元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト
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2012年総選挙の総括
1. 累々の屍
2. 小泉改革、政権交代、そして、二大政党制の死
3. 死因は分裂病
4. マニフェスト選挙の死
5. 消費税、TPP、原発の真相
6. 安倍政権を許すのか
7. 国会議員の条件
8. 民主党に残された道
9. 一番の課題は少子高齢社会
10. 私がやろうとしたこと 科学殖産興業
11. 私がやろうとしたこと 人口政策

第9章 一番の課題は少子高齢社会

 終戦後の1950年に生まれた私の子供のころの記憶は、やたらに子供は多いが年寄りは少ない情景ばかりだ。その頃、80歳を過ぎた年寄りに会えば、皆目を丸くして、「へー、長生きですね」と感嘆したものだ。その頃の80歳過ぎと言えば、江戸時代末の生まれだった。
 日本は、1970年に65歳以上人口が7%を超えて国連の定義する高齢化社会になり、1994年には、14%を超えて高齢社会になった。今は24%になって、世界一の超高齢社会だ。おまけに、1989年の合計特殊出生率1.57以来命名された「少子化」と合わせて、少子高齢社会と呼ばれるようになった。
 少子と高齢は比例関係にあると言ってもよい。高齢の指標である平均寿命が上がるのは、先ず第一番目に乳幼児死亡率が下がるからである。子供が死なないと知った時、人々は必要な数の子供を産む。戦前の日本や開発途上国では、乳幼児死亡率が高いので、子供を余計に産み、一定の数を確保する。医療や衛生水準が上がった先進国では、余計に子供を産まなくなるのである。したがって、出生率が減少することによって、相対的に高齢者が増え、高齢社会が必然的に生まれるのである。
 日本は、平均寿命、乳児死亡率ともに世界トップの水準である。戦後、経済発展とともに国民の栄養状態や衛生状態がよくなったのが何よりも寿命を伸ばす原因になった。加えて、アクセスのよい医療保険、イギリスから導入した保健所システムなどが功を奏した。
 平均寿命の伸びは、厚生労働省の機関である社会保障・人口問題研究所の予測をはるかに上回った。上位、中位、低位推計と3通りの指標を分析しつつ予測を立て、年金などの社会保障の将来設計には中位推計が当てられた。しかし、出生率の低下と平均余命の増加はとどまるところを知らず、そのことが社会保障制度の持続可能性を脅かした。
 今の社会保障制度は、1950年の総理の諮問機関である社会保障制度審議会の答申に基づき、社会保険制度を基礎として構築された。1961年には、農家、自営業者を含む全国民対象の国民皆年金・皆保険を実現させた。
 福祉と生活保護は狭い意味では社会保障制度とは別体系に扱われるが、仮にこれらも含めて社会保障制度とすると、戦争直後、生活困窮者救済の生活保護法、孤児・浮浪児救済の児童福祉法、傷痍軍人救済の身体障者福祉法の緊急を要する3法から始まり、やがて経済社会が上向くに従って、1960年代には、老人福祉法、母子福祉法、精神薄弱者福祉法(知的障害者)などテーマ別の福祉制度が出来上がっていった。ヨーロッパにあって日本にない制度の最後と言われたのが児童手当法であり、1971年に導入された。
 1973年、年金法の大改正が行われた。それまでの積み立て方式の年金から、世代間の扶養という考え方、つまり賦課方式に移行することになった。団塊の世代がすでに労働市場に組み込まれ、すそ野の大きい人口ピラミッドを前提にし、年金給付の大盤振る舞いの制度ができたのである。平均労働賃金の6割の給付水準や物価スライド制度が仕組まれた。
 この年、それまで東京都や他の地方公共団体が実施していた70歳以上老人医療無料化が施行された。1973年の厚生白書は、この年を福祉元年と名付けた。しかし、好事魔多し、である。この年、中東戦争の煽りで第一次石油危機が起きた。燃料ばかりでなく、物価は高騰し、流言飛語でトイレットペーパーの買い占めが起きるなど、大混乱が起きたのである。
 そして、日本の高度経済成長期は終わった。年金制度をはじめ社会保障制度が高度経済成長を前提に作られていたため、潤沢な保険料と税収が見込まれなくなった社会保障制度はどこかで破綻することを意味していた。特に1973年の年金制度改正と老人医療無料化は、結果的に大きな爆弾を作ったことになった。いつか爆発して制度がもたなくなる。
 問題は先に老人医療無料化から明らかになる。老人医療の無料化が始まってすぐに老人の患者はうなぎのぼりに増加した。病院が老人で占められるようになり、病院が老人のサロン化した現象を「A爺さんは、今日病気だから病院に来ないんだって」という笑話が流行した。
 制度は10年で廃止になる。1982年、老人保健法が成立し、低廉ではあるが、年寄りの自己負担が導入された。一方、年金の方は、団塊の世代をはじめ大きな生産年齢人口が保険料を納め続けたため、賦課方式とは言いつつ実質的に積立金が増大していった。団塊の世代の退職が近づくまでは、「何とかなっていた」ために、すぐに改正される動きはなかった。
 その間も、平均寿命が伸び、合計特殊出生率が下がり続けたが、「出生率はいつか回復する」という根拠のない期待で、年金制度の根幹を変える作業は先延ばしになっていた。また、同時に、1973年から大蔵省資金運用部に認められた年金積立金の自主運用制度によって、厚生省傘下の年金福祉事業団が巨大な積立金をグリーンピア事業なるリゾート地の開発などに投資するようになった。
 グリーンピア事業は、政治家の利権となり、選挙区に誘致するため、岩手県の山奥など誰も好んで行かない場所が選ばれるなどして、結果的にすべて赤字運営の失敗に終わった。保険料の無駄遣いが行われていたのである。しかし、日本は1980年代には、世界のスタグフレーション下で先進国中唯一勝ち残り、安定成長を続けていたため、まだ問題の深刻さは認識されていなかった。
 一方で、1980年代には、OECD諸国では年金制度や医療制度の財政破綻問題が論じられるようになった。日本も、他国と競うようにして、1986年、従来制度が職制によってばらばらであったのを、すべての人が共通の基礎年金制度に加入するように改正した。その上で、厚生年金や共済年金制度が上乗せされるが、自営業の場合は、基本的に基礎年金、即ち国民年金だけである。ただし、さらに上乗せの厚生年金基金にならって、自営業者は国民年金の上に国民年金基金の上乗せを選択できる。
 この改正は、同時に行った専業主婦の年金権確立とともに、高齢社会を控えての制度整備に重点があり、年金財政という観点からの改正とは必ずしも言えない。1991年3月から、バブル経済がはじけ、日本はその後今日迄の20年を超えるデフレ不況に突入していった。藻谷浩介氏は、この長期に渡るデフレ不況は経済政策や金融政策の問題よりも、人口構造に問題があると指摘している。 
 確かに、80年代の地価の異常な値上がりに対して、日銀が金融引き締めを行ったのがデフレの始まりだったとしても、内需が戻らないまま20年を過ぎたのは、日本の構造的な問題である人口オーナス(人口ボーナスの反対で生産年齢人口の減少)のせいであると藻谷氏は指摘し、誠に正しい。
 その意味では、アベノミクスはインフレをもたらし、金をジャブジャブに流通させてかつての日本の成功物語を夢見ているようだが、内需がそもそも「ない」かぎり、企業も投資しなければ、誰も物を買い漁らないということになり、ジャブジャブのお金は銀行で眠っているか、海外に投資先を求めていくかになってしまう。国の立て直しには本末転倒というべきだ。榊原英資氏はもっと明確に「デフレのどこが悪い、安いものが手に入る生活すべてが悪いわけではない」と言い切っている。
 つまり、人口構造上、内需を作り出せない社会になってしまった日本が過去の成功物語にしがみつくことは無駄なのだという指摘が正鵠を得ているにも拘らず、まだ国民を騙して「いやいや、まだ儲かる商売がありますよ」とインフレターゲットなどの禁じ手をちらつかせるのはもうやめた方がましということだ。同様に、人口構造を変えることができないならば、社会保障制度は、高齢者の給付を削るか、若い人に大きな負担を課すか、いずれかしかないということを早く悟るべきだったのだ。
 いつか出生率は回復するという根拠ない期待で人口予測の中位推計から低位
推計に切り替えをせず、社会保障制度の立て直しが遅れたのは政策決定者の怠
慢と言うべきだろう。早くから人口オーナスを意識し、社会保障制度改革を始めていれば、もう少しなだらかに給付と負担の関係を調整できたであろう。「伸びすぎた」平均寿命と「意外に回復しなかった」出生率のふたつは、政策決定者の指標の読み間違いだったと言える。
 いや、それ以前に、アベノミクスにも表れているように、日本は、「過去の成功物語」の夢から未だに醒めないのが原因だ。日本人の根性を以てすれば経済が成長しないはずはない、日本人は一時的に子供を産み控えているだけだ、という戦時中さながらの日本精神論がどこかに残っていないか。小泉改革を経てからは、さすがに若者の非正規雇用の増大が結婚を阻み、出生率の低迷につながっているとの理解が進んだが、1990年代には、まだ生産年齢人口の減少が始まっていなかったために、人口構造と社会保障制度の相関関係と危機感が今ほど認識されていなかった。
 団塊の世代の退職が2010年に迫り、ついに2004年の年金法の改正では、給付水準を下げ、保険料を段階的に引き上げていくことを決めた。それまでの単純な物価スライドに代わってマクロ経済スライドという高齢化や被保険者数などを考慮した指標を使って年金額を決定していく仕組みも導入された。
 本来ならば、5年ごとに年金の財政再計算器がめぐってくるので、2004年以降、新たな年金改正が行われていなければならない。しかし、政権交代があり、また、年金記録紛失問題、国民年金納付率の低下、社会保険庁の廃止などで、いまだ改正は行われていない。年金制度は国民の信頼を甚だしく損ねたが、いかなる場合でも制度成熟に40年かかるため、大きな改革はよほど慎重でなければならない。
 私は、最低保障年金と言う考えは反対である。年金はそもそも社会保険制度による所得保障制度であって扶助制度ではない。自己資本のない労働力を提供して人生を送ってきた人のための、働けなくなった時に備えて本人と事業者が積み立てていくのが本来の主旨である。リスク意識を前提に、本人と仲間が共助し合う制度である。
 憲法25条で保障する生存権は、国や地方公共団体が保障しなければならない義務なので、最低生活の保障は必要ならば財源は税金であるべきだ。つまり、最低保障とは公助の概念であり、共助の社会保険に課せられる問題ではない。年金で暮らせない人には、別途公助で補完する制度を作らねばならない。
 どのみち、財政問題を抱える年金制度だが、既得権を剥奪するような給付水準の引き下げなどを大々的に行うことはならない。それこそ財産権の侵害であり、我々の生きる資本主義社会の否定にもなる。むしろ、高齢者が消費税を負担することにより、基礎年金の半分は税財源であることから、自らの年金に貢献することとなるし、高額の年金を受け取っている人にはそれなりの課税制度があればいい。
 年金は小さな改善の積み重ねで良とし、老後の悪平等を追求するのではなく、現役時代と同様に、合理的な格差の是正を行っていくのが筋だ。
 それでは世代間の格差がなくならないという意見がある。前述の1973年の年金改正で世代間の扶養という考えを採用して40年経った。若い世代がこれほど激減するとは当時考えていなかったわけだが、逆に若い世代と高齢者の世代には大きな教育格差と生活環境格差がある。若い世代は、両親の世代、祖父母の世代よりも大きな教育投資がなされ、豊かさの享受もし、さらに、ほとんどが長男長女であるため、親から土地家屋を相続し大きな自己財産投資が不要である。
 年金だけではなく、生涯にわたって、公共部門、社会、私的関係から受けた便益と損失を積み上げると、実は若い世代が受け取った便益の方が大きいはずである。世代間格差とは生涯にわたるバランスシートを以て測らねばならないものだろう。むろん、ここに私がそのバランスシートを示していないので、抽象論になってしまうが、究極は、「お爺さんに比べて自分は損した」というような些末な議論に拘泥するよりも、時代によって享受できるものが違うという認識を持つべきと考える。
 スウェーデンのような人口950万の国では、1992年のエーデル改革のように、年金を積み立て方式に変え若い人に負担を背負わせないという大改革が可能だった。しかし、日本の1億2,700万人の利害調整はそう簡単にはできない。それに、大改革とは言えないが、世代間格差是正の改善の積み重ねはすでに行われている。たとえば、介護保険料を年金から天引きすることもその一つだ。
 若者対策としては、雇用の確実性、スタートラインの給料を高くするなど、消費を楽しみ、人生に夢を抱けるようにするのが一番ではないか。少子高齢社会は、人口構造の問題であって、現在の社会保障制度そのものが悪いのではない。平均寿命と出生率の動向をもう少し早く意識してなだらかに制度を修正してくればよかったのだが、世襲だらけの政権が長く続き、世襲人間の特技である先送りをしてきたことで、今になって事柄の重要性に驚いているだけだ。
 根本的に解決するなら、むしろ人口構造を自然のピラミッドに戻すことを考えた方がよい。つまり、出生率の回復を図ることだ。長期的には、それが一番いい解決方法である。ただし、最近の現象では、若者が異性に興味を持たない、結婚・家庭に夢を持たない、セックスレス夫婦が増加している、精子が少ない、不妊率が高い等生物的問題が多く指摘されるようになっている。非正規雇用が増えて結婚しにくい社会的理由が反映しているにすぎないと言えれば幸いだが、真相は不明だ。
 フランス、スウェーデン、イギリスなどは合計特殊出生率が人口置換率(一般的に2.08)に近いところにある。ドイツや南欧は日本と同じく1.3前後だ。近年では、韓国、台湾、シンガポールなどアジアの国の出生率の落ち込みも激しい。フランスやスウェーデンは子育て政策が発達しているから、人為的に出生率を上げることができたと考えてよい。ならば、日本も、生物的問題をはるかに超える子育て支援のラッシュで、出生率の回復を図ればいいだけではないか。
 さて、高齢者の方はどうか。膝が痛い、腰が痛い、と言いながらも、接骨院でマッサージを受け、畑の野菜作りに励む人は、異口同音に「いつお迎えに来てもいいよ」。勤労者の退職者は年金額がまずまずだから、夫婦二人のときは旅行に出掛けたり、それぞれの趣味で仲間と過ごしたりができる。一人になったときは孤独に苛まれる。
 足腰の痛みや孤独よりも問題なのが認知症になったときだ。家族は悩み、やがて、デイケアや施設の生活を選択するようになる。1963年に老人福祉法が出来たときには、老人ホームは基本的に生活保護対象の養護老人ホームが中心であったから、多くの人が施設ケアを求めるようになったのは、今の世代の老人からである。言うまでもなく、2000年に成立した介護保険法によって、サービス費用の一割が自己負担であること、サービスインフラの整備ができたことによる。
 しかし、医療機関から終のすみかの特別養護老ホームに移るのは、保育所の待機児童よりも難しいものになった。ひとつには、介護度が高いのが入居条件になるからである。そのために特養には胃瘻の入居者が多い。胃瘻により長く延命できるが、「食べる」喜びを失うことが引き換えになる。今、高齢者のQOLを考えるとき、この胃瘻と人工呼吸器は問題にされている。人工呼吸器も延命できるが、食べることも話すこともできなくなる。
 むろん、生命をどう考えるか、特に自分の生命をどうしたいかは、個人の問題として解決すべきものである。QOLは所詮人間が考え出した基準だから、どんな状況にあっても、生きるだけ生きたいという考えの人があってもおかしくはない。
 今の日本では、自然に生まれて自然に死ぬことが少なくなったのだ。子育て支援政策を徹底的にやらねば子供は生まれてこないし、9割の人間が病院で死ぬ現状は死期も変えられるということになる。人為に委ねられた人の生と死。ならばこそ、政策で人口構造をピラミッド型に近づけるのは政治に与えられた命題ではないか。





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