元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2019/04/22]
定常型社会とイノベーション



 この欄で「夢人口」を語る広井良典京大教授を紹介したことがあるが、過日、彼の話を直接に聞く機会を得た。広井教授は、厚労省の我が後輩であり、若くして学問の世界に移った経歴の人である。久しぶりに会い、「僕はドロップアウトですから」と謙遜したが、勿論、そんなはずはない。多くの論壇の賞を取り、日本の未来の道を指南する屈指の人材である。

 広井教授は社会保障政策の学究と紹介されるものの、本質は、科学史・科学哲学をベースとし、農耕社会が始まった1万年の歴史の流れを捉え、現代社会の社会保障を論じる稀有な論客である。「夢人口」では、「現実とは脳が見る共通の夢」と言い、未来不確定の子供、認知能力の低下する高齢者はそれぞれ夢を見る集団であると言う。
 
 今回の話は、定常型社会。経済成長を絶対的な目標としなくても、十分な豊かさが実現していく社会と定義する。ホモサピエンスは1万年前に農耕というイノベーションを起こし、それが定常化するにしたがって、4大文明などが発達した。17世紀には産業革命というイノベーションを科学の発展とともにもたらし、資本主義、民主主義の価値を擁した社会に我々は位置する。

 イノベーションは今も我々の社会のキーワードである。AIやバイオ科学に期待がかかる。しかし、広井教授は資本主義は直近の金融資本主義をもって最終駅に行き着いた。市場原理をベースに成長を追い続ける手法は終焉を迎えると警告する。確かに、人口も先進国における減少に始まり、22世紀初頭100億余りで定常化し、成長を支える要素が後退していく。さらに、地球環境の問題は成長の後退に拍車をかける。
 
 もう成長はいいではないか、産業革命後の新たな定常状態が既に出現し、ポスト資本主義社会の構築を待っていると広井教授は説得する。その姿は1972年、ローマクラブが著書「成長の限界」で、食料・エネルギー危機の到来から人口の抑制を叫んだ姿と重なる。ローマクラブをさかのぼる百年も前に、実はJ.S.ミルは同じことを提唱していた。つまり、定常型社会の論は古くて新しい議論なのだ。
 
 一昨年の科学者会議で、筆者はたまたま「成長の限界」の著者デニス・メドウに合う機会を得た。彼の限界論の後に起きたイノベーションで、世界はローマクラブの提唱を反故にした。農業もエネルギーもメドウの予測を打ち砕く発展を遂げたからだ。メドウは「それでも私は今も私の考えが正しいと思う」と言った。筆者は、昔読んで茶色くなった彼の著書にサインをしてもらったが、彼の顔色はなかった。

 ミル、メドウに続いて約50年ぶりに広井教授が定常型社会を提言する。マクロ的な話であるから、ある日突然定常型社会になるのではなく、これからもいくつかのイノベーションを経験しつつ、しかし、定常状態になっていくと考えるべきだろう。その定常型社会をポスト資本主義社会と呼べば、既に五感をもって髣髴と感じられるようになっている。我が国は失われた30年(まさに平成が丸ごと)を経験し、特に国民一人当たりのGDPにおいて国際社会での地位を著しく下げた。20世紀から21世紀にかけて奇跡と言われたアジアの躍進も、我が国を追いかけるように少子高齢社会が始まり、もうそう長くは繁栄の中心ではいられない。

 時期を同じくして、小林剛也財務相地方課室長の財務省が取り組むイノベーションの取り組みについてお話を聞いたが、海外に売れる日本酒の開発など現実的な事業に財政的に関わってくのは賛同すべきと思う。しかし、時代を、世紀を超えてのイノベーションが定常型社会を打ち砕くだけのものになるかどうかはわからない。
 
 ここは、厚労省が誇る広井良典教授のさらなる研究成果に期待しよう。
 
 
 

[2019/04/12]
深層海洋への誘い



 過日の会議で、海洋物理学者の日比谷紀之東大大学院教授のレクを聴いた。それは息を飲み込むほどのファンタジーな内容であった。

 我々が親しんでいる親潮・黒潮などの表層海流の下に、深海を循環する海流があり、月の潮汐によって引き起こされている。その深層海流は、北大西洋からアフリカの南、南極大陸の北を通り、太平洋に出て、回転し、ユーラシア大陸の南を通って、再びアフリカの脇を通って北大西洋に帰る。この行程は1500年かかる。現在太平洋に戻ってきた海流は、前回は日本に仏教が伝来した6世紀ころのものだと言える。

 太平洋で回転するときに寒流から暖流に変わり、過去12万年の気温変化は深層海流の影響であるとの研究結果が出ている。現在気候変動は主に二酸化炭素による温暖ガスで説明されているが、実は長期的に考察すると、深層海流が原因ともなる。深層海流が停止したら、北大西洋の気温は5度以上低下する。つまり、現在の気候変動の科学は100年タームで議論され、1500年タームの話ではない。
 
 地球物理学は46億年の科学であるのに比べれば、1500年は一瞬だが、自然科学の壮大さの前に、10年単位で経済社会を論じる社会科学の理論は、真理探究の学問とは言い難いではないか。

 日比谷先生は、大気で起こる乱気流と同じ深海の乱流の観測を続けている。月の潮汐が駆動する深海の流れに改定の凸凹が乱流を起こす。乱流観測機は一基5千万円で日本では生産されていない。当然のことながら予算には苦労する。

 はやぶさ2の活躍が目覚ましい現在、宇宙の解明や太陽系の成り立ちに日本が直接挑んでいるのは喜ばしい。ならば、深海の物理が地球の未来を示唆する存在であることにも同様に金をかける必要がある。超高齢社会で低速化している日本経済社会では、大きな夢を抱いてはいけないのか。否、学問、イノベーションこそがブレークスルーを見出すであろう。
 
 月の潮汐と関係して、深層海流以外にも、ウナギの養殖への影響を指摘した研究がある。人間のお産も月の重力と関係していると言い伝えられてきたが、今のところ、有意味な研究成果は得られていない。月は太陽と違った形で生命や自然現象に影響していることを改めてファンタジーに感じた。
 

[2019/04/04]
移民法は人口問題を解決するか



 昨年末出入国管理及び難民認定法の改正により、新たに在留資格「特定技能」が設けられ、これを施行するため、4月1日に法務省の外局である出入国在留管理庁がスタートした。出入国在留管理庁在留支援課長に厚労省からの出向で赴任した平嶋氏の話を聞く機会を早速に得た。

 今回の法改正は、労働力不足を補うため、外国人に新たな資格を設けるのであって、恒久的な移民法ではないと安倍首相は何度も繰り返していたが、果たしてそうなるのだろうか。

 失踪問題で社会を騒がせてきた、建設現場や農業に携わる従来の技能実習生は、試験免除で特定技能のカテゴリー1の資格が得られ、職種の範囲は狭いがより熟練した場合には、家族帯同も許されるカテゴリー2に進むことができる。
 
 これまでいわば政府開発援助の発想により、日本の技能を学ばせるという考え方で行われてきた技能実習生は、労働のために入国する地位を与えられることになる。もしかしたら、低賃金や過酷な労働から労働法が守ってくれることが期待できるかもしれない。しかし、それは、上記管理庁がどれだけ関与できるかによる。従来は内外の民間斡旋業者に任せっきりだった。

 筆者は、この移民法(改正という形で行われ、重要な法律なのに呼び名が決まっていないから、あえて、こう呼ぶ)は、別の観点から、20年以上にわたる少子化政策の失敗によるものとみている。もう人口が増える兆しは見られない、だから、アメリカやドイツのように、労働力を外から調達する手段を合法化したのだ。

 しかし、技能実修生は技能と日本語の試験を免除されることから、実態は初めから単純労働を想定していることは明らかだ。母国より賃金の高い日本で、稼いで帰ることが目されている。だが、母国の賃金が上がってきた中国やブラジルの入国は減ってきている。今では、ベトナムやネパールなどが多いが、いずれ母国と日本の賃金格差が縮まれば、「稼いで帰る」メリットは低下する。
 
 現に安倍総理は「5年間に34万5千人の入国を予定しているが、人材が不要になったらやめる」とまで発言している。なるほど、あからさまに日本の社会のための都合で作られた法律である。しかし、そこは、人間は生身、どんな事態が待っているかわからない。特定技能カテゴリー2に上がるのは極めて難しいが、もし、日本にとどまりたいと思えば、あらゆる手段を使うであろう。
 
 筆者がアメリカに滞在した1970年代は、多くの偽装結婚があり、アメリカのグリーンカードを手にしようとした移民が後を絶たなかった。いくらトランプ大統領が国境に壁を作っても、人間の知恵は壁を超える。しかし、忘れてはならない、アメリカもそしてドイツも時々お荷物になる移民によってこそ発展してきたのだ。日本もいよいよその必要性ができてきたのではないか。
 
 ならば、入国及び在留条件を緩和してはどうか。少子化政策の失敗を埋めるのであれば、定住定着のために施策を講じたほうが良いのではないか。もちろん、既に地域住民と外国人は多くの軋轢を生んでいる。また、ブラジル人コミューニティーなど日本社会に溶け込まない状況が生み出されている。

 しかし、保育所改革など実際には人口増加につながらない少子化政策を飽きもせずやってきた政府がこれまでタブーだった移民政策に舵を切ったならば、外国人定住化政策とセットで行わねばならないのではないか。人権という観点以上に必要性という観点から、移民法の発展を願いたい。

 

[2019/03/23]
自然エネルギーの道



 最近、自然エネ庁と公益財団法人自然エネルギー財団のレクチュアを聴く機会があった。日本でも、太陽光エネルギーのコスト低下は進み、中国などにはかなわないにしても、早晩、原発をはるかに上回るエネルギー効率が期待できる。全世界的には、既にコストや熱効率の観点からも原発をしのぎ、化石燃料に代わる代替エネルギーとしての地位を収めつつある。
 エネルギー政策は国の重要な決定事項である。デンマークは風力発電を主電源とし、フランスは原発に重点を置き、中国はエネルギーミックスに配慮しながらも強烈な勢いで太陽光を始め自然エネルギーに舵を切っている。
 日本はどうなのか。自然エネルギーの発展は目覚ましいが、ドイツのように、目標値をもって代替エネルギーの開発を図っているのではない。ここが民間開発企業の不満を生じさせている。政府のコミットなしには、リスクをすべて自ら負って開発しなければならないのと、補助金などの呼び水なしに国際競争力をつけるのは難しいからだ。
 日本は原発再稼働に向かっている。海外への原発売込みも積極的に行っている。しかし、昨年末、イギリスでの日本の原発設置計画が凍結されたように、世界の原発へのしり込みは明確になってきた。スリーマイル、チェルノブイリ、そして極め付きが福島原発事故で、他の自然エネルギーのコストパフォーマンスさえ良ければ、あえて原発を選択しない流れにあろう。
 もちろん、原子力工学をおろそかにしてはならない。将来の廃炉技術や新たな分野での必要性を否定できるものではない。しかし、是非を度外視しても、日本の自然エネルギーの取り組みが先進国や中国の後塵を拝しているのは、原発再稼働の政策があるからだろう。
 民間は、2017年から、日本でも、RE(Renewarable energy)宣言をする企業が続出し始め、自然エネルギーの活用に身を乗りだしている。昨年、筆者が出席した国際シンポジウムでは、オゾン層の発見でノーベル賞を受賞した、マリオ・マリナ博士が「97%の科学者は、地球温暖化は人為であると確信している」と話した。つまり、自然エネの開発には科学者の協力を存分に受けられるということを表している。
 自然エネルギー財団では、地球温暖化の観点から、CE(サーキュラーエコノミー)の研究も始めているが、関連の農業分野などの研究はこれからの課題であると言う。そして、民間が頑張っても、科学者が頑張っても、一層必要となるのが政府のコミットメントだと言う。
 トランプ大統領や安倍首相の本音を聞きたいところだ。


     

 

[2019/02/27]
持続可能な開発目標とは?



 平成30年版科学技術白書を開くと、SDG、ソサイエティ5.0という言葉が先ず目に入って来る。日本の科学技術の方針にあたるものだからだ。
 SDGは持続する開発目標の略であり、2001年、国連が開発途上国向けの2015年までの8つの目標(MDG)を策定したのに続き、2015年から30年までの、気候変動などを加えた新たな17目標のことである。
 国連本部のロビーにはカラフルな17色の目標が掲げられ、国連に協調的な日本は早速これを政府の方針として採り入れた。国連では、SDGの達成にSTI(科学技術イノベーション)の方法を用いることにし、科学技術に強い日本の活躍は注目される。
 政府が目指す日本は「ソサイエティ5.0」。この欄でも紹介したことがあるが、高度テクノロジーを使った超スマート社会のことで、社会的課題を解決していく。経団連では、SDGのためのソサイエティ5.0と名付けて、この二つを結び付け、健康、エネルギー、防災などの分野の活性化につなげようとしている。
 いいことづくめのようであるが、果たして、日本人のどれだけの人がSDGやソサエティ5.0を知っているだろうか。政府のPRが足りないばかりではなく、説明も分かりにくく、具体的イメージが浮かばないのが欠点だ。また、国連や政府の目標がいいことづくめなのはいつもそうであって、どこまで達成したかはいつも不明なまま終わっている。
 ドイツでは既に求心力を失ったメルケル首相だが、演説の度に「インダストリー4」を目指すと言ってきた。これは、産学官連携のものづくり高度化社会のことで、この方がずっと分かり易い。
 しかも、SDGの17目標には、健康、食料、気候変動、エネルギー、防災、ジェンダー等世界共通の社会課題が取り上げられているものの、日本にとって最大の社会課題である少子高齢社会は入っていない。あらゆることの標準化が欧州で行われる如く、ここでも、欧州中心の課題選定が行われていることは明らかだ。一昨年、国連女性の地位委員会にNGOの立場で赴いたときに、「日本はSDGの中でもジェンダー問題は遅れていますね、欧州に比べると」と言われることになった。どうして日本は国連の優等生のはずなのに、こうも存在感が薄いのか。
 SDGの一般化された目標よりも先に日本は少子高齢社会に取り組むことをを第一にしなければならない。また、イノベーションを使ってSDGに貢献する考えはいいが、イノベーションは各国競争の分野である。国連との連携以上に、新たな産業を興す日本のためにイノベーションを使っていくことの方が先決だ。
 国連10人委員会のメンバーであり、JST(科学技術推進機構)元理事長の中村道治先生にそう申し上げたら、「国益とは、日本が国連の目標に向かって頑張っている姿を見せるのも一つの国益ではないか」と言われた。国際社会の現場で日本の国益が傷つけられているのを多く見た(最近の日韓関係もそうだ)筆者は、達観できない境地である。
 

[2019/02/20]
人口減少社会に若者の提言



 若者に人気のメディアアーティスト、落合陽一さんの話を直接聴く機会を得た。単著も多いが、ホリエモンと共著を出したり、小泉進次郎と対談したりで知られ、筑波大准教授とメディアアートの会社社長を兼ねる。メディアアーティストとは聞きなれない職業だが、メディアを使って人口減少社会を乗り切るための、技術者でありデザイナーであると筆者は解する。
 若干31歳の落合氏は、ソーシャルメディアで育ち、その使いこなしで、人口減少社会を克服する方法を説く。例えば、子育てには、ソーシャルメディアのコミューニティでベビーシッターを見つけ、母親一人の孤独な子育てから昔の家族や共同体に囲まれた子育て環境を作り上げることを提案する。
 高齢者に対しては、もっとAIを駆使することを提言する。自動運転の車椅子で散歩させ、一人のスタッフが何人もの高齢者を画像で管理する。保育にせよ、介護にせよ、人海戦術だけにとらわれず、人材不足を解決する方法はいくらでもある。
 落合氏は言う。「介護に器械はダメだ、子育てに知らない人を入れるのはダメだと主張して、若者のアイディアを邪魔しないでほしい」。確かに、中高年の意見が新たな方法論の導入を邪魔してきたために、人口減少社会の解決策が見つからなかったし、だから最近の外国人労働者活用政策に移ってきたのだ。
 落合氏の提言の基礎にあるのは、ソーシャルメディアを使ったコミューニティづくりには新たな費用が掛からない、また、器械を導入すれば初期費用の後は人件費が掛からない、つまり一人の受益者の新たな参加のために限界費用がゼロになるということだ。財政難、人材難の時代に、限界費用をゼロにすることが必要である。
 確かにそのとおりであり、我々は、日々、ユーチューブやウィキペディアなどの情報を費用ゼロで受益しているのと同じことをやればよいという発想だ。ソーシャルメディアに悪者が参加して子供に危害を及ぼすかもしれない、器械が暴走して老人にケガをさせるかもしれないという危惧は確かにあるし、具体的な事件も起きたことがある。
 しかし、それには監視システムなど予防方法を編み出せばよい、それこそがAI時代の「人間の」仕事であろう。落合先生の提言を取り上げるべきだ。日本人はものづくりにこだわり、手で触って仕事をしなければ仕事ではないと考えてきたが、モノではなくサービス中心の人口減少社会での仕事は、ソーシャルメディアや器械(AI)に代替させる機は熟した。人口減少社会の現実なのだ。
 北欧では、日本よりはるかに、介護に器械を採り入れているし、一人暮らしの認知症でも、鍵のかけ忘れの自動防止、アイコンひとつで掛けられる電話など、自立できる工夫が導入されている。日本は、もう「人の世話は人の手で」の考えを辞める時期であろう。
 ただ、AIが十分に活用される社会になっても、人間らしさのために人間が行う仕事は残る。よく言われることだが、老人には、「教育(今日行く)」ところがある、「教養(今日用)」があるの二つが必要である。そこには笑顔で迎える人間が存在していなければならない。
 ソーシャルメディア世代の落合氏と何でもマニュアルで育った老人とでは、生身の人恋しさが違うが、それは程度の差として、落合氏の提言は的を得ていると考えられる。

[2019/01/20]
自由からの逃走



 昨日、ある会合で、国際関係論の専門家が「現在は自由からの逃走の時代だ」と発言した。久しぶりに聞く「自由からの逃走」に心躍った。言うまでもなく、1941年、社会心理学者エーリッヒ・フロムが著した本のタイトルである。
 フロムはユダヤ人で、ナチスドイツを逃れ、アメリカで活躍した人である。50年も前に読んだ本だから、詳細は覚えていないが、ナチスの研究から発し、人々は、与えられた自由を使いこなせず、むしろその自由から逃げて束縛の中に安定性を見つけるとの趣旨であった。当時は、この本に心酔し、私の青春期学問の一つの宝物にもなった。マルクスやフロイトをベースにしていることから、今は若者に読まれていないのではないかと思われる。
 1648年ウェストファリア条約に始まった国民国家、主権国家の概念が崩壊しつつあることはよく知られる。グローバリゼーションが国境を越えて人、物、金の流れを作り、抗えぬ勢いの中にあるからである。西洋社会中心に続いてきた従来の価値観、資本主義や民主主義も崩壊しているとの考えが目立つ。「自由からの逃走」は、まさに行き先に迷う我々が選択しがちな方法である。
 与党内の議論不足が明らかなのにリーダーの尻馬に乗る人々。野党は常に後手に回って有効な反論すらできない。こんな政治を垣間見ながら、社会のモラルが崩壊し、基盤を失った人々が趨勢に身を預けている状態だ。まさに「自由からの逃走」現象そのままだ。
 50年ぶりに甦ったこの言葉を今年の銘としたい。自由に発想し、論理から逃げない。

[2018/12/18]
CE(サーキュラーエコノミー)とは



 最近、物財研名誉研究員でありサステイナビリティ技術設計機構代表理事の原田幸明先生の話を伺う機会を得た。かなり難しい内容だった。
 日本は、70年代のオイルショック以来、省エネ化に成功し、その先端技術を担ってきた。80年代の日本独り勝ちはまさにその日本の取り組みによってもたらされたと言っても良い。世界はキャデラックから日本の小型車に代わったのはいい例だ。
 そもそも日本は、江戸時代に物の修繕や人糞の肥料化など世界にも注目される循環型社会を作っていた国であるから、省エネやリサイクル技術が得意な民族であったわけだ。
 ところが、今年9月、フランスの提案によって、ISO(国際標準化機構)でCE(サーキュラーエコノミー)の標準化が採択され、日本やアメリカは反対したが、90年代から資源効率の改善を意識してきた欧州に日本は座を奪われた状況になった。事実、90年代は日本が見本とされていた資源効率は、近年、欧州に負けるようになった。
 原田先生によると、従来の「循環」型社会から分岐し「CE]がそのまま使用されているが、実際に、この二つは根本的に異なる。単に資源を循環させるにとどまらず、CEは技術を投じて多様な付加価値を生むという発想である。
 「循環」との違いは、さらに、欧州でよく使われるデカプリングの方法が使われているところにある。カップルを切り離すと言う意味のこの言葉は、具体的に、経済成長と環境負荷の増大はカップルであったのを、環境負荷を増大させずに経済成長をもたらそうとするものである。
 欧州では、長らく農業のデカプリングとして生産と切り離して所得補償をする制度を行ってきた。まさにその方法論である。日本では、欧州の制度を採り入れ、民主党政権の重要な政策の柱とし、農業者所得補償制度を導入したが、立法化できず予算措置にとどまり、持続する政策にはならなかっという例もある。
 CEにおいては、循環が再資源化や最終処分の減量に留まるのに対し、リビルド、リペア、直接使用などを通して物の残存価値を徹底的に引き出す。また、PAASと言って、製品を売るのではなくサービスを売るのがCEである。原田先生曰く、従来ならば、何かを切るためにはハサミを買うという発想になるが、実は「切る」というサービスを買うのが直接的欲求に合っている。つまり、物の丸売りではなく、その機能、そのサービスを売るプラットフォームを作るのがCEの役割である。
 海岸に打ち寄せる大量の使用済み製品を思い浮かべるとき、CEは夢の解決方法のようであるが、実際に解決する技術力に到達するか、難処理廃棄物を拡散させないかなどの問題があると原田先生は指摘する。
 カタカナ政策やローマ字政策は今まで成功したためしがない。企業が成長して行政指導が不要になった旧通産省では、80年代やたらにカタカナ政策が打ち出されたが、筆者が知る限り成功した例は聞いていない。だが、CEは、学問的にも政策的にもコンセプトの土台が堅固だ。日本はISOでの採択に反対したが、日本語で噛み砕いて分かり易いものにしたら政策的に使えるかもしれない。政府が推進している「ソサイエティ5.0」も分かりにくく人口に膾炙しないが、これもまた世に伝える役割を、政治家や官僚にもたせるべきではないか。
 難しいが、CEをもっと学ぼう。

[2018/12/15]
米中冷戦時代の始まり



 中国通信機器大手ファーウェイ(華為)のナンバー2である創業者の娘がカナダで逮捕されたニュースは、サウジアラビア出身のジャーナリスト、アショギ氏がトルコで殺害された事件にも増して、世界中を驚かせた。背景に米中冷戦の存在が見えてきたからである。
 トランプ大統領については、マイケル・ムーア監督を始め知識人が「本来のアメリカを取り戻せ」と声を上げている。しかし、トランプ大統領が世界に発しているメッセージは明確である。「シェール革命でアメリカは中東に石油依存する必要はなくなった。今は、知的財産権と安全保障の両面から中国を叩くことに専念する」。
 トランプ大統領は、カショギ事件に関しては「サウジアラビアはアメリカの武器を大量に買ってくれる良い客なのだから」と、ムハマンド皇太子の事件関与を放置することにした。その一方で、貿易戦争で中国を締め上げつつ、情報の世界支配を狙う象徴であるファーウェイを潰しにかかろうとしている。トランプ大統領は敵が誰かを決めたのである。
 TPP破棄、温暖化阻止のパリ条約離脱、イラン核合意離脱など、オバマの業績を次々と潰していくトランプ大統領は、アメリカファーストの下に、外交方針を明らかにしている。欧州では、中心的存在だったが政治的敗北に陥ったメルケル独首相、国民の支持を失ったマクロン仏大統領、EU離脱で躓くメイ英首相など、領袖の力が軒並み落ちている中で、トランプ大統領は独り独自の外交を繰り広げる。
 しかし、トランプの外交が根拠なしに行われているわけではない。雑誌「フォーリンアフェアズ」にポンぺオ長官は「イランは核合意を箕にして、経済制裁を解き、中東の覇権を狙う」とイランの様々の「悪事」を語り、トランプ外交の正しさを主張する。オゾン破壊でノーベル賞を受賞したマリオ・マリナが「人間の活動で温暖化が進む事象は97%の科学者が信じる」と言っても3%が信じないなら、疑わしきは罰せずの理屈も通る。トランプは「私は信じない」と言ってパリ協定から離脱した。
 ただし、TPPの破棄はトランプ外交と矛盾する。中国が進める一帯一路にとって、TPPは太平洋諸国の別ルールが存在するため邪魔だったが、トランプが保護貿易主義を掲げて自ら破棄してくれたのだ。中国は、あたかも従来の米国の立場を勝ち取ったかのように、自由貿易主義を標榜し、WTOの立場を強調した。ただし、そのことで、EUを味方に付けるつもりが、EUはそもそも中国を信頼していないので、反応してはくれなかった。
 トランプ大統領は、当初、習近平主席と和気あいあいの関係を演じ、習近平を「立派な指導者」と褒め上げたが、いかにも商売人らしく、「ディール」に及ぶと態度を一変させ、中国製品に対する関税引き上げに出た。今や両国の貿易戦争は、万全と言われた習近平の地位も揺さぶるまでに至っている。また、トランプは、もともと不仲の中国と北朝鮮関係を視て、北朝鮮をカードに使おうと考えたのかもしれない。
 トランプ大統領が商売人なら、次に来るのは「落としどころ」だ。既に米中戦争は始まったが、しばらくは、落としどころのある起伏の激しい状況が続くのだろう。そして、かつて「プーチンを尊敬する」とまで言ったトランプ大統領が老練の策士プーチン大統領とはどんなバトルを演じるのであろう。とりあえずは、中国か。
 日本の安倍外交は国際社会で信頼を得ている。国際法違反の徴用工判決をいかにして覆すか、トランプの仕掛ける米中冷戦にいかに臨むか、日ソ平和条約をいかに実現させるか、安倍首相の行動が注目される2019年となろう。
 

[2018/11/26]
若者の主張



 過日、ある公益団体の主催する若者の弁論の審査委員を務めた。予選を勝ち上がってきた若者たちは、いずれもプレゼンがうまく、納得させる内容であった。
 若者が選んだテーマは多岐にわたった。自らの国際体験や社会問題も勿論あったが、異色だったのは、志の立て方ややる気の出し方といったテーマが登場したことだ。前者は偉人に学べ、後者は心理学を使って心の発露を見つけろ、というもので、力作であった。
 聞きながら思ったのは、我々団塊世代は、いわば満員電車に乗せられて、進学、就職、結婚という名の駅を、仲間に引きずられて大量に降りて行った。降り立つことに疑問を差し挟む余地はなかった。みんなが当たり前に考える人生の夢を端くれでも持っていれば、簡単に結果を得たような気がする。
 しかし、今の時代は難しい。より高学歴化、専門化、少数精鋭化した中で、いかに志を立て、いかに目的意識を以て生きるのか、それ自体が大きなテーマになっている。考えあぐねて引きこもりになることもあろう。志を持て、やる気を出せ、というテーマは抽象的だが、若者の、しかも多くの若者の悲痛な思いを表したものであることが分かった。
 これに対して、筆者は若者に助言する術を持たない。確かに、人生の分岐点ごとに進む道を決めてきたが、判断ミスも多く、さりとて、いま、後悔しているわけでもない。人生はやってみないとわからないからだ。逡巡する暇はなかった。長らく生きれば、そういう結論になる。だから、考え過ぎずに前進あるのみだとしか言いようがない。
 もう一つ、若者のテーマの中に、性道徳が入っていたのも驚いた。若者の行き過ぎた性交渉を憂慮し、結婚と性を同時にすべきであるとの主張は、団塊世代よりも以前の「リバイバル」である。家族社会学の山田昌宏教授によれば、団塊世代前後は恋愛と結婚がイコールであり、今の若者は恋愛と結婚を分けて考える、そのことが少子化を生むと言う。卓見だ。実は若者は出会いがないから結婚しないのではなく、恋愛と性のフリーマーケットの中で、結婚まで至らないのだと言う。
 こうなってくると、古色蒼然の団塊おばさんが若者に助言することはできない。時代逆行は難しい。しかしながら、若者の間から、性交渉の行き過ぎのテーマが出てきた事実は、ファッション化した潮流に入れない人が存在することを意味する。志を目指して「自分探し」を続ける若者がいるのと同様、潮流に流されたくない「自分」がここにもいる。
 西洋の諺Strive not against the streamは、東洋でも同様、流れに棹さすな。流れのまま生きれば一定の結果を得た我々古い世代は、流れに乗れない若者を守り、その力を信じよう。彼らの手によって21世紀の奇跡が起こることを祈る。



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