元衆議院議員(茨城県第6区)[無所属]大泉ひろ子オフィシャルサイト -大泉ひろこの徒然草(つれづれぐさ)-
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日々雑感
[2022/05/10]
日本の財産を守る



 日本の2%に迫る物価上昇は、言うまでもなくロシア侵攻が引き起こしたエネルギー価格、穀物価格の上昇が連鎖した現象であり、日銀は「決していいインフレではないが、金融緩和政策は継続する」と明言している。ピークアウトに向かうコロナの政策から経済回復政策に舵を切った岸田政権は成功するか。
 現在、税収は上がり、円安状況の中で輸出産業に力点を置けば「日本回復」は望めないわけではないとの議論も出ている。元祖宏池会の池田勇人を信奉する岸田総理としては喜ぶべきなのかもしれない。
 だが、いかんせん、ウクライナ危機の長期化とインフレの進行は国民の生活を圧迫する要素であり、安閑としていられないはずである。この時点で、日本の財産とは何か、守るべきものは何かを点検する必要がある。ウクライナ危機については、単一民族かつ島国の日本が、錯綜したロシアやウクライナの歴史や民族感情を分かるはずはなく、隣接した欧州の思いや、アメリカの真の意図も計り知れない。
 日本は西側諸国の一員として、アメリカに追随し、軍事以外のロシア制裁に加担するのは良しとするしかあるまい。日本はそういう立場なのだから。しかし、改めて、日本が戦後77年間、西側に置かれてきた立場で手にした「財産」をこの機会に一つ一つ見直してみたい。
 先ず憲法。今年の憲法記念日は何事もなく過ぎたが、2015年の安保法制の議論で、既に憲法どうあるべきは決着がついたのであろうか。確かに安倍元首相のいつもの舌足らず癖は目立ったが、憲法学者が徒に難しくした集団安全保障は確認されたのであり、これは憲法制定当時の国連憲章などを参照し、法律というよりも政治的に内包された制度として受け止めざるを得ない。
 日本の輸入品財産の中、憲法は良質な輸入品であり、自力では作れない代物だったから、少なくも基本は大切にすべきである。他の輸入品である、民主主義はどうか。国際社会においては、立派に日本に根付いた価値と公言できるが、日本国内ではかなり変形されている。世襲政治がまかり通り、民主主議の方法論を利用した貴族政治に堕しているところは、不良な輸入品である。フィリピンでマルコスの息子が大統領になるのと変わらぬネポティズム(血族主義)が政治と政治の息がかかった大組織に厳然と存在している。
 同様に、輸入されたジェンダー論も一度も勢いづいたことがない。民主主義と同様に、上から与えられたウーマンリブを押し頂いた日本は、ジェンダーギャップ世界120位と先進国では考えられない位置にある。日本の女性はそもそも欧米の、あるいは開発途上国の女性の活躍を少しも羨ましいと思っていないのか。もともと自ら求めもせず、与えられたから、政府主導のジェンダーギャップ政策に乗ってきただけなのか。これも不良な輸入品である。LGBTQも然りである。日本の草の根から発した価値でないものは、大成しない。
 社会保障制度はドイツの社会保険制度を真似て発展してきたが、これは胸を張れる日本の財産だ。問題は、子供の保障はこれでいいかとの観点だ。大伴家持に言わしめた「勝れる宝、子にしかめやも」は、古来、日本が子供を大切にしてきた財産であることを語っている。その財産を産もうとしない民族になってしまったのは、政策の悪さが響いている。
 ウクライナ危機、知床の観光船事故、虐待で、最も心痛むのは、子供の死である。乳幼児死亡率が世界的に下がり、医療は高齢者をいかに長生きさせるかに軸足を置いているが、究極の政府の役割は、国民の夭折をなくすことである。だから戦争も、事故も、乳幼児への犯罪も避けねばならない。
 輸入品でない日本の財産の第一は、子供である。財産を増やすべく、人口政策に取り組み、かつ、輸入品の価値については、日本流に変えていく努力を必要としている。
 

[2022/04/07]
量より質を求めよ、保育所対策



 高齢化社会、高齢社会、超高齢社会とは、高齢者が総人口に占める割合が夫々人口の7%、14%、21%を占める社会と定義される。定義は明快で、日本は、高齢社会に達した1995年頃から介護保険法に取り組み、少数者のための福祉制度から、すべての高齢者を対象とした契約ビジネスへと政策転換したのである。
 これに対して、少子化は、1989年の1.57ショック(合計特殊出生率)を機会に、当時女性の権利が強化されていたため、人口政策の言葉を忌避し代替として作り出され、定義は明確ではない。ただ明らかに、出生率向上を狙った政策として始まった。しかし、高齢者に比べると、介護保険に相当するような新たな枠組みはおろか、政策目的にかなう状況は全く生み出されてこなかった。
 その元凶は、政府が予算を付けた最初の少子化対策が1994年のエンゼルプランであり、保育所の整備が中心だったからである。以降、少子化対策と言えば保育所の整備と短絡し、21世紀には待機児童ゼロが政府の掛け声となって、首長の公約は保育所の整備に集中した。
 現在、コロナ禍とウクライナ侵攻がニュースの殆どを占め、忘れられているが、一時期は「保育所落ちた、日本死ね」の言葉が踊り、保育所の量的拡大が最優先とすら捉えられたこともあった。
 その結果、大都市圏では、首長が社会福祉法人の保育所整備に必要な設置者負担を支出したり、保育士の加給をするなどして大規模保育所が増設された。立派な建築の保育所、高給求めて転職してきた保育士が観られるようになり、90年代に厚生省児童家庭局で児童福祉に携わった身には、隔世の感がある。
 ところが、この現状に対して、元埼玉県教育委員会委員長である松井和氏が「ママがいい!」という著書の中で現今の政策に噛みついた。保育所一辺倒の子供政策では、当事者である子供自身の利益が阻害されているとの趣旨だ。かつての筆者であれば、この題だけ見て反発を感じたかもしれない。なぜなら、根拠のない三歳児神話によって保育行政は滞っていたからである。
 しかし、松居氏の論調は三歳児神話に戻れと言うような安直なものではない。保育の現状は、女性に子育てよりも労働の価値が高いことを教え、首長が保育所整備を「やってる感のある」少子化対策の中心ととらえ、保育所整備が少子化という名の免罪符となっていることに反撃しているのである。そこには、子供を育てる親の責任も、もっぱら子育て産業化した現場の職業意識も、子供への配慮も感じられないと言うのだ。
 その通りではないか。筆者は、児童家庭局の課長時代、保育所の整備は必要不可欠と考えていたが、あくまで親が育児の第一次責任者であり、長すぎる預け時間や欠員補充をやりつつ常に保育士が変わる状況は好ましくないと考えていた。集団保育に丸投げするのではなく、工夫をこらし金銭を使ってでも、自宅での保育を充実させる努力をしなければ、子供は保育産業の工業製品になるだけだ。
 すでに、義務教育の現場ではモンスターペアレンツが跋扈していて教師を悩ましているが、保育所でも保育士泣かせのモンスターペアレンツが多くなってきている。それは、自分が親として育児の第一次責任者であることを忘れているからである。補完的にお世話になる保育士に任せきりで感謝の気持ちが伝えられない親も多い。少子化の御旗の下、預けるのは母親の権利と思い違いしているのだろう。
 松居氏の優れた指摘に共感してやまないが、蓋し、保育所が子供の利益に反すると言うよりは、親に問題があり、通り一遍の保育行政を行っている首長も、さらには政策立案者にも問題があると考える。今となっては、少子化対策イコール人口対策は忘れられているけれども、少ない子供の社会で、兄弟姉妹、近所の遊び相手もいないのだから、保育所は必要な施設である。少子化(=人口政策)には役立たないが、少子社会の重要な要素であることは間違いない。
 ならば、保育所の大量整備から質的向上の時代に移ったと考えるべきだ。人口政策を離れ、本来の意味での保育所、つまり子供の発育に不可欠な保育の質を追求しなければならない。望むらくは古くから地元で社会事業を行ってきた設置主体の小規模保育所を増やし、寄り合い所帯で産業化した大規模保育所にだけ委ねる行政を止めるべきである。児童養護もかつての大舎制からグループホームへと変わってきたことを認識し、児童福祉の先達に学べ。子供の利益には密接な親しい小規模保育の場を作ってやることだ。同時に、親、親たるべしを社会として教えねばなるまい。

[2022/03/27]
幸福とは何か



 ロシアの侵攻により安寧の生活を追われたウクライナ人にとって、今は、日々の何気ない幸福の日々を取り戻すのに必死であろう。そんな中で、去る3月20日は国連の定めた国際幸福の日であったが、幸福のテーマで語る余裕は世界にない。それこそ足掛け3年居座る新型コロナすらも吹き飛ばす悪魔が忍び寄る日々だ。
 しかし、筆者は先月、関西で国際幸福の日を題に講演する機会を得たので、72歳にしてたどり着いた幸福の概念について述べることをご容赦いただきたい。2011年、ブータンのチンプーで行われた国連の会議に基づいて、翌年、国連総会全会一致で国際幸福の日の決議が採択された。2012年から国連関連団体により、毎年、幸福度ランキングが発表されている。
 日本は2021年度のランクが56位であり、先進国の中で低い。1位はフィンランドで、トップには北欧諸国が続き、13位ドイツ、17位イギリス、19位アメリカと主な先進国が続く。下の方はアフリカ諸国が並び、最下位の149位がアフガニスタンである。
 ランキングのための基準は、各国の幸福意識調査と客観的な数値から成り立つ。客観的数値とは、一人当たりGDP、社会保障制度、健康寿命、人生の自由度、他者への寛容さ、国への信頼度の6つである。言うまでもなく、日本は、社会保障制度や健康寿命の配点が高いのだが、人生の自由度と他者への寛容さで低く、全体として低いランクに甘んじている。また、2000年には世界2位だった一人当たりGDPは今や24位と決して高くはない。
 幸福の日のきっかけを作ったブータンは、2013年ではランキング8位で開発途上国として突出した地位にあったが、その後ランクを下げ続け、95位の後は調査対象から外れた。ブータンは日本でも一時「世界一幸せな国」とマスコミが取り上げたが、多くの人が観光に訪れるようになって、国民は経済も近代化も遅れている自国を認識するようになり、主観的な幸福意識が急落したせいだと言われている。国連のランキングに使われる主観的な意識調査はいかようにでも変わりうることの証左である。
 ならば、もっと客観的な幸福の基準はないのか。世界三大幸福論と言われるのは、英国の数学者バートランド・ラッセル、スイスの法学者カール・ヒルティ、フランスの哲学者アランの幸福哲学である。しかし、これらの高尚な幸福論は、日常的な幸福を求める庶民には必ずしも説得力がない。例えば、ラッセルの自由こそ幸福の最大の要素という議論は、戦禍に追われるウクライナ人にとって真実であろうが、極限状態にない多くの日本人には聞き流されてしまう。
 筆者は平均的な日本人の幸福の要素を考えてみた。3つある。一つは、情緒的な満足。これは主観そのものだが、日本人として共有する情緒があり、日々変わる意識調査とは異なる。二つ目は、経済社会的に恵まれること。三つめは、成功の数、失敗の数からくる満足。二つ目三つ目は論に及ばないと思われるので、以下に情緒について述べる。
 情緒は、子供の頃家庭で育まれる。中でも童話は幼児の心に生き方の種をまく。世界三大童話の中、イソップはギリシア民話をベースに、アリとキリギリスのように動物を使った教訓が多い(現代の子供はアリよりキリギリスの方が好きだ)。グリムはシンデレラなど、実は実母の虐待や育児放棄の欧州民話から来ているのだが、幼児用に実母を継母に替え、苦労の末にハピーエンドとなることを教示。アンデルセンは彼の創作で、裸の王様や醜いアヒルなど皮肉を含んだ教訓をもたらす。
 これらの教訓は繰り返し幼児の心に入っていく。ただし、三大童話では涙は出ない。心から感動し涙が出るのは、子供に読まれるオスカー・ワイルドの「幸福の王子」とベルギーの伝説を基にした「フランダースの犬」が圧巻である。死後街中の銅像になって初めて庶民の生活の苦しみを知った「幸福の王子」は身に着けた宝石や金箔をツバメを使って貧乏人に配った。最後は目のルビーを配り、盲目で丸裸になり冬が訪れてツバメとともに倒れる。自己犠牲を教える高度な哲学が子供心をとらえる。
 フランダースの犬は、貧乏な少年ネロが画家になりたい志を持ちつつ、コンクールに白墨で描いた絵を応募するが落選し、唯一人の祖父も牛乳売りの仕事も失い、放火の疑いまでかけられた。最後、クリスマスの夜に一度見たかった教会のベラスケスの絵が風で幕が落ちて目にし、生涯の友の犬パトラッシュと共にそのまま凍死する。志を果たすことは叶わなかったが、最後に一つの夢を実現して死ぬ。たとえ果たすことができなくても志を持って真摯に生きることを教える。
 幸福の第一要素である情緒は我々の心の中に住み、第二要素の経済的社会的活躍や、第三要素の成功失敗の数によって組み立てられる人生の真の幸福感をもたらすものと信じる。第二、第三要素は青壮年の時は重要でも、高齢期に入れば、圧倒的に第一要素の情緒的幸福が重要となる。
 わが身に立ち帰れば、職業人生には恵まれたが、選挙は敗北を重ねた。つまり、経済社会的には満足したが、選挙による失敗はその成果をも食いつぶした。しかし、自ら導いた幸福の基準からすれば、幸福の王子の自己犠牲、言い換えれば社会貢献のために政治を志し、ネロ少年のように志は遂げられなかったが、最後の一幅の絵を見る機会が残っている。それは、人口が増加に転じ、多くの豊かな情緒を持った子供たちの日本を感ずる絵である。それを見ることができれば至福である。

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