元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト
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大泉ひろ子物語

1953年(3歳)

 渋谷区初台の代々幡幼稚園の園児が小学校の運動会に特別参加しました。
 いつも洟(はな)を垂らしていましたが、おとなしい素直な子でした。


1971年(21歳)

 東京大学教養学部で国際関係論を専攻。開発途上国の経済発展や国際法の勉強に打ち込みました。当時、全国の大学を席巻した全共闘運動になじめず、早く社会に出ようと、研究者志望から公務員志望に変え、上級甲(経済)試験に合格。厚生省に内定した頃。


1975年(25歳)

 厚生省から米国ミシガン大学大学院に派遣され、行政学修士を修めました。アメリカの実践的な学問に惹かれ、同時に、女子学生の自立心の高さに大きな影響を受けました。


1983年(33歳)

 1歳になる前の息子を連れてユニセフのインド事務所計画評価官に赴任(厚生省から出向)。開発途上国の現実を知り、小さい息子との至福の時を過ごし、この頃から、将来は厚生省の枠を超えて政治に出ようと思い始めました。


1986年(36歳)

 インドから帰国後、「なぜ いま インドに」(雪華社)を処女出版。厚生省の先輩後輩に祝っていただきました。


1989年(36歳)

 厚生省大臣官房国際課対外経済対策室長として、MOSS協議(市場開放分野別協議)を担当。この頃は、対米交渉、対EC(欧州共同体)交渉のため、一年中海外を飛び回っていました。写真は交渉後のパーティー。


1995年(45歳)

 厚生省児童家庭局家庭福祉課長として、全国を駆け巡って行政説明。この頃は、管理職として最も働いた日々です。児童福祉法の改正準備に入っていました。


1998年(48歳)

 山口県副知事に赴任し、県下の高校生の訪問を受けているところ。地方行政の経験は、ますます私の政治への志を強くしていきました。


2000年(50歳)

 副知事として病院訪問。


2001年(51歳)

 副知事として女性団体の方々の集まりに参加。


2005年(55歳)

 山口県で2度の国政選挙に敗れ、日本を後にし、オーストラリア国立大学研究大学院で国際関係論修士を修めました。長い選挙運動で疲れた頭と心が異国の地で甦りました。
 このあと、母方先祖の地であり現在まで20年住む茨城県で、3度目の正直に挑むことにしました。






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