元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト
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日々雑感
[2017/05/18]
田舎のおばさん



 昨日、長年尊敬する某国立大学名誉教授に会った。昨年のつくば市長選落選後、挨拶に行かなければならないと思いつつ、つい目の前の仕事を優先して時期を逸していた。先ずは、挨拶という「世間のルール」を守るべきとお叱りを受け、その上で、いつも辛口の先生から痛いご忠告を頂いた。
 「あなたは田舎のおばさんだね」「言いたいことを正直に言う政治家は成功しない。たとえば、長靴事件で失脚した務台俊介前政務官。本人はまともな人なのに、口を滑らす」「メルケルは人の話は聞くが、自分の考えは言わない。もしかしたら、考えはないのかもしれないが、人に皆喋らせた後で、黙って実行する。だから、政権を長く保っている。決して優秀じゃないが」「あなたも言いたいことを言い過ぎだ。それは、田舎のおばさんなんだよ」。
 都会っ子の私が田舎のおばさんと言われれば、長年の選挙で、田舎を理解するようになったとの褒め言葉にも聞こえるが、無論そういうことではない。状況を読めない「政治音痴」と仰っているのだ。確かに、当該ホームページを始め、演説でも、言いたいことは包み隠さず言ってしまう傾向は自分でも気づいているが、それが私の選挙下手の原因なのだとは、盲点であった。
 新宿に生まれ、渋谷で青春を過ごし、霞が関で仕事をし、赤坂で飲み歩いた都会っ子が、世界の半分である田舎が知りたくて、山口県や茨城県で活動をしてみたが、今は、すっかり元の鞘に収まりつつある。私は沈黙すべき時は沈黙するという術を知らず、田舎のおばさんよろしく、あたりかまわず喋りまくってきたようだ。
 私は、雑踏の中を歩くのが好きだ。人の流れをよけながら、口を結んで黙々と歩く。匿名の社会は誰もお互いに興味を持たない。私は、田舎のおばさんを卒業して、今日も雑踏の中に紛れ込んでいく。

[2017/05/15]
何を目指すのか、政治家



 昨日、ある大きなイベントで国会議員があいさつに立った。聴衆に向かい、笑顔で「皆様のご支援のお蔭で、私はここにあります」と終始、支援を得たことの礼を述べた。彼が政治に出て、何をしたいか、どんな社会を目指すのかは全く言及がなかった。
 昨年の参議院議員選挙でも同じ光景を目にした。ある全国団体の大集会で、候補者は、政治理念に触れることなく、政策に触れることなく、支持団体への感謝の気持を30分も述べて演説を終えた。
 集会は、確かに支援者だけを対象としたもので、支援団体の利益のために働けばよいので、自分のやりたいことを述べる場ではない、そう割り切ってしまえば、それでいいのかもしれない。しかし、一人でも外部の者が入っていれば、人や政策を選ぶ選挙はどこに行ったのだと思わざるを得ない。
 下手すれば、政治家自身が国会議員になりたいだけで、政治理念などはないのだろう。政治的良心があれば、演説の中でその一端を吐露せずにはいられまい。だから、感謝の辞と「皆様の声を国会に届けます」の二つしか言わない人は政治家たるべきでないと思う。
 実現したい理想もない政治家ばかりだから、日本の未来に期待することはできまい。ただし、安倍政権は例外だ。なぜなら、良くも悪くも、実現したいことが端的に表明されているからだ。安倍さん曰く、「軍備を憲法上明らかに持ち、戦前のような一等国にする」「伝統的価値観を大切にし、国民の権利だけではなく義務を明確にする」。これだけ明らかだと、何も考えていない与野党の連中は叶わないわけだ。部分的反対しかできない。それが今の野党の哀しさでもある。
 やりたいことがあるのに次々に阻まれるトランプ政権。やりたいことがあって初めは反発を喰らうが、しばらくすると実現に漕ぎつける安倍政権。この二政権は世界の秩序を維持していくだろうか。多分違う。北朝鮮問題は、外交下手の中国と歴史的に外交上手のロシアの手腕に徐々に委ねられてきた。中国やロシアを超える政治理念を、アメリカも日本も持たねばならぬ時だ。このまま政治貧困ではいられない。焦りを感じる。

[2017/05/06]
学歴で終わる社会



 最近、ひょんなことから、50年近く前に共に学んだ友人の現況を知ることになった。1968年、都立西高から東大に進んだ女子学生の中で、弁護士を開業していたり、国立大学の教員だったりの噂を聞いて、少しほっとした。時代を共有した友人が職業生活を遂げてきたことは誇らしく思う。女性の場合、苗字を変える人が多いので、今日までその存在は埋もれ、忘れていた。
 なぜ誇らしいか。1970年代、厚生省からアメリカに派遣されて見たアメリカの女性の社会進出への勢いは激烈だった。戦後与えられた男女平等の憲法の下で、日本女性にも頑張ってもらいたかったが、いかんせん、当時は親世代の価値観から抜け切れず、また、大量の団塊世代は、高度経済成長と甘い「恋愛流行歌」に乗って、安易な人生の選択に流れがちだった。だから、職業生活を全うした仲間がいたことを誇らしく思うのだ。私は、勉強で勝ち取る狭い世界しか知らないが、芸術やスポーツの世界で、突出した女性を見れば誇らしく思ってきたのも同じ理由だ。
 しかし、そんな私の思いは過去の遺物になりつつある。今の若者は、男女を問わず、小さい時から受験を予告され、受験に合わせた人生を送らされてきた経験を持つ。大学のブランドを勝ち取り、あるいは好むと好まざるとに拘わらず医学部に入学するなど、それをゴールに生きてきたきらいがある。学歴は職業生活の手段であるはずが、学歴がゴールだから、職業生活への憧れや実践技術の習得にはあまり関心を示さない。
 もちろん、それが全てではないにしても、最近会う若者に多いのが、立派な学歴なのに職業的に成功しようと思わない人々だ。その中では、女性は男性より「頑張る」と言われるが、欧米に比べガラスの天井が早く訪れるのも事実だ。我々の世代が自分の誇りのためにがむしゃらにガラスの天井を突き破ろうとした生き方は、「格好悪い」と思われているのだ。学校を出るだけではだめ、社会の下積みから這い上がりつつ、やがて社会に貢献していくべきと考える旧価値観は、若者に一笑に付される。
 思うに、学歴ブランドはもう意味がない。むしろ、大学などに行かなかった別のグループの方が期待をかけられる。それこそ、アップルCEOのステーィブ・ジョブズが、スタンフォード大学卒業式で行った有名な演説のように、「私は役に立たないと思った大学を6か月で辞めた。それが人生の選択で一番良かった」「人に言われた人生をやるのはもったいない、自分のために、飢えよ、馬鹿であり続けろ」。日本がイノベーション競争で勝つことができるのは、これしかないかもしれない。小さい時からの学歴ゴール社会を改める時が来た。
 

[2017/04/30]
メリル・ストリープの正体



 アメリカの大女優メリル・ストリープが1月、ゴールデングローブ賞授賞式で行ったスピーチが話題になった。トランプ大統領を堂々と批判したからである。
 メリルは、ヒラリー・クリントンの応援で、「アメリカ初の女性大統領」を渇望し、奇声も上げたくらい熱のこもった演説をしていた人だ。メリルは、その授賞式で、声が枯れていてごめんなさいと出てきて、トランプに嫌われているのは「ハリウッド、マスコミ、外国人」と言って、先ず人を笑わせた。
 ハリウッドの役者は、外国からやって来て苦労した移民の出が多いと切り出し、トランプの差別主義を批判し、さらに、トランプが障害を持つ記者の真似をしたのを怒った。権力のトップがやることを良かれと思って多くの人が真似るであろうと言った。
 最後は涙声になって終わらしたが、メリルの話が多くの共感を得たことも間違いない。これに対し、トランプ大統領は、「知りもしない記者の真似などするわけがない。メリルは過大評価された女優だ」と切り返した。
 真実は何かをここで問題にしない。メリルという大女優がここまで権力に噛みつくこと自体がすごいことだ。アメリカの民主主義は健全だと言うことだろう。日本なら、「政治色がつくのは嫌だから、表には出さないで」という人が多いのとは大違いであろう。
 メリルは確信の女優である。自らの意志でイェール大学院で演劇を学び、ロバート・デ・ニーロに見出され、1978年「ディアハンター」に起用された。翌79年には「クレーマー・クレーマー」で出て行った妻の役を見事に演じた。ちょうどアメリカがウーマンリブ一辺倒から、家族を大切にするスーパーウーマン時代に変わろうとするときの時宜を得た映画であった。
 メリルは私より1歳年上だが、日本流に言えば学年は一緒の同世代。それまでの、ビビアン・リー、オードリー・ヘプバーン、エリザベス・テイラーなどの美人女優とは異なり、まさにこの時代から映画の中心となった「普通の人」の社会的問題を扱う内容にマッチした存在であった。その普通の人の役回りを自然に演じた。美人ではない、しかし、その中身は、今回のトランプ批判でよく分ったのは、リベラルかつ家族を大切にするウーマンリブを生きてきた人だと言うことだ。女優らしい奔放さはなく、初婚を大事にし、4人の子を育てた。
 メリルは、2011年「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」でサッチャーを演じた。さすがにこれは「普通の女」の人生ではないが、普通の女に堕した認知症のサッチャーを生々しく演じた。メリルは過大評価どころか、役にはまり、渾身の演技をする大女優だ。決して美人ではないが、だからこそなのか、内側は、同世代の私には響くように伝わる「確信を持って生きるウーマンリブ」を感じてならない。
 

[2017/04/26]
すわ、朝鮮戦争



 戦後の日本が西側の国として、経済力の高い国として国際社会に復帰したのは、朝鮮戦争のおかげだと言っても過言ではない。朝鮮特需で日本は生産力を上げ、1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書くまでになったのである。
 1953年に休戦協定ができてから、南北は今も「戦時体制」である。当時の朝鮮戦争は、工業地域の北鮮が農業地域の南鮮を圧倒し、北鮮軍は朝鮮半島南端の釜山まで南下して襲撃した。この戦争の勃発は、以降、クレムリン(ソ連)の指示だという説、李承晩の賭けだと言う説や、熟柿説など本に書かれてきた。
 今はそんな時代ではない。ブッシュ元大統領に「悪の枢軸」のひとつとして名指しされ、北鮮は、着々と対米、対韓、対日戦争への準備をしてきた。核開発は脅しなのか、本気なのか不明だ。アメリカ、中国、ロシアが朝鮮半島近辺に兵力を結集し、北鮮の動きを注視する中、誰もが思うのは、このまま何事もなく終わってほしいと言うことだ。米、中、露のそれぞれの思惑も明確ではあるまいし、韓国、日本は最も実害を受けやすい。
 一昨日の会合で、元外交官の「これからはアジアの世紀」というお話を聴いた。民主主義を作り出した革命や独立戦争、資本主義を確立した産業革命やイノベーションは終焉を迎え、21世紀の質的量的なアジアの台頭によって凌駕されると言う説であった。
 確かに、国益優先となった英米、イスラムからの価値闘争などにより民主主義の先が見えない。ピケティが明らかにした格差問題で資本主義の先も見えない。しかし、西洋が作り出した今日の世界を変えるようなダイナミズムはアジアにはない。中国もASEANも今だ追いつき追い越せでしかない。数の力でGDP大国となっても、世界のシステムを与ることにはなるまい。
 大東亜共栄圏以来、アジアの世紀は望まれてきたが、立脚する根拠が大抵は精神論だ。アジアは健康と教育の分野で優れ、孔子の哲学で一体となっていると言うのは怪しい議論だ。アジアには世界を動かすダイナミズムがないのだ。一番いい例が、アジア発のイノベーションがないではないか。
 翻って、今回の「朝鮮戦争」。北鮮は、欧米で開発された核技術を盗み取り、欧米産の部品も使って脅迫の道具に使う。確かに、応用と模倣は北鮮ならずもアジア人の得意とするところだが、それを脅迫の道具に使い、民主主義に代わる人々を幸せにする価値と論理を示すことなく振る舞うのであれば、アジアの世紀どころの話ではない。
 ルックイーストのマハティールや開発独裁のリークアンユーは一定の成果を収めたかもしれない。しかし、世界の秩序を変える力はなかった。今回、アジアの国々がやるべきことは、こぞって北朝鮮の暴走をを止めることだ。もし、本当にアジアの国々が孔子の哲学を共有していると言うなら。

[2017/04/24]
真・善・美



 昨日、ある科学者の会合で、プレゼンした著名な科学者がこう言った。「ノーベル賞を取るとか、偉業を成し遂げるとかのインセンティブだけでなく、真・善・美を意識した科学者がどれだけいるか」。
 真・善・美とはプラトンが提唱した理想の要素。もとより哲学を深める機会を持たなかった私には、些か空々しい言葉として受け止めていた。この時の「あてはめ」では、真は科学、善は宗教、美は芸術なのだそうだ。
 この定義を鵜呑みにして、行政マンと政治家の道を歩んできた自分を振り返ると、先ず科学の認識は科学者のそれとは大きく異なる。宇宙がダークマターで満ちていると言われても、実証も論証もできない者にとっては「信ずるしかない」であり、科学の理解はせいぜい「科学によって開発された技術」を享受し、理解するところに留まる。
 善に該当するのが宗教であるとすれば、確かに、米大統領は皆「神の存在」を口にする。就任式では、聖書に誓って大統領になる。だが、日本人は、大方無宗教だ。では、善はどこから発するか。行政マン、政治家にとっては、そのバイブルが日本国憲法だ。25条に生存権を規定するから実現せねばならぬ。憲法の基本的価値は民主主義だから、法規も政策もその価値から生まれる。ただし、21世紀は民主主義に疑問符が付き始めている。世界の首領を選ぶ選挙で国家主義の台頭が認められる。これからも金科玉条の如く民主主義を振り回すことはできないのかもしれない。
 美は芸術とすれば、ベートーベンが嫌いな人もいれば、前衛芸術は頭のおかしい人の作品と思う人もいる。つまり、個々人の捉え方に差があり、個人の趣向で何の弊害もないだろう。
 プラトンが掲げた理想の3つの要素のうち、永遠かつ絶対なるものはない、ということか。少なくとも俗人にとっては、深い理解ではなく、日常のちょっとした喜びに3つの価値がかかわっていると言うにとどまる。頭が良すぎると悩むから、俗人のこの程度の考え方で生きるのが幸せなのだろう。

[2017/04/21]
70歳代の死




総務省統計局発表の人口推計によれば、日本人口は1億2693万人(2016年11月1日現在確定値)。人口減少は数字の上でも明らかで、毎年30万人減っていく。
 5歳刻みの年齢階級別人口を見ると、団塊世代を含む65−69歳が1025万人で、その前後、60−64歳が814万人、70−74歳が741万人と比べても突出している。団塊世代は既に1割以上が死亡しているが、それにしても人口グラフでの突出はまだまだ続く。
 団塊ジュニアを含む40−44歳は969万で、団塊世代はまだこれよりも多いということだ。0−4歳に至っては496万人であり、「生き延びた」団塊世代の半分にもならない。この数字をもとに人口動態統計を扱うのが厚労省だ。厚労省は合計特殊出生率が上昇していると言うが、これは、子供を生む女性の数が減っている、つまり分母が小さくなったための見かけ上の改善であり、出生の絶対数は周知のとおり、減り続け、今は年100万を割った。哀しいかな、ニッポン。
 こうなって来ると、団塊世代を始め、年金や医療で金のかかる連中を敵視する風潮が現れるが、皆が皆、平均寿命、男80.79歳、女87.05歳まで生きられるわけではない。飽くまで平均であり、既に私も多くの知人を亡くしている。
 職業別平均寿命というデータもあるのだそうだが、タブー化していて公表はされない。だから、感覚的だが、政治家・役人は長生きだ。女性に限って言うと、今高齢者となっている政治家・官僚は草分け時代だから人数は少ないが、長生きが多い。
 かつて活躍した女性の中で70歳代前半に静かに早世した女性のことを思う。一人は佐藤欣子さん。戦後数少ない女性検事のはしりとして活躍。中曽根総理に引っ張られて参議院選挙に出て落選。そのあとの欣子さんは人生に慎重になった。
 最愛の夫君佐藤誠三郎東大教授を亡くされてから、後を追うように2008年亡くなった。実は欣子さんは、当時珍しい女性の「保守論客」で、結構極論も語っていた。稲田朋美、高市早苗、桜井よしこ等よりもはるかに強面で、彼女らの先駆者と言えよう。
 もう一人は、影山裕子さん。電電公社で管理職に就き、一時は一世を風靡するほど強気な女権論を展開した。欣子さんと同世代だが、そのころ、民間で活躍した女性3人、日本航空の滝田あゆちさん、高島屋の石原一子さんとともに、つねにマスコミをにぎわす女性のロールモデルだった。しかし、退職後は、週刊誌などによれば、家族問題などに悩み、いつしか第一線から消えていた。そして、2005年、70歳代前半で亡くなった。欣子さんのように保守ではないが、さりとて、土井たか子のような革新ではなく、当時の公民権運動としてのウーマンリブを引っ張る役割を果たした。
 美人薄命と言うが、真実の人もまた長生きが相応しくないようだ。欣子さん、影山さん、良くも悪くも強烈な個性だったが、もう知る人ぞ知るの時代になった。日本の新たな人口に新たな夢と価値観をもたらす人が必要だ。
 
 

[2017/04/13]
女性のロールモデル



 きら星がひとつ消えた。浅田真央の引退である。あどけない顔の天才少女から、不撓不屈の精神で戦い抜く姿まで、10年以上にわたって、日本だけでなく世界のフィギュアスケート界を牽引してきた。
 私ごとを言えば、この間がまるごと、選挙を戦い、殆どが負け選挙を強いられた私の臥薪嘗胆の時期にあたる。真央の姿に人知れず微笑み、活力を得てきた。その時代の私の恩人と言ってもよい。オリンピックで金を取ることが夢で、運悪く2度のオリンピックで金は授からなかった真央ちゃん。私自身も、政治に進出しようにも壁が阻み、自分のことも投影して考えると、真央ちゃんに金を持たせたかった。でも、あなたは、誰も追随のできない氷の上の華だ。
 今、女性の星と言えば小池百合子都知事。田中真紀子、野田聖子・・・かつての勢いを失った。現在では、政界、財界、学問、芸術、スポーツ・・・どの分野にも、圧倒的な女性ロールモデルを欠く。「〜の地位についた」「女性初めての〜」は結構だが、「何がやれるか」「どれだけ長く保てるか」「女性全体のロールモデルとして女性の地位に貢献できるか」が重要だ。
 今唯一と言ってよい小池百合子に期待したいが、日本にもっと多くの女性ロールモデルが必要だ。アメリカでは、ヒラリー・クリントンは消えたものの、イエレンFRB議長、シェリル・サンドバーグ・フェイスブック最高執行責任者など活躍する人は沢山いる。
 若い人の間で、集団をまとめたり、海外志向があるのは女性が多いと言う。大学でよく勉強するのも女性だ。しかし、日本は、ガラスの天井が早く現れる。ガラスの天井を打ち破る勇気を与えられるのは、女性のロールモデルだから、何としても、その出現を望む。日本の救世主たれ。

[2017/04/08]
朝鮮戦争は終わっていない



 トランプ大統領のシリア攻撃は世界を驚かせた。アサド政権を支援するロシアやシリア介入に反対してきた中国を尻目に、トランプは「化学兵器の使用は許せぬ」と「正当な理由」を掲げた。
 トランプバッシングを続けるアメリカ内外のマスコミは「内政がうまくいかないから軍事でやるつもりだ」と揶揄するが、それほど単純ではあるまい。トランプは確信の人だ。20世紀から続いてきたグローバリゼーションも、環境主義も、市民主義も、フェミニズムも、アメリカ・ファーストに座を奪われた。
 シリアの次は北朝鮮か、とにわかに日本の政府もマスコミも警戒し始めている。慰安婦像の問題で帰国していた駐韓大使は韓国に戻った。すわ、北朝鮮との戦いかと怪訝に思われても仕方あるまい。韓国大統領は弾劾されて空席だから、北朝鮮にとってチャンスだ。
 明らかに、世界の情勢は変わり始めている。ピケティが提唱した格差是正のための富裕税は受け入れられず、国連が提唱する2030年までの貧困撲滅の道筋も見えてこない。日本は、人口減少と超高齢社会の中で経済の低成長率に悩む。戦争は時機を選ばない。価値観の変動やデモクラシーの低迷の中で、日本は内向きの姿勢を改め、平和構築に貢献できるか。
 ひとつ、重要なことがある。1953年に休戦した朝鮮戦争は、アメリカと北朝鮮の間で平和条約は締結されていない、つまり、休戦状態のままだ。アメリカに参戦する理由が残っていることは認識したい。
 

[2017/03/29]
内向きのアメリカと日本



国連女性の地位委員会開催中、アメリカのニュースは、毎日が「トランプ」だった。イスラム7か国の入国阻止、オバマケアの廃止、ロシアとの通謀など、テレビ・新聞の報道には、トランプバッシングが感じられた。
 ニューヨークの街角に、選挙後も剥がされずに残ったポスターを見つけた。トランプの似顔絵に「小便かけて消しちまえ」の文句が書かれていた。下品極まりない。アメリカに長く住む日本女性が「こんなに悪口を言われる大統領は初めてだ」と慨嘆していた。
 アメリカのニュースは内向きになっている。国際二ュースの報道が少ない。世界の警察官の冠を下したアメリカの姿かと思われた。
 日本に帰ってくると、毎日が森友学園と築地市場のニュースだ。籠池理事長と小池知事の「イケイケ」コンビのニュースばかり。日本もまた内向きだ。総理の進退まで及ぶかもしれない事件、大東京の食の安全を脅かす事件であり、いずれも背後の政治家・官僚の仕事に大きな疑問がある。
 この二つの真相を解明せずに終わらすべきではない。どちらも政治責任の所在が明らかでないままで、国民の知らざるところで偏頗な行政が行われていることは民主主義国家としては放置できない。
 しかし、野党の詰めの甘さを見ると、森友学園問題は「ひとりの頭のおかしい男がやったこと」でうやむやにされるのが落ちかもしれない。築地市場については、小池知事は、住民投票で決めようとするかもしれない。それが小池さんにとって一番傷つかない方法だからだ。しかし、もし、小池さんが総理を目指すならば、知事として責任ある決断をしてほしいと願う。それこそが小池都政のバックボーンを作るものだからだ。何もかも住民投票では、首長は要らない。
 アメリカに話を戻すと、叩かれているトランプはよくも悪くもメッセージが明快だ。ビジネスの世界で生きてきた人であり、彼は自分で決める大統領だ。彼の就任演説の10日前に、オバマが退任演説をしたが、自分の業績と民主主義の価値について語り、抽象的で分かりにくい内容だった。改革を掲げたオバマは失望に終わったとの見方が強く、だからこそ際物かもしれないトランプが政権交代を果たしたのだ。
 オバマは何度も、市民が、あなたこそが私を働かせてくれたと自らの市民政治家を強調していたが、耳触りの良いその言葉とは反対にリーダーシップに欠けていたことも否めまい。オバマは組織を率いる職業経験のない大統領だったのだ。トランプはリーダーシップだけはオバマを超える。
 内向きなアメリカと日本。大きな波をどう超えるか。



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