治



 赤林朗東大教授の退官記念最終講義を聴く機会を得た。赤林先生は、2020年、Bioethics Across the Grobeと題する生命倫理の著作をSpringer Nature出版からオープンアクセスでweb上出版されている。既に世界中で2万件以上のアクセスがあると言う。
 筆者はこの著作にいたく感銘を受けたが、赤林先生が英語で書かれたのは、世界中の研究者や施政者等に、生命倫理は一筋縄ではではない、背後の文化に左右されることを伝えようとしたのである。生命倫理も欧米文化の一翼を担うが、欧米文化の一部とみなされる日本において必ずしも欧米と同一軌道にないことを明確にしている。
 先生自身が、欧米のように早く臓器移植が当たり前になってほしいと考えながら、赤ちゃんに自分の肝臓を移植した母親の死亡に動揺したこと、米国のホスピス医が、患者に真実を伝えることを旨としながら、24時間後に死ぬことを伝えられなかった事実を明らかにしながら、人間の感情は根底では共通したものがあり、しかし、社会的な制度に移行した場合には大きな違いが表れることを語るエピソードである。
 個人情報であることから公表されていないが、死者の意思が臓器移植賛成でも家族によって断られたケースは日本において非常に多いという。先生はそのことを、日本は、生と死の境界があいまいな死生観あるいは宗教的観念を持っているからだと説明する。臓器移植法が立法されるときでも「脳死は完全は死ではない」と結論された。ならば、なぜ死んでもいない者の臓器を移植できるのかという疑問がわく。
 脳死を死と定義し、死後は神の元に帰るキリスト教社会では、生と死は明快に境界がある。神の元に渡った魂の亡骸は、人間社会に役立ててよいのだ。儒教、仏教、神道の入り混じった日本では、絶対神による生と死の境界が引かれていなかった。曖昧さの日本は、生命倫理に立ちはだかった。それは、大江健三郎が川端康成の「曖昧さの美学」を批判し、欧米的合理性を追求すべきと論じたことにつながる、と赤林先生は言う。
 同様に、欧米では、受精卵は既に「生命」であり、だからこそ、アメリカの大統領選挙でも中絶賛成派と反対派が争うことになるのだが、日本では、「受精卵は生命の芽」であるとした。生命そのものではない、生命となりうるものであり、生命ほどの重みはないとの解釈である。だから、日本では、中絶は比較的自由に行われている。戦後の優生保護法の立法に伴い、既に子供のいる既婚者が進んで中絶をした。現在でも、望まぬ妊娠は時期さえ間違えなければ中絶できる。日本の曖昧さが、良くも悪くも、戦後のベビーブームを中断したのは歴史的事実である。
 赤林先生は、生命倫理から敷衍して日本社会を語った。白鳳がかつてレフリー(行司)に土俵下でクレームをつけたのは「横綱の風格を汚す」としてすぐさま取り下げざるを得なくなった。欧米では、スポーツマンがレフリーにクレームをつけるのは当然の権利だ。日本の対応は理解されなかった。風格という曖昧なものによって世界のスポーツルールをも変えてしまう。
 今、ロシア侵攻、コロナ禍、世界の経済回復競争の中において、日本は曖昧でシロクロをつけられない立場を通してきた。ロシア・ウクライナは、米国がつけたシロクロに盲従し、コロナはずるずると2類相当の重篤な疾病として世界に稀な対応を続け、経済回復はお隣中国次第になっている。
 言うまでもない、日本の政治の曖昧さが全ての禍をもたらしている。公文書での証拠が厳然として存在しているのに、元総務大臣のクビも取れない野党も曖昧さの責任を負う。施政者は、生命倫理を学習し、政治の曖昧さを払拭する働きをしてみせよ。日本の没落を食い止めるために。
 
 



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