元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2023/02/17]
ジリ貧日本の処方箋



 日本が一人当たりGDP、経済成長率、賃金水準において「先進国最低」であることは、最近になって、すっかり社会に定着した。かつて、欧米もアジア諸国も「なぜ日本は繁栄したのか」「日本の脅威」を声高に叫び、日本は喜んでマスコミの風潮を受け入れていた。
 しかし、日本は負け始めると、なかなか負けを認めないできた。特にアジアの世界で負けを認めることは嫌った。中国が2010年、世界第二の経済大国になったとき、「いつの間にか抜かれた」と反応し、2018年、韓国の賃金水準が日本を抜いたとき「韓国経済は内容を伴わない」とうそぶいてきた。だが、その事実は、継続し、日本は次にどのアジアの国に抜かれるかという状況にある。
 今更の感はあるが、数字で、日本経済の経緯を見よう。56~73年の高度経済成長期の成長率は9.1%、74~90年の安定成長期は4.2%、バブル崩壊後の91~21年は0.7%である。安倍元首相の死去、黒田日銀総裁の引退は、「アベノミクス失敗」の論調を強化しているが、「日韓関係のあるべき姿」の編著者クック・ジュンホ横浜市立大教授によれば、具体的に「経済政策の誤謬と民間の萎縮」が原因という。
 筆者は、これに、政治の貧困と人口政策の不在を加えたい。バブル崩壊以降の先送り、借金政治を作ってきたのは、志の低い世襲政治家たちだ。学問も社会経験も過小なばかりか、選挙だけで人生を送ってきた輩が経済社会のかじ取りをすることは不可能だった。
 高い経済成長は人口ボーナス時期に重なる。日本は世界に先駆けて、団塊世代を中心とする人口ボーナス期を終えた。ちなみに韓国の高度経済成長期は朴正熙大統領就任の63年から97年であり(日本は56~73年)、ベビーブームは朝鮮戦争後の55年から63年(日本は47~49年)で日本よりはるかに長かった。今、韓国がさまざまの数値で日本を抜くのは、当然なのである。文在寅前大統領が日本に対し、強気の姿勢になったのは経済の強みを感じたからである。73年、日本の高度経済成長期の最後の年では、韓国は日本のGDPの十分の一に過ぎなかったころとは比較にならない。
 それでも、日本は韓国の人口の2倍あり、生産性で負けるドイツの1.5倍もある。だから、GDPそのものはこの2国よりも上だ。アジアの国々に負けることを認めたくない日本、一国の人口の少ない欧州に勝ち続けたい日本がやるべきは、30年間の人口政策の失敗をやり直すことだ。アベノミクスの失敗は植田新総裁が是正を図るとしても、人口政策の失敗の是正はまさに総理大臣の仕事だろう。
 政治改革と人口問題への取り組みが必至だ。

[2023/01/27]
反対できない改革から始めよ



 岸田首相は「哀れ」である。良識派のジェントルマンとして登場したはずが、党内保守派追随と朝令暮改に明け暮れた。政策のまずさは、一般にも分るレベルだ。「異次元の」少子化対策は笑止千万である。従来の枠組みの中で金額をいかにするかだけの一次元対策である。
 もう奇をてらうことはない。岸田首相は新しいこと、ダイナミックなことは裏目に出る「地味な政治家」なのだから、むしろ、誰も反対できない長年の懸案から改革に着手し、支持率回復を狙うべきだ。
 誰も反対しない、否、正確に言えば国会議員以外は誰も反対しない改革とは、国会議員の定数削減である。立法するのは国会議員だから、従来実現できない改革だった。      
 しかし、妙手がある。参議院改革から始めるのである。参議院の定数を250から100に落とし、学識と職種に重点を置いて政党色を払拭し、良識の府にもどす。残り150の政党政治派参議院議員は衆議院の比例代表単独に移ればよい。同時に衆議院選挙における比例復活を止める。
 この手だと、数を減らすが候補者を減らすことはない。反対するのは自信の無い国会議員だけだ。何よりも、目先の社会問題と予算審議にだけ明け暮れる衆議院に対し、参議院は、人口や教育など長期的な課題、決算に重点を置いた議論を請け負い、政治家・官僚の地盤沈下を食い止める存在にするのである。
 防衛力強化も、異次元少子化対策も、新しい資本主義も、内容が粗末すぎて、反対が多く、最終的には、泰山鳴動して鼠一匹の結果が見えている。先ずは、国会改革から始めよ。政策を作れる集団をつくれ。カリスマにはなりえない岸田首相、足元を固めよ。

[2023/01/13]
Z世代の成人式



 此度全国で行われた「成人式」は、多くの自治体が20歳の集いと名を打って、昨年施行された18歳の成人にこだわらなかった。コロナで成人式が行われていなかったこともあるが、「18歳は高校生で子供」の感覚が強いからだと思われる。選挙権と婚姻の自由を18歳に与えるのは賛成だが、高校進学がほぼ百パーセントの日本では、高校生を大人扱いしにくい。
 成人の日に当たって20歳代の調査が報道されたが、その一つによると父親を尊敬する人は7割強、母親は9割近くだそうだ。。これは、聞き方が間違っているのであって、尊敬ではなく感謝と置き換えるべきであろう。親に感謝する数字としてみれば、日本は健全だと思われるが、若き日に、尊敬する人、換言すればロールモデルが親であっては、夢が小さすぎる。
 Z世代の親は70年代生まれの団塊ジュニアが多いだろう。団塊ジュニアは、青春から今日までバブルがはじけた後の下り坂日本を経験してきた。その中で、Z世代は、子供と家庭に尽くしてくれた親の姿を健気に「尊敬する」と答えたのだが、社会を反映してか、大きな希望を持つことは叶わないと考えているようだ。
 Z世代は「親ガチャ」を唱える世代でもある。親の遺伝子や経済状況によって自分の人生は決まってしまう。だから、努力は無駄だとの考えにつながりやすい。親の所得が高ければ、受検勉強に金を使い、いい大学、いい就職が可能で、いい人生が待っていると思いがちだ。恵まれた人々を上級国民と呼び、自分を卑下する。
 社会に足を踏み出せば、一流大学出が必ずしも成功していないこと、親に反抗して学歴を持たなかった豊かな家庭出身の若者がごまんといることを知るであろう。一例では、数年前に引きこもりの息子を殺した事務次官経験者も世の中には存在する。
 親ガチャの一類型に親リッチ(宮本弘之の著書参照)がある。一億円以上の金融資産を持つ親の子供たちについて分析がされている。ここでは、親の職業は、中小企業の経営者、開業医、不動産業者の3つだけについて書かれているが、公務員でも、天下り数回経験者や、近年では福祉施設経営者の親リッチも多い。
 親リッチは、確かに、多くの習い事や小学校からの私立教育、留学、ブランドグッズの所有などの経験に恵まれているが、必ずしも社会のリーダーにはならない。枠のはめられた人生であることが多い。医学部に行けなかった開業医の息子は家族から疎んじられるし、エスカレーター式の私立教育で、本当にやりたいことを見出せずに漫然と文系大学に進む子供が多い。留学も単位が取れずに帰国する。だとすれば、恵まれた親ガチャも大きな夢を抱くことが許されていないのは同じではないか。
 若者よ、水平にものを見て、同世代との比較ばかりするな。垂直にものを見て、あなた方に夢を持たせる社会を作れなかった上の世代を呪え。成田悠輔が言うように、若者のために高齢者は集団自決(ただし、社会的自決を言う)すべきだ。若者の労働の上に立っていつまでも役職にしがみついて座り続ける中高年齢者を若者は反乱を起こしてつまみ出せ。
 若者が夢を持ち、中高齢者が組織に居座らずに自立して食い扶持を稼ぎ、その結果、社会に新たな価値をもたらす社会を目指すべきだ。Z世代の成人に送るべきメッセージはこれだ。
 

[2023/01/01]
謹賀新年



 混迷の世界情勢、ジリ貧の日本経済の渦中で、右翼の退去、左翼の崩落が明確になってきました。
 昨年は安倍元首相暗殺を機会に150年余の長州足軽政治の終焉を観測し、ネポティズム(縁故主義)の政治に変化が予想されます。今度は、80年近くの米国支配を緩める政治に期待がかかります。
 今の政権には難しい課題だが、それでも今年は政治の動きに目を離せない年になりましょう。在野から彗星の如くスターが現れるかもしれません。皆様に、より良き日々が待っていることを祈ってやみません。

2023年 元旦

[2022/12/19]
我々は森でなく木だけ見ているのか



 世界が中国と日本を取り残してパンデミックを終わらそうとしている今、課題はインフレ抑え込みと経済回復、気候変動の二つである。
 気候変動はトランプの退場もあって、科学者たちの一致した叫びが地球温暖化阻止のさまざまの政策へと導いている。しかし、今も地質学者は、6億年前から現在までの顕生代を通じて見れば、一貫して現在よりも温暖で二酸化炭素濃度は高かったと言う。最近1万年は、温暖で安定した気候にあり、その間に人類が高度な文明を築いた。例外的に幸運の時期にあったのだ。
 その気候は変動するのが自然であり、今後数百年から数千年の間には、間氷期が終わって氷河期に戻ると考えられる。温暖化は解消する。地球の大気の組成は、地球の構成要素と太陽系の環境によって決められているので、果たして産業革命後の人類の活動が二酸化炭素を増やし、温暖化を導いたと言えるのかは疑問である。
 勿論、地質学者の声はかき消されている。何百年何千年後に真実が分るものに対して政策が取り合うことはない。だが、神の目から見れば、木を見て森を見ずなのかもしれない。
 概して政策は刹那的な側面からつくられることが多い。ロシアや中国や北朝鮮の存在から防衛費の増大が決められる。人口は江戸初期と明治時代に増加し、既に戦争前から緩やかに減少を始め、団塊世代、団塊ジュニア世代を除けば、大きな増加要因は見当たらない。江戸時代の未婚率は半数にも及び、結婚しない・できないだけが現代の人口減少の理由でもない。よって、結婚させるための政策は大局を外している。
 核家族、ふたりっ子の「標準家庭」は戦後できた文化であって、歴史上稀な社会を実現させたのである。その文化が壊れると困るのは多分にノスタルジアからくるのかもしれない。程よい気候で文明を発達させた1万年の歴史を失いたくないのも、人類の勝手なノスタルジアだろう。
 ならば、何もしなくてよいと言うのか、と無知蒙昧の政治家たちが眉を釣りあげて、愚策を一杯並べ、その効果を根拠なく口だけで説明しようとする。じゃあ、アンタがた、コロナ対策は成功したのか。インドは一時期日に百万人の感染者を出したが、ワクチンも何も間に合わず放っておいたら集団免疫ができて、克服してしまった。
 少なくも、政策とは木を見て森を見ずの可能性が高いことを知りつつ、常により大局の観点を採り入れながら作るべきだ。それでも、神は、あるいは宇宙から見れば、人間どもの愚挙を笑っていることだろう。

[2022/12/12]
赤ずきんちゃん(岸田総理)、気を付けて



 防衛費のために増税すると言う。岸田総理は、安倍国葬の後、安倍の背後霊にとりつかれて止まぬ。与党内の総理いじめは赤ずきんを被ってやり過ごそうとしている。赤ずきんとは安倍頭巾のことだ。赤ずきんちゃん、道草しているとオオカミが先回りして、大好きなお婆ちゃんに化け、お前を食べようと待っているよ。
 「赤ずきんちゃん・・」は庄司薫が書いた1969年の小説だ。右でもない、左でもない、自分と社会が分らない青年が、東大紛争のあおりで東大受験ができなくなったのをきっかけに大学受験を辞めるというストーリーだ。大学紛争を尻目に、受験しなければならないから受験する、食っていかねばならないから就職するくらいの選択肢しかない当時のフツーの若者を描いたものだ。
 しかし、一国の総理は頭巾をかぶって道草をしている場合ではない。日本はオオカミに食われるかもしれないのだ。政治カオス、令和恐慌、第三次世界大戦・・・何でもあれのオオカミが家で待っている。
 まずは防衛論を掘り下げてから財源を考えよ。あなたのやっていることは、民主党の野田元総理がやったことと全く同じだ。とにかく消費税増税が必要だと党内外の議論は打ち切り、ひたすら財務省の指示にしたがって国会解散をしたのが野田だ。その後、日本経済はますます蝕まれ、外交では、ますます米国追従になった。安倍さんはアベノミクスの失敗の責任を問われないで済む。
 統一教会問題の解決を自身の起死回生につなげようとするなら、同時に、創価学会も追求せよ。宗教とは、神(や仏)そのものではなく、神(や仏)を利用する観念である(加藤隆千葉大名誉教授)。身内を擁護しようと頭巾をかぶるから、結局は誰からも信頼されない総理となる。
 早くコロナをインフルエンザ並みの5類疾病に下げよ。コロナを扱う民間病院が少ないから医療逼迫していたのに、その結果は、赤字の多かった国公立の経営が回復した。軽症の患者にも不必要なまでに薬を処方したのではないか。もういいじゃないか。保健所は面倒くさそうに数多い新規患者と電話連絡する。同じ会話ばかりなので知識水準も上がらない。経済回復が世界に遅れて、それでも頭巾をかぶったままなのか、総理。
 野党がお粗末なのをいいことに、自民党内は世襲だらけで人材がいないのをいいことに、総理、あなたは、いつまでずきんを被っているのか。
 赤ずきんちゃん、気を付けて! 日本がオオカミに食われる!

[2022/11/25]
「西洋事情」離れ



 幕末、福沢諭吉が書いた「西洋事情」は今風に言えばベストセラーだった。欧米文化を見聞きしたリアリティが書かれている。明治以降、お雇い外国人によって学問が、鹿鳴館時代には西洋文化が、西洋の列強に仲間入りしたい日本の治世にとって必須になった。
 時代下って戦後のアメリカ統治支配によって、制度や文化は著しくアメリカ流になった。その戦後の第二波とも言えるのが、中曽根レーガン時代に始まり小泉政権でピークを迎えたアメリカによる日本支配の強要だ。経済社会はアメリカ流を以て最も近代的とされ、市場原理が制度に仕組まれた。金融ビッグバン然り、外資の参入然り、果ては、固有であるべき社会保障の分野も、福祉の措置制度(行政処分)から契約制度への変換に至った。
 アメリカは世界一強の立場が危うくなると、トランプ・バイデン両大統領共に安全保障における日本の役割強化を望むようになった。安倍首相はトランプによく応え、日米の集団安全保障を実現する道を開き、岸田首相は、日本の防衛費二倍を目指す。これらはあたかも日本が自発的に必要性を認めて施政に持ち込まれたようになっている。
 開き直れば、それは時々の政府の方針だから、いいと言えばいい。ただ、制度の背後にある独自の価値と文化は日本国民をして戸惑わせる結果をまねく。ロシア・ウクライナ戦争は民主主義陣営対専制主義陣営と報道されるが、ならば、なぜASEANもアフリカもイスラム圏も民主主義に与しないのか。「西洋」から来た民主主義には昨今、疑問が付されている。
 前回この欄で紹介したジェンダーやLGBTQもWeirdつまり「西洋」から来たものだが、日本ではジェンダーギャップは治まらず、LGBTQは西洋のような理解は進まない。それが先進性を表す指標だと言われても、底辺を流れる価値や文化が邪魔をするのだ。
 前提が長くなったが、今回の執筆の意図は、WEBでオープンアクセスできる赤林朗東大大学院教授の「Bioethics across the globe」(世界をめぐる生命倫理学)を紹介したかったのである。筆者が近年読んだ本の中でも最も感動した本の一つである。先生は、人間の尊厳と人権をベースにした欧米のモラル(特にそれをリードするアメリカのモラル)は必ずしも日本特有のモラルに当てはまらないと説く。
 97年に議員立法でできた臓器移植法は今日に至っても欧米のような移植に関する医学的医療的発展を望めない。臓器移植やターミナルケアの決定において、日本は家族アプローチをとる国であり、アメリカでは個人が決める孫、親友、医療者など第一人者アプローチが望まれる。日本では個人の自主性が低く、家族関係が良くない場合には判断に齟齬が起きる。
 赤林先生は川端康成を引用して日本人の曖昧さを指摘し、受精卵については「生命」であるかどうかが欧米での問題であるのに対し、日本は「生命の芽」という表現で、議論をそらしたと言う。同時に、アメリカでは大問題であり政治も左右する中絶については、日本は受精卵の扱いよりも淡白である。この曖昧さは日本独自のものである。
 医療の類似で多くの議論も先生は提示し、かつて白鵬が行司の差配に抗議した例を引いて、テニスなど欧米のスポーツでは審判に抗議できるのに、「国技」の文化はそれを許さなかったことを示した。ドナルド・キーンは日本人の従順さに警告し「もっと政府を批判せよ」と叫び、「五体満足」に大きな価値を置いて障害やLGBTQなどに想像たくましくする発想がないことを先生は指摘する。
 日本人は村社会を作っているわけだが、その価値と文化は変りようがない。いいとか悪いとかいう問題ではなく、世界のスタンダード、とりわけ生命倫理の基準を考える時には、日本文化を包摂する必要があり、むやみの「西洋事情」採択に警鐘を鳴らすのが、先生の著作である。
 日本はガラパゴス島であり、結果平等の国でもあり、これからの医療の中心になると言われるプレシジョンメディシン(精密医療)では、認可されていない医薬品の使用も含め、患者の自主性を求められる時に、対応できない社会なのではないか。赤林先生は危惧するのではなく、政治家の手におえない生命倫理を社会で議論すべきと訴えておられる。
 「西洋事情」は、日本だけでなく世界のあらゆるところで離れていく人々を見かける時代の到来である。
 
 

[2022/11/17]
父親の子育て文化



 北欧は日本のはるか先を行く。1980年、コペンハーゲンでは、ミンクのコートを着た老人が街を出歩き消費者の代表であることを裏付けていた(当時の年金は高かった)。2006年、ストックホルムの街でベビーカーを押して歩くのは殆どが男性だった。
 日本は、欧米型先進国になって久しいが、ジェンダーギャップは世界120位、男性の子育ては増えたとはいえ、どの調査を見ても、育児休業の取得率や家事分担率は極めて低い。これを嘆いても無駄だ。筆者は日本の男性の家事育児に関する認識は古来からの文化が作用していると思うからだ。
 遠藤利彦東大大学院教授のお話を聞く機会を得、先生は、欧米の「男性も家事育児に参加すべき」という考えはweirdと言われると教えてくださった。この言葉は筆者が若い頃米国留学中によく聞いた言葉で「変な奴」「変よ」という文脈で使われていた。しかし、この言葉の語源は「運命」から来ていて、そもそも運命をつかさどるという意味だった。シェイクスピアが使ったという。
 すなわち、男性の家事育児への関りは欧米文化の発想(運命)であって、いち早く先進国になった欧米文化を押し頂く国々としてはそれに追随することが当たり前とされているのである。現今、民主主義という欧米で発達した思想に疑問が抱かれているように、男性の家事育児参加が普遍的なものかと言えばそうではないことに気付く。
 日本は古来、通婚社会で母系社会であった。したがって父親不在は当たり前の社会が長かったのだ。父親に家事育児を期待しない文化を形成してきた。ただし、遠藤先生は、戦後の欧米流の核家族化と専業主婦の登場で、父親の家事育児の必要性が高まり、日本独自の文化に抗しても社会が要求するようになったと諭す。また、江戸時代の文献などからは今よりも父親の子育ては一般的だったとの反証も挙げ、高度経済成長が極端にまで父親不在を一般化したと語る。
 戦後の高度経済成長が作った徹底的な「男性不在の核家族」は、文化的背景にとらわれながら、男女共同参画も父親の子育て参加も抵抗し続け、おそらくは何十年経っても改善をみることはあるまい。むしろ、遠藤先生は、調査によれば、子育ての貢献度は、父親よりも、祖母、そして年長の子供の方が大きいと指摘する。
 遠藤先生の研究は我々の一般的感覚と一致する。政策に反映させるならば、「祖母を使え」「兄弟姉妹をつくれ」ということになろう。子供は母親とは別のこうした存在を個別に受け止め大事にするという。必ずしも母親が圧倒していてほかの存在が小さいのではない。言い換えれば、複数のアタッチメントを以て成長していく。
 兄弟姉妹の地位には保育士や学校教師も該当する。子供にとってケアギバーもアタッチメントの対象となり、成長を促す。それは、ともすれば父親の存在よりも大きい。父親が日本文化の殻を破れないのであれば、他のアタッチメントを増やせばいい。
 この議論はフェミニストから攻撃されやすいが、しかし、父親や祖父の役割は青春期に大きいと思われる。人生の選択、歴史の理解、社会規範などは大いに関われる内容である。生物界でも、ライオンは餌をとるのも子育てするのも皆メスで、オスは群れの覇権争いや外部からの攻撃に立ち向かう。
 今は亡き精神医学者の頼藤和寛が書いた本に「川に溺れた子供を、女性は自分の子なら助けるが、男性は他人の子でも助ける」とあった。女性は自分の子を守り、男性は種を守るのが宿命なのだという。フェミニストには腹立たしい議論かもしれないが、日本が欧米流weirdの基準に永遠に当てはまらないことは認めざるを得ない。
 

[2022/10/28]
岸田首相は戦う相手を間違っている



 支持率が下がり、答弁が迷走し、山際大臣の更迭が遅きに失し・・岸田首相はまるで手負いのオオカミのようだ。1993年、宏池会の先輩宮沢喜一元首相が自民党に裏切られ引きずり降ろされたように、岸田首相にも同じことが起こりうる。見識を問わず、どんぐりの背比べの中で首相を選ぶ自民党だからこそだ。
 岸田首相が起死回生するとすれば、むしろその自民党と戦うべきなのだ。安倍一強の自民党が永続するという誤解が、国葬を決意し、保守系をなだめる人事を行い、統一教会問題の泥沼にはまった。
 宏池会創設者の池田勇人のように、岸信介の実は嫌米・右翼政治を封じ込め、経済成長に全身全霊を捧げる政治をやるべきだ。補正予算29.1兆円は、目先の常套手段バラマキばかりが目立ち、大きな柱が見えてこない。さては、所得(投資)倍増も、新しい資本主義も捨てたか。
 岸田首相がやるべきは安倍政治の否定でなければならない。日本が経済成長できないことも、宗教問題も、すべて安倍政治の遺産であり、失政をすべて安倍元首相のせいにして出直すのだ。小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と言って、首相の座を勝ち取ったことを思い起こせ。
 フルシチョフがスターリンを批判したように、ケ小平が毛沢東を批判したように、高らかに安倍批判を叫び、現今の格差問題と将来人材のための高等教育改革に取り組むべきだ。世襲セレブで学問軽視の安倍政治ではできなかった課題だ。教育を除外したこども家庭庁など要らないから、代わりに老人庁をつくって、高齢者の多くを生産年齢人口側に取り込むこともすべきだ。
 なぜ新たな道を示さずに、相変わらずの小変政治にこだわるのか。なぜ新たな人材を内閣に送りこまず、党内保守系配慮に拘泥するのか。山際大臣も、実は山口大卒で長州政治のバリエーションではなかったか。
 岸田首相よ、安倍の背後霊と戦え。正面の国民は岸田辞めろとささやき、野党を代表して追悼演説した野田元首相は「本当は安倍さんのようになりたかった」を平明で演説上手を活かし訴えた。つまり、野党も安倍の背後霊と戦う力はなく、鼻声でより弱気存在に見えるあなたを代わりに消そうとしている。

[2022/10/07]
焦る岸田首相へ



 ようやく勝ち取った首相の座、そのあと衆議院選と参議院選に勝利を収めて勝者の政治を進めるつもりであった。その岸田首相に国葬と統一教会への対応に厳しい世論が向けられている。岸田首相の苦悩は息子を総理秘書官にしたことに現れている。バッシングを受ける中で、身近の人間を傍に置きたかったのだ。
 自己の後継者として選んだとも言えるが、一番の問題は、総理秘書官には他に4つの官僚ポストが用意されていて、岸田氏の息子は政務の秘書官としてその筆頭に立つ。官僚ポストは課長クラスで優秀な人材が当てられ、31歳で職業経験未熟な男が上に立つことはできない。彼は政治家とは異なり選挙も経ていない。
 総理秘書官は、内閣の参与や補佐官が一本釣りの総理助言者であるのに対し、組織的に官庁から上がって来る案件の処理を行う。いわば総理の代理である。任は重過ぎるはずだ。
 しかも、ネポティズム(縁故主義)は安倍元首相の代表する長州政治の伝統であり、これをあからさまに真似ることは、岸田首相が安倍継承を鮮明にしているようなものだ。国葬も安倍継承を表明するイベントだったのではないか。岸信介の後の首相となった池田勇人は岸政治と決別し、経済だけに邁進した。その池田が創設した宏池会を引き継いでいるのが岸田首相なのに、池田とは全く逆方向を取った。
 岸田首相も人の子、バッシングの中で歴史を見る目も自分に期待された役割をも見失い、身内に守られたかったのが本音であろう。その不安定さを表すかのように、現在作業中の総合経済政策は、職務給の推進やシリコンバレーへの研修など方法論の集まりであり、でかい柱は見えてこない。池田勇人が草葉の陰で泣いていることだろう。
 新しい資本主義を標榜するならば、人口構造の変革と近未来の労働を変える高等教育の変革に裏打ちされた経済政策を行わねばならない。小手先の、いかにも経産官僚的な「ショボいイノベーション政策」を数打っても、低迷した日本経済は立ち直れない。こちらは、一本釣りの参与や補佐官のアイディア寄せ集めではないのか。
 岸田総理、目覚めよ。角をたわめて牛を殺すことになりかねない。このままでは日本は死ぬ。人口と教育の政策を用いてこの国の構造を変える経済政策を出してほしい。そして、その前に、国会の赤じゅうたんを外してほしい。赤じゅうたんを踏んで、学問もないくせに「センセイ」と呼ばれて仕事をしない(できない)議員たちを放置してはならない。
 パパ活やセクハラが横行するモラル貧困の象徴は赤じゅうたんであり、これを撤去し、世の中を見てほしい。総理、あなた自身も「聞く力」ある庶民を装っていたが、今や総理自身が世の中がを見ていないことが明らかになった。自民党がそれでもまだ今の野党よりはましだと世の中が観ているうちに、岸田総理、目覚めてほしい。



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