元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2020/12/02]
恐るべし学術・教育軽視



 日本学術会議の任命拒否問題は収まらない。そこへ安倍元総理の桜を見る会における虚偽発言が浮上し、菅総理の官房長時代の責任も問われている。菅総理の足元は既に崩れ始めた。
 当初の「苦労人である令和おじさん」の好イメージは、周囲やマスコミの「答弁になっていない。分っていない」の論調や、海外からも「輝きがない」と伝えられるなど負のイメージに代わりつつある。従来から、突然の政権継承は好意的にみられることはないのが事実だ。宇野宗佑や森喜朗を思い起こせば、「まぐれで総理になった人」への風当たりは強い。
 なぜまぐれは揶揄されるのか。その政治信条が測りかねるからである。かつて派閥争いの中にあった自民党政治では、派閥内で政策論を交わし、派閥の長は政治目的と識見を明らかにし、総理になる準備を十分整えてからその地位を得た。
 だから、中曽根康弘や加藤紘一の書いた書は読むに値した。どんな政治が行われるか予想できたからである。しかるに、今は、出たとこ勝負、好き嫌い、枝葉末節がそのまま政治になっている。一体、疫病で荒廃しかけているこの国をどう立て直すのか、その中心の柱が見えてこない。否、ないのだ。
 戦後の日本政治は、国際社会に復帰するための吉田茂外交や安保体制の確立をさせた岸信介の政治を除けば、おおむね、経済政策が最重要であった。直近の安倍総理も、憲法改正を強く望みながら、アベノミクス総理の名で終わった。
 この国の基盤となる憲法や学術や教育まで政治の力を及ばせるには、経済政策が成功し、なお余力のある総理でなければできない。歴史的には、中曽根総理は、ロンヤスの日米外交、国鉄民営化の大事業に加え、戦争に行き身近の人間の死を経験した者の思いとして「戦後政治の総決算」を掲げた。(マッカーサーによって作られたと考える)憲法改正を主張した。
 さすがの中曽根総理も自分の代で憲法改正までは難しいと感じていただろうが、憲法の精神を普及させる教育の改革を自分の本命とした。1984年に設置された臨時教育審議会(臨教審)で3年の議論の後、その成果は必ずしも中曽根が狙ったものにはならず、生涯教育や個性の重視という価値を確認した答申になった。したがって、これは中曽根総理の業績に挙げられていない。
 しかし、このことを今思えば、森、安倍、現在の菅総理の衣の下から垣間見える「戦前回帰」を中曽根総理は潔しとしなかったと評価できる。戦友の死を悼みつつも大正デモクラシーに育った大正生まれの中曽根総理の人間性躍如である。
 さて。3度目の補正予算を控え、政府の借金が膨大になる中、飲食業、アパレル業、旅行業などのコロナ打撃の大きい産業、非正規雇用や母子家庭などの社会的弱者の生活困苦が見えてきたが、経済政策は今だ明らかではない。菅総理は、新自由主義の竹中平蔵氏を「復活」させたが、この国難をどう乗り切るのか早く道標を掲げるべきである。
 菅総理にとっても、まずは経済政策、それもコロナ対策との均衡をどうするかが一番の課題である。およそ憲法・学術・教育には、力及ぶまい。そんな中で、日本学術会議問題にみられる総理の学術、ひいては教育軽視は、日本の将来をますます暗闇に向かわせると信ずる。
 

[2020/11/25]
隣は何する人ぞ



 コロナでテレワークになって初めて、近所の存在に気付いた人も少なくない。ゴミ出しで会った近所の男性の存在や生業を図らずも知ったりする。都会でもかつてはあった近所の年始参りやおすそ分けなどは消滅した。昔は当たり前だった、宅配便が近所に荷物預かりをお願いするなどはありえない。
 郡部では、今でも近所づきあいは色濃く残っている。数世代に渡るご近所づきあいや葬式などの互いの助け合いは、若い人には煩わしい関係である。話は飛躍するが、日韓関係とはまさに郡部のご近所づきあいに近いものではないか。祖父や曽祖父の時代からの愛憎の念を引き継ぎ、つかず離れずで向き合わねばならない関係である。
 その日韓関係は、今、冷え込んでいる。勿論、これまでも冷え込んだり回復したりの繰り返しであるから、事態を深刻に受け止めているわけでもない。しかし、昔ながらの関係に、米中関係を中心とした世界の動きが構造的に働きかけてきた。日韓関係だけを取り出した地政学はあり得ない状況の中で、これまでとは異なる解決方法が迫られている。
 日韓関係をこじらせた原因は、文在寅大統領の南北統一の野望である。彼は世界の大政治家になりたかった。東西ドイツ統一を成し遂げたヘルムート・コールのようになりたかった。アメリカがこれに手を差し伸べるように見えたが、トランプ大統領の気まぐれで終わり、今や北朝鮮にその動きのかけらさえもないことが明らかになった。それよりも、日米韓のGSOMIA破棄の脅しや朴槿恵政権以来の中国寄り政策などがアメリカの懸念を膨らませている。
 日本も韓国も今や最大の貿易相手国は中国であるから、その意味では中国重視は避けられない。しかし、韓国は、5世紀にもわたった李氏朝鮮が明や清の属国だった事実は重く、同じく属国だったベトナムとともに、対中国感情は元々よくない。文政権は革新政権として、財閥の立場からの貿易重視は考えないし、アメリカに対しても、日本のように後ろ盾とまで考えていない。
 文政権は、就任以降、経済を悪化させ、記憶に新しい日本の民主党と同じ運命をたどると思いきや、コロナ制圧に成功し、与党「ともに民主党」を選挙で圧勝させた。革新政党としては珍しい出来栄えである。自信をつけていることは確かだが、韓国内では世代交代が進んでいる。いわゆる86世代は進歩的で80年代に学生運動を経験し、今や国の背骨にあたる。全共闘運動の主役団塊世代の韓国版ともいえる。彼らは合理的で、アメリカからも中国からも距離を置き、中堅の先進国としての立場を望んでいる。南北統一に対してはクールだ。また、反日教育が施されても、彼らもそれより若い世代もインターネットで情報を取り、日本の実情を好意的に把握している。
 他方日本では、マスコミによる例によって「広く浅い」情報と知識で、「韓国は約束を守らない国だ。韓国が改めるまでは、日本は動く必要はない」という世論を作り出した。だが、女子中学生の間での韓国文化ブームなど、政治とは関係なく韓国を好意的にみている人も多い。
 さて。両国関係をどうすべきか。現在、中国の王毅外相が日本を訪問中だが、尖閣列島では火花を散らしつつも、中国は「政冷経熱」が基本だ。ここは中国に学ぶべきではないか。先ずは、日本の品質管理の良さと韓国の営業力を組み合わせ、世界の経済に寄与することから始めるべきだ。
 旧来の近所づきあいがうまく働くときは、お互いを見つめあうのではなく、お互いが協力して行う仕事がある時なのである。
 

 
 
 

[2020/11/13]
自然科学における「家族」



 コロナがもたらした外部経済の中でも、家族の価値の高まりは実感されていると言ってよい。家族は、家計を扱う経済学、家族社会学、文化人類学など主に社会科学分野の研究対象になっている。しかし、この度、ゴリラ研究の第一人者である山極寿一京大前総長のお話を聴く機会を得、自然科学における「家族」の意味を、ひいては、人間の特質を教示していただいた。
 競争社会に生き、強者が弱者を従え、共同体に愛着を持たないサルよりも、争わない群れの中で、家族が役割分担をしながら子育てするゴリラに山極先生の思い入れがあるようだ。だからこそ、人間の社会がサル化していくことを先生は警告している。
 ゴリラともサルとも違う我々ヒトを特徴づけるものは何か。それは、共感できるという資質だそうだ。人間の目にだけは白目があり、目の動きで相手の感情が読める。赤ちゃんは、絶対音感の能力を持ち、トーンを正確に聞き分けて感情や信頼を共有すると言う。この共感こそが人間の家族と社会の基盤をつくる。
 その能力を持った人間サマが、今や、発達した社会の中で、共感能力が減退し、優劣を競うサルの社会へ向かおうとしている。人間サマは経済的、社会的、生物学的(遺伝子工学が関係する)格差の増大をもたらし、社会の危機へと向かう。
 山極先生は、この傾向に多くの処方箋を提供している。他者を感動させる能力を持つグローバル人材たれ、大学教育は既存の知識ではなく未知の世界を教えよ、コロナ予防を意識しつつ、開かれた家族と人々のつながりを保て等々。詳細は先生のご著書を読んでいただくしかないが、先生のご提言に納得しつつも、日本社会の病は直ちに治癒するほど軽くはない。
 コロナ禍は確かに、家族や人々とのつながりの願望と必要性を高めたが、大方の予想では、自治体への妊娠登録から見ると、今年の生み控えがさらに少子化を深めそうだ。共感を基礎とした家族の減少は社会の劣化に拍車をかける。
 経済には期待して株価は高値を更新しているのに、コロナで罹患者差別や都会人差別や人種差別が増え、人間が共感を失い、人間サマへの期待感が低いのは事実のようである。せめても平和な家族と群れを持つゴリラを見習えないか。

[2020/10/12]
真の問題は何? 日本学術会議



 日本学術会議の会員候補6人を任命拒否したことが問題となっている。マスコミは自らの表現の自由につながる学問の自由を蹂躙したとして、菅総理を責める側に立つ。
 橋下徹氏が任命拒否反対の女性論者を相手に、テレビで持論を放ったが、極めて論理的で正しい。政府の機関である以上任命権者にはそもそも拒否権は備わっているとの論点である。女性論者はこの論点に適切な反論ができなかった。
 橋下氏は法律の実務家であり、緻密な言語を駆使して正論を言うのだから、一般論で対抗するのは無理なのだ。マスコミもまた専門性を欠き、人々に受ける一般論をばらまくので、議論の盲点を作り出すだけだ。日韓関係など外交においては甚だしく盲点を作っている。
 しかし、いかにその論点だけが正しくとも、それ以上の問題がある。日本の頭脳に喧嘩を売ってしまったのだ。しかも、菅総理の答弁姿勢は醜悪だ。「総合的俯瞰的」に決めたとは、なんと役人の文脈そのものではないか。答えを含まぬ答え方なのである。国会答弁文書で役人の好きな「前向きに対処することとするよう検討してまいりたい」のフレーズと同じだ。
 菅総理は逃げた。憎い奴は任命したくないが、答弁言語は役人用語を使い(政治家たるものが使うべきではない)、暗にこれをやったのは役人なのだと言っている。なぜ、過去の解釈はどうあれ、任命権者の権利だ、どこが悪いと言下に突っぱねることができなかったのか。虎の尾を踏む勇気があるなら、そのくらいの覚悟がなければなるまい。
 安倍内閣で安保については過去の政府の解釈を変えてきた実績があるではないか。また、悪いのは縦割り社会の官僚であって忖度が悪いのではないとばかり、行革に名を借りて役人バッシングをしていた割には、役人言語を使って彼らのせいにするのは如何?
 しかし、これをきっかけに日本学術会議の在り方を見直すのはいいかもしれない。昔から、総理府(今の内閣府)には、誰も知らない機関が多くぶら下がっていて、そこには多くの職員が張り付いてきた。
 そのひとつであった社会保障制度審議会は、2001年、省庁再編とともに廃止された。戦後1950年、社会保険を中心とする社会保障制度構築を総理に勧告するなど一定の仕事をしてきたが、その役割は経済財政諮問会議と厚労省社会保障審議会に継がれ、「省庁と同様に多すぎる審議会」は潰されたのである。
 蓋し、橋本龍太郎元総理の省庁再編を始めとする行政改革は失敗だった。官僚の肥大を量的に抑制しようとしたが、桶をたらいに変えただけで、水の量を変えなかった。つまり人員は一人も減らず、ポストが減った分独り管理職が多くなり、自分は何をやっていいのか分らない役人が増えた。また、明らかに、官僚志望の学生はトップクラスにはいなくなった。政治の忖度の受け皿となる官僚人生に魅力を失ったからである。
 日本学術会議の見直しをすると言うなら、同時に、官僚制度も見直す時が来た。来年、省庁再編から20年になるのだから。
 

[2020/10/09]
長谷川先生の子育てスイッチ



 総合研究大学院大学学長の長谷川真理子先生が、ご専門の進化生物学から考察した少子化の議論を聴く機会を得た。

 動物の個体が一生の間に時間とエネルギーをどのように配分するかの研究によれば、体重が大きければ時間はゆっくり進み、脳の大きい動物は長生きして経験を活用する。まさに哺乳類として大きく脳の重い人間がその動物である。

 動物個体が一時期に使える時間とエネルギーには限りがあり、何かに使えば他は使えなくなる、つまり、トレードオフが行われることになる。ここで結論を急げば、複雑になった人間社会に適応しようと思えば、子育てに回る時間が少なくなること、それが少子化という現象である。

 動物は、自己の生存維持、つがいの相手を見つけること、子育ての3つを原則として生きる。これに当てはめると、日本の現代女性はかつて親や夫によってあてがわれていた生存維持や結婚成立にエネルギーを多く費やすことになり、子育ての幸せ見通しが悪い時代を生きている。即ち、子育てへの配分が相対的に少なったのである。以上の長谷川先生の少子化論は、実にわかりやすい。

 他方で、人間の社会が豊かで衛生的で教育が普及したせいで、生物界ではありえない現象をもたらすようになった。非婚率が高い、繁殖力のピーク(女性25−35歳)に子供を生まない人が多い、乳児死亡率が下がると出生率が下がるなどの点である。

 発達した人間社会が人間を自然のルールからはずしてきたわけであり、そう考えると、少子化は「やむを得ない」のであり、なすべきことはないのかもしれない。なぜなら、社会を巻き戻しすることは不可能だからである。時に、女性の高学歴化や社会進出を抑制する議論あるいは児童手当を法外な額にすべきという議論も出るが、受け入れられない。

 長谷川先生は、質疑応答において、政策立論者の言う「こうあるべき論」を戒め、「それは進化生物学に解決を求めないでください」という趣旨を明確に言われた。科学に「べき論」は禁物である。もしかしたら、自然科学に比較し、曖昧な社会科学に限界があり、それをもっと曖昧に解釈した政策自体が間違い続けてきたのが、少子化政策なのかもしれない。

 一点だけ、長谷川先生は、科学の分野を離れ、「子育てスイッチ」というものがどうもありそうだと言及した。それが入ると、子供を持ちたいと言う気持ちになる。成長期において周囲に赤子などを見たり触ったりすると、子供を愛する心が養われるということだ。

 これは少子化政策を考える者にとって朗報だ。しかし、もう一つ問題がある。今の20−40代の青壮年は、かつての青壮年に比べ幼い。就職氷河期のような苦労はあったかもしれないが、戦争やひもじい思いの経験はない。兄弟も少なく、多くは先進国の中産階級が享受できるものは得てきた。

 このバックグラウンドの20−40代の心理からくる少子化研究が必要であろう。人口学、経済学、家族社会学、そして自然人類学(ここでは進化生物学)の視点からは多くが分析され、語られてきた。しかし、彼らの幼さ、結婚も子育ても積極的ではない心理を、できれば社会心理を少子化政策に向けてもっと研究すべきであろう。

 長谷川先生は、「国家や社会を維持するために子供を生みましょうと言うのは間違い」と明言されたが、多くの人が子育てスイッチの入らない人生と社会は健全ではない。人々の幸せ感を最大にするのが国家の役割とすれば、少なくとも、子育てスイッチの入りやすい社会を作ることで妥協点を見出していくべきであろう。

[2020/09/10]
「不妊治療が少子化対策」は、男の視点



 自民党総裁選候補者3人の討論会が始まった。全体的に目新しいことはないが、こと少子化対策については驚き、寒心に堪えない内容だった。石破氏は抽象的、岸田氏は通り一遍、菅氏は少子化対策の目玉として、不妊治療の保険適用化を挙げた。
 少子化対策とはいかに赤ん坊を生ますかだと菅氏の頭では考えている。不妊治療と中絶禁止の議論は、少子化の背景を踏まえた制度作りよりも、赤ん坊が生まれさえすればよいという短絡的で、生み育ての責任を回避しがちな男の視点そのものである。
 不妊治療の保険適用はそれに苦しむ人には朗報だが、それは、不妊を疾病ととらえ、健康保険の適用を制度内で検討すべきことであって、少子化対策の目玉ではない。少子化対策は、生んでからこの国の労働力となるまでの制度全体を向上させるべき政策なのである。
 その上、既に専門家が発言しているが、もしこれを少子化対策と主張するならば、団塊ジュニアが出産適齢期である90年代に行うべきであった。保険適用の検討は結構だが、少子化対策としては時季外れも甚だしい。
 少子化対策は、今や国民的課題の第一に挙げられてもおかしくはない。しかし、日本の総理になろうとする候補の討論会で認識の低さが露呈した。残念ながら、女性活躍も少子化対策も今後当分期待できない分野となった。国の借金、消費不況と相まって、日本の下り坂は止められまい。

[2020/09/03]
自民総裁選 なぜ歴史を繰り返す?



 自民総裁選は「出来レース」になった。菅官房長官を推す派閥の単純合計で決まった。勝敗の分らぬレースなら、菅氏は出馬しなかったろう。それほどに慎重であり、身の程を知る男である。
 菅総理誕生に貢献した派閥は、人事権を獲得する。菅氏の周りは「決められた」派閥人事で、彼自身は動きもすごきもできまい。それを知ってか、出馬の弁も、安倍政治の継承と自らの質素な出自を語るにとどまった。
 国家観は語られず、外交も疫病対策も経済回復の道も国の借金も語られなかった。しかし、これはまずい。国民は誰しも安倍政治の継承を望んでいない。新たな出発のダイナミズムが求められているのだ。粛々と安倍政治の継承を、菅氏が自ら語った「質素で誠実な」性格で行えば、自民政治の下り坂は止まらない。
 にもかかわらず大きな派閥がこぞって菅支持に回ったのは何故か。1年後に自分の派閥から本格総理を出すのが一つの狙いだ。
 狙いはもう一つある。経済回復の道も借金返しの道も描くことはできないし、疫病をきっかけに、憲法25条が保障する「健康で文化的な生活」の設計図を描くこともできない。コロナで膨らんだ財政赤字の数字やマイナスのGDP以外にも国民に隠された「衝撃的な悪い数字」が山ほどある。隠しきれるのは菅氏しかいない。
 しかも、忖度政治の続きで今切られては困る事業や人脈も継承してほしい。それができるのも菅氏だ。だから、派閥に泥が被らないようにするには、口の固い菅氏一人の責任にすることが望ましいのだ。これがもう一つの狙いだ。
 外国の領袖と肩を並べて交渉するのは、菅氏の経歴からすると難しい。こうした事情を知りつつ総理を引き受けた菅氏は、周囲の政治屋によってボロボロにされていくだろう。政治屋なんかどうでもいいが、国民はどうなるのだ。
 党大会を実施するよう主張して集まった自民党150人の議員たちは、これを機会に新たな政党を作るべきだ。安倍政治の継承は、2006年に小泉政治の継承が行われた歴史と同じ轍を踏む可能性が高い。自民党の良心が結集して新たな政治に進むべきだ。幸い、今の野党に何の力もない。今こそ、真摯な政治集団を作る役割を果たせ。
 
 
 

[2020/08/18]
ウィズコロナ 政治に求められるもの



 日本のGDPが年率換算で27.8%落ち込むことが報道された。4−6月の数値の年率換算であるから、最終的には数パーセントの減になる見込みだ。リーマンショック以上と言われるが、緊急事態宣言で、人為的に経済を停止させたのだから、驚くにはあたらない。

 問題はいかに回復していくかである。アフターコロナなのかウィズコロナなのかは、ワクチンが社会をいつ収めるかにかかっている。今のところは、ウィズコロナでいくしかない。

 ウィズコロナで経済が動いていることは株価指数に現れている。ナスダックが最高値を更新しているのは、GAFA関係、つまり、オンライン会議や巣ごもり通信の需要が高いからだ。
 
 また、日本では、インテリア関係、マスク・消毒液などの日常健康用品や殺虫剤が増収している。明らかに、人々の行動は、内向きになっていて、外食や旅行は避けられている。人々は自分を見つめる、家族を見直す、身の回りの住環境を整えるのに一生懸命である。

 ウィズコロナが自分を見つめるのによい機会ならば、学問や教養を高める機会にすべきという論調も多くみられる。文字文化や読書習慣が戻ってくるかどうかはまだわからないが、明治時代の義務教育の普及や西洋の学問の導入の勢いを思い起こし、新たに教養社会を作り直すことが経済社会の回復につながるであろう。

 そのことを一番知ってほしいのは政治家だ。ワクチンを開発するまでは科学者の仕事であっても、開発の推進やその後の普及、同時に経済回復についての選択は政治家の仕事だ。河井夫妻に象徴されるように、政治家が選挙のためだけに政治をやっている今日の在り方では、日本の回復はおぼつかない。

 政治家になるには、学歴も職歴も問われない。日本社会の代表だからさまざまの人がいてよいのだと思う。しかし、彼らの下につく政策秘書は、博士号取得者、司法試験合格者、国家公務員I種試験合格者を原則としハードルが高い。政治家にはこのような基準は求められていないが、ただひとつ、モラルだけは高くなければならない。

 そのモラルは教養に裏打ちされるものなのだ。だから、国の方針に関わる政治家は十分に勉強する必要がある。選挙のための政治では、ウィズコロナの日本は絶望だ。

 安倍首相の祖父岸信介は、記者会見の場に臨むと、その語り口に教養が漂っていたと当時の記者たちの思い出話が残っている。岸は、東大法学部首席を民法学者我妻栄と争った銀時計組だが、何よりもその語彙の豊かさに記者たちは驚いたと言う。

 失礼ながら、教養漂う語り口の政治家は消えた。自らを「ボキャ貧」と称した小渕首相をはじめ、ITをイットと言った森首相、スローガン創造者の小泉首相、未曾有をミゾユウと読んだ麻生首相など、近年の漫画文化に沿った話しぶりに代わった。時代の変遷か、それとも教養主義の排除か。

 ウィズコロナで立ち上がる次の首相は昔ながらのモラルと教養を身に着けた人であってほしいと願う人は多いはずだ。

 

[2020/07/02]
コロナよりも長期トレンド



 「毎日がコロナ」の日々が続いている。日本では、東京を始め第二次感染の到来を恐れつつも経済回復に政治は乗り出す。安倍政権は喫水線が上昇し、盛り上がらぬ都知事選をよそに、次の政権論が盛んである。
 世界ではアメリカの大統領選と米中関係に注目が集まる。トランプはコロナで感染者260万(世界1000万)、死者12.8万(世界50万)を出しつつも、選挙を意識して経済回復に力点を置く。中国は、トランプの敗北を期待しつつ、経済は低迷、にもかかわらず、インドとの軍事衝突、香港国家安全法の制定などアジアでの覇権を誇示しようとしている。尖閣列島周辺に頻繁に公船を通航させているのも、日本に対する挑発行為である。
 現時点で日本がアメリカについていることは明らかであるが、欧州は、中国を警戒しながらも、その大きな市場を意識して、即欧米連合に傾くとは限らない。日本も民主党のバイデンが大統領選に勝った場合、対米政策の修正を余儀なくされるかもしれない。トランプに偏りすぎた日本をバイデンはどう扱うか。そのトランプにおいても、ボルトン元補佐官の回顧録では、トランプが安倍を好意的に観ながらも、日米安保の片務性について言及している。
 この世界の動きはコロナがもたらしたものか。否である。長期トレンドの一部でしかない。太平洋戦争敗戦は日本を劇的に変えた。では、オイルショックは?ソ連崩壊は?アジア経済危機は?対テロ戦争は?リーマンショックは? 世界共通経験が日本を変えてきたことは確かだが、国の土台まで変えたのは敗戦だけだ。コロナショックもまた長期トレンドを強調的になぞる変化をもたらすであろうが、土台を変えるのではあるまい。
 むしろ、さまざまの国際的事件の背後に、日本を長期的に変えてきたものがある。それは、人口構造である。これこそが社会を変えた。超高齢化、少子化。財政超過と需要の落ち込み。90年のバブル崩壊は、89年1.57ショックの直後に起きた。少子化の門をくぐった日本は、以降は、バブルを支える人口はありえないのだという事実を突きつけられたのだ。
 人口構造は家族を徹底的に変えた。戦前の価値を持った人口が減るにつれ、典型的と考えられてきた家族は大きく低下した。何が典型かは時代によって変わるべきだが、家族の存在そのものが否定はされていない。それどころか、コロナ禍で、家族の存在が再認識されている。今こそ、家族のための政策が必要である。
 経済では、GAFAが上昇して、重工業が苦戦する。日本の人口構造が求めているものはGAFAが提供し、重々しい工業製品ではない。その長期トレンドを読み、何よりも、家族を支え、人口を増やす政策を行わねばならない。それこそが、ポストコロナ社会に求められる政策だと信ずる。
 

[2020/06/18]
コロナが起こした格差拡大



 争いは人を変える。病気は人を変える。そのアナロジーは、戦争は社会を変え、疫病は社会を変える。否、変えざるを得ない。
 コロナが変えたもの。先ずは経済の縮小だ。そして格差の拡大である。テレワークをしつつ収入が保障される正規雇用と職を失うに至る非正規雇用の大きな差を生んだ。家族関係は、親密が虐待を生み、子育ては通学や社会化なしに行うのは難しいことが分かった。さらに、日本のクラスターは娯楽に偏り、地域文化的よりも刹那的クラスターが多い国になっていた。もう一つ、首長の活躍が従前になく目に見えた。
 コロナが変えなかったもの。解除後の株の回復の速さである。人々はいち早く経済回復に期待し、コロナ何者ぞという意識だ。全員がマスクするのは、公衆衛生意識の高さが変わっていないことを表す。命か経済かは、命も大切だが、やはり経済あっての日本という政治も変わらない。
 消費デフレが続くのか、補正予算や金融緩和で余った金がハイパーインフレを起こすのか両説がせめぎあう中で、格差拡大だけは確実に認識されている。正規雇用の中産階級は、経済成長時代は社会の大半を占めていたが、今や縮小し、多くの人が非正規雇用で、子供を抱えて一層貧しくなったり、独身あるいはLGBTのような新しい生き方で、昔ながらの典型的な生き方をしない人々が増えた。非典型の人ほど、コロナをきっかけに経済的困難や、不条理な偏見に襲われる。
 コロナで顕在化した、典型と典型以外の格差拡大に取り組まねばなるまい。典型であれ、非典型であれ、選択肢の多い制度的保障で、この国が持続するように、かつ人口も維持できるように、ポストコロナの社会政策が必至である。



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