元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2023/04/16]
土壌の学問に驚く



 陽捷行(みなみかつゆき)先生(北里大学元副学長、名誉教授)のお話を聴く機会を得た。ご専門の土壌学に一片の知識も持たぬ筆者が気候変動を探る趣旨の一環として臨んだ会議であったが、驚きの情報であった。
 我々人類は1万年前から文明を発祥し、人間圏を創ってきたが、人間圏は人智を育み、現今ではAIなる人智を越える存在と共存すべく地球上の80億の人間が世界に棲む。その人間圏のど真ん中にあるのが土壌圏であり、大気圏、生物圏、水圏そして地殻圏とともに地球という「生命」を成し、気候変動によってその生命が脅かされている。陽先生の言である。
 地球を覆う土壌は平均18センチ、水は11センチ、オゾン層は3ミリ、酸素を供給する対流圏は15キロという薄皮の中に、人間を始め500万種以上の生物が棲んでいる。環境問題の真実と本質はこの薄皮の中にあるのだが、「環境」は科学よりも政治で捉えられ、まさに真実と本質に無知のまま我々は過ごしていると言う。
 陽先生と同じ北里大学の特別榮譽教授、大村智先生は2015年にノーベル賞を受賞されたが、これは土壌の微生物の研究から抗寄生虫薬イベルメクチンを創成した業績によるものである。先生はどこに出かけても土を持って帰って研究されたことを語っていた。
 土壌に含まれる微生物と人間の腸に含まれる微生物は類似の存在であり、土壌の健康と人の健康は同一のものである。土壌から作物と酪農へ、そして人間へと健康は一つの鎖で結ばれていると陽先生は言う。実際に、野菜などを口にしながら、人間は土壌を食べているのだそうだ。
 土壌由来の微生物が腸を経て脳に及び、成分であるドーパミンが喜びを生み、アドレナリンが怒りを起こす。土壌微生物によって我々の心と体の健康は保たれる。肥満やアレルギーも微生物が原因であり、足の下の土壌から我々の体に入ってきたものである。
 昔から言う医食同源は医・土壌同源とも言い換えられるが、医学・健康学に革命を起こすのが土壌学であろう。陽先生は、知的三大科学革命と言われる地動説、進化論、精神分析学の次に、四番目として土壌学が科学革命を起こすであろうと予測されている。
 気候変動以上に、長年医療行政に関わってきた筆者としては、今回のお話に欣喜雀躍した。切った貼った、遺伝子治療などを越えて、土壌学がもたらす医療革命に期待してやまない。気候変動以上に医学への貢献を望んで然るべきである。

[2023/03/22]
平岡秀夫氏(衆院補選山口2区)を応援する



 安倍元首相の逝去、岸元防衛大臣の引退に伴い、山口県では、4区と2区でそれぞれ衆院選の補選が行われる。4月11日告示、23日投票である。
 2区の自民党候補者は岸信千代氏で、父・元防衛大臣の後を継ごうとする。これに対抗して、平岡秀夫元衆議院議員かつ元法務大臣が、今般は無所属で出馬する。この選挙はG7広島サミットの直前に、岸田政権の是非を問う選挙として観られているが、実はもっと深い意味がある。
 言うまでもなく、山口県=長州は150年以上に及ぶ藩閥政治の人材を担ってきた地である。伊藤博文に始まり、安倍晋三まで全都道府県最多の8人の総理大臣を輩出した県である。山縣有朋や岸信介を思い浮かべる人も多かろう。このことは、近代国家日本の揺籃期から継続してきた、ある種の誤謬が綿々と受け継がれていることを意味する。
 誤謬とは、武家社会を崩壊させ、長州を最上階に置く新たな身分制度を150年の政治史において定着させたことだ。士農工商に代わって長州閥及び平民の二層の政治における身分構造が政治家の世襲を産んだ。勿論、本家は長州の岸家、安倍家だが、類似の身分には、近年の麻生家、小泉家、河野家、岸田家などが加わる。
 つまり、世襲政治、家業としての政治が長州をオリジナルとして作られたのである。家業としての政治は、血族による継続にこそ意味があり、志を遂げる政治とは程遠い。安倍元首相は志のある政治家に見えたが、実は創始者岸信介の遺言の実施を志としたのであって、彼が生きた時代に即したわけではない。
 身分の継続のためには、一応民主主義国家である以上仕掛けが必要だ。安倍元首相は積極的に娯楽番組に登場したが、庶民を装う為政者を好感度をもってコメントするタレントやスポーツ選手が増えた。誰も政治の専門家ではない。放送法の顛末をめぐっての議論は、老舗の悪口を言わせない、老舗は理屈無く老舗だからよいのだを庶民に納得させるために起きた。
 平岡氏は長州の出身ではあるが、藩閥とは無関係の庶民の出だ。大蔵官僚、弁護士という近代的職歴の中で政界まで届いた人だ。平岡氏が闘うべきは、家業政治家を長州のみならず政界から一掃することだ。政治が家業では、借金の先送り、大親分アメリカの追随以外のことはできない。
 平岡氏は、政党の公認を受けず、連合=労働組合の応援も受けない。労働組合は、別の意味で身分制度の最上階にいる「労働貴族」だ。世界に遅れた経済成長や少子化の原因である非正規雇用には冷たい。この新セレブに支援される政党は藩閥政治に有効な対抗ができない。平岡氏は眼前の敵、背後の敵の両方に戦いを挑むことになる。
 最近では、徳川幕府の転覆にはイギリスが暗躍したことが明らかになり、司馬遼太郎の維新の志士による討幕は誤解を招く歴史観であることが指摘されている。藩閥政治がやったことのすべてが悪いわけではないが、今という危機的な世界状況の中で、家業政治家だけは退いてもらいたい。その先鞭を平岡氏につけてもらいたいのである。
 よって、筆者は平岡秀夫氏を応援する。
 

[2023/03/13]
生命倫理と政治



 赤林朗東大教授の退官記念最終講義を聴く機会を得た。赤林先生は、2020年、Bioethics Across the Grobeと題する生命倫理の著作をSpringer Nature出版からオープンアクセスでweb上出版されている。既に世界中で2万件以上のアクセスがあると言う。
 筆者はこの著作にいたく感銘を受けたが、赤林先生が英語で書かれたのは、世界中の研究者や施政者等に、生命倫理は一筋縄ではではない、背後の文化に左右されることを伝えようとしたのである。生命倫理も欧米文化の一翼を担うが、欧米文化の一部とみなされる日本において必ずしも欧米と同一軌道にないことを明確にしている。
 先生自身が、欧米のように早く臓器移植が当たり前になってほしいと考えながら、赤ちゃんに自分の肝臓を移植した母親の死亡に動揺したこと、米国のホスピス医が、患者に真実を伝えることを旨としながら、24時間後に死ぬことを伝えられなかった事実を明らかにしながら、人間の感情は根底では共通したものがあり、しかし、社会的な制度に移行した場合には大きな違いが表れることを語るエピソードである。
 個人情報であることから公表されていないが、死者の意思が臓器移植賛成でも家族によって断られたケースは日本において非常に多いという。先生はそのことを、日本は、生と死の境界があいまいな死生観あるいは宗教的観念を持っているからだと説明する。臓器移植法が立法されるときでも「脳死は完全は死ではない」と結論された。ならば、なぜ死んでもいない者の臓器を移植できるのかという疑問がわく。
 脳死を死と定義し、死後は神の元に帰るキリスト教社会では、生と死は明快に境界がある。神の元に渡った魂の亡骸は、人間社会に役立ててよいのだ。儒教、仏教、神道の入り混じった日本では、絶対神による生と死の境界が引かれていなかった。曖昧さの日本は、生命倫理に立ちはだかった。それは、大江健三郎が川端康成の「曖昧さの美学」を批判し、欧米的合理性を追求すべきと論じたことにつながる、と赤林先生は言う。
 同様に、欧米では、受精卵は既に「生命」であり、だからこそ、アメリカの大統領選挙でも中絶賛成派と反対派が争うことになるのだが、日本では、「受精卵は生命の芽」であるとした。生命そのものではない、生命となりうるものであり、生命ほどの重みはないとの解釈である。だから、日本では、中絶は比較的自由に行われている。戦後の優生保護法の立法に伴い、既に子供のいる既婚者が進んで中絶をした。現在でも、望まぬ妊娠は時期さえ間違えなければ中絶できる。日本の曖昧さが、良くも悪くも、戦後のベビーブームを中断したのは歴史的事実である。
 赤林先生は、生命倫理から敷衍して日本社会を語った。白鳳がかつてレフリー(行司)に土俵下でクレームをつけたのは「横綱の風格を汚す」としてすぐさま取り下げざるを得なくなった。欧米では、スポーツマンがレフリーにクレームをつけるのは当然の権利だ。日本の対応は理解されなかった。風格という曖昧なものによって世界のスポーツルールをも変えてしまう。
 今、ロシア侵攻、コロナ禍、世界の経済回復競争の中において、日本は曖昧でシロクロをつけられない立場を通してきた。ロシア・ウクライナは、米国がつけたシロクロに盲従し、コロナはずるずると2類相当の重篤な疾病として世界に稀な対応を続け、経済回復はお隣中国次第になっている。
 言うまでもない、日本の政治の曖昧さが全ての禍をもたらしている。公文書での証拠が厳然として存在しているのに、元総務大臣のクビも取れない野党も曖昧さの責任を負う。施政者は、生命倫理を学習し、政治の曖昧さを払拭する働きをしてみせよ。日本の没落を食い止めるために。
 
 

[2023/02/17]
ジリ貧日本の処方箋



 日本が一人当たりGDP、経済成長率、賃金水準において「先進国最低」であることは、最近になって、すっかり社会に定着した。かつて、欧米もアジア諸国も「なぜ日本は繁栄したのか」「日本の脅威」を声高に叫び、日本は喜んでマスコミの風潮を受け入れていた。
 しかし、日本は負け始めると、なかなか負けを認めないできた。特にアジアの世界で負けを認めることは嫌った。中国が2010年、世界第二の経済大国になったとき、「いつの間にか抜かれた」と反応し、2018年、韓国の賃金水準が日本を抜いたとき「韓国経済は内容を伴わない」とうそぶいてきた。だが、その事実は、継続し、日本は次にどのアジアの国に抜かれるかという状況にある。
 今更の感はあるが、数字で、日本経済の経緯を見よう。56~73年の高度経済成長期の成長率は9.1%、74~90年の安定成長期は4.2%、バブル崩壊後の91~21年は0.7%である。安倍元首相の死去、黒田日銀総裁の引退は、「アベノミクス失敗」の論調を強化しているが、「日韓関係のあるべき姿」の編著者クック・ジュンホ横浜市立大教授によれば、具体的に「経済政策の誤謬と民間の萎縮」が原因という。
 筆者は、これに、政治の貧困と人口政策の不在を加えたい。バブル崩壊以降の先送り、借金政治を作ってきたのは、志の低い世襲政治家たちだ。学問も社会経験も過小なばかりか、選挙だけで人生を送ってきた輩が経済社会のかじ取りをすることは不可能だった。
 高い経済成長は人口ボーナス時期に重なる。日本は世界に先駆けて、団塊世代を中心とする人口ボーナス期を終えた。ちなみに韓国の高度経済成長期は朴正熙大統領就任の63年から97年であり(日本は56~73年)、ベビーブームは朝鮮戦争後の55年から63年(日本は47~49年)で日本よりはるかに長かった。今、韓国がさまざまの数値で日本を抜くのは、当然なのである。文在寅前大統領が日本に対し、強気の姿勢になったのは経済の強みを感じたからである。73年、日本の高度経済成長期の最後の年では、韓国は日本のGDPの十分の一に過ぎなかったころとは比較にならない。
 それでも、日本は韓国の人口の2倍あり、生産性で負けるドイツの1.5倍もある。だから、GDPそのものはこの2国よりも上だ。アジアの国々に負けることを認めたくない日本、一国の人口の少ない欧州に勝ち続けたい日本がやるべきは、30年間の人口政策の失敗をやり直すことだ。アベノミクスの失敗は植田新総裁が是正を図るとしても、人口政策の失敗の是正はまさに総理大臣の仕事だろう。
 政治改革と人口問題への取り組みが必至だ。

[2023/01/27]
反対できない改革から始めよ



 岸田首相は「哀れ」である。良識派のジェントルマンとして登場したはずが、党内保守派追随と朝令暮改に明け暮れた。政策のまずさは、一般にも分るレベルだ。「異次元の」少子化対策は笑止千万である。従来の枠組みの中で金額をいかにするかだけの一次元対策である。
 もう奇をてらうことはない。岸田首相は新しいこと、ダイナミックなことは裏目に出る「地味な政治家」なのだから、むしろ、誰も反対できない長年の懸案から改革に着手し、支持率回復を狙うべきだ。
 誰も反対しない、否、正確に言えば国会議員以外は誰も反対しない改革とは、国会議員の定数削減である。立法するのは国会議員だから、従来実現できない改革だった。      
 しかし、妙手がある。参議院改革から始めるのである。参議院の定数を250から100に落とし、学識と職種に重点を置いて政党色を払拭し、良識の府にもどす。残り150の政党政治派参議院議員は衆議院の比例代表単独に移ればよい。同時に衆議院選挙における比例復活を止める。
 この手だと、数を減らすが候補者を減らすことはない。反対するのは自信の無い国会議員だけだ。何よりも、目先の社会問題と予算審議にだけ明け暮れる衆議院に対し、参議院は、人口や教育など長期的な課題、決算に重点を置いた議論を請け負い、政治家・官僚の地盤沈下を食い止める存在にするのである。
 防衛力強化も、異次元少子化対策も、新しい資本主義も、内容が粗末すぎて、反対が多く、最終的には、泰山鳴動して鼠一匹の結果が見えている。先ずは、国会改革から始めよ。政策を作れる集団をつくれ。カリスマにはなりえない岸田首相、足元を固めよ。

[2023/01/13]
Z世代の成人式



 此度全国で行われた「成人式」は、多くの自治体が20歳の集いと名を打って、昨年施行された18歳の成人にこだわらなかった。コロナで成人式が行われていなかったこともあるが、「18歳は高校生で子供」の感覚が強いからだと思われる。選挙権と婚姻の自由を18歳に与えるのは賛成だが、高校進学がほぼ百パーセントの日本では、高校生を大人扱いしにくい。
 成人の日に当たって20歳代の調査が報道されたが、その一つによると父親を尊敬する人は7割強、母親は9割近くだそうだ。。これは、聞き方が間違っているのであって、尊敬ではなく感謝と置き換えるべきであろう。親に感謝する数字としてみれば、日本は健全だと思われるが、若き日に、尊敬する人、換言すればロールモデルが親であっては、夢が小さすぎる。
 Z世代の親は70年代生まれの団塊ジュニアが多いだろう。団塊ジュニアは、青春から今日までバブルがはじけた後の下り坂日本を経験してきた。その中で、Z世代は、子供と家庭に尽くしてくれた親の姿を健気に「尊敬する」と答えたのだが、社会を反映してか、大きな希望を持つことは叶わないと考えているようだ。
 Z世代は「親ガチャ」を唱える世代でもある。親の遺伝子や経済状況によって自分の人生は決まってしまう。だから、努力は無駄だとの考えにつながりやすい。親の所得が高ければ、受検勉強に金を使い、いい大学、いい就職が可能で、いい人生が待っていると思いがちだ。恵まれた人々を上級国民と呼び、自分を卑下する。
 社会に足を踏み出せば、一流大学出が必ずしも成功していないこと、親に反抗して学歴を持たなかった豊かな家庭出身の若者がごまんといることを知るであろう。一例では、数年前に引きこもりの息子を殺した事務次官経験者も世の中には存在する。
 親ガチャの一類型に親リッチ(宮本弘之の著書参照)がある。一億円以上の金融資産を持つ親の子供たちについて分析がされている。ここでは、親の職業は、中小企業の経営者、開業医、不動産業者の3つだけについて書かれているが、公務員でも、天下り数回経験者や、近年では福祉施設経営者の親リッチも多い。
 親リッチは、確かに、多くの習い事や小学校からの私立教育、留学、ブランドグッズの所有などの経験に恵まれているが、必ずしも社会のリーダーにはならない。枠のはめられた人生であることが多い。医学部に行けなかった開業医の息子は家族から疎んじられるし、エスカレーター式の私立教育で、本当にやりたいことを見出せずに漫然と文系大学に進む子供が多い。留学も単位が取れずに帰国する。だとすれば、恵まれた親ガチャも大きな夢を抱くことが許されていないのは同じではないか。
 若者よ、水平にものを見て、同世代との比較ばかりするな。垂直にものを見て、あなた方に夢を持たせる社会を作れなかった上の世代を呪え。成田悠輔が言うように、若者のために高齢者は集団自決(ただし、社会的自決を言う)すべきだ。若者の労働の上に立っていつまでも役職にしがみついて座り続ける中高年齢者を若者は反乱を起こしてつまみ出せ。
 若者が夢を持ち、中高齢者が組織に居座らずに自立して食い扶持を稼ぎ、その結果、社会に新たな価値をもたらす社会を目指すべきだ。Z世代の成人に送るべきメッセージはこれだ。
 

[2023/01/01]
謹賀新年



 混迷の世界情勢、ジリ貧の日本経済の渦中で、右翼の退去、左翼の崩落が明確になってきました。
 昨年は安倍元首相暗殺を機会に150年余の長州足軽政治の終焉を観測し、ネポティズム(縁故主義)の政治に変化が予想されます。今度は、80年近くの米国支配を緩める政治に期待がかかります。
 今の政権には難しい課題だが、それでも今年は政治の動きに目を離せない年になりましょう。在野から彗星の如くスターが現れるかもしれません。皆様に、より良き日々が待っていることを祈ってやみません。

2023年 元旦

[2022/12/19]
我々は森でなく木だけ見ているのか



 世界が中国と日本を取り残してパンデミックを終わらそうとしている今、課題はインフレ抑え込みと経済回復、気候変動の二つである。
 気候変動はトランプの退場もあって、科学者たちの一致した叫びが地球温暖化阻止のさまざまの政策へと導いている。しかし、今も地質学者は、6億年前から現在までの顕生代を通じて見れば、一貫して現在よりも温暖で二酸化炭素濃度は高かったと言う。最近1万年は、温暖で安定した気候にあり、その間に人類が高度な文明を築いた。例外的に幸運の時期にあったのだ。
 その気候は変動するのが自然であり、今後数百年から数千年の間には、間氷期が終わって氷河期に戻ると考えられる。温暖化は解消する。地球の大気の組成は、地球の構成要素と太陽系の環境によって決められているので、果たして産業革命後の人類の活動が二酸化炭素を増やし、温暖化を導いたと言えるのかは疑問である。
 勿論、地質学者の声はかき消されている。何百年何千年後に真実が分るものに対して政策が取り合うことはない。だが、神の目から見れば、木を見て森を見ずなのかもしれない。
 概して政策は刹那的な側面からつくられることが多い。ロシアや中国や北朝鮮の存在から防衛費の増大が決められる。人口は江戸初期と明治時代に増加し、既に戦争前から緩やかに減少を始め、団塊世代、団塊ジュニア世代を除けば、大きな増加要因は見当たらない。江戸時代の未婚率は半数にも及び、結婚しない・できないだけが現代の人口減少の理由でもない。よって、結婚させるための政策は大局を外している。
 核家族、ふたりっ子の「標準家庭」は戦後できた文化であって、歴史上稀な社会を実現させたのである。その文化が壊れると困るのは多分にノスタルジアからくるのかもしれない。程よい気候で文明を発達させた1万年の歴史を失いたくないのも、人類の勝手なノスタルジアだろう。
 ならば、何もしなくてよいと言うのか、と無知蒙昧の政治家たちが眉を釣りあげて、愚策を一杯並べ、その効果を根拠なく口だけで説明しようとする。じゃあ、アンタがた、コロナ対策は成功したのか。インドは一時期日に百万人の感染者を出したが、ワクチンも何も間に合わず放っておいたら集団免疫ができて、克服してしまった。
 少なくも、政策とは木を見て森を見ずの可能性が高いことを知りつつ、常により大局の観点を採り入れながら作るべきだ。それでも、神は、あるいは宇宙から見れば、人間どもの愚挙を笑っていることだろう。

[2022/12/12]
赤ずきんちゃん(岸田総理)、気を付けて



 防衛費のために増税すると言う。岸田総理は、安倍国葬の後、安倍の背後霊にとりつかれて止まぬ。与党内の総理いじめは赤ずきんを被ってやり過ごそうとしている。赤ずきんとは安倍頭巾のことだ。赤ずきんちゃん、道草しているとオオカミが先回りして、大好きなお婆ちゃんに化け、お前を食べようと待っているよ。
 「赤ずきんちゃん・・」は庄司薫が書いた1969年の小説だ。右でもない、左でもない、自分と社会が分らない青年が、東大紛争のあおりで東大受験ができなくなったのをきっかけに大学受験を辞めるというストーリーだ。大学紛争を尻目に、受験しなければならないから受験する、食っていかねばならないから就職するくらいの選択肢しかない当時のフツーの若者を描いたものだ。
 しかし、一国の総理は頭巾をかぶって道草をしている場合ではない。日本はオオカミに食われるかもしれないのだ。政治カオス、令和恐慌、第三次世界大戦・・・何でもあれのオオカミが家で待っている。
 まずは防衛論を掘り下げてから財源を考えよ。あなたのやっていることは、民主党の野田元総理がやったことと全く同じだ。とにかく消費税増税が必要だと党内外の議論は打ち切り、ひたすら財務省の指示にしたがって国会解散をしたのが野田だ。その後、日本経済はますます蝕まれ、外交では、ますます米国追従になった。安倍さんはアベノミクスの失敗の責任を問われないで済む。
 統一教会問題の解決を自身の起死回生につなげようとするなら、同時に、創価学会も追求せよ。宗教とは、神(や仏)そのものではなく、神(や仏)を利用する観念である(加藤隆千葉大名誉教授)。身内を擁護しようと頭巾をかぶるから、結局は誰からも信頼されない総理となる。
 早くコロナをインフルエンザ並みの5類疾病に下げよ。コロナを扱う民間病院が少ないから医療逼迫していたのに、その結果は、赤字の多かった国公立の経営が回復した。軽症の患者にも不必要なまでに薬を処方したのではないか。もういいじゃないか。保健所は面倒くさそうに数多い新規患者と電話連絡する。同じ会話ばかりなので知識水準も上がらない。経済回復が世界に遅れて、それでも頭巾をかぶったままなのか、総理。
 野党がお粗末なのをいいことに、自民党内は世襲だらけで人材がいないのをいいことに、総理、あなたは、いつまでずきんを被っているのか。
 赤ずきんちゃん、気を付けて! 日本がオオカミに食われる!

[2022/11/25]
「西洋事情」離れ



 幕末、福沢諭吉が書いた「西洋事情」は今風に言えばベストセラーだった。欧米文化を見聞きしたリアリティが書かれている。明治以降、お雇い外国人によって学問が、鹿鳴館時代には西洋文化が、西洋の列強に仲間入りしたい日本の治世にとって必須になった。
 時代下って戦後のアメリカ統治支配によって、制度や文化は著しくアメリカ流になった。その戦後の第二波とも言えるのが、中曽根レーガン時代に始まり小泉政権でピークを迎えたアメリカによる日本支配の強要だ。経済社会はアメリカ流を以て最も近代的とされ、市場原理が制度に仕組まれた。金融ビッグバン然り、外資の参入然り、果ては、固有であるべき社会保障の分野も、福祉の措置制度(行政処分)から契約制度への変換に至った。
 アメリカは世界一強の立場が危うくなると、トランプ・バイデン両大統領共に安全保障における日本の役割強化を望むようになった。安倍首相はトランプによく応え、日米の集団安全保障を実現する道を開き、岸田首相は、日本の防衛費二倍を目指す。これらはあたかも日本が自発的に必要性を認めて施政に持ち込まれたようになっている。
 開き直れば、それは時々の政府の方針だから、いいと言えばいい。ただ、制度の背後にある独自の価値と文化は日本国民をして戸惑わせる結果をまねく。ロシア・ウクライナ戦争は民主主義陣営対専制主義陣営と報道されるが、ならば、なぜASEANもアフリカもイスラム圏も民主主義に与しないのか。「西洋」から来た民主主義には昨今、疑問が付されている。
 前回この欄で紹介したジェンダーやLGBTQもWeirdつまり「西洋」から来たものだが、日本ではジェンダーギャップは治まらず、LGBTQは西洋のような理解は進まない。それが先進性を表す指標だと言われても、底辺を流れる価値や文化が邪魔をするのだ。
 前提が長くなったが、今回の執筆の意図は、WEBでオープンアクセスできる赤林朗東大大学院教授の「Bioethics across the globe」(世界をめぐる生命倫理学)を紹介したかったのである。筆者が近年読んだ本の中でも最も感動した本の一つである。先生は、人間の尊厳と人権をベースにした欧米のモラル(特にそれをリードするアメリカのモラル)は必ずしも日本特有のモラルに当てはまらないと説く。
 97年に議員立法でできた臓器移植法は今日に至っても欧米のような移植に関する医学的医療的発展を望めない。臓器移植やターミナルケアの決定において、日本は家族アプローチをとる国であり、アメリカでは個人が決める孫、親友、医療者など第一人者アプローチが望まれる。日本では個人の自主性が低く、家族関係が良くない場合には判断に齟齬が起きる。
 赤林先生は川端康成を引用して日本人の曖昧さを指摘し、受精卵については「生命」であるかどうかが欧米での問題であるのに対し、日本は「生命の芽」という表現で、議論をそらしたと言う。同時に、アメリカでは大問題であり政治も左右する中絶については、日本は受精卵の扱いよりも淡白である。この曖昧さは日本独自のものである。
 医療の類似で多くの議論も先生は提示し、かつて白鵬が行司の差配に抗議した例を引いて、テニスなど欧米のスポーツでは審判に抗議できるのに、「国技」の文化はそれを許さなかったことを示した。ドナルド・キーンは日本人の従順さに警告し「もっと政府を批判せよ」と叫び、「五体満足」に大きな価値を置いて障害やLGBTQなどに想像たくましくする発想がないことを先生は指摘する。
 日本人は村社会を作っているわけだが、その価値と文化は変りようがない。いいとか悪いとかいう問題ではなく、世界のスタンダード、とりわけ生命倫理の基準を考える時には、日本文化を包摂する必要があり、むやみの「西洋事情」採択に警鐘を鳴らすのが、先生の著作である。
 日本はガラパゴス島であり、結果平等の国でもあり、これからの医療の中心になると言われるプレシジョンメディシン(精密医療)では、認可されていない医薬品の使用も含め、患者の自主性を求められる時に、対応できない社会なのではないか。赤林先生は危惧するのではなく、政治家の手におえない生命倫理を社会で議論すべきと訴えておられる。
 「西洋事情」は、日本だけでなく世界のあらゆるところで離れていく人々を見かける時代の到来である。
 
 



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