元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2019/06/08]
多自然主義



 多自然主義の自然保護学者である岸由ニ慶大名誉教授の話を聴く機会を得た。先生は、手つかずの自然を理想とする「近自然主義」に対し、人間の活動とともに変化する生態系の現実に沿って進める「多自然主義」を唱える。
 
 岸先生は世界的な名著、ドーキンス著「利己的遺伝子」の翻訳者の一人であり、筆者は大いに興味を惹かれた。そして、筆者の長年の疑問は、自然保護主義が、原発反対、自衛隊反対とともにラディカルの政策パッケージに入ってているのはなぜかであり、答えが欲しかった。結論から言うと、岸先生は見事に答を示唆した。

 多自然主義は、人間の活動を進めることに反対せず、また、外来種をそれだけの理由で敵視するのではなく、それらと調和をとりながら新たな生態系を作っていくという考えである。先生は、この考えを以て、自然保護の現場と学問を往復しつつ、政府や自治体の都市計画に具体的に携わってきた。

 神奈川県の鶴見川流域では絶滅寸前のアブラハヤを流域内移動で蘇らせた。その時はラディカル団体から、アブラハヤを移動させるのは遺伝子攪乱だと反対された。科学的根拠はない。他方、政府や官僚には明らかな開発主義者がいて、自然保護に興味を持たないために仕事が進められないこともあった。左と右の対立の間隙を縫うような形で自然保護に勤しんだのである。これを聴いて、多自然保護は近自然保護(ラディカルの多くはここに属する)と異なり、開発主義に対抗するためではない、科学的根拠を重視する発想だと理解した。

 三浦半島の滝の川流域にある小網代では、耕作放棄地のササを刈って大規模な湿原地を回復させた。現場での仕事を続けるうちに、先生は流域思考にたどり着く。流域とは水のある生命圏を生きる人類の足元に広がる生態系だという。したがって、流域開発が自然に委ねる自然保護の方法そのものである。一旦は、国交省の理解も得た。

 しかし、現在は残念ながら、国交省は、流域開発ではなく、里山構想を政府の看板事業にしている。看板事業はある日突然変わるそうだ。確かに、里山も中山間地も、果てはソサエティ5も国民に示されるときは内部の審議が終わってからだから、いつも突然でしかも科学的説明が下手だ。里山など誤解だらけで、何が目的なのかも一般に知られていない。

 特に、筆者のような都会育ちは、「ウサギ追いしかの山」が日本人の故郷だと言われると違和感を持つくらいだから、理屈の分る自然保護政策でなければ納得しない。その意味では、科学的根拠も明確で、政府よりも説明がうまく、ラディカルの教条主義に与しない岸由ニ先生の話は、実に腑に落ちた。

[2019/05/28]
宇宙風化



 月面の黒い影は、昔から、ウサギが餅をついている姿だと伝えられてきた。外国でも何かの形になぞらえて語られてきたと言う。宇宙に影絵師がいて、時にはかぐや姫を降下させることもした。

 科学では、月の黒い影は、いわば日焼け(宇宙焼け)で色が変わった部分だと説明される。はやぶさ初号が小惑星イトカワにもこの宇宙焼け(厳密にいえば表面に近いところの物質の変化)があることを発見し、これは月と同様の宇宙風化によるものと説明され、宇宙風化は科学の世界で証明された。
 
 宇宙風化の第一人者である廣井孝弘・米ブラウン大学上級研究員は隕石の研究者であり、2006年にネイチャー誌にこのことを明らかにしたが、初めは、「宇宙風化は存在しない」という科学上の反対派に阻まれて論文の掲載も難しかったと言う。先生は、今回のはやぶさ2が小惑星リュウグウから持ち帰るであろう物質の宇宙風化も予言していて、かつ、はやぶさのミッションである太陽系ができたころの不変の物質は宇宙風化の下にあって、持ち帰ることができ、宇宙誕生の理論に大いに貢献するはずだと言う。

 宇宙というと、アインシュタインやホーキングを思い浮かべ、物理の世界と思いがちだが、鉱物・岩石からのアプローチがあることを知った。門外漢には、「物」の存在から理論化されるほうが分かりやすい。ちなみに、アメリカに次いで隕石保有の多い日本だが、隕石はいわば大気圏で焼け焦げになった残骸であり、はやぶさ1・2が持ち帰る「生の岩石」とは異なるという。
 
 はやぶさプロジェクトの快挙で、夢は膨らむが、廣井先生は、日本の宇宙科学予算の少なさやポスドクの扱いの悪さなどを辛口で指摘し、日本の科学への貢献に障害が多いと主張する。それに、宇宙風化について論文掲載が難しかったばかりでなく、科学ジャーナリズムの理解も遅かったと指摘する。これは、2年前、筆者が出席した会議で中村修二先生(青色LEDでノーベル賞受賞)が日本の科学政策やジャーナリズムを批判したことと通じる。
 
 キリスト教など宗教ばかりでなく、ウサギが餅つくなどの迷信も科学研究の前に立ちはだかることが多いのは歴史が教える。非科学性を打ち破るのは、数年後にはやぶさ2が持ち帰る小惑星リュウグウの石だ。「ほらほら、これが宇宙風化。迷信は風化せざるを得まい」。

[2019/05/25]
プレシジョン・メディシン



 プレシジョン・メディシンは、個別化精密医療と訳されている。英語のまま使われているのは、言うまでもなくアメリカがトップを走る研究分野だからである。分りやすく言えば、女優アンジェリーナ・ジョリーが遺伝の家族歴から、発生率の高い乳がんを予防するため乳房を切除した医療のことである。遺伝子分析をもとに行われる。

 日本でも、「未病」すなわち将来ありうる病気を防ぐ医療が学問の分野で意識されてきているが、かかる先進医療は、既得権化した健康保険制度を脅かす可能性があり、医師会の反対があって、厚労省が及び腰だ。

 しかし、この度、島津製作所のフェローであり、コロンビア大での研究歴が長い、筑波大プレシジョン・メディシン開発研究センター長も務める佐藤孝明先生のお話を聞く機会を得、日本がもっと踏み出すべき分野であるという確信を得た。

 先生によると、日本人の遺伝子は、アメリカ人のような混血が少ないためホモジーニアス(同質的)であり、特有の病気とそれにつながる特効薬の発見に有利な研究対象だそうだ。3世代さかのぼってそこに含まれる10家族の遺伝病歴を調べると、特に若年性がんについては、アンジェリーナのように自分自身の将来の発症が予測できる。ガンばかりではなく、うつ病や認知症の予測も可能である。
 
 現在、そのための遺伝子(ゲノム)分析は、日本でも始まっているが、厚労省はゲノム分析の多くをアメリカに頼っているため、日本でも整備を急がねばならない状況にある。分析に必要な次世代シークエンサーという高額の機器も海外からの輸入である。

 平等でアクセスに優れた我が国の健康保険は誇るべき制度ではあるが、それが先進医療を阻害するのであれば、日本の将来にとって好ましくはない。厚労省が決めた「標準医療」以上を求めるなという姿勢や、ノーベル賞受賞者本庶佑先生が開発したオブジーボに関し、先生とドル箱を得た小野薬品との間で和解が成立していないように、低コスト化や対象拡大に向けての研究に十分な資金が流れないようでは、先進国の面目が立たぬ。

 はやぶさ2の快挙によって、宇宙開発のニッチの分野で日本の業績が燦然と輝くことが確かめられたように、ホモジーニアスな遺伝子を使って、日本の研究が先陣を切るように乗り出すべきである。かつて某政治家が「一番でなくて二番ではいけないの」と暴言を吐いた、その考えこそが日本の夢と可能性を潰すのだということを痛感する。

 

[2019/05/02]
先進茨城県はあるのか



 茨城県人の自虐ネタは「相も変わらず全国魅力ある県47位、つまりビリ」であることだ。茨城県人の自慢は「農作物の北限南限のすべてが穫れる全国2位(時に3位)の農業県」であることだ。これだけ見ても、茨城県は印象が薄く、全国に知られていない県と言ってよい。

 歴史をたどれば、尊王攘夷の源である水戸藩は、桜田門外の変で失敗し、後進藩であるはずの薩長に尊王攘夷の旗手を奪われ、明治の藩閥政府の下では冷や飯食いになった。水戸藩(茨城県)の得た公職はお巡りさんばかりだった。
 
 そのせいもあって、近代政治になっても大物政治家が登場せず、梶山静六が総裁選に出たのが頂点で、勿論、総理大臣の登場は誰も期待していない。安倍首相が山口県(長州藩)8人目の総理であるのとは対照的だ。

 しかし、尊王攘夷を掲げたこの2つの県はその保守性において相似する。ただ、同じ保守でも中身は違い、長州(山口県)が成り上がり者の策士と陰険さを持つのに対し、水戸(茨城県)はあっけらかんの風情で、他人に褌(ふんどし)を取られても気づかないような楽観主義だ。

 そんな風土だから、戦後公選知事になってから、初代の官選知事からの転換を除くと、60年近くもたった3人の知事がいずれも長く藩主のごとく「君臨」してきた。変化を拒む保守性の土壌は、茨城県を知名度の低い特徴のない県にしてきた。2017年、通産省出身、トップビジネスマン、海外にも通用する大井川現知事が現職を破って当選したときは、何かが変わるという期待感が久しぶりに漂った。
 
 しかし、優秀であるはずの現知事もかなわぬ保守性の壁に突き当たったのかもしれない、やはり茨城は茨城のままだ。県庁の組織改正も驚くほどのものではない。

 ところが、ここに来て、現知事がLGBTのために差別禁止の条例を制定したいと意思表明したのである。知事の国際社会での活躍歴や夫人がリベラル弁護士であるという観点から見れば、決して驚くべきことではないのだが、保守土壌は今、騒然としている。LGBTのパートナーシップを積極的に認めるのは、渋谷区、世田谷区、杉並区などいずれも都内であり、しかも、首長はリベラル系だ。大井川知事は自民が推す保守系なのである。

 どうやら自民党の反対で、条例まではいきそうにはないが、知事は何らかの形でLGBTの権利確保を約している。このことは筆者が2000年、山口県副知事の時に全国3番目に男女共同参画条例を制定する過程で激しい反対運動に遭ったのを思い出させる。国からの出向だから、筆者は全国に先駆けたかったのだが、保守土壌の下では、47番目になるまで待てばよかったと今では思っている。ちなみに山口県庁が県庁ランシステムを取り入れたのも全国47位だった。
 
 大井川知事さん、LGBT容認を全国に先駆けるのは、茨城県では難しい。魅力ある県47位なのだから、47番目まで待つしかない。それよりも、知事の得意なビジネスの世界で、イノベーションの世界で、先進県を目指してほしい。筆者も老婆となってやっと、土壌が整わなければ種をまいても仕方ないとの思いが先んじるようになった。老婆心からのお願いだ。

[2019/04/22]
定常型社会とイノベーション



 この欄で「夢人口」を語る広井良典京大教授を紹介したことがあるが、過日、彼の話を直接に聞く機会を得た。広井教授は、厚労省の我が後輩であり、若くして学問の世界に移った経歴の人である。久しぶりに会い、「僕は(厚労省の)ドロップアウトですから」と謙遜したが、勿論、そんなはずはない。多くの論壇の賞を取り、日本の未来の道を指南する屈指の人材である。

 広井教授は社会保障政策の学究と紹介されるものの、本質は、科学史・科学哲学をベースとし、農耕社会が始まった1万年の歴史の流れを捉え、現代社会の社会保障を論じる稀有な論客である。「夢人口」では、「現実とは脳が見る共通の夢」と言い、未来不確定の子供、認知能力の低下する高齢者はそれぞれ夢を見る集団であると言う。
 
 今回の話は、定常型社会。経済成長を絶対的な目標としなくても、十分な豊かさが実現していく社会と定義する。ホモサピエンスは1万年前に農耕というイノベーションを起こし、それが定常化するにしたがって、4大文明などが発達した。17世紀には産業革命というイノベーションを科学の発展とともにもたらし、資本主義、民主主義の価値を擁した社会に我々は位置する。

 イノベーションは今も我々の社会のキーワードである。AIやバイオ科学に期待がかかる。しかし、広井教授によれば、資本主義は直近の金融資本主義をもって最終駅に行き着いた。市場原理をベースに成長を追い続ける手法は終焉を迎えると警告する。確かに、人口も先進国における減少に始まり、22世紀初頭100億余りで定常化し、成長を支える要素が後退していく。さらに、地球環境の問題は成長の後退に拍車をかける。
 
 もう成長はいいではないか、産業革命後の新たな定常状態が既に出現し、ポスト資本主義社会の構築を待っていると広井教授は説得する。その姿は1972年、ローマクラブが著書「成長の限界」で、食料・エネルギー危機の到来から人口の抑制を叫んだ姿と重なる。ローマクラブをさかのぼる百年も前に、実はJ.S.ミルは同じことを提唱していた。つまり、定常型社会の論は古くて新しい議論なのだ。
 
 一昨年の科学者会議で、筆者はたまたま「成長の限界」の著者デニス・メドウに会う機会を得た。彼の限界論の後に起きたイノベーションで、世界はローマクラブの提唱を反故にした。農業もエネルギーもメドウの予測を打ち砕く発展を遂げたからだ。メドウは「それでも私は今も私の考えが正しいと思う」と言った。筆者は、昔読んで茶色くなった彼の著書にサインをしてもらったが、彼の顔色はなかった。

 ミル、メドウに続いて約50年ぶりに広井教授が定常型社会を提言する。マクロ的な話であるから、ある日突然定常型社会になるのではなく、これからもいくつかのイノベーションを経験しつつ、しかし、定常状態になっていくと考えるべきだろう。その定常型社会をポスト資本主義社会と呼べば、既に五感をもって髣髴と感じられる。我が国は失われた30年(まさに平成が丸ごと)を経験し、特に国民一人当たりのGDPにおいて国際社会での地位を著しく下げた。20世紀から21世紀にかけて奇跡と言われたアジアの躍進も、我が国を追いかけるように少子高齢社会が始まり、もうそう長くは繁栄の中心ではいられない。

 時期を同じくして、小林剛也財務相地方課室長の財務省が取り組むイノベーションについてお話を聞いたが、海外に売れる日本酒の開発など現実的な事業に財政的に関わってくのがイノベーションというなら、それは賛同すべきと思う。しかし、時代を、世紀を超えてのダイナミックなイノベーションが定常型社会を打ち砕くだけのものになるかどうかはわからない。我々が経験した成長型の経済社会よ、もう一度はハードルが高い。
 
 ここは、厚労省出身者が誇る広井良典教授のさらなる研究成果に期待しよう。
 
 
 

[2019/04/12]
深層海洋への誘い



 過日の会議で、海洋物理学者の日比谷紀之東大大学院教授のレクを聴いた。それは息を飲み込むほどのファンタジーな内容であった。

 我々が親しんでいる親潮・黒潮などの表層海流の下に、深海を循環する海流があり、月の潮汐によって引き起こされている。その深層海流は、北大西洋からアフリカの南、南極大陸の北を通り、太平洋に出て、回転し、ユーラシア大陸の南を通って、再びアフリカの脇を通って北大西洋に帰る。この行程は1500年かかる。現在太平洋に戻ってきた海流は、前回は日本に仏教が伝来した6世紀ころのものだと言える。

 太平洋で回転するときに寒流から暖流に変わり、過去12万年の気温変化は深層海流の影響であるとの研究結果が出ている。現在気候変動は主に二酸化炭素による温暖ガスで説明されているが、実は長期的に考察すると、深層海流が原因ともなる。深層海流が停止したら、北大西洋の気温は5度以上低下する。つまり、現在の気候変動の科学は100年タームで議論され、1500年タームの話ではない。
 
 地球物理学は46億年の科学であるのに比べれば、1500年は一瞬だが、自然科学の壮大さの前に、10年単位で経済社会を論じる社会科学の理論は、真理探究の学問とは言い難いではないか。

 日比谷先生は、大気で起こる乱気流と同じ深海の乱流の観測を続けている。月の潮汐が駆動する深海の流れに改定の凸凹が乱流を起こす。乱流観測機は一基5千万円で日本では生産されていない。当然のことながら予算には苦労する。

 はやぶさ2の活躍が目覚ましい現在、宇宙の解明や太陽系の成り立ちに日本が直接挑んでいるのは喜ばしい。ならば、深海の物理が地球の未来を示唆する存在であることにも同様に金をかける必要がある。超高齢社会で低速化している日本経済社会では、大きな夢を抱いてはいけないのか。否、学問、イノベーションこそがブレークスルーを見出すであろう。
 
 月の潮汐と関係して、深層海流以外にも、ウナギの養殖への影響を指摘した研究がある。人間のお産も月の重力と関係していると言い伝えられてきたが、今のところ、有意味な研究成果は得られていない。月は太陽と違った形で生命や自然現象に影響していることを改めてファンタジーに感じた。
 

[2019/04/04]
移民法は人口問題を解決するか



 昨年末出入国管理及び難民認定法の改正により、新たに在留資格「特定技能」が設けられ、これを施行するため、4月1日に法務省の外局である出入国在留管理庁がスタートした。出入国在留管理庁在留支援課長に厚労省からの出向で赴任した平嶋氏の話を聞く機会を早速に得た。

 今回の法改正は、労働力不足を補うため、外国人に新たな資格を設けるのであって、恒久的な移民法ではないと安倍首相は何度も繰り返していたが、果たしてそうなるのだろうか。

 失踪問題で社会を騒がせてきた、建設現場や農業に携わる従来の技能実習生は、試験免除で特定技能のカテゴリー1の資格が得られ、職種の範囲は狭いがより熟練した場合には、家族帯同も許されるカテゴリー2に進むことができる。
 
 これまでいわば政府開発援助の発想により、日本の技能を学ばせるという考え方で行われてきた技能実習生は、労働のために入国する地位を与えられることになる。もしかしたら、低賃金や過酷な労働から労働法が守ってくれることが期待できるかもしれない。しかし、それは、上記管理庁がどれだけ関与できるかによる。従来は内外の民間斡旋業者に任せっきりだった。

 筆者は、この移民法(改正という形で行われ、重要な法律なのに呼び名が決まっていないから、あえて、こう呼ぶ)は、別の観点から、20年以上にわたる少子化政策の失敗によるものとみている。もう人口が増える兆しは見られない、だから、アメリカやドイツのように、労働力を外から調達する手段を合法化したのだ。

 しかし、技能実修生は技能と日本語の試験を免除されることから、実態は初めから単純労働を想定していることは明らかだ。母国より賃金の高い日本で、稼いで帰ることが目されている。だが、母国の賃金が上がってきた中国やブラジルの入国は減ってきている。今では、ベトナムやネパールなどが多いが、いずれ母国と日本の賃金格差が縮まれば、「稼いで帰る」メリットは低下する。
 
 現に安倍総理は「5年間に34万5千人の入国を予定しているが、人材が不要になったらやめる」とまで発言している。なるほど、あからさまに日本の社会のための都合で作られた法律である。しかし、そこは、人間は生身、どんな事態が待っているかわからない。特定技能カテゴリー2に上がるのは極めて難しいが、もし、日本にとどまりたいと思えば、あらゆる手段を使うであろう。
 
 筆者がアメリカに滞在した1970年代は、多くの偽装結婚があり、アメリカのグリーンカードを手にしようとした移民が後を絶たなかった。いくらトランプ大統領が国境に壁を作っても、人間の知恵は壁を超える。しかし、忘れてはならない、アメリカもそしてドイツも時々お荷物になる移民によってこそ発展してきたのだ。日本もいよいよその必要性ができてきたのではないか。
 
 ならば、入国及び在留条件を緩和してはどうか。少子化政策の失敗を埋めるのであれば、定住定着のために施策を講じたほうが良いのではないか。もちろん、既に地域住民と外国人は多くの軋轢を生んでいる。また、ブラジル人コミューニティーなど日本社会に溶け込まない状況が生み出されている。

 しかし、保育所改革など実際には人口増加につながらない少子化政策を飽きもせずやってきた政府がこれまでタブーだった移民政策に舵を切ったならば、外国人定住化政策とセットで行わねばならないのではないか。人権という観点以上に必要性という観点から、移民法の発展を願いたい。

 

[2019/03/23]
自然エネルギーの道



 最近、自然エネ庁と公益財団法人自然エネルギー財団のレクチュアを聴く機会があった。日本でも、太陽光エネルギーのコスト低下は進み、中国などにはかなわないにしても、早晩、原発をはるかに上回るエネルギー効率が期待できる。全世界的には、既にコストや熱効率の観点からも原発をしのぎ、化石燃料に代わる代替エネルギーとしての地位を収めつつある。
 エネルギー政策は国の重要な決定事項である。デンマークは風力発電を主電源とし、フランスは原発に重点を置き、中国はエネルギーミックスに配慮しながらも強烈な勢いで太陽光を始め自然エネルギーに舵を切っている。
 日本はどうなのか。自然エネルギーの発展は目覚ましいが、ドイツのように、目標値をもって代替エネルギーの開発を図っているのではない。ここが民間開発企業の不満を生じさせている。政府のコミットなしには、リスクをすべて自ら負って開発しなければならないのと、補助金などの呼び水なしに国際競争力をつけるのは難しいからだ。
 日本は原発再稼働に向かっている。海外への原発売込みも積極的に行っている。しかし、昨年末、イギリスでの日本の原発設置計画が凍結されたように、世界の原発へのしり込みは明確になってきた。スリーマイル、チェルノブイリ、そして極め付きが福島原発事故で、他の自然エネルギーのコストパフォーマンスさえ良ければ、あえて原発を選択しない流れにあろう。
 もちろん、原子力工学をおろそかにしてはならない。将来の廃炉技術や新たな分野での必要性を否定できるものではない。しかし、是非を度外視しても、日本の自然エネルギーの取り組みが先進国や中国の後塵を拝しているのは、原発再稼働の政策があるからだろう。
 民間は、2017年から、日本でも、RE(Renewarable energy)宣言をする企業が続出し始め、自然エネルギーの活用に身を乗りだしている。昨年、筆者が出席した国際シンポジウムでは、オゾン層の発見でノーベル賞を受賞した、マリオ・マリナ博士が「97%の科学者は、地球温暖化は人為であると確信している」と話した。つまり、自然エネの開発には科学者の協力を存分に受けられるということを表している。
 自然エネルギー財団では、地球温暖化の観点から、CE(サーキュラーエコノミー)の研究も始めているが、関連の農業分野などの研究はこれからの課題であると言う。そして、民間が頑張っても、科学者が頑張っても、一層必要となるのが政府のコミットメントだと言う。
 トランプ大統領や安倍首相の本音を聞きたいところだ。


     

 

[2019/02/27]
持続可能な開発目標とは?



 平成30年版科学技術白書を開くと、SDG、ソサイエティ5.0という言葉が先ず目に入って来る。日本の科学技術の方針にあたるものだからだ。
 SDGは持続する開発目標の略であり、2001年、国連が開発途上国向けの2015年までの8つの目標(MDG)を策定したのに続き、2015年から30年までの、気候変動などを加えた新たな17目標のことである。
 国連本部のロビーにはカラフルな17色の目標が掲げられ、国連に協調的な日本は早速これを政府の方針として採り入れた。国連では、SDGの達成にSTI(科学技術イノベーション)の方法を用いることにし、科学技術に強い日本の活躍は注目される。
 政府が目指す日本は「ソサイエティ5.0」。この欄でも紹介したことがあるが、高度テクノロジーを使った超スマート社会のことで、社会的課題を解決していく。経団連では、SDGのためのソサイエティ5.0と名付けて、この二つを結び付け、健康、エネルギー、防災などの分野の活性化につなげようとしている。
 いいことづくめのようであるが、果たして、日本人のどれだけの人がSDGやソサエティ5.0を知っているだろうか。政府のPRが足りないばかりではなく、説明も分かりにくく、具体的イメージが浮かばないのが欠点だ。また、国連や政府の目標がいいことづくめなのはいつもそうであって、どこまで達成したかはいつも不明なまま終わっている。
 ドイツでは既に求心力を失ったメルケル首相だが、演説の度に「インダストリー4」を目指すと言ってきた。これは、産学官連携のものづくり高度化社会のことで、この方がずっと分かり易い。
 しかも、SDGの17目標には、健康、食料、気候変動、エネルギー、防災、ジェンダー等世界共通の社会課題が取り上げられているものの、日本にとって最大の社会課題である少子高齢社会は入っていない。あらゆることの標準化が欧州で行われる如く、ここでも、欧州中心の課題選定が行われていることは明らかだ。一昨年、国連女性の地位委員会にNGOの立場で赴いたときに、「日本はSDGの中でもジェンダー問題は遅れていますね、欧州に比べると」と言われることになった。どうして日本は国連の優等生のはずなのに、こうも存在感が薄いのか。
 SDGの一般化された目標よりも先に日本は少子高齢社会に取り組むことをを第一にしなければならない。また、イノベーションを使ってSDGに貢献する考えはいいが、イノベーションは各国競争の分野である。国連との連携以上に、新たな産業を興す日本のためにイノベーションを使っていくことの方が先決だ。
 国連10人委員会のメンバーであり、JST(科学技術推進機構)元理事長の中村道治先生にそう申し上げたら、「国益とは、日本が国連の目標に向かって頑張っている姿を見せるのも一つの国益ではないか」と言われた。国際社会の現場で日本の国益が傷つけられているのを多く見た(最近の日韓関係もそうだ)筆者は、達観できない境地である。
 

[2019/02/20]
人口減少社会に若者の提言



 若者に人気のメディアアーティスト、落合陽一さんの話を直接聴く機会を得た。単著も多いが、ホリエモンと共著を出したり、小泉進次郎と対談したりで知られ、筑波大准教授とメディアアートの会社社長を兼ねる。メディアアーティストとは聞きなれない職業だが、メディアを使って人口減少社会を乗り切るための、技術者でありデザイナーであると筆者は解する。
 若干31歳の落合氏は、ソーシャルメディアで育ち、その使いこなしで、人口減少社会を克服する方法を説く。例えば、子育てには、ソーシャルメディアのコミューニティでベビーシッターを見つけ、母親一人の孤独な子育てから昔の家族や共同体に囲まれた子育て環境を作り上げることを提案する。
 高齢者に対しては、もっとAIを駆使することを提言する。自動運転の車椅子で散歩させ、一人のスタッフが何人もの高齢者を画像で管理する。保育にせよ、介護にせよ、人海戦術だけにとらわれず、人材不足を解決する方法はいくらでもある。
 落合氏は言う。「介護に器械はダメだ、子育てに知らない人を入れるのはダメだと主張して、若者のアイディアを邪魔しないでほしい」。確かに、中高年の意見が新たな方法論の導入を邪魔してきたために、人口減少社会の解決策が見つからなかったし、だから最近の外国人労働者活用政策に移ってきたのだ。
 落合氏の提言の基礎にあるのは、ソーシャルメディアを使ったコミューニティづくりには新たな費用が掛からない、また、器械を導入すれば初期費用の後は人件費が掛からない、つまり一人の受益者の新たな参加のために限界費用がゼロになるということだ。財政難、人材難の時代に、限界費用をゼロにすることが必要である。
 確かにそのとおりであり、我々は、日々、ユーチューブやウィキペディアなどの情報を費用ゼロで受益しているのと同じことをやればよいという発想だ。ソーシャルメディアに悪者が参加して子供に危害を及ぼすかもしれない、器械が暴走して老人にケガをさせるかもしれないという危惧は確かにあるし、具体的な事件も起きたことがある。
 しかし、それには監視システムなど予防方法を編み出せばよい、それこそがAI時代の「人間の」仕事であろう。落合先生の提言を取り上げるべきだ。日本人はものづくりにこだわり、手で触って仕事をしなければ仕事ではないと考えてきたが、モノではなくサービス中心の人口減少社会での仕事は、ソーシャルメディアや器械(AI)に代替させる機は熟した。人口減少社会の現実なのだ。
 北欧では、日本よりはるかに、介護に器械を採り入れているし、一人暮らしの認知症でも、鍵のかけ忘れの自動防止、アイコンひとつで掛けられる電話など、自立できる工夫が導入されている。日本は、もう「人の世話は人の手で」の考えを辞める時期であろう。
 ただ、AIが十分に活用される社会になっても、人間らしさのために人間が行う仕事は残る。よく言われることだが、老人には、「教育(今日行く)」ところがある、「教養(今日用)」があるの二つが必要である。そこには笑顔で迎える人間が存在していなければならない。
 ソーシャルメディア世代の落合氏と何でもマニュアルで育った老人とでは、生身の人恋しさが違うが、それは程度の差として、落合氏の提言は的を得ていると考えられる。



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