元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2020/10/12]
真の問題は何? 日本学術会議



 日本学術会議の会員候補6人を任命拒否したことが問題となっている。マスコミは自らの表現の自由につながる学問の自由を蹂躙したとして、菅総理を責める側に立つ。
 橋下徹氏が任命拒否反対の女性論者を相手に、テレビで持論を放ったが、極めて論理的で正しい。政府の機関である以上任命権者にはそもそも拒否権は備わっているとの論点である。女性論者はこの論点に適切な反論ができなかった。
 橋下氏は法律の実務家であり、緻密な言語を駆使して正論を言うのだから、一般論で対抗するのは無理なのだ。マスコミもまた専門性を欠き、人々に受ける一般論をばらまくので、議論の盲点を作り出すだけだ。日韓関係など外交においては甚だしく盲点を作っている。
 しかし、いかにその論点だけが正しくとも、それ以上の問題がある。日本の頭脳に喧嘩を売ってしまったのだ。しかも、菅総理の答弁姿勢は醜悪だ。「総合的俯瞰的」に決めたとは、なんと役人の文脈そのものではないか。答えを含まぬ答え方なのである。国会答弁文書で役人の好きな「前向きに対処することとするよう検討してまいりたい」のフレーズと同じだ。
 菅総理は逃げた。憎い奴は任命したくないが、答弁言語は役人用語を使い(政治家たるものが使うべきではない)、暗にこれをやったのは役人なのだと言っている。なぜ、過去の解釈はどうあれ、任命権者の権利だ、どこが悪いと言下に突っぱねることができなかったのか。虎の尾を踏む勇気があるなら、そのくらいの覚悟がなければなるまい。
 安倍内閣で安保については過去の政府の解釈を変えてきた実績があるではないか。また、悪いのは縦割り社会の官僚であって忖度が悪いのではないとばかり、行革に名を借りて役人バッシングをしていた割には、役人言語を使って彼らのせいにするのは如何?
 しかし、これをきっかけに日本学術会議の在り方を見直すのはいいかもしれない。昔から、総理府(今の内閣府)には、誰も知らない機関が多くぶら下がっていて、そこには多くの職員が張り付いてきた。
 そのひとつであった社会保障制度審議会は、2001年、省庁再編とともに廃止された。戦後1950年、社会保険を中心とする社会保障制度構築を総理に勧告するなど一定の仕事をしてきたが、その役割は経済財政諮問会議と厚労省社会保障審議会に継がれ、「省庁と同様に多すぎる審議会」は潰されたのである。
 蓋し、橋本龍太郎元総理の省庁再編を始めとする行政改革は失敗だった。官僚の肥大を量的に抑制しようとしたが、桶をたらいに変えただけで、水の量を変えなかった。つまり人員は一人も減らず、ポストが減った分独り管理職が多くなり、自分は何をやっていいのか分らない役人が増えた。また、明らかに、官僚志望の学生はトップクラスにはいなくなった。政治の忖度の受け皿となる官僚人生に魅力を失ったからである。
 日本学術会議の見直しをすると言うなら、同時に、官僚制度も見直す時が来た。来年、省庁再編から20年になるのだから。
 

[2020/10/09]
長谷川先生の子育てスイッチ



 総合研究大学院大学学長の長谷川真理子先生が、ご専門の進化生物学から考察した少子化の議論を聴く機会を得た。

 動物の個体が一生の間に時間とエネルギーをどのように配分するかの研究によれば、体重が大きければ時間はゆっくり進み、脳の大きい動物は長生きして経験を活用する。まさに哺乳類として大きく脳の重い人間がその動物である。

 動物個体が一時期に使える時間とエネルギーには限りがあり、何かに使えば他は使えなくなる、つまり、トレードオフが行われることになる。ここで結論を急げば、複雑になった人間社会に適応しようと思えば、子育てに回る時間が少なくなること、それが少子化という現象である。

 動物は、自己の生存維持、つがいの相手を見つけること、子育ての3つを原則として生きる。これに当てはめると、日本の現代女性はかつて親や夫によってあてがわれていた生存維持や結婚成立にエネルギーを多く費やすことになり、子育ての幸せ見通しが悪い時代を生きている。即ち、子育てへの配分が相対的に少なったのである。以上の長谷川先生の少子化論は、実にわかりやすい。

 他方で、人間の社会が豊かで衛生的で教育が普及したせいで、生物界ではありえない現象をもたらすようになった。非婚率が高い、繁殖力のピーク(女性25−35歳)に子供を生まない人が多い、乳児死亡率が下がると出生率が下がるなどの点である。

 発達した人間社会が人間を自然のルールからはずしてきたわけであり、そう考えると、少子化は「やむを得ない」のであり、なすべきことはないのかもしれない。なぜなら、社会を巻き戻しすることは不可能だからである。時に、女性の高学歴化や社会進出を抑制する議論あるいは児童手当を法外な額にすべきという議論も出るが、受け入れられない。

 長谷川先生は、質疑応答において、政策立論者の言う「こうあるべき論」を戒め、「それは進化生物学に解決を求めないでください」という趣旨を明確に言われた。科学に「べき論」は禁物である。もしかしたら、自然科学に比較し、曖昧な社会科学に限界があり、それをもっと曖昧に解釈した政策自体が間違い続けてきたのが、少子化政策なのかもしれない。

 一点だけ、長谷川先生は、科学の分野を離れ、「子育てスイッチ」というものがどうもありそうだと言及した。それが入ると、子供を持ちたいと言う気持ちになる。成長期において周囲に赤子などを見たり触ったりすると、子供を愛する心が養われるということだ。

 これは少子化政策を考える者にとって朗報だ。しかし、もう一つ問題がある。今の20−40代の青壮年は、かつての青壮年に比べ幼い。就職氷河期のような苦労はあったかもしれないが、戦争やひもじい思いの経験はない。兄弟も少なく、多くは先進国の中産階級が享受できるものは得てきた。

 このバックグラウンドの20−40代の心理からくる少子化研究が必要であろう。人口学、経済学、家族社会学、そして自然人類学(ここでは進化生物学)の視点からは多くが分析され、語られてきた。しかし、彼らの幼さ、結婚も子育ても積極的ではない心理を、できれば社会心理を少子化政策に向けてもっと研究すべきであろう。

 長谷川先生は、「国家や社会を維持するために子供を生みましょうと言うのは間違い」と明言されたが、多くの人が子育てスイッチの入らない人生と社会は健全ではない。人々の幸せ感を最大にするのが国家の役割とすれば、少なくとも、子育てスイッチの入りやすい社会を作ることで妥協点を見出していくべきであろう。

[2020/09/10]
「不妊治療が少子化対策」は、男の視点



 自民党総裁選候補者3人の討論会が始まった。全体的に目新しいことはないが、こと少子化対策については驚き、寒心に堪えない内容だった。石破氏は抽象的、岸田氏は通り一遍、菅氏は少子化対策の目玉として、不妊治療の保険適用化を挙げた。
 少子化対策とはいかに赤ん坊を生ますかだと菅氏の頭では考えている。不妊治療と中絶禁止の議論は、少子化の背景を踏まえた制度作りよりも、赤ん坊が生まれさえすればよいという短絡的で、生み育ての責任を回避しがちな男の視点そのものである。
 不妊治療の保険適用はそれに苦しむ人には朗報だが、それは、不妊を疾病ととらえ、健康保険の適用を制度内で検討すべきことであって、少子化対策の目玉ではない。少子化対策は、生んでからこの国の労働力となるまでの制度全体を向上させるべき政策なのである。
 その上、既に専門家が発言しているが、もしこれを少子化対策と主張するならば、団塊ジュニアが出産適齢期である90年代に行うべきであった。保険適用の検討は結構だが、少子化対策としては時季外れも甚だしい。
 少子化対策は、今や国民的課題の第一に挙げられてもおかしくはない。しかし、日本の総理になろうとする候補の討論会で認識の低さが露呈した。残念ながら、女性活躍も少子化対策も今後当分期待できない分野となった。国の借金、消費不況と相まって、日本の下り坂は止められまい。

[2020/09/03]
自民総裁選 なぜ歴史を繰り返す?



 自民総裁選は「出来レース」になった。菅官房長官を推す派閥の単純合計で決まった。勝敗の分らぬレースなら、菅氏は出馬しなかったろう。それほどに慎重であり、身の程を知る男である。
 菅総理誕生に貢献した派閥は、人事権を獲得する。菅氏の周りは「決められた」派閥人事で、彼自身は動きもすごきもできまい。それを知ってか、出馬の弁も、安倍政治の継承と自らの質素な出自を語るにとどまった。
 国家観は語られず、外交も疫病対策も経済回復の道も国の借金も語られなかった。しかし、これはまずい。国民は誰しも安倍政治の継承を望んでいない。新たな出発のダイナミズムが求められているのだ。粛々と安倍政治の継承を、菅氏が自ら語った「質素で誠実な」性格で行えば、自民政治の下り坂は止まらない。
 にもかかわらず大きな派閥がこぞって菅支持に回ったのは何故か。1年後に自分の派閥から本格総理を出すのが一つの狙いだ。
 狙いはもう一つある。経済回復の道も借金返しの道も描くことはできないし、疫病をきっかけに、憲法25条が保障する「健康で文化的な生活」の設計図を描くこともできない。コロナで膨らんだ財政赤字の数字やマイナスのGDP以外にも国民に隠された「衝撃的な悪い数字」が山ほどある。隠しきれるのは菅氏しかいない。
 しかも、忖度政治の続きで今切られては困る事業や人脈も継承してほしい。それができるのも菅氏だ。だから、派閥に泥が被らないようにするには、口の固い菅氏一人の責任にすることが望ましいのだ。これがもう一つの狙いだ。
 外国の領袖と肩を並べて交渉するのは、菅氏の経歴からすると難しい。こうした事情を知りつつ総理を引き受けた菅氏は、周囲の政治屋によってボロボロにされていくだろう。政治屋なんかどうでもいいが、国民はどうなるのだ。
 党大会を実施するよう主張して集まった自民党150人の議員たちは、これを機会に新たな政党を作るべきだ。安倍政治の継承は、2006年に小泉政治の継承が行われた歴史と同じ轍を踏む可能性が高い。自民党の良心が結集して新たな政治に進むべきだ。幸い、今の野党に何の力もない。今こそ、真摯な政治集団を作る役割を果たせ。
 
 
 

[2020/08/18]
ウィズコロナ 政治に求められるもの



 日本のGDPが年率換算で27.8%落ち込むことが報道された。4−6月の数値の年率換算であるから、最終的には数パーセントの減になる見込みだ。リーマンショック以上と言われるが、緊急事態宣言で、人為的に経済を停止させたのだから、驚くにはあたらない。

 問題はいかに回復していくかである。アフターコロナなのかウィズコロナなのかは、ワクチンが社会をいつ収めるかにかかっている。今のところは、ウィズコロナでいくしかない。

 ウィズコロナで経済が動いていることは株価指数に現れている。ナスダックが最高値を更新しているのは、GAFA関係、つまり、オンライン会議や巣ごもり通信の需要が高いからだ。
 
 また、日本では、インテリア関係、マスク・消毒液などの日常健康用品や殺虫剤が増収している。明らかに、人々の行動は、内向きになっていて、外食や旅行は避けられている。人々は自分を見つめる、家族を見直す、身の回りの住環境を整えるのに一生懸命である。

 ウィズコロナが自分を見つめるのによい機会ならば、学問や教養を高める機会にすべきという論調も多くみられる。文字文化や読書習慣が戻ってくるかどうかはまだわからないが、明治時代の義務教育の普及や西洋の学問の導入の勢いを思い起こし、新たに教養社会を作り直すことが経済社会の回復につながるであろう。

 そのことを一番知ってほしいのは政治家だ。ワクチンを開発するまでは科学者の仕事であっても、開発の推進やその後の普及、同時に経済回復についての選択は政治家の仕事だ。河井夫妻に象徴されるように、政治家が選挙のためだけに政治をやっている今日の在り方では、日本の回復はおぼつかない。

 政治家になるには、学歴も職歴も問われない。日本社会の代表だからさまざまの人がいてよいのだと思う。しかし、彼らの下につく政策秘書は、博士号取得者、司法試験合格者、国家公務員I種試験合格者を原則としハードルが高い。政治家にはこのような基準は求められていないが、ただひとつ、モラルだけは高くなければならない。

 そのモラルは教養に裏打ちされるものなのだ。だから、国の方針に関わる政治家は十分に勉強する必要がある。選挙のための政治では、ウィズコロナの日本は絶望だ。

 安倍首相の祖父岸信介は、記者会見の場に臨むと、その語り口に教養が漂っていたと当時の記者たちの思い出話が残っている。岸は、東大法学部首席を民法学者我妻栄と争った銀時計組だが、何よりもその語彙の豊かさに記者たちは驚いたと言う。

 失礼ながら、教養漂う語り口の政治家は消えた。自らを「ボキャ貧」と称した小渕首相をはじめ、ITをイットと言った森首相、スローガン創造者の小泉首相、未曾有をミゾユウと読んだ麻生首相など、近年の漫画文化に沿った話しぶりに代わった。時代の変遷か、それとも教養主義の排除か。

 ウィズコロナで立ち上がる次の首相は昔ながらのモラルと教養を身に着けた人であってほしいと願う人は多いはずだ。

 

[2020/07/02]
コロナよりも長期トレンド



 「毎日がコロナ」の日々が続いている。日本では、東京を始め第二次感染の到来を恐れつつも経済回復に政治は乗り出す。安倍政権は喫水線が上昇し、盛り上がらぬ都知事選をよそに、次の政権論が盛んである。
 世界ではアメリカの大統領選と米中関係に注目が集まる。トランプはコロナで感染者260万(世界1000万)、死者12.8万(世界50万)を出しつつも、選挙を意識して経済回復に力点を置く。中国は、トランプの敗北を期待しつつ、経済は低迷、にもかかわらず、インドとの軍事衝突、香港国家安全法の制定などアジアでの覇権を誇示しようとしている。尖閣列島周辺に頻繁に公船を通航させているのも、日本に対する挑発行為である。
 現時点で日本がアメリカについていることは明らかであるが、欧州は、中国を警戒しながらも、その大きな市場を意識して、即欧米連合に傾くとは限らない。日本も民主党のバイデンが大統領選に勝った場合、対米政策の修正を余儀なくされるかもしれない。トランプに偏りすぎた日本をバイデンはどう扱うか。そのトランプにおいても、ボルトン元補佐官の回顧録では、トランプが安倍を好意的に観ながらも、日米安保の片務性について言及している。
 この世界の動きはコロナがもたらしたものか。否である。長期トレンドの一部でしかない。太平洋戦争敗戦は日本を劇的に変えた。では、オイルショックは?ソ連崩壊は?アジア経済危機は?対テロ戦争は?リーマンショックは? 世界共通経験が日本を変えてきたことは確かだが、国の土台まで変えたのは敗戦だけだ。コロナショックもまた長期トレンドを強調的になぞる変化をもたらすであろうが、土台を変えるのではあるまい。
 むしろ、さまざまの国際的事件の背後に、日本を長期的に変えてきたものがある。それは、人口構造である。これこそが社会を変えた。超高齢化、少子化。財政超過と需要の落ち込み。90年のバブル崩壊は、89年1.57ショックの直後に起きた。少子化の門をくぐった日本は、以降は、バブルを支える人口はありえないのだという事実を突きつけられたのだ。
 人口構造は家族を徹底的に変えた。戦前の価値を持った人口が減るにつれ、典型的と考えられてきた家族は大きく低下した。何が典型かは時代によって変わるべきだが、家族の存在そのものが否定はされていない。それどころか、コロナ禍で、家族の存在が再認識されている。今こそ、家族のための政策が必要である。
 経済では、GAFAが上昇して、重工業が苦戦する。日本の人口構造が求めているものはGAFAが提供し、重々しい工業製品ではない。その長期トレンドを読み、何よりも、家族を支え、人口を増やす政策を行わねばならない。それこそが、ポストコロナ社会に求められる政策だと信ずる。
 

[2020/06/18]
コロナが起こした格差拡大



 争いは人を変える。病気は人を変える。そのアナロジーは、戦争は社会を変え、疫病は社会を変える。否、変えざるを得ない。
 コロナが変えたもの。先ずは経済の縮小だ。そして格差の拡大である。テレワークをしつつ収入が保障される正規雇用と職を失うに至る非正規雇用の大きな差を生んだ。家族関係は、親密が虐待を生み、子育ては通学や社会化なしに行うのは難しいことが分かった。さらに、日本のクラスターは娯楽に偏り、地域文化的よりも刹那的クラスターが多い国になっていた。もう一つ、首長の活躍が従前になく目に見えた。
 コロナが変えなかったもの。解除後の株の回復の速さである。人々はいち早く経済回復に期待し、コロナ何者ぞという意識だ。全員がマスクするのは、公衆衛生意識の高さが変わっていないことを表す。命か経済かは、命も大切だが、やはり経済あっての日本という政治も変わらない。
 消費デフレが続くのか、補正予算や金融緩和で余った金がハイパーインフレを起こすのか両説がせめぎあう中で、格差拡大だけは確実に認識されている。正規雇用の中産階級は、経済成長時代は社会の大半を占めていたが、今や縮小し、多くの人が非正規雇用で、子供を抱えて一層貧しくなったり、独身あるいはLGBTのような新しい生き方で、昔ながらの典型的な生き方をしない人々が増えた。非典型の人ほど、コロナをきっかけに経済的困難や、不条理な偏見に襲われる。
 コロナで顕在化した、典型と典型以外の格差拡大に取り組まねばなるまい。典型であれ、非典型であれ、選択肢の多い制度的保障で、この国が持続するように、かつ人口も維持できるように、ポストコロナの社会政策が必至である。

[2020/05/22]
ポストコロナ政権はいかに



 風雲急を告ぐ。緊急事態宣言は一部を除き解除され、その一部も遠からず解除になることが安倍総理の口から伝えられた。疫病対策から経済回復へ舵は切られたのである。
 コロナ発症数など数値が沈潜に向かっているのは事実だが、アジアや欧米の経済復帰に内閣が焦りを覚えているのも感じ取られる。しかも、内閣支持率は下がり、マスコミは日本政府は後手に回っている、対策費が不十分だと叫ぶ。
 それに追い打ちをかけるように、黒川検事長の賭け麻雀による辞任、河井前法務大臣夫妻の公職選挙法違反は内閣を揺るがしている。法曹界の不祥事は、コロナ対策の不明瞭さと相まって政権への逆風だ。
 安倍総理の顔から笑いが消え、疲労がにじむ。もともと疫病対策のような社会政策の人ではない。アベノミクスで知られる経済政策も本来の得意分野ではない。安倍総理は、国体の改造を目指していたのである。戦後レジームを見直し、独立国家日本が彼の目標だ。そのために憲法改正が必要だ。
 しかし、政権を放り投げた第一次安倍内閣の反省から、民主党惨敗後、安倍総理は、謙虚に周りを固め助言を得、経済政策に力を入れてきた。周囲も旧通産官僚で固めた。時を待って憲法改正のはずであった・・しかし、二度の消費税不況、そして思わぬ疫病流行に行く手を阻まれた。
 たとえコロナが終息しても、経済回復の政策は矢継ぎ早にやっていかねばならない。もはや、憲法改正ではない。東京オリンピックも中止の可能性が出てきたから、オリンピック頼みの景気浮揚は期待できないと見たほうがいいだろう。
 コロナ対策の真只中、つまり戦時中だから誰も言わないが、誰の目にも、政権バトンタッチが近い。では、誰が安倍政権を継ぐのか。もし西村経済再生大臣兼コロナ対策大臣が世の好感を得たならば、ポスト安倍を狙う絶好のチャンスだったのだが、吉村大阪知事に疫病退治の姿勢で負け、西村氏の株は下がった。西村大臣は元通産官僚、疫病よりも経済回復に浮足立つのがはた目にもわかる。
 本来なら、加藤勝信厚労大臣がコロナ大臣になるべきだが、内閣のスタンスが「命よりも経済」だから、加藤大臣は医療体制など銃後の戦いにまわされた。しかも、専門家会議と諮問委員会は官邸直結で、彼はサブの役割しかなかった。大蔵官僚出身の加藤氏よりも、通産官僚出身の西村氏のほうが、よくも悪くも動きが早いし、厚労省はそもそも行動が遅いので、加藤氏は臍を噛み、ポスト安倍の役回りは得られなかった。それでも、加藤大臣は田村元大臣とともに、歴代厚労大臣の中では好評である。
 西村氏や加藤氏の60歳前後の年代で、ほかに、岸田文雄政調会長、河野太郎防衛大臣が将来を嘱望される。岸田氏は宏池会の伝統で、ポストコロナの経済政策に手腕を振るう可能性があり、河野氏は、持ち前の意外性で国際社会での日本を回復させられるかもしれない。
 少し年代が上がるが、石破茂は、年齢的に最後のチャンスであろう。地方に強いのを生かし、コロナ後の地方自治に夢を与えることが期待される。問題は、以上の候補者はいずれもコロナに関して声を上げていないことである。この前代未聞の対策に、一家言を呈しないようでは、次の政権を握れるとは思えない。
 これに比べると、今回、知事の活躍は明快に伝えられる。府民を引っ張っていく吉村府知事、環境主義者でPR力の強い小池都知事。吉村知事は維新の会、政党を背負っているので、あるいは近い将来政権を担う一人になりうる。
 野党には今のところ期待できる存在はない。コロナは政権の花を枯らすだけではなく、最大のチャンスに独自政策を掲げることをしなかった野の花をも枯らした。
 
 

[2020/04/29]
コロナチャンス政策



 「毎日がコロナ情報」に浸る日本である。緊急事態宣言延長論が早くも出始め、欧米やアジアの国々に後れを取った感が無きにしも非ずという中で、コロナ状況をきっかけに、学制を9月入学に変える政策が浮上した。
 9月入学は、浜田純一元東大総長が熱心に取り組んだが、制度化に及ばなかった経緯がある。浜田元総長は、東大憲章に謳う「世界の視野をもった市民的エリートの養成」のためには、世界の大学に合わせ、9月入学にすることを主張した。
 その背景には、イギリスTHE(高等教育専門誌)の世界大学ランク付けがある。これによると、日本の大学で100番以内に入るのは、東大と京大2校で、2020年版では、東大36位、京大65位と欧米の大学、アジアの大学に差をつけられている。その理由は、両大学とも論文引用数や民間資金の導入では高得点を得ても、国際性の項目で劣るからである。
 国際性の項目には、留学生の数や外国人教師の数などが基準となるが、東大に集まる留学生は少ない。英語国ではないというデメリットが最も大きいものの、入学が4月では、空白期間ができるために学生は逡巡する。他方、日本人学生が留学する場合も、同じ問題があり、近年の留学減少傾向の一因と思われる。
 浜田元総長に対して、東大教員が集まって反対声明を出したこともある。既に多くの議論が行われたのである。日本では、海外での学歴は相対的に低く見られ、日本の大学学部で学歴が評価される傾向がある。アメリカの大学は自己資金を持って留学する場合は入学許可されやすく、近年入学が易しくなった日本の大学院とともに、学歴ロンダリングに使われることが多い。この一般的な認識の下では、留学のメリットは大きくない。
 議論が行われることは望ましいが、コロナでどうせ学期が遅れたのだからという理由では、コロナの終息も見えていないのに、雑な政策論である。それよりも、コロナをきっかけにこれまで長期を要する議論を避けていた政策に取り組むべきではないか。一つは、女性天皇制、もう一つは、年金改革である。
 年金は、1942年、戦争に行く労働者に向けて、あえて将来の安定を鼓舞するために積立年金制度として作られた。戦後、1970年、高齢者割合7%の高齢化社会を迎え、1973年改正の年金制度は、当時の社会に残っていた道徳「親孝行」をコンセプトに、世代間扶養の賦課制度を導入した。そのコンセプトは現行年金制度に生き続けている。
 年金制度ほど長期的な社会政策はほかにない。しかも社会を長期的に変える力を持っている。今その力を必要としているのは、少子化を食い止める制度的対応である。世代間扶養を転じて、三世代間扶養のコンセプトを採用すべきである。三代目、つまり、育てた子供の数に応じて、将来受け取る年金額が加算される仕組みである。
 保育所の整備や学校教育の無償化は少子化に対する積極給付であり、それはそれで良い。将来の日本を支える子供を育てた両親に「ご苦労さん給付」を設けることによって、目の前の必要な給付以上に、子育てした老後が報われる長期的動機付けは、実は大きく日本の社会を変えるだろう。
 親孝行という言葉はほぼ死語だが、年金制度にそのコンセプトが残っている。ならば、将来「子育てご苦労さん」のコンセプトを制度上残すことは望むべきだ。コロナ状況で仕事に苦しみつつ、休校中の子供を改めて自分の努力を捧げる存在と考えるならば、年金制度の転換に取り組むべきだ。

[2020/04/09]
疫病対資本主義



 非常事態宣言が発され、日本社会も疫病との戦いが始まった。筆者はインド滞在時代に夜間外出禁止令を経験し、shooting at sight(外出者を見たら発砲する)という強制力の強さに驚いたことがある。戦後の日本にはそのような事態はなかったし、そもそも戦時下に対応する法律もない。
 しかし、最早、平和ボケという時代ではない。日本は90年代のバブル崩壊から、非正規雇用や非婚、重なる災害による艱難辛苦に締め上げられてきた。その中で、戦時体制と思われるかのような不便な生活が始まったのである。首都圏では、コミュニティーの「広場」であるショッピングモールが閉鎖される。飲食店は自粛で活気を失う。
 学校は休校、仕事はテレワーク、非正規雇用者は自宅待機、その一方で、感染者が増えて対処できない医療崩壊の可能性が高まる。太平洋戦争を生き延びた人は少なくなりつつあるが、思い出される「欲しがりません、勝つまでは」「贅沢は敵」の再来である。
 この疫病との戦いは、近年とみに危機を指摘されてきた資本主義と民主主主義への挑戦でもある。新型コロナ対策に国は108兆円の予算をつぎ込む。1年分の国家一般会計予算以上の額だ(ただし、特別会計や融資を含むので真水ではない)。アメリカはそれより早く、220兆円の給付を決めた。どちらの国も紙幣を大量に刷れば可能だが、疫病後の社会がハイパーインフレになることは容易に予想される。
 まさに、疫病の資本主義に対するチャレンジである。戦争が資本主義に対するチャレンジであるのと同じであり、資本は国家目的の方向のみに使われ、人々の生活は抑制される。環境主義の小池都知事と通産官僚出身で資本主義の守護者西村経済再生大臣との対立はまさに事態を象徴する。「まずは疫病だ」の小池氏。「産業の活動を残しながら」の西村氏。
 エボラ出血熱はコウモリを食するアフリカの食文化が原因だった。新型コロナはまだ詳しいことは分っていないが、マレーシア原産で中国人だけが食するコウモリ科の動物が持つウィルスの可能性が高い。机以外の四つ足は全て食べると言う中国らしい文化によるのだろうか。
 発祥地の武漢では疫病封鎖の一部解除のニュースもあるが、世界は疑っている。その上、中国が開発したPCR検査キットも大量購入したイギリスで使用不可能であることが発覚した。また、コロナ発性の時に、中国の科学者は致死率の低いウィルスと判断したことが蔓延の原因だとも言われる。ただ、共産主義体制であるからこそ、都市封鎖など強制力を迅速に発することができたのも事実だ。
 疫病後の経済崩壊は防げるのか、ハイパーインフレは防げるのか、資本主義は崩壊しないのか、分からない。ここで思い起こされるのは、気候変動対資本主義の戦いも今回と同じ構造の戦いであるが、科学者の強い意向にもかかわらず、資本主義への配慮が先立ってきた。だが、疫病との戦いは、気候変動を凌駕する。気候変動が低温火傷ならば、疫病は眼前の火傷そのものだからだ。



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