元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2021/06/10]
脱炭素は文明の終わり?



 松井孝典 千葉工業大学学長(東大名誉教授)のお話を聴く機会を得た。先生はNHKの科学番組を立ち上げた学者としても有名である。今般は、地球システム論と地球文明との関係がテーマである。先生のご専門は地球物理学であるから、簡単に言うと、地球物理から見た人間圏とは何かである。自然科学から見た人間の「仕業」を考えてみるといってもよい。甚だ魅力的な学問である。
 先生が例に挙げたのは、ツタンカーメンの埋蔵物である。例えばその剣は隕鉄を材料にし、つなぎにはカルシウムが使われている。地球の外から来た隕鉄の加工は、アナトリア地方に住むヒッタイトの技術によるものとみられる。エジプト時代に地球外からの飛来物を認識し、国と国の広い交流があったのだ。
 かくのごとく我々は、何千年前から人間圏を形作り、36億年前に地球に生命が、138億年前に宇宙が誕生し永遠に近い時間の果ての地球物理学上の存在なのである。イタリア人物理学者エンリコ・フェルミの有名な問いかけ「宇宙には地球と同じ生命を持つ存在がいるはずなのになぜ地球に現れないのだろう」は謎のままだ。他方で地球もどきの惑星はたくさんあって、火星や小惑星に行きだした我々人類は水の痕跡などを見つけては、宇宙人の存在に夢を馳せる。
 残念ながら、人間の文明はツタンカーメンの剣のごとく科学的説明のできるものもあるが、科学が文明を説明しつくすには程遠い。にもかかわらず、今日的に大きな課題が科学から、特に地球物理学から指摘されている。それは、地球温暖化である。二酸化炭素の削減が課題である。18世紀に蒸気機関を発明し産業革命が始まり、21世紀に車や飛行機が商業化し、文明の進化は二酸化炭素の排出によってもたらされたことは確かである。二酸化炭素の排出増加は、文明発達の条件だったのだ。今更脱炭素とはいかに?
 しかし、異常気象による災害や農業被害に見舞われ、人類は脱炭素の方向を選ぶ。具体的には、二酸化炭素の排出を国内総生産GDPの増大に必要不可欠としないことが要求される。即ちCO2とGDPのデカップリングが必要だ。では、どんな方法があるのか。 
 人口光合成を発明し、CO2を使って酸素を増やすという科学的解決があるだろう。単純に人口増加を食い止め、一人当たりの生産性向上に目標を変えるという解決もあるだろう。我々は非文明に戻ることはできないという視点から、もっと優れた方法は考えつかないだろうか。脱炭素だけを叫ぶのでは、我々の進化が望めないことも知るべきではないか。

[2021/05/07]
ポツダム宣言受諾せよ



 ワシントンポストが5月7日、東京五輪は開催すべきではない、IOCの利益のためにバッハ会長は日本の開催を煽るが、日本は乗るべきではないと警告をした。先月、ニューヨークタイムスも同様の発信をしている。
 アメリカの代表紙が日本に最後通牒を通告しているようなものだと真剣に受け止めねばならない。五輪を優先せんがために、今回の緊急事態宣言も短期で終わらそうとし、結果的に再延長するはめになった。日本の希望的観測は見事に外れたばかりか、かつての悪夢を蘇らせる。
 かつての悪夢とは、ポツダム宣言受託の遅れである。ソ連は既に対日参戦を決めていたにもかかわらず、ソ連の仲介を期待し、また国体護持が保障されなければ受託はまかりならぬと逡巡し続けたのである。結果は、二発の原爆を落とされることになった。無意味な遅れが大きすぎる犠牲を生んだ。
 新型コロナの第4波は眼前に存在している。五輪開催が日本の健康と経済回復を壊滅させるのは火を見るよりも明らかである。それどころか、国内のみならず世界にウィルスを飛び火させる可能性も大きく、気候変動と同様、世界における科学的取り組みの努力を空しくする可能性が大である。インドの惨状をテレビの画像を見て遠すぎる対岸の火事と見る知性の低さに、国際的批判も免れまい。
 世論は7割が開催反対であり、自民党の中でも反対の声を上げる者が出てきた。五輪担当大臣が都知事を公然と批判するような手法の幼さも看過できないし、国の大事を任すことはできない。何よりも、苦労人を喧伝するも学問をおろそかにする一国のリーダーは恐るべしだ。
 ポツダム宣言を受諾せよ。党内でこの動きをリードした者こそ、次のリーダーとなろう。

[2021/05/02]
日本の育児の失敗



 日本の少子社会を招いたのは、若者の非正規雇用増加による結婚難、教育費用が掛かりすぎる、核家族化で育児負担が大きい、が原因の多くを占め、語り尽くされていると言ってよい。
 しかし、もう一つ問題がある。育児哲学の揺らぎである。戦前と戦後では、育児哲学は大きく変化した。「末は博士か大臣か」「親孝行」「三歩退いて師を敬え」は既に存在しない哲学である。裏を返せば、「偉くならなくてもいいから大学は出ろ、老親を養う必要はない、モンスターペアレンツは先生よりエライ」ということになる。この戦後の育児哲学の揺らぎこそが今一つの少子化原因となる。育児が誰をも幸せにしないからである。
 育児哲学の変化は経済社会の自然の流れ以上に、人為的な原因があったし、今もある。その原因と状況を育児の問題点として四点、以下に述べる。
 その第一は、戦後のアメリカの占領政策に端を発する。アメリカをはじめとする連合国は日本を徹底的に潰すつもりであった。しかし、49年に中華人民共和国が建国され、ソ連の原爆実験が成功し、翌50年に朝鮮戦争がはじまると、にわかに占領政策は転換を余儀なくされた。日本はアジアにおける共産主義の防波堤となるように、憲法九条の戦争放棄をしり目に自衛隊の発足が決まった。
 ただし、占領政策が180度転換したのは安全保障の分野であって、社会政策や教育政策は当初の意図のまま日本の価値観を捨て去るように実施された。社会政策では、戦前人口増大を目標としていた日本を潰すべく、48年に優生保護法がGHQのバックアップで立法され、翌年改正して経済的理由で堕胎ができるようになると50年から出生率は劇的に落ちた。優生保護法なかりせば、日本は欧米と同様、ベビーブームが十年は続いた可能性が高く、たった三年で終わったことが今日の急激な少子社会をもたらした遠因になっている。
 教育政策については、六三三四制の導入で高等学校ナンバースクールを廃止し、その意味は日本の教養主義を消滅させたのである。当時の高等学校の学生が好んで歌った「デカンショ、デカンショで半年暮らす」はデカルト、カント、ショウペンハウエルの哲学書を読む、つまり教養を身に着けることを表したものである。現在の高等学校は後期中等教育であり、今となっては大学受験のためでしかなくなっている。大学は専門課程が実質二年と短く、戦前の帝大三年の教育には及ばない。子供たちに活力を与える高等教育はどこにあるのだろうか。
 初等中等教育は、デモクラシーを教える機関となった。親も教師もデモクラシーの意味は分からなかったが、旧来の価値を家庭では及び腰に教えることになり、学校教育とのダブルスタンダードで戦後教育は始まった。
 そのダブルスタンダードで育ったのが団塊世代を始めとする戦後世代であり、その曖昧な団塊世代の哲学で育ったのが団塊ジュニア以降の世代である。現在の親となるべき年代は団塊ジュニア以降になるが、結婚しない、子供を持つのに躊躇する、育児に積極的な希望を見出さない世代でもある。
 第二に、占領政策とは別であるが、戦後アメリカ的なものは価値が高いとの風潮により育児にもそれが現れた。スポック博士の育児書が象徴的であり、日本では、66年に翻訳出版され、育児の指南書としてベストセラーになった。児童中心主義を謳うこの本は、赤ちゃんの自立のために親子が別室で寝るべきこと、泣いても抱き癖が付くから抱かないことなどを説いた。日本古来の添い寝や抱っこのスキンシップを否定したのである。
 また、商業主義で行われたのであるが、日本人がアメリカ人に比べ体格が悪いのは牛乳を飲まないからだと喧伝され、母乳を離れ、牛乳育児が流行った。岡山大附属病院の山内逸郎先生等の努力により免疫力のある母乳主義に戻された。しかし、スポック博士の育児書同様、スキンシップに欠く育児がかなり長い期間行われたことは否めず、このような育児方法で育った世代が子供を持つことに積極的になれるかは検証すべきである。
 第三に、女性や育児の在り方について、フェミニズムの一部から旧価値を攻撃されることも影響がある。男女の差はない、男も女も平等に育児すべきというのは、生物学的にみると極論のように思われる。むしろ男にはできない女の育児という仕事に誇りが持てるような制度的仕掛けが必要である。仕事も育児も両方が大きな価値あることと社会全体が受け止めるべきと思う。
 第四に、この欄でも紹介したことがあるが、京大教授の明和政子先生によれば、社会人類学では、ヒトは、他の霊長類と異なり、共同養育するDNAを持つという。人間は極端に未熟児として生まれ、複数の養育者を必要とし、特にお婆ちゃんは育児経験者として閉経後も生き延びる理由がある。
 しかし、核家族化した社会に必ずしもおばあちゃんが卑近にいるわけではなく、ないものねだりになる。そこで、保育所という共同養育の機関があるのである。保育所は近年、働く母親のための経済社会的理由で存在しているとみている人が多いが、それ以上に、共同養育のために必要な機関でもある。また、子供は子供を求め、兄弟姉妹の少ない現在では、子供同士が早く出会える場なのである。保育所はあくまで家庭育児の補完機能であるが、この重要な役割を報酬などの点で強化していく必要がある。
 以上育児に関する四つの問題点を挙げたが、ただでさえコロナ禍で産み控えが起きている日本が、育児大国となって少子社会を克服できるかどうかは、政治や社会の考え方次第である。
 

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